6話 異世界で朝食を
肌寒さで目が覚めた。
知らない天井だった。
もぞもぞと体を動かすと、ここがベッドの上で、おれは毛布に包まって眠っていたことを理解する。
体を動かすと、毛布の隙間に冷たい空気が入ってきてぶるりと震えた。
でも、お腹の部分だけはまるで腹巻をしているかのように温かかった。
なぜだろう?
寒いのを我慢して布団を捲ると、腹巻はなかったが幼女がいた。
おれの腰を抱き枕にして気持ちよさそうに眠っている。
まさかおれは……小学生と一緒に大人の階段を登ってしまったのだろうか?
「あ、お兄ちゃん」
おれに抱き付いて眠っている幼女――真穂ちゃんは目を覚まして、おれに「おはよう」とほほ笑む。
ええと……なんでこんなことになったんだ?
寝起きの頭で過去をさかのぼる。
至って普通の高校生だったおれは、トラックに轢かれそうになった真穂ちゃんを助けたら異世界に飛んでしまった。
そこで魔物に襲われている少女――イリーナさんを助け、イリーナさんのお家に泊めてもらったのだ。
うん、思い出したぞ。
あれ、でも昨日は真穂ちゃんと違う部屋で寝たよな。
「お、おはよう真穂ちゃん」
「もう朝だねお兄ちゃん。どうする? もう一回……シちゃう?」
眠気まなこを擦りながら、首を小さく傾げた真穂ちゃんの小さな唇から、そんな言葉が漏れる。
もう一回、シちゃう?
する? 何をするって?
もう一回ということは、おれは昨夜真穂ちゃんと何かをした訳だ。
まさか……まさか……。
「昨日のお兄ちゃん、すっごく激しかったから大変だったよ」
「……」
真穂ちゃんは少し顔を赤らめた。
嘘だあああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!
え、障子を破っちまったのかよ!?
嘘!? 高校生のおれが!? 小学生の真穂ちゃんに!?
おれは飛び起きて、ベッドから離れて、毛の長い上質な絨毯の上で土下座した。
「誰にも言わないでください。お願いします」
「え、一緒に寝たことを言っちゃダメなの? いつもお母さんと一緒に寝てたよ」
真穂ちゃんは不思議そうに首を傾げる。
え? 寝ただけ? そのまんまの意味で、同じベッドで眠っただけ?
いやらしいことは一切なかったのか?
真穂ちゃんのこの邪気のない不思議そうな笑みを見ると、どうやら昨夜は何もなかったらしい。ふぅ、よかった。
本当に一緒に寝ただけか……勘違いしちゃったぜ。
おれは土下座の格好のまま羞恥に悶えた後、顔を上げる。
「でも、激しかったってなんなのさ!?」
「お兄ちゃんの寝相!」
と慎ましやかな胸を張って答えられた。もう朝から疲れたよ、二度寝したい。
真穂ちゃんの「もう一回、シちゃう?」という甘い囁きは二度寝を意味していることにようやく気づき、それに答えようとしたのだが。
「ねえ、お兄ちゃんって三つ編み結える?」
真穂ちゃんは自分の髪を触りながら聞いてきた。
改めて真穂ちゃんを見たら、三つ編みが解かれていた。
どうやら、真穂ちゃんの意識は完全に覚醒してしまい、二度寝する雰囲気ではなかった。
「ごめん、できないよ」
おれに妹はいないので三つ編みなんて出来ない。
もしおれに女装趣味があったなら、三つ編みの仕方ぐらい熟知していたかもしれないが。
「そっか。いつもお母さんにしてもらってたから一人じゃ結べないのに……」
彼女は少し寂しそうな顔をして、目に涙を浮かべた。
「あれ、もうお母さんに会えないのかな?」
気付くと、ボロボロと涙を流し始めた。
「あれ? 私……なんで……?」
「真穂、ちゃん……」
真穂ちゃんは泣いていた。
朝起きると、当たり前のように隣にいる母親がいない。
彼女は年の割にはませていて、大人びているけれども、それでもまだ小学生。
大好きな母親と会えないという事実を知り、無意識に涙を流してしまったのだろう。
「あっ……あっ……お母、さん……うぅ……」
「真穂ちゃん……!」
ベッドの上で泣いてる真穂ちゃんを抱きしめる。
この歳で親元を離れるのは辛いよな。
この子はとっても強い子だけど、それでもまた小学生なんだ。
嗚咽を漏らしながら「お母さん……っ!」「おうちっ、帰りたいよぉ……!」と涙する真穂ちゃんの背中をさする。
今この子を守れるのはおれしかいないのだから。
真穂ちゃんの体は小さく、温かい。
おれの背中に手を伸ばし、おれの胸で泣く真穂ちゃんを見て、おれに一体何が出来るのだろうか? と考える。
おれに出来るのは、こうやって胸を貸し、気が済むまで泣かせてあげることしか……できない。
「失礼します。忍様、朝食の準備が……あっ」
真穂ちゃんを抱きしめていると、ガチャリとドアが開きメイド服姿の女性が姿を現す。
やべぇ、幼女抱きしめてる所見られちゃった。
あれ、おれは捕まっちゃうんじゃないか?
