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【書籍化】神様、どうかこの嘘だけは見逃してください (書籍版:偽装死した元マフィア令嬢、二度目の人生は絶対に生き延びます)  作者: あだち


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【番外編】ある秋の長い夜

本編と「【番外編】もしものときは」の間の時期です。


 ――フェルレッティ家が出資する商会で、軍の鼠が捕らえられた。テオドロはその話をフェルレッティ邸の執務室で聞いて、顔には出さずに絶望した。

 二週間前に、ファビオからサポート役が追加されると聞いたばかりだった。


 書類に目を向けたままのアウレリオから、『おつかい』の指示を受けると、件の商会本部にできる限り急いで出向く。大通りに面した正面扉を行き交うにぎやかな商人たちを横目に、裏口の前で見張りに、首の入れ墨を見せ用向きを伝えれば、目的の地下室へはすぐに入れた。


 果たして、階段を下った先で燭台の炎に照らされていたのは、予想通り蛇の入れ墨をこれ見よがしに入れた柄の悪い男たちだった。佇むうちの何人かは、先ぶれなくやってきた人間の気配に反応し、懐に手を入れて気色ばんだ目を向けてきた。


「……なんだ、あんたか。アウレリオ様からか?」


 一人がそう言うと、テオドロは短く肯定した。灰色の目を砂っぽい床に向ける。

 男たちの真ん中で、後ろ手に縛られて、床に転がされていたその人物に。

 

 視線が合う。


 見知らぬ顔だったが、テオドロはそれが自分の同胞だと確信した。

 散々痛めつけられ、起き上がることもできない様子ながらも、一瞬こちらに向いた目に映る強い憎しみと固い決意に揺らぎがなかったからだ。

 だからこそ、なおさら、息が詰まるような心地がした。


「――ルカさん、アウレリオ様からこちらを。それと、これはベルナルドさんから」


 視線を床から引きはがしたテオドロは、薄い封書と小さな小包を持った右手を軽く掲げ、地下室のさらなる奥へと声をかけた。椅子に腰掛け、天井に向けて煙草の煙を吐いていた男が、薄青の目を細めてこちらを見遣ってくる。


「……おっせぇんだよノロマ」

「すみません」


 理不尽な言葉に感情のこもらない謝罪を返し(相手が自分の態度に腹を立てているのはわかっているのだが、肝心のアウレリオが幹部と従者のなれ合いをよく思わないのだから直す気はない)、手のひらを向けてくるルカに両方を渡す。

 礼の一言もない男に背を向け、テオドロは男たちの輪の方に向かった。お疲れ様です、と淡々と声をかければ、まばらな返事が返ってきた。歓迎されていないことに構わず、テオドロはそばにいた男に問いかけた。


