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エンコサイヨウ・外伝集  作者: 霧原菜穂
99/121

エンコサイヨウ7周年記念外伝②:暁闇マイセルフ(上)

 このエピソードは、第7幕7-②(https://ncode.syosetu.com/n4578fx/34/)で、政宗が倒れている時に彼の中で何が起こったのか……みたいなことを書いてみました。

 どうしても、ユカの誕生日に公開したかったエピソードです。彼の中に生じた変化と思いを、見届けてやってください。ちなみにタイトルは『ぎょうあんまいせるふ』と読みます。


■主な登場人物:政宗、華蓮、統治、ユカ

 感覚としては、パソコンの強制終了に似ている、と、思う。

 急に意識が途切れて、全ての感覚が閉ざされる。

 広がるのは闇の世界。上下左右、自分自身すらも見えないほど、圧倒的な黒。

 目の前に手を伸ばしても何も掴めず、そもそも本当に手を伸ばしているのかどうかも()()()()()

 

 この現象の正体を、当事者――佐藤政宗は、よく知っていた。


「やっちまった……」

 自虐的に呟いた言葉は、反響もせずに消える。

 そして……自身の犯した失態を改めて痛感していた。


 混濁(こんだく)。それは、『縁故』として仕事を続けた反動がストレスとして蓄積されていき、自身の心身に発生する不具合だ。

 この状態になると、体をまともに動かすことすら出来なくなってしまい……今回のように気を失ってしまうこともある。政宗はつい数時間前に、福岡から仙台へと戻ってきたばかりだった。その後、同じく福岡から戻ってくることが出来たユカと一緒に、ある手紙を読んで、消えたくなるほど恥ずかしい思いをして、それで――


 そこから先、何があったのかは詳しく思い出せない。けれど、福岡では急遽、とても負荷のかかる仕事をこなしてきた。そのストレスがマックスになり、彼の意識を脅かした可能性は十分に考えられる。

「ケッカに……申し訳ないことしたな」

 現実世界のユカはきっと、突然意識を失った彼を見て動揺しているだろう。勿論、彼女自身がこの現状をすぐに把握して、的確に対応してくれると信じたいけれど……流石に、この事態は情けない。

 『混濁』は中途覚醒者の宿命だ、しょうがない、と、言ってくれる人もいるし、彼自身がそのように言うこともある。ただ、今回に関しては一切の予兆を感じ取れなかった、そんな自分が許せない。予兆を感じたら倒れる前に休め、と、部下には口酸っぱくして言っているというのに……。


 しかも、こんな時に見る『夢』は、大抵、碌なもんじゃないことも知っている。


「どうするかな……」

 自分の現状を自覚したところで、彼に出来ることは何もない。ただ、回復を待つことしか出来ないのだ。

 そう、思った瞬間――視線の先に、少しだけ、あかりが灯る。

 ぼんやりと映し出されたそこには、地面も天井もない空間にも関わらず……扉が3つ、等間隔で並んでいた。某国民的アニメのキャラクターが次元を超えたポケットから取り出したような外観で、同じ色――くすんだ茶色の扉のみがそびえ立っている、異質な空間。ドアノブがあるので、開閉が出来そうな気配はある。

「何だ、これ……」

 現実味のない世界観に首を傾げつつ、政宗は足を踏み出してその扉の方へ近づいた。そして、とりあえず真ん中の扉の前へ立つと、興味本位でドアノブに手をかける。

「さて、今回は……この扉をくぐれ、ってことか?」


「――違うぞ佐藤」

「うわぁっ!?」


 刹那、唐突に聞こえたのは知りすぎた声。気配すら感じなかった方――自身の右側へ視線を向けると、そこにはいつの間にか、『誰か』が立っていた。

 黒いローブに全身を包み、深いフードで口元ギリギリまで隠しているので、この薄暗い空間では外見での判別は難しい。頼りになるのは、話しかけてくれる『声』だ。政宗はチラリと視線を向けて、恐る恐る問いかける。

