神の思し召し
シンシアはフラフィネス帝国の皇帝の妻、レナルド殿下専属の侍女の一人だった。
王族達の日常はとてものんびりとしていて、殿下は自分のような下賎の者にも分け隔てなく話しかけてくれる優しいお人だったのだという……
そんな平和そのものだった光景が一瞬のうちに破壊されてしまった。
同盟国だったイグリス王国が突如裏切り、帝都に攻め入ってきたからだ。
街は破壊され、城には火が放たれた──────……
おっちゃんの話ではイグリス王国はフラフィネス帝国に宣戦布告した上で正々堂々と戦いに挑んだのだと言っていた。
しかし実際は、寝首を搔くような一方的で野蛮なものだったようだ。
「事前に油がまかれていたのか火の周りはあっという間でした……」
元々病気がちだった殿下は突然の事態に発作を起こしてしまい、迫りくるう火の手にもう一歩も動けない状態になってしまった。
そして……私のことはいいからアン王女だけはと、その場にいた侍女達に涙ながらに懇願したのだという………
「私達はなんとか城からは脱出して殿下の生まれ故郷である隣国を目指しました。でも国境まであともう少しという所で追っ手に囲まれてしまって……」
辛気臭い話は嫌いだ。涙が出てきてしまう……
アンハッピーな結果だとわかっているのに、なんとか助かって欲しいと願わずにはいられない……
「捕まればアン王女は殺される。だから私達は川に流したんです。」
…………うん?川に?
「ちょっと待ってシンシア。アン王女って赤ちゃんだったりする?」
「ええ……だから泳げっこないのにっ……」
「その赤ちゃんてカゴに入れて流した?」
「誰かが拾って保護してくれるんじゃないかだなんて、そんないちるの望みに託すだなんてっ……!」
ああ、またワンワン泣き出した。これは説明するより見せた方が早いな。
しかしこんな偶然てあるんだな。
いやもしかしたら凱旋パレードに数いた捕虜の中で、シンシアにぴんときたのはなにかしらの魔法が発動したのかも知れない……
体の水分が枯れちゃうんじゃないかってくらい派手に泣き続けるシンシアを乗せたまま、馬を走らせた。
「アン王女?!」
僕の部屋のベッドで寝ている赤ちゃんを見るなりシンシアは目を見開いた。
良かった、まだかろうじて生きている。死んでいたらどうしようかと思った。
「ああ神様、なんたる思し召しを……ありがとう、ありがとうございます!」
そう言って天を仰ぎ、神に向かって感謝の祈りをささげた。
神なんていないし、実際拾って助けたのは悪魔なんだけどね……
シンシアはアン王女に元気がないことに気付き、慌てて駆け寄った。
「大変、直ぐにお乳を差しあげないと。この城で働いている方でお乳が出る方はいらっしゃいますか?」
「使用人は僕一人だけど?」
「………えっ?冗談ですよね?」
「ううん、本当の話。」
まあ普通そういう反応になるよね。こんな広い城で働く使用人がたった一人だけだなんて。
廃墟のような状態ならともかく、城はどこを見渡してもピカピカに磨かれている。
魔王様はそれを当然のように思っているけれど、少しくらい僕の頑張りを褒めてくれても良いのに。
「お乳はシンシアがあげれば?出ないの?」
「出るわけないじゃないですか!生まれてこのかた27年間、彼氏がいたためしもないのに!!」
なんかわかんないけどめっちゃキレられた。
悪魔は生まれた瞬間からなんでもバリバリ食べれるし喋れるし歩けるし、背中の羽根を使えば飛ぶことだってできる。
でも人間の赤ちゃんは泣くことしかできないようで、食べれるものも限られているらしい。かなり不便だ。
「てことはもう丸一日以上なにも食べておられないの?なんてお労しいっ……!」
シンシアはそう嘆くとアン王女を抱かえて部屋の外へと飛び出した。
「ちょっ……どこ行くの?!」
「そんなの決まってるじゃないですか!お乳が出る女性を探しに行くんです!!」
敷地の外は侵入者防止の罠が張り巡らされていて危険だ。 触れただけで身体が粉々にされるものだってある。
廊下を全力疾走するシンシアを追いかけたものの、魔法で創られた人間には見えない罠をどう説明すればいいのだろうか。
「離してください!」
「落ち着いてよシンシア、話を聞いてっ!」
首筋にヒンヤリとした冷たい空気がかすった。
「なにをやっている?」
しまった……
よりにもよって魔王様がお休みになられている寝室の前で騒いでしまった。
魔王様が怒ると周りの空気の温度が下がる……
目の前の扉がギイと音を立てて開き、奥にあるベッドからゆっくりと起き上がる魔王様の姿が見えた。
魔王様はシンシアを後ろから羽交い締めにしている僕を見るなり、眉間に深いシワを寄せてギロリと睨んだ。
許可なく部外者を城に招いてなにをイチャついているんだてめぇ舐めてんのかと言わんばかりの目だ。
もしかして赤ちゃんのお世話ができる奴を連れて来いっていったことを、すっぽり忘れてたりしないよね?