「商会の従業員だと聞きましたが」

「……そうだよ。店主が言うには、二週間前に雇ったばっかりだったってよ。偽物の経歴にまんまと騙されやがって」


 舌打ちした大柄な男の横を通り過ぎ、捕らえられたスパイのそばに膝をつく。床に落ちていた血がスラックスを汚す。

 何人かが制止するように動きかけたが、結局誰も何も言わなかった。彼らの戸惑いと苛立ちは、小さな舌打ちや床に擦れる靴底の音に表れていた。


 ――それで確信した。この同胞は、テオドロのことを話していない。誰一人としてテオドロを殺そうとしてきていないのがその証拠だ。


 この作戦に関わるものはどんな役割であっても、本部に固く、固く言い含められている。自分の命が脅かされても、家族を人質に取られても、仲間の情報は絶対に漏らすなと。

 彼はそのことに、この上なく忠実だった。


「……触んじゃねぇよテオドロ」


 ルカの声で、顔へと伸ばしかけていた手の動きを止める。名を呼ばせるための、あえての軽率な動きだった。

 案の定、床の上の同胞は目を見開いた。テオドロ?と歯の抜けた口の動きだけで問いかけてくる。


 面識のなかった仲間との邂逅に、テオドロは声を発さず、冷たい灰色の視線で答える。それで相手もわかったのだろう。瞳の奥に、わずかに安堵が浮かんだ。


 かさりと、紙が擦れる音がした。それを合図としたように、男たちのうちの一人が輪を離れる。

 相変わらず奥にいるルカの方へと向かっていくのと同時に、尋ねる声が聞こえた。


「それでルカさん、アウレリオ様はなんと?」


 その質問につられて、周囲の注意がわずかに自分から逸れるのを感じた。


「……そのクソ野郎、仲間の名前もなんにも吐かねぇだろ」


 不機嫌そうな声に重なって、ガラスがぶつかるような小さな音がした。瓶を開ける音に、かすかな水音も続く。注射器と薬品の立てる男にちがいなかった。

 テオドロは男に向けて目を細めた。床の男がそれを受け止めて、小さく頷く。


「だからあのドクターの薬を持ってこさせたんだよ。殺すにしても、絞れるもんは絞っておかねぇと後々――……」


 次の瞬間、テオドロの手が床の男の首にかかった。静かな、なんの予備動作もない動きに、周囲の男たちも反応が遅れる。


「仲間はいるのか?」 


 テオドロの淡々とした問いに、首を絞められた男が口を歪ませて笑う。テオドロは手にさらに力を込めた。まるで嘲笑に憤った尋問官のように。

 ようやく周囲がテオドロのしていることに気が付いた。手下たちの「おい!!」という怒声が響き、肩を強く掴まれる。背後から足音が迫ってくる。テオドロは、喉骨に指をかけた。

 ためらいはなかった。




「おまえ、なにを勝手に殺してやがる……」


 それまでの怪我に加え、首に濃い痣を新たに作った男の遺体を、ルカはぞんざいに床に放り出し、地下室の床から立ち上がるテオドロに殺意のこもった視線を向けた。

 殴られた頬を軽くぬぐって服装を整えながら、テオドロは息を吐いた。


「……先週捕らえたルチェッロ家の下っ端はもっと頑丈でしたので、つい。……それに、失礼ながら」


 灰色の目は、怒れる幹部を静かに睥睨した。


「顔ばかり執拗に殴ったせいで、奴はほとんど喋れなくなっていました。あれでは薬を使っても意味がなかった」

「ざけやがって……!」


 ルカの左手がテオドロの胸倉を掴み、右手の銃が鼻先へと向けられる。

 それでもテオドロは微塵も臆さなかった。


「お屋敷よりご伝言です。〝許可はするが、あまり数がないからむやみに使うな〟と。」


 何人もの同業者の舌の根を凍り付かせてきたルカ・ベラッツィオの怒りを前に、テオドロはあくまで淡々と話した。

 脅しではない殺気に、前髪を燻られるような錯覚を感じながら。


「……ご主人様は、すみやかなご報告をお待ちです」


 服を引きちぎりそうな勢いで、ルカはテオドロの胸倉から手を離した。


「どう報告しろっつぅんだよ……」


 苛立ちの中に本気の焦燥を見え隠れさせたルカの声は、もうテオドロには関心なさげに遠ざかっていく。彼が地下室を出て行けば、手下たちもぞろぞろと後に続いた。


 最後にはテオドロと、絞殺された遺体だけが取り残された。

 

 テオドロは、誰にも気にかけられないその死に顔を数秒見つめ。

 それに背を向け、出口へと向かった。



 フェルレッティ潰しのためならば、テオドロが潜入中に犯す罪は、事後も裁かれないことになっている。

 仲間殺しすらも。




「テオ」



「テオ、起きて」



 ぱち、と目を見開いたとき、テオドロは自分の心臓が大きな音を立てたのを確かに聞いた。 

 とっさに手が上着の中の銃を探して空ぶったのを、ひやりと乾いた別の手に掴まれる。

 その手を逆に握り返す。手加減のない握力に、びく、と相手が体をこわばらせたのがわかった。


「こんなところで寝ちゃダメよ、テオ」

「……ディーナ」


 うわごとのようなかすれ声で名を呼べば、薄闇の中で燭台に照らされた緑の目がほっと緩んだ。


 寝間着にガウンを羽織ったディーナの周囲は、浴室の風景。テオドロ自身が座っているのは浴槽のへりで、体に緊張が戻ってくるまで体重を預けていたのはタイル張りの壁だった。