「あのー……名杙統治さん、ですか?」

「違うが、今回はそれで構わない」

「要するに違うってことだろ。そもそも、名杙直系のお前が『混濁』するわけがないから……コレは、俺が見ている夢の中の統治ってことでいいか?」

「好きにしてくれ」

 『誰か』――統治は肯定も否定もしないまま立ち尽くしている。政宗は状況を整理するために、改めて、目の前の扉を指さした。

「分かった。んで、統治、扉をくぐるのは何が違うんだ? この扉をくぐれば、俺の意識が戻るとか、そういうことだろ?」

「それを違うと言っているんだ」

 バッサリと否定する統治。急激に不安が襲いかかってくる。

 選択肢は3つ、その先は不明瞭。と、いうことは、この先に待っているのは……!?

「え? まさか……正解は1つで、残り2つは罰ゲームってことか!?」

「それも違う。ここは……そうだな、過去の分岐点だと思ってくれ」

 にべもなく言い放つ統治に、政宗は思わず目を丸くして……オウム返しに問いかけた。

「ぶ、分岐点?」

「ああ。佐藤には3つの扉をくぐる『権利』がある。そして、そのドアの先にある『過去』をやり直すことで、『可能性の先』を垣間見ることが出来るんだ」

「はー……なるほどね。やっすいゲームみたいな展開だけど、分かりやすいな。要するに俺は、自分の過去で後悔しまくってるってことか」

 自嘲気味に言葉を吐いて統治の反応を待ってみるが、隣にいる彼は特に何も言わず……静かに、政宗の目の前にある『扉』へ、自身の手を伸ばした。

 予想よりも面白そうな展開になってきた。まさか、人生の追体験が出来るとは。

「扉の先を見た佐藤は、一度だけ、選ぶことが出来る。その時間軸に戻るか、否か。また……どこにも戻らないのか、だ」

「なるほどなるほど。俺に益々都合のいい展開でありがたいよ。しかも扉が3つあるってことは、セーブデータは3つ、俺の人生の中のどこかしらの途中から、強くてニューゲームが出来るんだな」

 思っていたよりも楽しそうな内容に、政宗は思わず、口元に笑みを浮かべる。


 願ったことがない人間など、いないだろう。

 過去、あの時、あの瞬間から――人生をやり直すことが出来たら、と。

 例えそれが夢であっても、出来ることならば、その先を――精巧に作られた虚像でも、見てみたいと思ってしまう。


 政宗は「前提条件は分かった」と頷いた後、案内人のような役割を果たしている統治を横目で見やり。

「じゃあ、教えてくれよ。この扉の先に、何があるのか」

 『扉』の表面には何の表示もないので、どこが何に繋がっているのか判断出来ない。統治も知らない可能性があると思ってあまり期待せずに問いかけたのだが、彼はすんなりと首肯して、『扉』の先にある世界の情報を告げる。

「まず1つ目は2年前。『もしも、名杙統治も山本結果のことがずっと好きだったら、仙台支局開設の際にどうなっていたのか』だ」

「……」

 初っ端にやってきた妙に生々しい『もしも』に、政宗は言いかけた軽口を飲み込んでしまった。

 もしも統治がユカのことを……というのは、考えたことがないわけではない。懸念事項だったことも否定しない。ただ、統治自身が恋愛に対してとても厳しいことと、彼に櫻子という恋人が出来たこともあって、今ではすっかり考えなくなってしまっていた。

