1、色褪せる春日花抄
――光射す季節を告げる、春日花抄。神木と呼ばれた桜の木の下で、失われた日々に想いを馳せる刻。
太い幹に背中を預け、耳を澄ませば聞こえてくる、櫻の声。それは、愛を教えてくれた君と紡いだ、永遠の調べに通ずる声の形。
*
「世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし」
「咲楽、どうしたの?」
満開に咲き誇る桜の木の下から仲睦まじい様子のカップルの会話が聞こえた。
川のせせらぎのように穏やかな空気。活き活きとした明るい抑揚の声。
一枚のガラスを隔てた先にある、まるでドラマのワンシーンを見ているような感覚を覚える、眩しい光景だった。
「伊佐沢の久保ザクラ、坂上田村麻呂とお玉の悲恋に想いを馳せていたの」
「あぁ……。山形の」
「亡くなったお玉のために坂上田村麻呂が植えた桜の木は悲恋桜と言われているんだって」
「へぇ、咲楽は物知りだね」
「本に書いてあることを言っただけだよ。樹齢1200年を超えても、枯れることなく咲き続ける。それはきっと、田村麻呂を想い続けるお玉の愛が、永遠になった証だと思うの」
「肉体を失っても、桜に乗り移った魂はその想いを春が訪れる度に咲かせ続ける。それは凄く、ロマンチックだね」
「でしょ? だからね、この日のことをずっと、忘れないでいようって思うんだ」
懐かしき記憶の欠片が蘇る。江戸彼岸の巨木の下で、私の妹とその彼氏が背中を合わせ、今この時を名残惜しむように読書をしながら語らいを続けている。
あの日、妹の卒業式のために母校を訪れた帰り道。この公園に立ち寄らなければ見ることはなかった憧憬の対象。
見送る立場でしかない、蚊帳の外にいた私は神聖な空気を汚されないよう、息を潜めて遠くから静かに覗き見る。
長い高校生活を終え、卒業を迎えた二人が和やかに語らうその姿を見て、こんな幸せな日々がいつまでも続きますようにと願うと同時、羨望の眼差しで私はその時、見つめていた。
美男美女と評して差し支えない、理想のカップル……。
互いに秀才で勉強熱心だった二人は協調し合い、肩を寄せ合い、卒業を迎えた感傷に浸っている。
私が手に入れられなかったものを妹が手にしている。
今更、そのことを憎いとは思わない。
でも、羨ましいと思う感情を抑えることも出来なかった。
春の訪れを実感する、陽射しが暖かく、風が冷たく肌寒い日。
私は、二人を素直な気持ちで祝福することが出来ないまま、引きつった笑みを浮かべながら、ずっとその二人の姿を傍観者として遠くから見つめていた。