 浴槽には湯がいつもより多く貯められている。カランからぽちゃんと水滴が垂れた。湯を止めたばかりのようだった。


「風邪ひくわ。疲れてるなら、何か軽く食べる?」


 テオドロは「いや」と端的に断った。掴んだままだったディーナの手を放し、額をぬぐう。

 同時に、自分が真夜中に庁舎から帰ってきたのだと思い出した。風呂の支度をしているうちに寝入っていたようだ。

 だが帰宅したとき、ディーナの気配は居間や浴室付近にはなかった。寝室で寝ていたに違いないから、明かりも最小限で動いていた。

 なのに、彼女がここにいるということは。


「……ごめん。もしかしなくても、起こしちゃったね……」

「むしろ今起きられてよかったわよ。朝になってから、あなたが浴槽に倒れ込んでるのを見つけるのは怖すぎるもの」


 返す言葉もないテオドロは、もう一度謝った。

 ディーナはもともと怒ってはいなかったようだった。浴槽に手を浸からせてすぐに引っ込め、「熱いかも」と呟いた。


「冷めるまで少し待った方がよさそう。居間にいく? ワイン出しましょうか? チーズ、昼間に買ってきたばっかりのものが……」


 途切れない声には眠気は見当たらず、その声にはうっすらと興奮が漂っていた。この状況を楽しんでいるかのような様子に、テオドロは頭に浮かんだ感想をそのまま口にした。


「……なんか機嫌良いね?」

「えっ? ……そ、んなことないと思うけど」


 途端に言葉を詰まらせたディーナをいぶかしく思って上目で見る。別に、会えて嬉しいと言われるほど長時間離れていたわけでもない。

 疲れもあって、探るような目つきを隠しもしないで見つめていると、ディーナの方が目を泳がせ始めた。

 ――頬のかすかな赤みに気づいて、テオドロはようやく合点がいった。


「なぁに、まさかずっと寝顔見てたわけ?」

「……」


 ディーナは指先をいじり始めた。きゅっと閉じた唇が肯定を示している。

 

「起こしてくれたんだと思ったら。悪趣味な人だな」


 やや責めるような口調に、ディーナが心細そうに尋ねてくる。


「……怒ってる?」


 一転して気まずそうにこちらを窺ってこられて、わざと作ったふてくされたような表情は笑みで崩れた。


「別に、寝顔くらいで怒らないよ」

「ごめんなさい、珍しかったからつい」

「そん……」


 固まった首を撫でながら『そんなことないでしょ』と言いかけて、言葉が止まる。

 急に黙り込んだテオドロに、ディーナが不安そうにかがんでくる。 


「どうしたの?」

「いや」


 そう言うと、テオドロはディーナの手をもう一度握り込んだ。ディーナが驚いた顔をしたのを視線だけで確認して、ふっと笑う。


「体、冷えてるね」

「……ちょっとね」

「のぞき見なんてしてるから」

「なっ、」

「一緒に入る?」


 浴室の扉が大きな音を立てて閉められた。




 慌ただしい足音が完全に遠ざかると、テオドロは自分の顔から表情が削げ落ちていくのを感じた。


 ――あの任務は終わった。終わらせられた。


 負けるつもりは無かったけれど、それでもあの綱渡りの日々の終わりは、死を以てしか訪れないと、当たり前のように思っていた。

 商会の地下で死んだ彼と同じように。

 薬で苦しめられる前にとどめをさしながら、自分こそが、いつか一番悲惨な死体になるのだろうと思っていた。


 それがいつの間にか、テオドロは誰かの前で深く寝入っても大丈夫なほどの安全を手に入れた。職場は後ろ暗い貴族の屋敷でも怪しい地下室のある商会でもなく、仲間が大勢いる軍の庁舎だ。死後は寄付に回すよう手配していたはずの給金で、結局家族のための家を用意した。


 自分だけが。


「……」


 首の火傷がひりつく。


 テオドロは淀み始めた思考を振り捨てるように服を脱ぎ、衝立に順々にひっかけた。

 ディーナが熱すぎると言った湯に浸かりながら天井を見つめる。


 過去のことに囚われるのは意味がない。やることは山積みだ。記憶の中にいた()の最期に関する委細は、当時、ファビオを通じて本部に報告した。ファビオはのちに、彼はしかるべき叙勲を受けて丁重に弔われたと教えてくれた。

 それしかできないのだ。彼も、それ以上はどうすることもできないと、わかっていたはずだ。

 生かして逃がすことを選べなかったことも、彼を含めて誰もテオドロを責めない。


「……」


 また元の場所に戻り始めた思考を払拭するべく、今日上司と話し合ったことを反芻する。


 夏から取り始めた休暇を秋に終えてからというもの、テオドロはとある規律違反の罰で降格処分に処されていた。といっても一時的なもので、監視対象との最前線から庁舎内での書類仕事に回されたというだけだ。


