なんでもない
私とA君、Bさんは大学の同期であり、卒業してもたまにズーム飲みなるものを開催し、それぞれの環境への愚痴などを言い合う仲だった。
愚痴も落ち着いてくると、今度は学生時代に三人の間で流行っていたオカルト話で盛り上がるのだ。
「就職先ではこういった話をする友人がいなくて」
とぼやくBに、私もAも首を縦に振っていた。
社会人になると、周りは地に足が付いているというか、現実味の無い話に食いつく人間が少なくなったように感じていたのだ。
「だったらさ、今度の里帰りには、いわく付きの旅館探して泊まろうよ!」
そう切り出したのは、就職で地元を離れたBである。
その提案に1も2もなく、私とAは飛び付いたのはいうまでもない。
ネットで検索すると、その旅館には不名誉なことかもしれないが、簡単に情報は集まった。
私たちはH県にある旅館に予約を入れると、当日を楽しみに通話を切った。
その旅館は老舗であり、国道に面しているにも関わらず、お庭をしっかり仕立ててあり。
それが自動車の音を軽減しているのか、中に入ると思ったよりも静かであった。
受け付けには、絣着物を着た受け付けの方が丁寧に説明をしてくれ。
時代を感じる飴色になった大きな木の柱などに気を取られながら、部屋に通された。
「思ったより、いい雰囲気だね」
客室までの廊下でAが溢した言葉に同意する私。
接客も丁寧で、老舗を感じさせる佇まいに、ここがいわく付きでなくとも満足できるだろうという期待感に溢れていたからだ。
部屋に通され、中居さんがお食事などの説明をしてくれるのを聞き流しながら、茶托の周りに荷物を下ろす。
「──以上がこの旅館の注意点でございます」
たばこを吸わない三人にとって、禁煙であることや、喫煙場所の細かな説明は届いていなかったと思う。
「ご質問などがございますか?」
笑顔で中居さんがそう締め括る。
本来であれば、ここでか『ない』と答えて、早々に水入らずになるものだろうが。
「ネットでみたんですけど、ここって幽霊が出るって本当ですか?」
Aはそんな事を口走ったのだ。
学生時代からこういうタイプであったので、私やBは、またかという顔をしただけだったが。
中居さんは困ったような表情になってしまう。
「そういう噂が立ってしまい、私共も困ってはいます」
と頭を下げながら言うと、そのまま立ち上がって部屋を出ていったしまった。
「ほら、変なことを聞くから、気分を害したんじゃないか?」
そうやってAをいびりながら、私たちは館内着に着替えると早速探検に出掛けた。
明るい内に、幽霊の出そうな場所を探すためだ。
手入れの行き届いた豪奢な庭。
歴史を感じる建物に感動するうち。
何となく遊び半分で探検ごっこをやっているのが申し訳なくなってきていた。
ここで働いている人たちは、幽霊が出るという噂に困っているという話も含めて、あんまりいい加減に楽しむのに、気が引けはじめたのだ。
探索も一通り終わり部屋に戻ると、食事の時間が迫っていた。
今夜はH県の郷土料理等を、部屋に食事を運んで貰って食べることになっていた。
中居さんが食事を運んできてくれ、固形燃料に火を付けたりと、準備が進むのをただ待っていた。
さすがにAも二度同じ言葉を投げ掛けることもなく。
滞りなく準備が済んで、中居さんが引き上げる際に、少し気になる事が起こった。
中居さんがなにかに怯えるような表情をして、部屋の入り口から私たちの頭をとびこえて、反対側の天井付近を見たのだ。
よくある、ふすまの向こうに窓と椅子だけの狭い空間がある、あの上の木の彫り物である欄間のあたりだろうか。
三人とも同時にその視線の先を目で追ったが、なにか気になるものを捉えることはできなかった。
そうこうしている内に、中居さんは立ち上がり、逃げるように部屋を出ていこうとしたので。
「なにか居たんですか?」
とその背中に投げ掛けてしまった。
一瞬足を止めた中居さんは、こっちを見ることもなく。
「なんでもありません、失礼しました」
とだけ言って、扉を閉めて出ていってしまった。
私たちは、お膳の前で座っていた足を崩して立ち上がると、あの狭い空間へと、襖を開けて飛び込んだ。
電気を付けて見渡しても、そこには何もなかった。
「あの顔、絶対なにか見ちゃった顔だったよね」
そういうBの顔はうきうきしているように見えた。