「まぁ、俺の考えそうなことだな……オッケー。2つ目は?」

「2つ目は数ヶ月前。『もしも、片倉華蓮の受け入れを断っていたらどうなっていたのか』だ」

「なるほどね。仙台支局最大のピンチを未然に防いでいたらってことか。じゃあ、3つ目は?」

「3つ目は、10年前」


 刹那、ビクリと体が震えたのが分かった。闇が深いこの世界だから、隣にいる統治にバレていないと信じたい。

 予想していたことだし、これが入らないはずがない。

 彼の人生で最大の後悔、それは――10年前の、あの瞬間。

 何も出来ずに立ち尽くし、ユカに大きな負債を背負わせてしまった……あの時。


「――『もしも、山本結果が『遺痕』に襲われなければ、どうなっていたのか』だ」


 もしも、あの瞬間をやり直せるならば。

 何度、何度願ったのか分からない。


 統治の言葉に、政宗は口の端から漏れそうになっている笑い声を隠そうとして、口を真一文字につぐんだ。

 そして、この空間の条件を、改めて確認する。

「俺が希望すれば、その『いずれかに戻ることが出来る』……間違いないよな?」

「ああそうだ。どうする?」

「どうする、って……行くに決まってるだろ? こんな()()、二度とない()()()()だからな」

 瞳に力を込めて頷く政宗に、統治は開きかけた口をつぐんで……彼に問いかける。

「さて……佐藤、まずは、どの扉の先を視る?」

「そうだな……じゃあ、時間を遡ることにするわ。最初は『もしも、片倉華蓮の受け入れを断っていたらどうなっていたのか』」

「分かった。ならば……右端の扉をくぐれ」

 端的に告げる統治に「おう」と軽く返事をした政宗は、足を前に踏み出して、右側へと移動する。そして、ドアノブに右手をかけてそれを回した瞬間――背中から、彼の無機質な声が聞こえた。


「それでは――後悔のない選択を」


 刹那、視界の全てがホワイトアウトする。反射的に両目を閉じて身構えた。

 つい今しがたまでドアノブを握っていたはずの手には、既に別の感覚。そして――目を開くと、そこは、実に見知った空間(仙台支局)へと早変わりしていたのだ。

 政宗がスーツ姿で応接用のソファに腰を下ろしており、右手にはバインダーを持っている。そこには一枚の履歴書が挟んであり、緊張を隠せない()()の写真が貼り付いていた。

 そして……。


「それで……その、私の能力や志望動機については、先日、お伝えした通りです。桂樹さんから、私はここで働くことが出来ると伺っているのですが……いつから働いていいのでしょうか……?」


 テーブルを挟んだ向かい側に座っていたその少女が、緊張した面持ちでこちらの様子を伺っている。

 片倉華蓮――名波蓮だと判明する前、自分と同じ中途覚醒の少女だと信じ切っていた時の姿だ。

 政宗は静かに自分の腕時計へと視線を落とし、日付と時間を確認した。3月下旬、間違いない、統治が失踪した直後、華蓮と初めて2人で会った時に()()()()()。しかも自分は、その先の記憶を全て持った状態で。

 反射的に、口元に笑みが浮かんだ。これはとても面白いことになっている。過去の自分は何の疑いもなく華蓮を受け入れてしまい、結果として内部事情が相手へ筒抜けになってしまうのだ。

 ただ、今回は……別の道を選ぶことが出来る。それはつまり――

「あ、あの……佐藤、支局長? 私の話……聞いて、いらっしゃいますか?」

 政宗が何も言わないことに業を煮やした華蓮が、恐る恐る問いかけた。確かに少し離れて見ると、完全に女の子だと改めて思う。今はハイネックや上着でいくらでも体の線を隠すことが出来るし、現に、眼の前にいる華蓮も、ハイネックセーターの上からゆったりしたデザインのワンピースと黒いタイツを着用している。髪の毛はウィッグで自然なロングヘアー。声変わり前なのか、高くて細い声も完璧だ。しかも、政宗自身も統治の失踪で心身ともに疲れているので、少しくらい華蓮の素が見えたとしても、見逃してしまう可能性は十分にある。それくらい、目の前の彼女は完璧だ。それはきっと、本人も同じ認識だろう。

 だからこそ。

「ああ、ごめんね片倉さん。資料を見ながらしっかり聞いていたつもりだったんだけど……」

「い、いえ。すいません。あの、それで……」

 政宗の言葉に、華蓮は慌てて首を横に振った。そして、政宗の返事を――ここで働く未来の詳細を待つ。

 ただ、政宗は勿論、ここで華蓮を受け入れるつもりはない。政宗はバインダーを伏せて机上に置くと、足を組み替えて、彼女を見据えた。

 そして……あえて抑揚をつけず、淡々と言葉を告げる。

「片倉さんにいつから働いてもらうか……だよね? 残念だけどこの話、一度、なかったコトにさせてほしいんだ」

「え、っ……!?」

 刹那、華蓮の表情に珍しく――とても珍しく、動揺が走った。先程の声にも素が混じっていたように感じ、謎の懐かしさすら感じる余裕もある。一方、華蓮は目を泳がせ、慌てて取り繕おうとしても隠しきれない焦りをだだ漏れさせていた。こんな姿、今は絶対に見ることが出来ない。

