エンコサイヨウ7周年記念外伝①:宵闇ランナウェイ(上)
2022年8月25日、『エンコサイヨウ』はまるっと7年の節目を迎えました。
この日に何もアップしないなんて!! と、いうわけで……8幕に向けて助走をつけるための短編を書いたら、脳内基準よりも長くなったので分割します。
ただ、商店街はあんまり走っちゃダメっすよ。
■登場人物:ユカ+α
目が合った、その瞬間に判断を下す。
一刻も早く、ここから逃げなければ――と。
8月から9月に切り替わった直後の平日、時刻は間もなく18時半になろうかという頃。
仕事終わり、20歳になったばかりの山本結果は、仙台市中心部の商店街で買い物をしていた。社会人のお盆休みや学生の夏休みはとっくに終わり、すっかり日常が戻っている。まだ残夏特有の蒸し暑さは残っているが、それも近いうちに落ち着くだろう。
福岡で過ごしていた頃は、9月になっても続く気温と湿度の高さに辟易していたが、仙台の夏は盆を境に予想以上に過ごしやすくなり……病み上がりの体には丁度よいとさえ思えた。
普段は政宗や統治らと一緒に行動しているが、今、商店街を歩く彼女は一人きり。いつものキャスケットは定位置に、ロング丈の半袖Tシャツと細身のズボンを着用し、足元はスニーカー。右肩には仕事用の筆記具や財布、スマートフォン等を入れたトートバックをかけている。
今日の政宗は夕方から打ち合わせの予定が入っており、統治は出先からの直帰。普段の仕事では2人以上で行動すること、最近は自身の体調不良で誰かに付き添ってもらうことも多かったので、こうして一人で行動するのは久しぶりに感じる。
最初の目的地は薬局。次にスーパーで夕食を買って帰る予定だ。商店街の中にあるスーパーは自宅近所の店舗とは違うので、食べ比べをするのも密かな楽しみだったりする。
商店街は学生や社会人など、多くの人が行き交っている。ポイントカードを持っていることで特定の日に5%オフになる某薬局に狙いを定めているユカは、人波をすり抜けて、目当ての店に入った。案の定、彼女と同じ理由で来店した客が多く、ただでさえ広くない店内は、多くの客でごった返している。
小さな体をひねりながら店の中を移動し、目的のものを探した。
「んーっと……蒸気のアイマスクと、冷えピタと……」
目当ての物を取り、カゴの中へ放り込む。先日、明確な原因が不明のまま失明してしまった恐怖は、そう簡単に拭い去れるものではない。今はもう全快している……と、思いたいが、また、どんなタイミングで体調不良になってしまうのか分からない。
来月には福岡に行って、ここ半年の動きを報告する予定がある。ただでさえ仙台に移動してトラブルが続いているのだ。これ以上、問題を起こすわけにはいかない。無意識のうちに口元を引き締めた。
役に立たない人間だなんて自分を卑下して、塞ぎ込んでいる時間はない。
出来ることをやっていくと決めたユカは、特に念入りに視神経のケアを行うようにしていた。ぶっちゃけ、これくらいしか出来ることがないし……目は自分の商売道具であり生命線でもある。これ以上酷使して取り返しがつかなくなったら、コンティニュー出来ないゲームオーバーだ。
「あとは……そうだ、お菓子買ってこー」
商品を追加するために棚を移動したユカは、店舗入口に陳列されていたチップスやチョコレートの袋菓子を本能に従ってカゴの中へ仲間入りさせた後、レジへ続く行列に並んだ。
「あ、すいません」
その途中、ピンクの髪が目を引く、背の高い男性とぶつかりそうになりながらも、無事に会計を済ませる。買い込んだ荷物を持ち直し、次の場所へ移動するために店を出た、
次の瞬間。
「――っ!!」
――背筋をぞくりと悪寒が駆け下りる感覚。
自分に対して明らかに向けられているのは、
明確な、
『敵意』。
「……マジか……」
無意識のうちに吐き出した言葉は、宵闇の雑踏にかき消される。ユカは買ったばかりの袋を持ち直して、不自然にならないように周囲を見渡しつつ……意を決してまばたきをして、視える世界を切り替えした。正直、バレたらこんこんと説教をされて、なぜ応援を呼ばなかったのだと非難されてしまうだろうけど……致し方ない。あまり猶予があるとは思えないのだから。
微細な違和感は残っているけれど、程なくして、視える世界を切り替えることに成功した。
そして。
目が、合う。
意識した瞬間、背筋が粟立つ嫌な感覚が全身を駆け抜ける。
ユカが出てきた薬局の丁度向かい側、10メートルほど離れた100円ショップへの入り口付近に、女の子が一人、ユカの方をじいっと見ていた。
