【番外編】晩餐――おまけ――
本編14話「晩餐 後」あたりのifです。
ディーナがフェルレッティ邸に舞い戻った日の晩餐は、驚くほど穏やかに幕を閉じた。
三人の、ささやかで微笑ましいやりとりを別にして。
***
食事の順番を違えたアウレリオに、変わった様子は見られない。晩餐はつつがなく進んでいる。
やきもきするディーナの気持ちが『大丈夫なの?』と『いやでもわからないわ』を行ったり来たりしている中、その質問は思いもかけない方向から投げかけられた。
「そういえば、いつテオドロの入れ墨をみたの?」
ディーナは「え?」と声を漏らし、視線を上座のアウレリオから、自分の正面に座るラウラに移した。ラウラはすまし顔で、フォークとナイフを動かしている。
「言ってたじゃありませんこと? 彼の入れ墨を見て、記憶を取り戻したと」
空耳だろうかと思いかけたところで、またラウラのそっけない声がした。アウレリオが、「ラウラ、話すときは相手の顔見て」と苦笑いでたしなめる。
ディーナはラウラからの質問を咀嚼すると同時に、きょとんと目を瞬かせて固まっていた。だがそれは、嘘をつつかれて焦っているからでも、緊張で喉が凍りついているからでもない。
なぜそんなことを聞かれるのか、わからなかったからだ。
だって。
「いつって言われても……。会ったときから見えてたわ」
ディーナのあっさりした答えに、アウレリオとラウラは食事の手を止め、顔を見合わせた。そのまま、ラウラがアウレリオに対し、ものを怪しむような声音で問いかける。
「……あいつ、襟の下に彫ってるのに?」
それを受けて、ナイフを置いたアウレリオはしたり顔で頷いた。
「だから、そういうこと、なんでしょ」
そう言って、右手を自分の首元に持ってくると、人差し指をタイに引っ掛け、引き解く振りをしてみせた。シュッ、と音が聞こえてきそうな仕草を見たラウラが「あっきれた」と細い眉を上げる。
そんな二人のやりとりを目にして、ディーナはようやく自分の言葉足らずに気がつき、小さく「あっ」と声をもらした。
テオドロは、いつもきちんとタイを締めている。だから、普通に過ごしていれば襟の下の入れ墨は見えないのだ。
でもあの雨の夜、彼は敵対勢力の男たちと揉めた後で、着衣が乱れていた。だからディーナは、初めて会った時から――というか、そのときだけ入れ墨が見えていた、けれど。
(い、言っていいのかしら。テオがレベルタで揉めたこと……)
相手はどうもフェルレッティ家に友好的な組織ではなかった模様だ。アウレリオ付きの従僕に扮するテオドロが敵対的行動を取っても、そう不自然なことではないはず。
でもルカは、勝手なことをするなと怒っていた。下手なことを言って、テオドロがこの後罰せられはしないだろうか。
「ルカならわかるわ、見えやすいもの。ねぇディーナ様」
「え、ええ、まあ」
結局、上手く言い繕えないうちに話が進んでいってしまっている。確かにルカの入れ墨は見えやすい。ディーナはさして関心のない話題に、曖昧な笑いを浮かべた。
「ラウラもわかるよ、キスするとね」
「へ、あ、え?」
にっこり笑う異母兄の言葉には挙動不審な声が出た。キスするとわかる?
戸惑っていると、アウレリオに冷え切った視線を向けていたラウラがこちらを見た。そして冷たい目のまま、ペロッと猫のように舌先を出してきたのだ。
小さな、蛇の焼印のついた、舌を。
青ざめて固まったディーナを前に、アウレリオがため息をつく。
「私は太ももに彫るのが色っぽくて素敵だと思ったんだけど、この子ってば私の机から勝手に印章持ち出して暖炉で炙ってジュ、だよ」
ジュ。ディーナは思わず口を押さえた。ラウラがつんと顎を上げる。
「あら、止めなかったじゃない」
「女性のファッションのこだわりに口出す男は野暮だろ」
「まあ、女心をよくわかってらっしゃる。人の心は残ってないのに」
「ねぇラディッシュ残すのやめなよ」
唐突で力強い話題逸らしにも、ラウラは表情を変えずに皿をつつ、と押し、壁際に控える給仕に聞こえるように言った。
「いらないわ。下げて」
「栄養偏るよ。無視しろ」動きかけた給仕が素早く壁にくっつき直した。
「まぁぁ心配性でお優しいご主人様。良ければどうぞ、差し上げるわ」
「いらないよ。……ディーナは好き嫌いある?」
「えっ? いえ」
結果、なぜかディーナの皿の上にラディッシュがぽつんと増えた。
――どうしよう。
ディーナは水でも浴びたように冷や汗をかき始めた。だって元は別の皿に盛られていた野菜だ。いったい、どのタイミングで食べればいいだろう。
「だいたい、見えないところに彫るやつはなに考えてんだろうね? ニコラとか背中だろ? 本当に、脱いだときにしか見えないじゃん」
――茹でただけの付け合わせだ。ソースを絡めなければ、他の野菜と同じような順番に組み込めばいいのだろうか。
カトラリーを手に、青い顔で皿の上の新入りを凝視するディーナを置いて、アウレリオの話はさらに逸れていく。ラウラも特にそれを止めない。
「ニコラは体面の問題でしょうけど。でも彼、外回りが主でしょ。あなたには見せないだけで、意外と周囲に見せつけてるかもしれないわよ、入れ墨」
「上裸で監督しに行ってるっての?」
「上裸で監督しに行ってるかもしれないじゃない」
――いやいっそ、食べずに置いておけばいいのでは……。でももし罠なら、これも解毒の一種ということになるのだろうか?
アウレリオは、黙ったままのディーナへ視線を向けた。
「レベルタに迎えに来たのが、テオドロで良かったね」
「えっ? あ、ええ、本当にそう」
顔を上げたディーナは、上擦った声でそうそうと肯定した。
*
その夜、寝室に忍び込んできたテオドロは、そういえば、と前置きしてディーナに真面目な顔で質問してきた。
「晩餐で、アウレリオ達とはどんな話をした?」
「……入れ墨の位置の話とか、……」
テオドロは何言ってるのといわんばかりの顔をした。そんな怪訝そうな顔をされても、本当にそんな話をしていたのに。
「あと……ラウラのラディッシュが回ってきちゃって……」
「ラウラのラディッシュ?」
「あ、でもそれは、結局食べなくて済んだんだけど……あと誰だったかしら、見せつけがどう、とか……」
「見せつけ?」
「よ、よく覚えてないわ、ラディッシュに気を取られてて」
「ラウラの? ラディッシュに?」
「…………む、迎えに来たのがテオでよかったね、とも言われたわ」
沈黙。時計の音がカチコチと響いた。
「……はぁ。それで、あなたはなんて」
「ええ、本当にそうって」
「…………そう。それはよかった」
ひとしきり確認したあと、テオドロは「おやすみ」と言って窓から外へ出ていった。心なしか、少し嬉しそうに見えた。
ディーナはそれを見送って、寝台に潜り込み直す。
彼が、初対面で襟をくつろげてくる男という話になってしまったことは、ちょっと申し訳なくて言えなかった。
本日10月10日、紙・電子書籍ともに発売です。本当にありがとうございました。記念SSがこんな感じで本当にすみません。
(書籍版タイトル『偽装死した元マフィア令嬢、二度目の人生は絶対に生き延びます 〜神様、どうかこの嘘だけは見逃してください〜』)