 政宗は漏れる笑いをこらえつつ、シリアスを言い聞かせて口元を引き締める。


 そう、目の前の人物は、自身の揺るぎない勝利を確信している。

 だからこそ、交渉の成功を確信している彼女の――彼のメッキを剥がすこの瞬間が、楽しくて仕方ないのだ。


「あ、あの、佐藤支局長? どういうことですか? 話が……聞いていた話が違いますけど……!?」

 動揺しながらも華蓮の声の高さを守っている彼に感心しつつ、政宗はその理由を端的に告げた。

「ごめんね片倉さん。残念だけど……全てを詐称している人間を、俺の組織に入れるわけにはいかないんだ。そうだよね? 片倉華蓮さん……いや、名波蓮君って呼んでいい?」

「――っ!?」

 刹那、彼が眼鏡の奥にある瞳を、一際大きく見開いた。当然だろう、まさか……名前まで言い当てられるなんて、思っていなかっただろうから。

 ここで蓮がキレて襲いかかってきたら面倒だなぁと思いつつ、相手の反応を伺うと……彼はまだ、この場をごまかして切り抜けようと考えているらしく、こんな言葉を口に出す。

「あ、あの、佐藤支局長? 先程から、一体何のことですか? 私は――!!」

 あくまでもしらを切るつもりだということを確信した政宗は、少しだけ目を細めて……悪あがきをしている彼へ、引導を渡すことにした。

「悪いけど、君をここで受け入れると、俺と統治の大切な人達を危険に晒すことになるんだ。今、断っているのだって十分優しい対応だと思うけど……自分から生き地獄を味わいたいなら、心を鬼にして相談にのるよ? どうする?」

「……」

 政宗の言葉の先を理解出来ないほど、彼――蓮も浅はかではない。彼は口元を引き締めると、握りしめた両手を膝の上にのせた。全身が目に見えて震えており、視線と口元には悔しさがにじみ出ている。

「どう、して……」

 そんな彼から漏れ出た声は、政宗もよく知っている、蓮としての高さだった。政宗は少し調子に乗りすぎたと内心で苦笑いを浮かべつつ、蓮が襲いかかってこないよう、彼の挙動に気を配る。

 蓮はうつむいたまま唇を噛みしめると、とても悔しそうに吐き捨てた。

「どう、して……まさか、桂樹さんが……でも……意味が分からない。まだ、僕は何も始めていない、何も始まっていないのに……!!」

「そうだね」

 刹那、蓮が顔を上げて政宗を見やる。蓮の言葉に相槌を打った政宗は、困惑と絶望が入り混じっている少年を見つめ、静かに、その答えを口にした。

「俺は運良く始まる前に終わらせることができた。君と桂樹さんの凶行を……身内を利用した復讐劇を、ね」

「っ……!!」

 この言葉で、完全に敗北を悟った蓮は……崩れ落ちるように頭を抱える。

「そ、んな……そこまで……僕は、やっぱりダメだったんだ……」

 彼が最後に聞いたのは、姉に向かってごめんと呟いた……小柄な少年の声だった。


 次の瞬間、世界が唐突に暗転して――足元が、なくなる。


「――っと!?」

 政宗が慌ててバランスを整えると、世界は再び、『扉』3つだけになった。先程まで展開されていた仙台支局は影も形もなく、セットの撤収が早すぎることに苦言を呈したくなってくる。