身長は今のユカと同じくらい、140センチ前後だろうか。髪の毛はハーフアップで毛先が肩の下で揺れる。赤黒いシミが上半身についた白いワンピースの上から明らかにサイズオーバーのグレーのパーカーを羽織っているため、指先はよく見えない。足元は膝までのくつ下のみで、靴は履いていない。
無理やりこじ開けた回路で見た少女の右手からは、彼女のシミと同じ色の『関係縁』が一本、はっきりと残っているのが確認出来た。
「商店街に『遺痕』? でも、そげな話、特に……」
この商店街は仙台の中心部。先月には年に一度の大きなお祭りも開催され、人の往来が常に多い場所だ。仮にこんな場所で『遺痕』認定された存在があれば、間違いなく『仙台支局』に情報が回され、短期間で処理される。でないと、どんな悪影響が居座って拡散するのか分からないのだから。
ユカは無意識のうちに、被っているキャスケットをより深くかぶり直していた。少女はそんなユカの動きをじぃっと見つめた後――細い体が、ゆらりと動く。
「っ!?」
その行動の意味を認識した瞬間、喉の奥から息が漏れた。
少女は唐突に足を踏み出し、その場から移動を始めている。
その視線が見据える先、進む足が目指す先、伸ばす手の先、そこには――
「――ちょっ……!?」
次の瞬間、少女の手が虚空を凪いだ。その指先が狙っていたのは、間違いなくユカが被っているキャスケット。
その事実を認識した瞬間、心臓が一度、大きく跳ね上がる。
「え、ちょっ……待って、え……?」
反射的に後ずさったことでたたらを踏むような足取りになるが、横転しないように何とか踏みとどまる。そして、改めて少女を見据えるが、前髪の隙間から見える双方に生気はなく、濁ったガラス玉のように感じた。
ただ――その視線が、ユカから外されることもない。間違いなく、次の機会を伺っている。
ただでさえ人が多く出入りしている薬局の入り口だ。こんな場所でハサミを取り出して戦闘を始めるわけにもいかないので……ユカはひとまず、その場から離脱するために駆け出していた。突拍子もない行動を目の当たりにした周囲の人が訝しげな視線を向けたような気もするが、そんな些細なことを気にしてなどいられない。
少女は明らかに、ユカを狙って仕掛けてきたのだ。
これだけ大勢の人がいる中で、迷うことなく。
狙われたのは初めてではない。実際、仙台にやってきたばかりの頃も、一度、こうやってピンポイントで狙われたことはある。
けれど……今は正直、病み上がりだ。政宗から正式な復帰の許可は出ていないし、自信の感覚が鈍っている不安もある。勿論、対処はするけれども……もう少し静かで、人目が気にならない、集中できる場所に行きたい。
「これ、ちょ……どげんしようかなぁっ……!!」
人をかき分け、時に押しのけるようにして走ること30メートルほど。大きな十字路の真ん中に立つ。一瞬思案した後、ユカはこの十字路をそのまま直進した。いつもであればここで左折して、『支局』もある仙台駅の方へ向かうのだが……同じく駅へ向かう人が多いため、左折してしまうと何かあった時のリスクがより大きいように感じたからだ。周辺の地理は何となく把握しているものの、ここを直進したら、最終的にどこへ向かうのか……すぐに思い出せるほど、この街のことを知っているわけではない。
「はぁっ……っ!!」
焦りが不規則な呼吸となって吐き出されていく。しかし、足を止めることは出来ない。少女はどこかおぼつかない足取りとはいえ、立ち止まっていたら追いつかれてしまうであろう距離だ。商売道具は常備しているのでいざとなれば縁を切るが、それを実行するには人が多すぎる。客観的に見て、商店街の往来でハサミを振り回す少女は……ちょっと、いや、かなりイメージがよろしくないので、もう少し人が少ない場所へ行きたい。
それに、万が一、自分が敵意を見せることで、少女の標的が自分以外に変わってしまったら……!!
自分にその全てが向けられている間は、周囲を巻き込むこともない。
『縁故』は、こういう役割も担う仕事だ。
「はぁっ……!! あー、買い物げな……するんじゃっ……!?」
買い物袋を持っていることに恨み言を吐き出した次の瞬間、目の前の歩行者用信号が赤に変わった。流石に足を止めるしかないけれど、一刻も早くここから逃げ出す必要がある。
直進は赤信号。
右へ行くか、それとも左へ行くか。それともこのまま、信号が変わるのを待つのか。
決めなければ。そんなこと分かっている。
けれど――逃げた先が、見通せない。
今まで何度となく通り過ぎただけの道。今までは必ず隣に仲間がいた。けれど、今は……誰も、いない。
唾を飲み込む。
決めなければ。この先、どう動くのか。
トートバックに入れたスマートフォンを探したいけれど、そんなことをしている時間も惜しい。
助けを、呼べない。
この道は――この先、どこへ繋がっている?
