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帝国の腕はいつも悩む  作者: 徳田雨窓
第二章 湖の町
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ラヴィ

 町の北側の湖畔、ここからは『御火みほむら』が良く見える。

 周りを囲むカルデラの外縁山脈と違って、『御火みほむら』の姿は雄大だ。そのすそ野は広々となだらかで、山頂に至ることで見事な二等辺三角形を形造る。岩っぽいゴツゴツとした外縁の山々を背後に従えたその姿には、山の皇帝といった趣きがある。

 しかしその頂きから噴き上がる黒煙は禍々しく、『御火みほむら』が今もなおその活力を失わずにいることを思い出させる。

 ――『怒りの火の裁き』。

 ホークの民がこの地を追われ、周辺地域に移り住まざるを得なくなった大災害。それは口伝という記憶となって、二百年以上が経った今もホークの人々に畏れを植え付けているらしい。


 そして……ここから見て『御火みほむら』の左側、湖面の波間の彼方にその森はたたずんでいる。

 ――ホークの森。『森の部族』が暮らすというその森は深く、まだ初春の肌寒さの中でも暗い葉色を揺らす。

 遠目からの印象だが、どうも針葉樹林ではなさそうだ。しかし広葉樹の森だとすれば、この時期新芽が萌えるのも早すぎる。

「不気味ですよね……あの森」

 俺の隣でラヴィがその金髪の長い三つ編みを南からの風に揺らしている。この目で森を見てみたいと言った俺に、ラヴィが付き合ってくれたのだ。

「私もこの目で見るのは初めてですが、雪が降り積もる季節でもあの森の緑が絶えることはないそうです」

「だとすれば、あそこには何かしら超自然的な力が働いていると考えておく方がいいんだろうな」

 魔道大戦後に、森がその範囲を広げ続けているという話とも関係があるのだろうか。

「それだけじゃありません。あの森には『森の部族』の他に、『魔獣』が棲んでいると言われています」

「魔獣?」

「はい。この世のものとも思えないような、恐ろしい化け物だそうです」

「そういえば『ヨインツぎめ』の書にもそんな話が書かれているとか、聞いたことがあるな」

 そう。確か古の森の魔獣……だったかな?

「その書に書かれていることは事実です。『ヨインツぎめ』の戦役で、その魔獣は王国ブランの砦を襲いました」

「森の部族が君たちを?」

「いえ。黒巫女が森から魔獣を強引に連れ出して砦を襲わせたと聞いています。森の部族は魔獣を神聖なものとみなしているので、それを粗末に扱った黒巫女に対し彼らは今でも怒っていると……」


 なんてこった……あいつ、とんでもないな。後始末をする俺の身にもなってもらいたいものだ。

 しかし、だとすれば黒巫女セイラムがこの地を去った今、森の部族の怒りを鎮める方法がないわけじゃない。言い方は悪いが、前任者である黒巫女セイラムを悪者扱いしてしまえばいい。黒巫女セイラムのしでかしたことは帝国パルジャノの本意ではなく、彼女個人の独断だったとして森の部族に説明するのだ。

 そして帝国パルジャノは森の部族への誠意として黒巫女セイラムをこの地の任から外し、新たな特使を派遣したことにする。それがつまり俺……『帝国の腕』のタウバル様というわけだ。

 ただいずれにしろ、これから俺は森の部族についてもっと知る必要があるだろう。

 魔獣を神聖視しているということもそうだが、彼らについては謎が多い。もしも俺が彼らと交渉し始めたとして、そこで彼らの機嫌を損ねるようなことがあれば、また不味いことになる。黒巫女セイラムの二の舞いになる。

 そういう事態だけは避けなければならない。


 そんなことを考えていた俺の耳に、小気味の良い風切り音が響いてきた。

 素早い木刀が周囲の大気を震わせる。俺から少し離れた場所で、ラヴィがその剣さばきを披露していた。

 右手と左手。その両方に細めの木刀を持ち、ラヴィは軽やかな足取りを交差させながら切っ先を繰り出し続ける。

 肩当ショルダーてと一体になった腕鎧のような形態の長手甲ガントレット。それはラヴィの左肩から左手までを大きく覆っている。

 先日ザグモ卿の屋敷の裏庭で見たときと同じく、その長手甲ガントレットの重みを利用して、ラヴィの身体が自在に螺旋を描く。ラヴィの長い三つ編みが渦を巻き、髪を結わえている赤と黒の格子柄のリボンが風をはらんでひるがえる。

 リボンとおそろいの柄のスカートはラヴィが回転するたびに柔らかな波状に揺れ、その短めの丈から彼女の色白な太股がかいま見える。年頃の女性の、肉感的でかつすらりとした形の良いまぶしさが俺の視線を奪う。