「唐突すぎだよな……面白かったけど」

「……お疲れ様でした。佐藤支局長」

 いつの間にか政宗の右隣には、先程と同様に、黒いローブとフードでほぼ全身を覆い隠した『誰か』が立ってた。ただ、先程の人物とは明らかに声が違う。

 仕組みを理解した政宗は、口元に醜悪な笑みを浮かべて。

「いやー、名波君もお疲れ様。思いのほか楽しい世界だったよ。論破!! って感じでさ」

「それはよかったですね」

 ちっとも良いと思っていない『誰か』――蓮の棒読みに、政宗は苦笑いを浮かべつつ……ふと、あることを問いかける。

「ちなみになんだけど、あの後ってどうなるか知ってる? ついうっかり、蓮君を追い詰めちゃったんだけど……」

 すっかり気分が高揚してしまい、あの後に続く未来を見届けることが出来なかった。そんな政宗に対して、蓮は淡々と答えを紡ぐ。

「僕を雇わなかったことで、桂樹さんは作戦変更を余儀なくされました。その焦りから名杙さんの脱走を許してしまい、結果として僕たち二人は追放、『絶縁』されます。要するに、山本さんを呼ばない世界になるんです」

「な、なるほど……」

 蓮の言葉に、政宗は納得して……思案する。

 最初は、この時間軸に戻って、蓮と桂樹の陰謀を早々に食い止めて自分の株を上げつつ、ユカを呼んで楽しくやろうと思っていたけれど……解決が速すぎて、ユカの手を借りる必要がなくなってしまうらしい。結果、仙台に降り立たない。

 それは、地味に困る。

 政宗はしばし考えた後……蓮へ次の世界への誘いを促した。

「じゃあ蓮君、とりあえずここに戻るかどうかは保留にして、次は『もしも、名杙統治も山本結果のことがずっと好きだったら、仙台支局開設の際にどうなっていたのか』を見てみたいんだけど、これってどっちのドア?」

「どんだけ山本さん呼ぶことに心血を注いでるんですか貴方は」

「いいのいいの!! ほら、どっち?」

 蓮のジト目――フードに隠れて見えないけれど恐らく――を大声で受け流した政宗に、蓮は呆れたように息を吐くと……先程とは反対側、左端の『扉』を指さした。

「左へどうぞ」

「ありがとう。じゃあ、ちょっくら行ってくるぜっ」

 政宗はそそくさと移動した後、左端にある『扉』のドアノブに手をかける。そして、特に躊躇いもなくそれを回した。


「それでは――後悔のない選択を」


 蓮の言葉を合図に、再び、世界の全てがホワイトアウトする。


 視力を根こそぎ持っていかれそうな落差に顔をしかめていると……自分が、椅子の上に座っている感覚があった。目を開けてみると、妙に懐かしい部屋の光景に、思わず目を見開く。

 二人がけのダイニングテーブルの上には、星のラベルが見える缶ビールと複数のつまみ、コンビニ弁当が乱雑に配置されている。そして、彼の右手脇には()()使っていたスマートフォンがあった。

 電源ボタンを押して、日付と時間のみを表示させる。そして……確信する。

「今は……」

「佐藤、おい、佐藤?」

 聞き慣れた、少し懐かしい声に我に返ると、向かい側に座っている統治が、訝しげな表情を向けていた。政宗は慌てて居住まいを正し、笑顔を作って統治を迎え撃つ。

「どうしたんだよ統治。ほら、今日はめでたい日だから、もっとテンション上げていこうぜ」

「全く……そんなにはしゃいでいると、体がもたないぞ」

 こう言ってため息をつく統治は、彼の近くにあるビール缶を手に取った。政宗もまた同じことをして「かんぱーい」等とふざけつつ……周囲を見渡して、状況を確認する。

 今は、政宗と統治が『仙台支局』開設を正式に認められて、2人だけの祝勝会を催しているところだった。2人がいるこの場所は、大学時代に政宗が一人暮らしをしていた部屋。キッチンと生活空間が同じ空間にある、長方形のワンルームだ。そしてこの後、統治がユカへ電話をするのだが、それは全て政宗のためである。

 ただ……今回はどうだろう。統治は自分からユカへ電話をして、楽しそうに成果を語るのだろうか。それとも、コレをきっかけに、もっと踏み込んだ関係になろうと提案するのだろうか。

