暴走、五分前
代理戦争の前に、二つの大きな戦争があった。
『明朧会戦』、『第五次天上戦争』……その内、妖族は『明朧会戦』にて、仙族との大規模な戦争を繰り広げた。
無道山の『天狗』、往古盆地の『鬼』、大廻川の『河童』……歴代最強とも呼べる三大頭目が一堂に介し、仙族の重要拠点『明朧城』へと攻め込んだことで、情勢は一気に傾く筈だった。
しかしその最中、手薄となった背後から突然、人族の軍が押し寄せてきたのだ。
それにより妖族は大混乱に陥り、仙域からの撤退を余儀なくされ……最終的には、妖族の敗北という形で『明朧会戦』は終結したのである。
「──程なくして、各種族が各々で異世界の英雄を召喚し、『代理戦争』の幕が上がった。一日足らずで停戦という形にはなったが……先の戦争で敗戦し、痛手を負っていた我らは、あくまでも『自衛措置』としてオマエを召喚する運びとなったのだ」
「なるほど、な。俺のことを鬱陶しそうに思いながらも妖域内に置いていたのは、その自衛措置としての俺を手放すわけにはいかなかったから、って訳か」
無道山の本殿にて、俺はアジュラに向き合ってあぐらをかき、将棋という盤上遊戯で対局しながら話を聞いていた。
今は殆ど天狗たちは任務に出ており、彼の傍には、いつもの伝達役の女天狗だけが警護に付いているようだ。
「そして今、世界各地にのさばらせている『代闘者』を制圧する為、密かに動き始めた勢力がいる────それが、『境界なき世界連合』、通称『ナビード』という過激派勢力だ」
「『ナビード』……その一員の『監視役』として、俺の動向を見張り、あわよくば連合に引きずり込もうとしていたのが……イブキ、お前だったんだな?」
盤上の駒を進めつつ、俺は後ろに座るイブキへと問い掛ける。
両手を縄で縛られている彼女は、相変わらずひょうきんな態度で身体を左右に揺らしながら笑みを浮かべていた。
「──あ~ぁ~。遂に辿り着いちゃったんだねぇ、英雄さん」
「うん?」
「『ナビード』の存在がバレたと分かれば、彼らは本気で英雄さんを打ち倒しに掛かってくる。平穏な暮らしとはおさらばになっちゃうねぇ」
「既に報告済みってことか?」
「残念ながら、そんな暇は無かったよぉ。ただ、『ナビード』ってのは六種族から選りすぐりの精鋭たちが集まったトンデモ勢力だからねぇ。放っていたらどんどんと勢力を拡大させて、代闘者の脅威になっちゃうかも知れないかもよぉ?」
イブキがニヤついた顔でそう言うと、盤上でアジュラ側の駒がパチッとひとりでに動く。妖術で動かしているのだろう、便利なモノだ。
俺は腕を組んで次なる一手を考えながら、振り返りもせずに再び背後のイブキに問い掛ける。
「一つ、聞きたいことがある」
「なぁに?」
「お前も、『代闘者』が疎ましくてナビードに助力したのか?」
「少なくとも、この世界で代闘者にイイ印象を持っている人は、殆ど居ないと思うよ?盆地の妖族たちが英雄さんにした仕打ち……あれこそが、六種族の総意。それ以上でもそれ以下でもないんだからさ」
「俺は、六種族の『総意』なんて聞いていない。イブキ、お前個人のことを聞いている」
「いやいや、あのさぁ。それ以外にナビードに与する理由なんて他に無いでしょ?」
六種族の生存目的は、『闘争』だ。
他の種族を蹴落とし、自身の種族が頂点に立つという、飽くなきまでの闘争心が彼らの根底で常に焔のように燃えたぎっている。
だから、それを一方的に停戦させた代闘者の存在が、生理的に受け入れられない。
イブキもそれと同じだ、と……彼女自身がそう断言しようとしたところで、まるでそれを遮るようにアジュラが忽然と語り始めた。
「──『明朧会戦』で、俺ら妖族が敗戦をした最大の要因は……三人の頭目の内、二人を失ったからだ」
「……アジュラ?」
すると、背後のイブキの口調に異変が起こる。
なにか激しく動揺しているかのように、震えた声を漏らしたのだ。しかし、アジュラは一向に構った様子も見せずに語り続ける。
「俺は運良く生き残ったが、大廻川の『河童』は討ち死にし、往古盆地の『鬼』、キナは人族身柄を確保された」
「ねぇ、アジュラ。それ以上言うと……流石に、怒るよ?」
「その際、人族は妖族の戦意を更に削ぐ為、キナを人質にして、その『娘』を差し出すように迫ってきた。妖族の存亡を引き合いに出された娘は、妖族を守る為に自ら人族の元に……」
「────ッ黙れアジュラァッッ!!」
突如、これまで聞いたこともないイブキの怒号が、本殿内に激しく響き渡った。
