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おや、と銀色の人は首を傾げた。
それから、ゆっくりと、アルテミシアのほうへ手を伸ばして、近寄ってきた。
アルテミシアは、その人の足の速さに合わせるように、一歩、また一歩と後退った。
ぎりぎり、手の届かないくらいの距離を保ってから、そういえば、自分は挨拶を返していなかったと気付いた。
「こんばんは。」
とりあえず、それだけ言ったけれど、それ以上は何を言えばいいか分からない。
アルテミシアはぐっと口を噤むと、相手をじっと観察した。
銀色の人は、アルテミシアを怖がらせるつもりはないのか、その場で立ち止まった。
それを見て、アルテミシアも立ち止まった。
すると、銀色の人は、穏やかな微笑みを浮かべてみせた。
「賢いお嬢さんだ。」
それは、よく言われることだった。
ルクスと並べられて言われるから、あまり、嬉しいとは感じなかったけれど。
「よく言わてれます。」
そう答えたら、銀色の人は、ほうと目を丸くしてから、ほほほほほ、と軽く笑った。
「水は?
もう、いいのかな?」
あ、とアルテミシアはカップを前に戻した。
水は全部零れてしまっていた。
ふふふ、と銀色の人は微笑むと、ふわり、と手を動かした。
すると、水槽の中から、細い蛇のように水が持ち上がって、カップの中へと飛び込んだ。
「うわ。」
アルテミシアは驚いたけれど、なんとかカップは取り落とさなかった。
「さっきは、驚かせてしまいましたね。
どうぞ、召し上がれ。」
そう言って手を差し出されたので、つい、そのまま、飲んでしまった。
水はすっと冷たく、からだの中に滑り落ちていく。
ほっとした途端に、寒かったのを思い出した。
すると、盛大なくしゃみが出た。
「おや。これはいけない。」
銀色の人はそう言うと、また、ふわりと手を動かした。
すると、アルテミシアの周りにも、銀色の人の周りにあるような、温かい色の光が現れた。
光の中は、ほわほわと、暖炉の傍みたいに温かかった。
「二、三、お尋ねしたいことがあるのです。」
その人は、アルテミシアに丁寧に言った。
「小さい人を、こんな夜中に、いつまでもお引き留めするわけにもいかない。
できるだけ手短に済ませますから。
どうか、正直に答えてください。」
それにアルテミシアは小さく頷いた。
「この十年の間に、あなたの郷に子どもは生まれましたか?」
「はい。」
「それは、何人?」
「ふたり、かな。」
「ひとりは、あなた?
もうひとりは?」
「ルクス。
小屋で寝てます。」
嘘は一切、言っていない。
「ルクス。男の子かな?
彼に会わせてもらえませんか?」
「いいけど…
起きないかも…」
アルテミシアは少し困った顔になった。
「眠っていても構いません。
その姿を見せていただければ。」
銀色の人は、ずいっ、と一歩、踏み出してきた。
「あ。じゃあ…」
アルテミシアはそう言うと、先に歩き出した。
なんとなく、さっさと顔を見て、この人に行ってほしいと思っていた。
小屋の戸を開くと、アルテミシアは、銀色の人を振り返った。
そして、はっとした。
光に包まれた銀色の人は、細い杖をついていた。
それは、お年寄りのつく杖とは、少し違うふうだった。
「もしかして、目が、見えない?」
慌てて、手助けをしようと、駆け寄った。
知らない人は怖いけれど、困ってる人はほっとけない。
アルテミシアに腕を掴まれて、その人は、優しく微笑んだ。
「ほう、賢い。
それに、お優しい。」
賢い、はいつも言われる。
けれど、優しい、はあまり言われたことはない。
ルクスなどは、喧嘩するとき、いつも、アルテミシアを、イジワル大王、と呼んだりしている。
「この目は、特別なものを見るために、それ以外のものは見えないのですよ。」
銀色の人は、静かにそう言った。
特別なもの、ってなんだろう、とアルテミシアは思ったけれど、何も聞かなかった。
銀色の人は、静かに小屋の中に入ってきた。
そんなに遠慮しなくても、どうせルクスは起きない、とアルテミシアは思った。
「その子どもは、どこに?」
尋ねられるままに、寝床へと案内する。
その人は、眠っているルクスの上に屈むようにして、じっと、その姿を見つめた。
「…見える、んですか?」
あまりにじっと見ているから、思わずアルテミシアはそう尋ねてしまった。
すると、銀色の人は、からだを起こして、ゆっくりと首を振った。
「いいえ。何も。見えません。」
それから、小さなため息を吐いた。
「早く、見つけなければならない。
けれど、わたしも、いつも、見えなければいい、と、願いながら、見ているのです。」
何のことか分からなくて、アルテミシアは首を傾げた。
すると、その人は、ほほほと小さく笑った。
「お邪魔しましたね、お嬢さん。
あなたも早く、おやすみなさい。
朝は、まだ遠い。
子どもは、たくさん眠らないといけませんよ。」
言ってることがちょっとお母さんみたいだな、とアルテミシアは思った。
いや、大人なら、みんな同じこと言うかな。
銀色の人は、アルテミシアの頭を優しく撫でた。
「健やかに。
大きくおなりなさい。
あなたの未来に幸あれ。」
すると、途端に、アルテミシアは眠くて眠くて仕方なくなった。
こてり、と倒れそうになったアルテミシアを、銀色の人はしっかりと受け止めると、寝床の中へ入れてやった。
すぐに、ルクスが寄ってきて、アルテミシアを抱きしめると、すやすやと気持ちよさそうに再び眠った。
見えないはずなのに、銀色の人は、ほほほ、と小さく笑った。
その次の瞬間、あたたかな光は消えて、銀色の人の姿も消えていた。