 統治がユカのことを好きだと、どこで確信することになるのだろうか。

 疑心暗鬼をビールと一緒に流し込んでいると……缶から口を離した統治が、どこか遠慮がちな眼差しで、自分の方を見ていることに気づく。

「統治?」

「佐藤……その、山本には、連絡をしないのか?」

 ここまでは知っている流れだ。統治の言葉と態度が少し違うけれども想定の範囲内でもある。政宗は努めて冷静に頷くと、近くにあった唐揚げを爪楊枝で刺して、一口で頬張る。そして、口の中のものを飲み込んだ後……冷静になれと言い聞かせながら言葉を続けた。

「今はしない。ここはゴールじゃないんだよ。いくら当主の了解を得られたとは言え、本格的な検討はこれからだしな。ケッカには『仙台支局』が正式に開設されたら連絡すればいいよ」

「そうか……」

 政宗の言葉に、統治はどこか残念そうな表情――今の政宗には統治の行動全てがこう見える――を浮かべ、浅く息を吐いた。

 さあ、問題はここから。政宗が統治の出方を伺っていると、彼は缶の隣に置いていたミネラルウォーターのペットボトルをあけ、中身を軽くあおった。そして……。


「……それもそうだな」


 刹那、政宗が持っていた爪楊枝が彼の手から離れ、テーブルの上を静かに転がって……落ちる。

 そんなことに気付いていない統治は、どこか残念そうな……それをしょうがないと自分に言い聞かせるような、要するにとても無理をしている顔で、もう一度息を吐いた。

「すまない。俺の方が……浮かれていたようだ」」

「あ、ああ。えぇっと……」

 予想外の展開に、政宗の方が言葉につまってしまう。まさかこうなるとは思っていなかった、けれど、眼の前にいるのが統治で、その想い人がユカならば……こうなってしまうことも、納得出来てしまう。

 政宗自身も何となく気付いていたけれど、この世界線の統治は、ユカに思いを寄せると同時に、政宗がユカへ向けている思いも把握している。要するに、政宗に気を遣っているのだ。

 統治の性格を考えると、政宗へ向けて「山本は渡さない」と言い放つような展開になるはずがない。そもそも統治自身が、自分の恋心が周囲にどんな影響を与えるのかわかりきっているので、最後まで――ユカが統治の隣に立つと覚悟を決める瞬間まで――その思いを表に出すことはないだろう。ただ、彼は恋心を隠すことに慣れていないので、こうやって気付いてしまうけれど。

 今の政宗は全て知っているとはいえ、その事実を告げて統治を煽るような勇気は……ない。

 けれど、知ってしまった以上……忘れることも、気にせず振る舞うこともできそうにない。飲んでいる酒の味がよく分からないのは久しぶりだ。唐揚げだって味気ない。

 この状況、どうしたものか……政宗が空き缶を握りながら思案していると、統治が三度(みたび)息を吐いた。そして……切ない苦笑いを浮かべると、どことなく優しい声でそっと呟く。

「こんなことで一喜一憂していたら……山本に笑われるな」

「……」


 こんな彼の表情は……初めて見た。

 選べるのか? この世界を。

 生きていけるのか? この世界で。

 

 次の瞬間、政宗は「トイレ行ってくる」と行って席を立った。そして、足早にトイレへと移動すると、トアを閉めて天井を見上げ――絶叫する。


「あーっ!! もういい、もうこの世界線いいわ!! さっさと戻してくれ、俺を戻してくれ!!」


 刹那、トイレだと思っていた場所が暗転し――息が詰まる、そんな感覚に襲われた。

 そして――


「――っはぐへふぁっ……!!」


 またまた『扉』のみの空間へ戻ってきた彼は、体の中に残っていた酸素を一気に吐き出して……立ったまま頭を抱えるしかなかった。

 軽く考えていた。そんな自分の見立てを呪うしかない。

 気づくと政宗の隣には、黒いローブの『誰か』が立っていたけれど……今の政宗はそれどころではなかた。

「あ、ああ……戻ってきた……俺、あの世界線は無理だ。統治が俺の前で自分の気持ちを秘めすぎていて……しんど……あと、万が一ケッカが統治を選んだ時のことを考えると何も考えたくない。トライアングル無理。仕事よりしんどい……」