「どうだろうか、こういう古い旅館なんだからさ、蜘蛛でも見つけちゃったのかもしれないよ」
中居さんが単に苦手なだけかもしれないし。
苦情に繋がるかもしれないという気持ちがあったのかもしれない。
そういう顔をする可能性は幽霊以外でもあるのだと思った。
とはいえ、元々期待してこの旅館を選んだわけだし。
食事の間はその話題で持ちきりだったのはいうまでもない。
食事は美味しく、ボリュームもあったため、満腹だった私たちは、この旅館の売りである露天風呂へはすぐに行く気にならなかった。
それぞれにゆっくりと腹ごなしの時間を過ごして、ようやく風呂に入ろうとなったのは、たしか22時を回った辺りだったと思う。
私とAは男風呂へ、Bは当然女風呂へと向かう。
それでも風呂の入り口までは三人で肩を並べて歩いていた。
「キャッ!」
そのとき、曲がり角の先で女性の小さな悲鳴が聞こえたのだ。
私たちは顔を見合わせると、急いでその曲がり角の方へと走った。
「どうかしましたか」
角を曲がりしな、声を掛けると、そこにはこの旅館の従業員が一人歩いていた。
「あっ、いえ、なんでもないんです」
なにか隠すようにそう言って背を向けて歩き出そうとする背中にもう一言。
「悲鳴が聞こえたんですけれど」
一瞬考えたような間があったようだけど、すぐに歩き出す従業員の方。
「なんでもありません」
取り付く島もないというのだろうか。
「あの言い方何かあるよね」
Aが面白そうに話す。
「着物の裾を踏んづけて転けそうになったとか、そういう程度の声だったけれど」
私はまだ他の可能性の方が高いように感じていたので、そう言ったが。
「だったら、転けそうになったっていえばいいのに、なんでもないっていうのは変じゃないかな」
というBの考察に、確かにそうだと唸る。
まだ、ネズミが出たとかムカデが出たとか、そういう類いであれば、お客さんに教えてマイナスな感情を抱かれないようにしたのではないかと可能性も捨てきれないではいるが。
「確かに少し変な反応だったよなぁ」
と首をかしげるしかできなかった。
風呂から上がると、日頃の疲れがどっと押し寄せてきたかのように眠気が襲ってきていた。
そんな中Bが困った顔をしている。
「脱衣所に忘れ物してきたみたい」
とのこと。
私は少し眠かったので付いていかないと言ったのですが、Aはまだ幽霊を目撃していないからと、意気揚々とBに付いて出ていきました。
数分ではなく数秒だったかもしれませんが。
かなり疲れていたのか、一瞬うとうとしたのかもしれません。
その私の冴えない頭に、Bのつんざくような悲鳴が聞こえてきました。
一気に覚醒した私は、すぐに立ち上がると、彼女たちが向かったであろう露天風呂の方へと走りました。
そこには、脱衣所の前で立っている二人の姿があったので。
「どうした!」
と語気を荒らげて近づきました。
しかし、二人はどこか心ここにあらずと言った雰囲気で。
「なんにもないよ」
と答えました。
「なんにも無いわけないだろう、部屋まで悲鳴が聞こえたぞ」
と私は捲し立てましたが。
最終的に二人はキョトンとした顔をして。
「叫んでなんかいないけど?」
と言ったのです。
おかしい。
私は確かにBの叫び声を聞いたはずなんです。
廊下の反対側を見ると、血相を変えたあの中居さんが走って来ていました。
きっとあの人もその叫び声を聞いたのでしょう。
それでも。
「なんにもなかった」
と言い張る二人。
とりあえず部屋に戻ることにしました。
あれだけ眠かったはずの頭は冴えていましたが。
二人は部屋に戻るとすぐに寝付いてしまったようです。
私は一人眠れない天井に、今日の出来事を描いていました。
お食事を持ってきた中居さん。
廊下の角にいた受け付けの方。
そして、AとB。
従業員の方であれば、ネズミや害虫などをみて悲鳴を上げても、お客さんに言わないかもしれない。
それでも、AやBならそういうこともないだろう。
一瞬うとうとしていたために私が夢で悲鳴を聞いた気になっていただけだろうか?
そうだとしたら、血相を変えて走って来ていた中居さんの行動はおかしい。
ぐるぐると思考を巡らすも答えはでない。
ただ、みんな口を揃えて
「なんにもない」
という事だけが一致しているのが。
やけに怖かった。
というお話です。