「っ……!!」
汗が、首筋を伝って滑り落ちる。
悩んだってしょうがない。とりあえずこの場を乗り切るためにユカが左へ行こうとした、次の瞬間――
「――そっちで、いいの?」
頭上からふってきた知らない声に、ユカは思わず目を丸くした。
反射的に上を見上げると、黒いサングラスをかけている青年が、ユカを静かに見下ろしている。身長は180センチ程度、前髪の一部をヘアピンで留めている。黒い上着に黒いズボンという出で立ちなので、威圧感が凄まじい。
一瞬、彼のサングラスのせいで人違いで話しかけられたのかとも思ったが……ピンクに染めた髪が目立つ彼は、間違いなく自分を見ているように感じた。
過去に一度でも関わっていれば、忘れるはずがない風貌。髪の色が派手で、黒い格好が多い高校生には知り合いがいるけれど、目の前の彼が果たして誰なのか……全く、思い当たらない。
「あの……ど、どちら様、ですか……?」
「そーんな悠長なこと言ってて大丈夫? あの子、割と接近中だよ」
「っ!?」
青年が『あの子』と呼んだ瞬間、自分でも驚くほど心臓が跳ね上がったことが分かった。
そして、確信する。
彼は……今、何が起こっているのか、的確に把握していることを。
「視えるんです……か?」
確認するように尋ねると、彼は「まぁね」と首肯する。
「そういうお姉さんも、オレと似たようなもんでしょ? で、どーすんの?」
「どうするって……」
背後に近づく嫌な気配を感じつつ、ユカは思案をめぐらせて……1つの結論にたどり着いた。
「わざわざ今のあたしに話しかけるってことは、助けてくれるってことですか?」
刹那、彼の口元がニヤリと緩む。
「まぁね。報酬をくれたら助けになれるよ。例えば……ご所望の場所まで最短で案内してあげる、とか。どーする?」
「報酬!? お、お金とるとですか!?」
「違う違う。お金なんていらないよ。オレが欲しいのは――」
そう言って頭を振った彼は、人懐っこい笑みでニコリと笑い、右手の人差し指を突き立てる。
そして、サングラスを少しずらして視線を合わせると、たった一言、報酬を口にした。
「――情報なんだ」
信じるか、それとも信じないか。
それを瞬時に判断しなければならない。
そして、その選択に――責任を持たなければならない。
そういえば、こんなことが前にもあったような……そう、派手な髪の男性に仙台で助けられたのは2度目だ。初回に助けてくれた彼は、今は信頼できる仲間の一人。
この法則が全てに通用するとは思っていないけれど……でも。
ユカは口元を引き締め、彼を見上げる。彼の双方はサングラスの向こう側、感情を読み解くことが出来ないのであれば……相手と同じ舞台で交渉をするしかないのだ。
「……どげな情報が欲しいと?」
「そうだね。じゃあ……佐藤政宗さんの好みの女性のタイプとか。何か知らない?」
「は?」
予想の斜め上から飛んできた質問に、ユカは間の抜けた声を出して目を丸くした。
「な、なして政宗!? っていうかどうしてあたしと政宗が知り合いだって――」
「――ほらほら、どーすんのお姉さん。出来れば外見的な特徴だと、オレ、ちょっとサービス考えちゃうかもだよ?」
「え、えぇっと……」
唐突な交換条件に、ユカは脳内で混乱を極めつつ……同時に、確実に距離を詰めてくる気配に冷や汗が出る。
人間は生きる上で、自分の選択に責任を持たなければならない。
ならば、ここで選ぶべきは――ユカは呼吸を整え、結論を出す。
それは――
「――オフショルダーが似合うロングヘアーの女性」
彼に与える情報は、内容が具体的であればあるほど、自分に戻ってくるものが有益であるように思えた。
だから――「優しい」とか「家庭的」とか、そういう曖昧なイメージではなくて、ユカが知りうる限り、それでいて彼自身が自ら公にしないであろう情報を、交渉の場に出してみる。
政宗がもしも、後から何か苦情を言ってきたら……自分が死んでもよかったのかと脅す心づもりで。
刹那、彼は口の端にニヤリと笑みを浮かべた。そして――サングラスを外すと、ズボンのポケットにねじ込んで。
「――交渉成立。最高のカードを切ってくれてありがとう、お姉さん」
名も知らぬ彼が笑顔でそう言った瞬間、二人の間を旋風が駆け抜ける。
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