「一人で何を言っているんだ」

 『誰か』――政宗がよく知る統治のテンションでツッコミを入れられても、今の政宗は先程の統治――思いを秘めていた彼の表情を思い出しては、ため息をつくばかり。

「そうだよな。統治の性格を考えると……そうなるよなぁ……はぁぁぁぁ……」

「……とりあえず2番目の扉の先が不要であることは分かった」

 もうコイツ話にならねぇと見切りをつけた統治は、「前を見ろ、佐藤」と声をかけて、彼を強制的に()()へと引き戻す。

「今まで2つ見てきた。次が最期だ。どうする?」

 統治の問いかけに我に返った政宗は、顔を上げると……自分の目の前にある、中央の扉を見据えた。


 この先に続いているのは、10年前のあの日、あの瞬間。

 政宗の中にいつまでも残り続ける後悔そのものだ。


 彼は呼吸を整えてから、改めて前を向く。そして、隣に立つ統治を見ることなく、強い口調で返答した。

「当然、ここまできたら全部見てやるよ。もしも、あの悲劇を回避出来るなら……何があっても回避したいからな」

「承知した」

 統治が「行け」と言っているような気がする。政宗は迷わず前へ進み、ドアノブに手をかけた。そして……『扉』を開く。


「それでは――後悔のない選択を」


 統治の声が耳に届いた次の瞬間、政宗の世界がみたびホワイトアウトして……吸い込む息に、唐突な熱を感じた。

 暑い。肌を突き刺すような太陽の光と、むせ返るほどに熱を帯びた夏の空気。

 知っている。直感でそう思った。


 政宗が目を開くと、目の前には……見知った光景が広がっていた。

 10年前のあの日、研修時のメンバー全員で訪れた、福岡市郊外にあるキャンプ場。夏休みということもあり、周囲は多くの人で賑わっている。

 恐る恐る自分の手を見ると、普段よりもずっと小さかった。そして、視線の低さと着ている服装から、今の自分が完全に10年前の姿であることを把握する。

 そして今、自分が建物の外に突っ立っているということは――

「そうだ、ケッカ……ケッカは……」

 政宗は慌ててユカの姿を探した。すると、彼女――少女は意外と自分の近くにいて、こちらをマジマジと見つめている。

「政宗、どげんしたと? 熱中症?」

「あ、いや……あれ、俺たち、どうしてここにいるんだっけ?」

「どうして、って……ほら、あの子やろ? お友達が欲しいっていう女の子」

 そういってユカが指をさす先には……それらしい女の子は、いない。

 政宗は慌ててまばたきをして、視える世界を切り替えた。そして、ユカが指をさす方を確認して――


「――っ!!」


 確信する。


「ちょっと行ってくるけんね」

「いや、待っ……!!」


 そう言って駆け出したユカの手をつかもうとしたが、彼女の足は既に地面を蹴っていた。

 次の瞬間――黒い影がゆらめき、ユカへの距離を縮め始める。


 ダメだ。

 このままでいけない。

 やり直すんだ。過去をやり直して、未来へ繋げる。

 走り出した政宗は、前を行く背中へ必死に手を伸ばした。


「ダメだ、そっちに行っちゃダメだ、ケッカ!!」


 その呼びかけに気付いた彼女が、スピードを緩めて彼の方を向いた。

 足を止めることはしない。追いついた政宗はユカの腕をつかむと、力任せに引っ張って……立ち位置を逆にする。

「政宗……!?」


 目を丸くしている彼女が見えた。

 良かった。

 生きている。


 未来を、()()()()()()()()()


