アムスタス迷宮#186
竜の死骸の上に降り立ったところで、滑らかに死体を操れるようになるわけでもない。それに、この場所は射線は通らないため、一時の休息はできるかもしれないが、曲射されたら当たる可能性は勿論ある。だが、逆に言えば、この場所は直接攻撃を受ける可能性が限りなく低く、さらに竜の鱗も相まって登ってくるにしても難儀する場所だ。そう踏んでいたからこそ、『ウズナ』はここに退避した。
「・・・・・・それで、次の手は?」
『回復する。ナイフ』
アルカから差し出されたナイフを受け取ると、見慣れぬ魔術式が刻まれていることに気がついた。既知のどの術式とも一致しない、不思議な紋様。だが、いくら方式が異なると言えども、魔道具であることには変わりない。そう考えて魔力を込めた。
その瞬間、刀身が細かく振動し始めた。
そして、そのまま刀身を竜の鱗に当てた時だった。目の前で、アレほど攻撃する時には難儀していた硬い鱗が、ハムを切るかのようにスッと切れた。
『・・・・・・アルカ。このナイフはどこで?』
「・・・・・・彼らが持ってた」
『そうか・・・・・・』
万が一、これで切られていたら、『ウズナ』といえどもひとたまりもなかっただろう。幾ら死んで、その身に生命力が巡っていないからとはいえ、鱗の強度は折り紙つきだ。ウズナが夕方調べた時には、少なくとも皇都のそこそこの武器職人が作る量産品の剣よりは遥かに硬いだろう、そう確信させるほどの硬さはあったと判断していた。
それが、ただ魔力を通しただけのナイフであっさり切れるとはーー。
俄には信じ難かったが、今は僅かな時間すら万金に値する。『ウズナ』は気を取り直して作業を続けた。
(四の五の言っていられないが、さらに『竜』に寄らざるを得んな・・・・・・)
一瞬、ウズナの意思を無視して生き残るために手を進めることに、『ウズナ』は躊躇した。だが、この場を乗り切らないことには、二人に明日はない。そう自分に言い聞かせ、『ウズナ』は竜の背の鱗を剥ぎ取り、肉の部分まで切り開いた。
「・・・・・・食べる?」
アルカが訝しげな目でそう話しかけてきた。そこには、『毒があるのでは』という意思が透けて見えた。それに、対し、『ウズナ』は首を横に振った。
『本来なら、時間をかけて丁寧に回復することが望ましい。だが、今そんな時間はない。
故に、こうする』
そういうと、『ウズナ』は開いた傷口に回復途中のヒビだらけの左腕を突っ込んだ。そして、そのまま『竜』の血肉へと干渉を始めた。
(食べる時間がないのなら、直接取り込むしかない)
それが『ウズナ』の判断だった。
確かに、ウズナが今現在負っている怪我や欠損箇所は、ただ回復するだけでも多大な栄養と生命力が必要となる。純粋に欠損部位の再生や生命力の補充を行うだけでも、ウズナ自身の身体の状況や生命力の総量から、その量はとてつもないものになる。
それに輪をかけてウズナがマナを消費する要因は、結晶化の解除だ。少しの結晶化を回復させるだけでも消費するマナは、単純に欠損部位を回復させる際に消耗する量より僅かに少ない程度にしか過ぎない。そんなものを、先ほどは全身のほとんどが結晶化するに至るまで負ってしまった。最低限動けるくらいには回復させたが、それは例えるならば、『何らかの要因で五体が爆散し、頭しか残っていない状態から胴体を丸ごと回復させた』に等しい消耗となる。有体に言えば、今の『ウズナ』は強烈な飢餓状態にあった。
故に、今は一刻でも早く栄養を補給しなければ、そのまま餓死や衰弱死が待ち受けている状況に等しかった。
だが、この方法は早く取り込める分、大きな欠点も同時に存在していた。
確かに、『竜』はウズナの腕を取り込み、ウズナは『竜』の血肉を浴びたことで、魔術的な概念から見れば『魔術の回路がつながった』状態となってしまった。故に、今現在『ウズナ』が『竜』の血肉を身体に取り込むことも、言い換えるならばウズナの千切れた左腕を身体に付けようとしている状況となる。
しかし、事はそう簡単には進まない。これが『竜の肉体を食べることによってその身を身体に取り込み、十分な休息をとって自己治癒能力を高めて再生させる』方式ならば、安全に再生できただろう。だが、今『ウズナ』は、そんな余裕はないとばかりに『竜の肉体を直接体内に取り込み、そのまま身体の再生に充てている』。それは即ち、ウズナの肉体が、今以上に『竜』に寄ってしまうことに他ならなかった。
現在、ウズナを総合的に見て判断すると、『ウズナ=アルカゼラディス』、すなわち『人間としてのウズナ』は今ウズナを構成する要素の約3割しか無い。そして、いま『ウズナ』、すなわち『天華竜としてのウズナ』が行うことは、ウズナを完全に竜に寄せるだけにとどまらない。
