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静かな森の奥深く。
三十人ほどの森の民の暮らす小さな郷があった。
平和で長閑な郷に暮らす人々は、おっとりと穏やかな気質だった。
その長閑な郷に、場違いな大声が響き渡った。
「ルクス!
ルクス!!
どこ行ったんだ、あのいたずらぼうずは!」
ぷりぷりと怒りながら、ルクスの母親は、何度も、息子の名前を連呼した。
「ルクス!」
その声は郷中に聞こえていたけれど、みんなもう慣れっこになっていた。
やれやれ、またか。
みんなそう言って肩をすくめるだけだ。
「ルクス!」
ルクスの母親は、息子のいそうな場所を、あっちこっち、見て回った。
草むら、木の陰、余所の家の庭先。
ベリーを広げて干す台の下も。
洗濯ものの大きなシーツの陰も。
思い付くかぎり見て回っているのに、息子はまだ見つからない。
「ルクス!」
干し草の上に被せてあったむしろをめくって、今度こそ、当たりだと思ったのに。
そこにも、息子の姿はなかった。
「まったく、どこ行ったんだろうねえ、あの子は。」
腰に手を当てて、うーんと伸びをする。
小さい子どもの隠れそうな場所を、ひとつひとつ見て回るのは、大人にとっては、骨の折れる作業だった。
アルテミシアは、祖母に頼まれた薬草を取りに、納屋に行った。
几帳面に整理された薬草棚を、目的の薬草を探して眺めていると、ふと、視界の端に動くものを捉えた。
はっと息を呑んで、今見たものを確かめる。
納屋の中は、薄暗くて、なかなかはっきりとは見えなかった。
ようやく見えたそれは、むしろの端から覗くお日様色の髪だった。
アルテミシアは、被っているむしろの端をつかんで、一息にはねのけた。
うひゃっ!
見つかるとは思っていなかったんだろう。
奇声を上げたルクスは、しーっ、とアルテミシアにむかって、唇に指を立ててみせた。
「ルクス!ルクス!」
むこうでルクスの母親の呼ぶ声がする。
「さっきから、お母さん、君のことを、探してるよ?」
アルテミシアは、淡々とルクスにむかって言った。
ルクスは、開けっ放しになっている戸口から、しきりに外を伺うようにしながら答えた。
「知ってる。」
「あの~、おばさ~ん!」
納屋の外にむかって呼びかけようとするアルテミシアに、ルクスは、弾かれたように棚の隙間から飛び出すと、慌てて、その口を押えた。
「しっ。黙ってろ。」
アルテミシアは、もごもごと何か言おうとしたけれど、ルクスに強く押さえられていて口がきけない。
仕方なく、思い切り、ルクスの指を噛んだ。
「っ、いてっ!」
ルクスは小さな悲鳴を上げて、反射的にアルテミシアから手を離した。
「噛むことないだろ?」
噛まれた指をふりながら、恨めしそうにアルテミシアを見る。
アルテミシアは構わずに、戸口から、外にむかって声を張り上げた。
「おばさ~ん!!」
「うっ、こらっ!」
ルクスは抗議と恐怖の入り混じった声を上げて大急ぎで棚の陰に隠れたけれど、母親はアルテミシアの声に気付いてしまっていた。
「アルテミシア?
ルクスを見なかった?」
「ルクスなら、ここに。」
アルテミシアは、最後に残った一縷の希望、とばかりにむしろを被ったルクスを指差した。
もちろん、そこにいることは、誰がどう見ても、一目瞭然だ。
「こら、ルクスっ!」
母親は、ルクスの首根っこをつかむと、むしろの下から引っ張り出した。
「ちょっ、やめてよ、放して、自分で歩くから!」
ルクスは抗議の声をあげながら、連れ去られていく。
「アルテミシア、有難うね。」
母親は、ちらっと振り返ってアルテミシアにそう言ってから、また再び、ルクスを引きずって行ってしまった。
「今度はなに、やらかしたんだろ。」
アルテミシアは、小さく呟いて肩をすくめたけれど、すぐにまた薬草を探しに戻った。
郷の広場で、ようやくルクスは母親の手を振り切ったけれど、そのせいで、そんなところでお説教をくらうはめになった。
「あんたはまた、勝手に、うさぎの仔なんか、拾ってきて…」
両手を腰に当てて、母親はルクスを見下ろした。
「だって、あいつ、森でひとりぼっちになってたんだ。
きっと、親とはぐれたんだよ。
ほうっておいたら、獣に食べられちゃうだろ?」
母親はため息をひとつ吐いてから、もう何度も言ってきかせたことを繰り返した。
「いいかい。
生き物の仔は拾っちゃいけない。
それは、森の掟なんだよ?」
「なんだよ、そんな掟。くそっくらえだっ。」
いきなり始まった親子喧嘩に、郷の人たちは、あえて知らん顔をしている。
この親子の問答も、郷の皆には聞き慣れたものだった。
「どうして、助けちゃいけないんだ?」
涙ながらに抗議する息子に、母親はちょっと言葉を呑み込む。
命を助けたい、という気持ちは、母親にだって、分からないわけじゃない。
この息子の優しさを、いけないことだ、と言い切るのは、母にとっても辛い。
仕方なく、いつもの理由を引っ張りだした。
「だから、それは、森の掟だ、って…」
「掟、掟、って。
そんなら、母ちゃんは、掟だったら、郷の誰かが森で怪我してたって、放っておくのかよ?」
「バカだね。そんな掟はないよ。」
息子の微妙に筋の通らない言い草に、ほんのり苦笑してから、母親は、ちょうどいい理由を思い出した。
「いいかい?
人の匂いのついた仔を、うさぎの親は育てないんだ。
その仔はもう二度と、親のところに帰れなくなるかもしれないんだよ?」
うっ、とルクスは言葉に詰まった。
「あんた、家に帰れなくなったら、困るだろう?」
「…それは…」
困らない、とは言い返せないくらい、まだ幼いルクスだ。
「分かったら、さあ、とっとと元いたところに帰しておいで。
もしかしたら、まだ間に合うかもしれない。」
母親はそう言ってルクスを急かした。
ルクスは、はっと顔をあげると、慌てて、仔うさぎの隠し場所へと走って行った。