「やった……!! これで……!!」

 漏れ出た自分の声は、歓喜に満ちていた。

 これで――


 次の瞬間――自分の意識が、深く、深く沈んでいくような感覚に襲われた。

 少女の悲鳴が聞こえたような気もするが、とても遠くて……よく、聞こえない。

 先程まで感じていた暑さも、走ることによる息苦しさも、彼女の手をつかんでいた感覚も……何も、ない。

 この感覚には既視感がある。中途覚醒して『混濁』するよりも、ずっと前に。

 そう、あれは――


 育ての親の死を受け入れられずに、車の行き交う道路へ飛び込んだ時だ。



 ああ。

 そうか。

 そういうことか。



 政宗は、この世界の結論を理解する。


 『もしも、山本結果が『遺痕』に襲われなければ、どうなっていたのか』





 その答えは……政宗が死んでいた、ということを。






 ゆっくりと目を開けた政宗の前には、3つの『扉』があった。

 闇の中で自分の手を見ると、成長した状態に戻ってることが分かる。思わず大きく息を吐いた。

 戻って来ることが出来て良かった気持ちと、戻ってきてしまったという後悔が入り交じっている。あのまま残っていたら……残ることが出来たならば、ユカは、統治は、どうなっていたのだろう。

 そんな彼の隣に立つ『誰か』が、静かに口を開いた。

「おかえり、政宗」

 その声を聞いた瞬間、政宗は目を見開いて隣を見た。そこに立っているのが誰なのか、例によって顔も服装も確認することは出来ない。けれど、落ち着いた声と伸びた身長が、どうしても、6月に出会った彼女を想像させてしまう。

「ただい、ま……ケッカ、で、いいんだよな?」

「どうやろうね。そこは、政宗に任せる」

 そう言って肩をすくめる『誰か』――ユカに、政宗は思わず頬を緩めた。そして、闇の中にいる彼女を改めて見つめると……手で顔を覆って、大きく息を吐く。


 嬉しかった。

 彼女がちゃんと、成長していたから。


「そっか……そうだよな。あの時襲われたのが俺だったら……ケッカは成長出来たんだよな……」

「そういうことやね。あれから、あたしは成長して、『縁故』になっとる。でも……政宗がおらんけん、『仙台支局』は桂樹さんがトップになって、統治は……本家から出られない。あたしも仙台に呼ばれることなく、それぞれの場所で生きていく」

 政宗が『いない』、そう言われても、今の彼には悲壮感など何もなかった。

 だって彼は、悲劇を回避することが出来たのだ。

 人生最大の後悔、償いきれない罪、それが生まれることもなく……彼女は、大人になることが出来た。


 それが、この『扉』の先にある世界。

 今の政宗がどれだけ願っても、どれだけ努力をしても手に入れることが出来ない、そんな()()


「良かった……」

 漏れ出た言葉は、嘘偽りない彼の本音だ。

 政宗は目尻に浮かんだ涙を拭うと、改めて彼女を見据える。


「あのさ、ケッカ……今の俺には、これが一番魅力的な選択肢に思えるんだ」

「なして?」

「だって俺は、ケッカを助けられたんだろう? それは、今の俺じゃどう頑張ってもできないことなんだよ。死んでもいいって思っていた俺に、生きる理由をくれたのは君なんだ」

 あの時……10年前に出会って、惹かれて、悲劇が起こって、そこからがむしゃらに走り続けて。

 ゴールが見えないまま走り続けることに、徒労感や焦りは常に付きまとう。けれど、それすらもエネルギーに変えて走り続けてきた。

 それは全て、ユカを助けるため。

 けれど……そもそも、あんなことが起こらなければ、ユカは普通に成長することが出来た。

 彼女が体験するはずだった『普通』を奪うことにはならなかった。ユカの未来を繋げることは出来るのだ。

 例え、隣に自分がいなくても……彼女にとっては、それがいいに決まっている。


 この言葉を、彼女がどんな表情で聞いているのかは分からない。

 けれど、自分の意志を告げる政宗の顔には、全てに納得した清々しさがあった。



 そして彼は――結論を告げる。



「だから……これ()いい。この『扉』の先に――()かせてくれ」

 主人公の誕生日当日に公開するような話……では、なかった、かもしれない。このエピソードが生まれた経緯は、(下)のあとがきで簡単にお話出来ればいいなと思います。

 続きに関しては……7周年記念小説のラストに公開する予定なので、9月中には何とか……したい、です。その間は他の楽しいエピソードでお楽しみいただければと思います。

 ユカ、そしておが茶さん、お誕生日おめでとうございます。後半ではとってもとっても主人公が主人公するので、今後もよろしくお願いします……!!

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