 それもそろそろ切り上げ時で、もとの現場仕事に戻される頃合いとのことだった。


 また、深く眠ることのできない日々が始まる。

 それでいい。そういうことをするために生き延びた。彼の――彼らの代わりに、テオドロだけが生き延びた。

 次こそ、ひどい死体になるかもしれない。ディーナが王都にきたことを、後悔するような死にざまになるかもしれない。

 前髪をかきあげた腕を伝う雫をぼんやり見つめる。知らず、眉間にしわが寄っていた。


 ――もしそうなれば、自分はディーナに対し、ひどく残酷なことをしたといえる。

 彼女を修道院から連れ出したのは、彼女の好意につけ込んだ、自分の勝手な行動でしかないのだ。

 しかも、迎えに行けばついてきてくれると確信したうえでの行動だった。あの頃のテオドロは、会いさえすればディーナが自分の手をとってくれることを信じて疑っていなかった。

 

 ぱちゃ、と、また水滴が湯に落ちる音がした。

 磨き抜かれたカランに、青い目の陰鬱な男が映っている。


 ――そうだ。確信があった。伸ばした自分の手を、彼女は取るという、確信が。

 炎に呑まれた邸内で、死ぬ必要はないのだと話したときの、彼女の歓喜と罪悪感の涙を見ていたから。

 彼女の望みが許しと平穏ではなくなった瞬間を、自分は見ていたから。


 ――だがそれでも。

 本当は、自分は、それを――一緒にいたいというディーナの望みを、無視しなくてはいけなかった。存在を忘れなくてはいけなかった。生存の可能性を探ってはいけなかった。居場所を突き止めてはいけなかった。会うなんて、絶対にしてはいけなかった。

 それを知っていて守らなかった理由は、なんてことない。



 自分もまた、帰ってきたら(生き延びた後で)、深く眠れる場所が欲しかったのだ。



 彼女のそばは、居心地がいい。




(……変な場所で寝て、夢なんか見たせいだ。今さら考えても仕方ないことばかり頭を占めるのは)

 

 さっさと寝室に向かおう。やることが目の前にあるわけでもないのに、疲れたまま起きているとろくな考えにならない。潜入していた時ですら、必要な睡眠は取るよう努めた。


 テオドロは自然と閉じていた目を薄く開いた。滲む視界に、浴室に設置された照明の光がゆるく差し込む。

 それから、視線だけを浴室の外へと向けた。


 訓練されたテオドロの耳は、雫が湯に落ちる音どころか、夜の静寂の中で様々な音を無意識に拾ってしまう。

 家の外の風の音も。猫のかぼそい声も。通りを歩く宵っ張りたちの無遠慮なわめき声も。

 浴場と脱衣所を仕切る衝立の向こう、扉の外の廊下を歩くひそやかな足音も。


 まだ寝ていなかったのかと思ったタイミングで、浴室の扉を開ける音がした。


「……テオ」

「うん?」

「タオル、準備してきたから……」

「……ありがとう。置いといてくれる?」


 疲れ切っていたとはいえ、自分のタオルは用意したうえで風呂に入っている。改めて浴室に入ってきたディーナの視界にも衝立に引っ掛けられたそれが見えているはずだが、テオドロは気遣いを無下にしないためにそう答えた。


 もしかしたら、ディーナは混浴の誘いから逃げたことを気に病んで、様子を窺いに来たのかもしれない。一人になりたくてからかっただけだから、あまり気にしなくていいのに。テオドロは苦笑いとともに申し訳ない気持ちになった。


 とはいえ、いつもより熱い湯からはもう出た方がよさそうだった。浴室で寝入って死亡だなんて冗談じゃない。

 ディーナが脱衣所を去るのを、テオドロはのんびりと待った。瞼が重くなり始めたのを自覚しながら。

 だが。


「……あの、でも、持ってきたのは、に、二枚目だから」


 二枚目?

 閉じかけた目をもう一度開けたテオドロは、衝立の方を見た。

 言われた通り、二枚目のタオルがかけられる。

 だが立ち去る足音はしない。

 代わりに、衣擦れの音がして。


「……やっぱり、わたしも一緒に入っていい?」


 衝立に、見覚えのあるガウンと寝間着が、ためらいがちに引っ掛けられる。







 思ったより寝られなかった。






 おしまい!

おかげさまで4月10日、DREノベルス様より書下ろし二巻「~悪徳の迷宮で、あなたを追う~」が発売です。

よろしくお願いします。


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