あまりにも突然の出来事に、アジュラの直ぐ傍に立っていた女天狗が露骨にたじろぐものの……俺からすれば、『予想通り』の展開だ。
「──ッ!?」
「アジュラの前でなら嘘は付けないと……そう思っていた」
「ふん。たちの悪い英雄だな、オマエは」
「ここに連れてきたのはそういう……やって、くれたねッ……英雄さん……ッ」
背後から、イブキの鋭い殺意がヒシヒシと伝わってくる。
今しがたアジュラが語った『敗戦の結末』。
それこそ、イブキが世界連合に与する理由なのだとしたら……彼女が何故、こんなにも怒るのか……何故、それをひた隠していたのか……その答えを出すのは、難しいことではなかった。
「つまり、お前は母を人質にされて、やむなくナビードに従っている……そういうことだな?」
「…………それが分かったから、何なの……? ワレに、ただ言いなりになるしか能がないクズだって言いたいの……?」
「事実、言いなりになっている」
「うるさぃッ……うるさいうるさいッ! じゃあ、どうしろって言うの……ッ!? 母上の喉元に切っ先突き付けられてッ! 妖族の皆の命を天秤に掛けられてッ! ワレなんかじゃッ……奴隷みたいに扱われてもッ、慰み物として弄ばれてもッ、従うしか出来なかったから……ッ!!」
「……」
「そう、だよッ……憎、かったんだよッ……英雄さんみたいに、強い人がッ……戦いを放棄して、呑気に過ごそうとしているのがッ……憎くて、憎くて仕方がなかったッ……ワレだってッ、ワレ、だってッ…………戦いとは無縁な、平穏な日々を……過ごしたいだけ、だったのに……ッ」
少なくとも。
『ナビード』という勢力の恐ろしさ……六種族が合わさった未知なる強さ、それに、一つの種族を壊滅することが出来るだけの兵力……それは、イブキですらも無条件に従わざるを得ない程のモノだということは、痛いほどに伝わってきた。
そして、その勢力に取り込まれつつも、一人で母や妖族の為に戦い続けてきた、イブキの強さと優しさも。
背後でイブキのむせび泣く声を耳にしながら、俺はバチィッと駒を叩き付けるように指してから即座に立ち上がる。
「投了か?」
「これ以上は差す必要はない、次の一手で終わるからな。それより、用事が出来た」
「え……ぁぐ……っ!?」
アジュラに背を向けた俺は、イブキの縛られた手を掴んで、半ば無理矢理立たせながら本殿の外へと歩き出した。
「この鬼、少し借りていくぞ」
「ちょッ、やめッ……は、離して……ッ!」
─※─※─※─※─※─※─※─※─
エルマとイブキが去った後は、静寂。
何やら重苦しい空気が漂う中で、女天狗は恐る恐るアジュラに声を掛けた。
「追った方が、宜しいですか?」
「……」
アジュラは返答せず、足元の将棋盤だけを無言で見下ろしていた。
その視線を追う女天狗は、幾手にも入り交じりあった将棋盤を眺めながら、それとなく疑問を投げ掛ける。
「総大将、対局はどちらに軍配が上がったのです?」
「ヤツの言う通り、次の一手で俺の勝ちだ」
「軍略面では、総大将が勝っていた……ということですか」
例え、あの英雄がどれだけ強かろうが……長寿を生き、幾多の死闘を繰り広げてきた、妖族の総大将の知略に勝る訳がない。ただ、自らの敗北を受け入れ、颯爽と去っていく姿だけは、むしろ清々しさすらあったといえるだろう。
すると、アジュラは女天狗の言葉を鼻で笑ってから、衝撃的な発言を口にした。
「勝っていた……俺の方が? ふんッ、笑わせてくれる」
「総大将?」
「こんな感触は始めてだ。まさか、この俺が────今この瞬間まで、『勝たされていた』ことにすら気付かなかった、とはな」
「え……っ!?」
アジュラがそう言った、次の瞬間。
まるで己の失態を揉み消すかのように、目の前の将棋盤が無理矢理小さく圧縮されていき……ミシミシと音を立てながら、最後には跡形もなく粉砕してしまった。
あの総大将が苛立っている……そう認識したのか、女天狗は恐怖を押し殺すように微かに震えながら、彼の姿を見上げる。
「いいか。これから先、決してヤツから目を離すな。ヤツが、何処で、何をしようしているのか……常に見張り続けろ」
「は、はいっ、承知致しました」
命令を受けた女天狗は即座に黒い翼を広げ、その場から逃れるように姿を消す。
一人、本殿に残ったアジュラは、何処か怒りが滲んでいたような英雄の後ろ姿を思い返しながら、小さく呟くのだった。
「──次は何をしでかすつもりだ、湊本エルマ……」
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