 しばらくの間、俺はその光景に見とれていたのだろうか。

「やっぱり……少し重い……」

 少しだけ額に汗をにじませながら、しかし息を乱すこともなくラヴィがつぶやいた。その両手の木刀の握りの感触を確かめるように、手首を前後させる。

「比重だけで言うなら、氷の剣の方が重いはずなんだがな」

「重心が剣先の方に寄っているからでしょうか……」

 ラヴィの右手の甲が、額にかかっていた金髪をそっとかきあげた。

 春の訪れを予感させる肌に優しい風が、ラヴィから甘い匂いを運んでくる。

「練習用の木刀だからな。そういうふうに作ってあるのかも知れない」

 普通は鉄で出来た剣の代わりとして使うものだ。手応えを重めにしてあるのだろう。


「で? 長手甲ガントレットの方はどんな感じなんだ?」

「……だめみたいです」

 ラヴィは首を横に振りながらその視線を地面に落とした。その表情に、悔しさと寂しさの入り混じったような色合いの陰がさす。

「大叔母様から頂いた大切な魔道具だったのに……」

 ラヴィは長手甲ガントレットを右腕で強く胸元に引き寄せた。

 試合で見たあの青白い光は今はなく、それはただラヴィの左肩に白銀色の冷たい重みを伝えるだけのモノと化していた。

 黒巫女セイラムの祝福。それがラヴィの騎士としての力を奪ってしまったということなのだろう。

「君の大叔母というのが騎士だった。そういうことなんだよな?」

 俺の脳裏に黒巫女セイラムの言葉がよぎる。聖王国サンクチュール湖風ルーイン地方の守護騎士。その三傑の一角、『氷結』のラヴィーナ。

「……はい。正しくはフィリオナ伯爵の『はとこ』にあたる方なので、私の大叔母というわけではないのですが」

 要するに騎士ラヴィーナは、伯爵家の遠い親戚ということか。

「大叔母様のおいえ聖王国サンクチュールで代々騎士の家系だったそうです。伯爵家も出自は武門の家柄。国は違っても剣をふるい戦場を寝床とするいえ同士。曽祖父の代にどこかでご縁があったのでしょう」

「武門の? 伯爵家が?」

「はい。魔道大戦では英雄に付き従い、この地を脅かしていた魔王軍を討ち果たしたと聞いています。この長手甲ガントレットも元は魔王軍と戦うためのものだったと、大叔母様はおっしゃっていました」

「じゃあこの魔道具は、もともとは伯爵家のものだったってことなのか?」

「そう……みたいですね。大叔母様が王国ブランに亡命してきたのも、そのご縁を大事に想ってのことだと思います」


 魔道具の里帰りとでも言えばいいんだろうか。

 騎士ラヴィーナが王国ブランに亡命したのは、恐らく聖王国サンクチュールがあんなことになったからだろう。その原因は俺たち帝国パルジャノにあるわけだが……。

「その……ラヴィーナはまだ伯爵家に?」

「大叔母様は二年前に、もう……」

 そうか。そういえば黒巫女セイラムの話ではかなりの高齢だということだったな……。

「ところで、どうしてその長手甲ガントレットは、君が受け継ぐことになったんだ?」

「……え?」

 俺の言葉に、ラヴィはきょとんとしたような眼差しを向けた。

「いや、だから。それはもともと伯爵家の魔道具だったんだろう? それが聖王国サンクチュールから戻ってきた。ラヴィーナがそれを伯爵家に返すというのはある意味当然といえば当然じゃないか? だけど、いまは君がそれを使っている」

「あ……えと。それは……」

 ラヴィは慌てたような身振りで俺から視線をそらした。

「そ、そう……私とお嬢はその……お友達だから……」

「お友達?」

「小さい頃に伯爵様が……わ、私をお嬢に会わせてくれて……」


 ……ああ、そういうことか。

 俺はここで少し納得がいったような気がした。

 おアルマとラヴィ、体つきが違いすぎて一見しただけでは分かり難いが、二人は顔立ちがそっくりだ。小さい頃は身体もそれほど差がなかったに違いない。

 ラヴィはもともとおアルマのための影武者として連れて来られたんじゃないだろうか。王侯貴族にはよくある話だ。

 今はラヴィの方が一方的に育ってしまっていて、影武者というには無理があるが……。

 影武者は仕える相手を護るため、剣術を仕込まれることも多い。伯爵家としては娘の護衛のために、最も身近で腕の立つラヴィに長手甲ガントレットを持たせることにした……そんなところだろう。

「そういえば君はどうして黒巫女セイラムを? あれは伯爵からの指示だったのか?」

「いえ……」

 俺の問いに、ラヴィはもう一度その表情を曇らせた。

「あれは……私が勝手にしたことです」


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