働き台風9 帰宅2
1Kに戻り、鞄をおき、カーテンをしめて、明かりをつける。
ポケットに入っているものを棚の上にだす。
財布、ハンカチ、ボールペン。
ケイタイの画面をみる。
8時11分
腕時計をする習慣はなくなっている。
いつのまにかアナログの安い腕時計をするようになっていた。
数年前に針が動かなくなると、修理や買い替えをせす、とくに理由もなくしなくなって、そのままになっている。
あの腕時計を捨てた記憶はなかった。
どこかにあるかもしれない。
積まれてあるダンボール箱が、眼に入る。
というより、この部屋にいてそれを見ずにすませることは不可能で、むだとしりながらも距離をおいてながめようとする。
それらのダンボール箱から、日用品や、そうでないものを取りだす作業を行っている僕を、他人事でなく、どちらかといえば、自分のことではないように想像してみる。
しかし、そのように誰かにまかせるのではなく、ただ自分からは弾きだすようにしてもつかれてくるようで、べつのことをかんがえる。
日用品でないもの、とは何だろう。
壊れた腕時計、とか。
それもまた、進むことなくとまってしまう。
こめかみのあたりがおもたい。
しずけさのせいかもしれなかったが、ようするに、職場研修の初日で、疲れているからだ。
疲労が、ダンボール箱のように、そこにある。
あるいは、ダンボール箱はたしかに室内の雰囲気を圧迫していたが、それは外から運ばれてきたにすぎない。
この疲労は、いってみれば、生活に必要な日用品として(または、そうでないものとして)、外から運びこまれてきたものにすぎない。
未開封のダンボール箱は、まだ部屋の一部でなく、その気になりさえすればいつでも外に運びだせるし、覚悟をきめて開封作業にとりかかることもできる。
いずれにしても、今は前段階であり、ほんとうに疲れているわけではないのだ、と考える。
ところが、実際は、まったくそうともいえない。
職場研修の初日だったから、やはり疲れている。
それは、僕のせいではない。
誰のせいでもない。
つかれたな、とつぶやくと、本当につかれているようだった。
が、それもまた、誰のせいでもない。
―――――
僕の言葉や思考が、僕のものでも、誰のものでもないように