「イケメンの………神様?」
シンシアは目をハートマークにしながら魔王様に見惚れた。
悪魔はみんな容姿端麗なんだけれど、魔王様はその中でもとりわけ美しい。
超絶に整った彫刻のような顔立ちにスラリと細くのびた手足、艶やかな白銀の長い髪と透き通るように白くきらめく肌……
背中に生えた大きくて真っ白な羽根がその美しさをさらに際立たせていた。
眩いほどに光り輝いて見えるそのお姿はまさに神。
一目見ただけで心が奪われてしまう気持ちは大いにわかる。わかるけれども今はそんな場合じゃあない。
「汚い。」
魔王様はシンシアにチラリと視線を向けると吐き捨てた。
火事や森の中を必死で逃げ回ってきたシンシアの格好はススや土埃にまみれていた。確かにとても清潔だとは言い難い……
魔王様はもの凄く綺麗好きだ。床に塵一つ落ちているだけでこっぴどく怒られる。
昔魔王様に取り入ろうと高級ワインを持参してきた悪魔がいた。グラスにそのワインを注ごうとした時に顔に鼻くそを付いていて、一瞬で黒焦げにされて食卓に並んだことがあった。
なのでこれは非常にマズイ状況かもしれない……
魔王様が人差し指をこちらに向けてクイッと回した瞬間、シンシアがうっと唸って床にしゃがみ込んだ。
「シンシア、どしたのっ?」
「……胸が……なんだかっ………」
苦しいのかシンシアの顔が見る見るうちに赤くなっていった。
まさか魔王様から魔法をかけられたの?
そんなっ……このままではシンシアが死んでしまう!!
「魔王様!彼女はなにも分からないまま僕が無理やりここに連れて来たんですっ……!」
「乳とやらが出るようにしといた。」
「直ぐにお風呂に入れて新しい服も与えます!だからお願いですっどうか殺さないであげてくださっ……!」
────────………へ?
乳……?
今、乳っていった……?
「……私、急に胸が張って……その………」
シンシアは耳まで真っ赤にしてモジモジしていた。
胸の先から出たであろう白い汁が、服に滲んで広がっていった。
「必要なのだろ?その赤子を育てるのに。」
魔王様が下がれと言うと部屋の扉がバタンと閉まった。
さっきの僕達の話、聞いてたんだ……
魔王様の無茶ぶりは日常茶飯事だ。
月見をしたいから三日月を今すぐ満月にしろだとか、絶滅したマンモスを探して来いだとか……女になってベリーダンスを踊れってのもあった。
明日までにしておけと命令しといて次の日には忘れてたり、もう飽きたと言って苦労して揃えたものを全部魔法で消しちゃったり……
明日までにしておけと命令しといて次の日には忘れてたり、もう飽きたと言って魔法で全部消去しちゃったり……
僕がどんなに困っていてもそれを楽しそうに眺めているだけで、今まで150年間、一度たりとも手助けをしてくれることなんてなかった。
のにっ………
今のは本当に魔王様本人だったのか?!
信じられない!!
なんか……
魔王様がこんな風に優しいだなんて………
逆にとんでもなく怖いんだけど──────────……!!
「どうしようっ、お乳が止まらないっ!どうなってんのこれ〜!!」
かくしてアン王女はシンシアからお乳をたらふく頂き、ぷくぷくと成長していくことになるのだった。