ウズナ自身の生命力量。『竜』ーー『蒼炎竜』が積み重ねてきた肉体。それら全てを調律させて身体を再生させてしまった場合、それはもはや竜の域には留まらない。そして、今の『混ざり切った半端者』から、完全に『竜』や『龍』へと転じて仕舞えば、それはどう足掻いても二度と人へは戻れないことを意味している。
『アルカ。これが最後になるかもしれない』
「・・・・・・なに、が」
『わたしが目を覚まして、ヒトとしての感覚を残していたら、支えてくれ。そうでなければ、一目散に逃げろ』
そこまで言った時、『ウズナ』自身の感覚も狂い始めていた。飢餓状態に超高栄養食を一気に取り込んだツケが回ってきた。回復は思い通りに進むだろう。だが、それ以上に不可逆的な変性を遂げてしまう。
やはり、変性しないギリギリで止めることはできなかったか。
身体の暴走に巻き込まれながら、『ウズナ』の感覚は徐々に閉じていった。
「『・・・・・・卑怯者』」
遠くなる感覚の中で、アルカとウズナの声が聞こえたような気がした。
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『卑怯者』
ああ、確かにそうだ。
わたしは『ウズナ』から目を背け、拒絶し続けてきたにも関わらず、彼女はわたしのために戦い続けて来た。『蒼炎竜』との戦いの時も、『未知の敵』との戦いの時も。
彼女に辛い役を押し付けて、自分はのうのうと過ごしている。これが卑怯者でなくてなんだというのだろう。
だが、『彼女』も彼女だ。
わたしに何の説明もなく、あっさり『わたし』を生かそうとして、結果としてとんでもない結果を招こうとしている。しかも、少しでも『わたし』を無事に残そうと、『りゅう』へと転じる代償を自分だけで背負って、自分だけ消えるつもりだ。
『じぶんだけ、満足したつもりになって消えないでください!
残される身にもなって!』
知らず知らずのうちに虚空に向けてそう叫んでいた。
虚空へ向けて手を伸ばし、彼女を探した。
だって、純粋なわたしでは無いけれど。
後から身体に付け加えられた存在ではあるけれども。
でも。
いまは。
『わたし/ウズナ』を作る、重要な要素だと言うのにーー。
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「・・・・・・卑怯者」
手足が『竜』に繋がったまま、意識を失った『ウズナ』に対し、アルカはそう呟いていた。
自分で責任を全て背負って、消える。
ある意味、責任の取り方としては、間違ってはいないだろう。だが、それは本人は納得するかもしれないが、周りが納得するとは限らない。自己中心的な考え甚だしい責任の取り方だ。そうアルカは思っていた。
説明を他人に任せ、自分は悔いを残しているかもしれないが、それでも何も語らずに消える。
「・・・・・・せめて、書き置きの一つでもあれば変わるものを』
そう呟いた時だった。
気がつけば、アルカは後方に飛び退っていた。
そう思わざるを得ない、何か物々しい空気があった。
見ている目の前で、彼女の身体はゆっくりと、だが確実に作り変わっていった。翼は以前のものと比べて流麗な、それでいて重厚な存在感を増して新生していた。翼だけではない。鱗も、尾も、髪の毛も、見えるところから彼女は荘厳さをましていた。
「・・・・・・うず、な?」
そう呼びかけた時、『彼女』は目を開いた。
「ーーーーーーー」
なんと言っているのかわからなかった。ただ、それだけで周囲の空気が変わった。空気が重さを増しているかのように感じられ、気がつけばアルカは平伏していた。
「ーー。ーーあ。あ、あーー。・・・・・・よし。
すみません、アルカ。急に驚かせてしまって」
「・・・・・・ウズナ?」
「話は後です。ここから離れますよ」
そう言うと、ウズナはアルカを抱いた。そうアルカが認識した直後、一陣の風が吹いた。
気がつけば、眼下には夜明けを迎えて地平線の向こうから照らされ始めている大地が広がっていた。
上を向けば、もはや神が作り出した彫像では無いかと思われるほどの美麗な女性がアルカを抱き抱えていた。一見すると、もうどこにもウズナの面影はない。先ほどまでは、親しい人が見れば辛うじてわかる程度だった面影すらない。だが、確かにウズナだと、記憶を失っていないとアルカは感じていた。
朝日に照らされてたなびく髪を見ながら、アルカは身を委ねて目を閉じた。