「まぁ、兄妹ですもんね」
ああ、兄妹ってことで説明したな。
昨夜のことをだんだん思い出してきた。
イリーナさんを喋るトラックで家まで送り届けた後、イリーナさんの父親である領主さまに感謝された。
そして褒美を授けると言われたが、何も思い浮かばなかったんだ。
真穂ちゃんがご飯とベッドが欲しいと言ったので、領主さまの館に泊めて貰った。
そしておれと真穂ちゃんは、兄妹だと嘘をついた。その方が都合がいいと判断したからだ。
他人同士だと、おれがいたいけな幼女を誘拐したと思われかねない……。
このメイドさんは、ジェニファー・ヤーマダさん。足首まで隠すロングスカートと白いキャップが特徴的だ。
黒髪が綺麗な美人メイドで、いかにも仕事が出来るメイドってイメージ。
「ええ、妹がホームシックになってしまって」
「お兄ちゃん……私、もう大丈夫だよ。さあ、ご飯を食べにいこう」
真穂ちゃんがパッと離れてグシグシと目元を拭う。
そしてジェニファーさんの方へトテトテと走っていった。
「メイドのお姉ちゃん、後で髪を結ってくれる?」
「ええ、勿論ですよ真穂さま。さぁ食堂へご案内いたします。忍様もこちらへ」
二人は部屋を出て行ったので、おれもその後を追った。
真穂ちゃんがジェニファーさんに三つ編みの説明をしている。
その後ろを歩いているおれは緊張していた。
貴族とご飯を食べるとか初めてだからね!
「えっと、ジェニファーさん。テーブルマナーとか自信がないんですけど」
ついでにスタバの作法も自信がない。
あれどうやって注文するの? お洒落過ぎて入るのすら躊躇するレベルなんだけど。
真穂ちゃんと一緒に前を歩くジェニファーさんは振り返って、しれっとこう返した。
「大丈夫です。ドラグロワ伯も得意ではありませんので」
どう反応したらいいんだよ!
「あ、今の笑うところですよ。メイドギャグです」
そんな話をしていると、食堂に通された。寒い地方にあるからなのか、天井はあまり高くない。
しかし、四隅にある柱は金で装飾がされていた。
「よく眠れたか、娘の恩人よ」
領主さまに声を掛けられた。
改めて、領主さまを見ると、まるで熊のような男だった。
仕立ての良い服の下には岩のような筋肉がある。
金色の髪は堅そうで、もみあげからあごにかけてのヒゲのラインが髪の毛と繋がっていて、貫禄もある。
貴族らしさもあるが、マフィアのボスと言われても信じてしまいそうな強面オジサマだった。
「は、はい!」
怖い! 思わず、背筋が伸びる。
「そうか、それはよかった」
満足そうに領主が頷くと、後ろに控えていたメイドのジェニファーさんが席に案内してくれる。
イスを引かれたのでそこに座ると、今度はナプキンをつけてくれた。
ナプキンを首に巻いてくれる最中、布が肌と擦れて少しこそばゆい。
食事するのにナプキンを使ったこともないし、給仕係の人にナプキンをつけてもらった経験なんてもっての外だ。
真穂ちゃんにもナプキンをつけると、奥の部屋から他のメイドさんが朝食を運んできた。
食卓を囲んでいるのは、おれと真穂ちゃんと領主さまだけだ。
長いテーブルには純白のテーブルクロスが引かれ、銀の燭台が乗っている。
テーブルの先端、お誕生日席に領主様が座り、一つ席を空けておれと真穂ちゃんが並んで座っている。
「あれ、イリーナお姉ちゃんは?」
主人と召使いが同じ場で食事をとらないということは知っているが、イリーナさんがこの場にいないのはおかしい。
「娘はまだ眠っている。心身ともに疲れてしまったそうだ」
「そうなんだー」
真穂ちゃんが失礼なことをしないか、心配していたら、おれの目の前にシチューのようなスープと固そうな黒いパンが並べられた。
「あまりに質素で驚いただろう。寒冷な土地で育つ植物も少なくてな、近くの金山に魔物が住み着いてからは金も思うように採掘できなくなったからな」
領主さまは、おれの後ろにある窓へ目を向けた。
おれもそっちを見ると、確かに山と領地を囲む高い壁が見えた。
「朝食の時間から、暗い話ですまない。だけど、娘の恩人には出来る限りの褒美を遣わそうと考えている。とりあえず、何か言ってみよ」
ものすごく言いにくい!
隣に座っている真穂ちゃんを見やると、意味ありげな笑みを浮かべてお金のジェスチャーをしていた。
今の話を聞いてたのかよ!
ちょっと! 顔が(¥▽¥)←こんな感じになってるよ! 小学生がこんな顔しないで!
「おれ達は故郷へ帰ることができません。妹もまだ小さいですし、暮らせるところを探していたところなのです。だから、この領地に住まいをください」
とりあえず住む場所が欲しかった。異世界であのトラックがあれば、生活には困らないだろうと思ったからだ。
「今の話を聞いても、ドラグロワに住みたいと?」
まるで脅すような声色で領主はが、おれは頷いた。
「ガハハハハ、気に入ったぞ。住民権を与えよう」
領主さまが右手を挙げると、一人のメイドが部屋を出て行った。
「それに鉄の馬車があるのだろう。ここは辺境故に無駄に広いから、運送業者は何人いても足りぬのだ。仕事にも困らないだろう」
「ありがとうございます」
「そうだ、ジェニファーに街を案内させよう」
こうして、異世界での新しい生活が始まろうとしていた。
食事の作法について心配していたのだが、領主様は豪快にパンをかじり、スープの器を持ち上げてごくごくと飲みだしたので、テーブルマナーについて考えるのがバカらしくなった。
味は……おれがいた世界でいうと、ライ麦パンと薄味のホワイトシチューに似ている。
普通においしかった。