アムスタス迷宮#171
蜂の囮となって走っていったエムとシロシルが合流したのは、間欠泉が吹き荒れる山道に入る前の休憩時でのことだった。
二人が惹きつけた後も、チイラら8名はイオリフソに先導されてしばらくの間走り続けていた。それは8から一刻でも早く遠ざかるためでもあり、蜂に追いかけられる恐怖がなかなか拭えなかったことにあるとチイラは判断していた。
実際、最初に探索隊の言うことを無視して突き進んでいった捜索隊の兵士たちは力尽きて膝が笑い、地面に倒れ込んでしまった後でも這いつくばって少しでも遠くへ行こうとしていた。途中何度かイオリフソやアラコムが止めようとしていたものの、彼らが制止しようとしても話を聞こうともせずに走り続けるため、逸れないようにするためにはそうするほかなかった。
彼らが力尽きた時、チイラも肩で息をしていたが、一方でイオリフソは多少息が乱れる程度であり、アラコムも荒い息をしていたものの、捜索隊の中で最も余裕のあるチイラよりも余裕があるように見えた。さらに、多少休憩して体力を回復させて歩き出しても、二人の歩く速度にチイラは舌を巻いていた。
兵士たちはあの強行軍が響き、もはや『敗残兵』や『奴隷の行進』のような有様を示していた。チイラはそのような無様は晒さなかったが、それでも普段の調子で歩くことはできなかった。それに対し、二人はこちらを気遣う様子を示しながらも、普段通り、もしくは普段よりも速い速度で歩いていた。
そのふたつの要素が合わさり、結果として、別れてから3ルオ(6時間)も経つ頃には、普段ならば10〜3エリム(約18〜24km)進めば上々にも関わらず、25エリム(約45km)も進んでいた。景色は草原を抜け、山道へと入りかけていた。だが、この調子で山道を進んでいては壊れてしまう。そうチイラが危惧した時だった。
「予定が狂ったが、そろそろ大休止をとるか」
「そうですね。皇都はもう夜から深夜のはずですし」
そう言うと、二人は近くの岩陰に腰を下ろした。頭上に登る太陽はまだ昼過ぎくらいであり、その明るさに脳が勘違いを生んでいる。だが、確かに彼らの言うとおり、朝起きてから現時点までの活動時間を計算すると、もう皇都ではすっかり日も暮れ、大人も早いものは眠る頃だろう。
「最初は俺が見張りをする。1.5ルオで交代でいいか?」
「出来れば、捜索隊からもだれか出してほしいですね」
なんて事もないようにそう話し合う二人に、どこか畏敬の念を抱きながらチイラは話しかけた。
「でしたら、私が手伝います。どこか入れます」
「その申し出はありがたいが、大丈夫か? これから山越えを何個かするが・・・・・・」
「それに、これから先の山道は満足に休める場所はほとんどないですよ?」
「ですが、全てを任せきりにする訳には行きません。それに、私は大丈夫です。身体の丈夫さには自信があるので」
「そう言う意味じゃないんだが・・・・・・」
結局、1人1ルオで分担して見張りを行うことで合意し、チイラは真ん中の部分を分担することになった。一番身体が辛くなる部分だが、誰かがやらねばなるまい。
それに、今のままでは捜索隊ははっきり言って邪魔しかしていない。おそらく、彼ら彼女らが集団でこの道を踏破した方がもっと早く確実に到着できるだろう。それだけの身体能力、そして生き残ったことで得られた知識がある。
そんな彼ら彼女らの知恵を十全に発揮してもらうためには、せめて一番きつい部分は捜索隊が引き受けねば話にならない。そうチイラは考えていた。そして、今他の探索隊の人員を見ると、消耗が著しくとても任せられるような状況ではなかった。すでに、大休止の号令が発せられた段階でその場に倒れて気絶するように寝ているものさえいた。
(かく言う私も、きちんと役割をこなせるかと問われたら不安ですが)
そう思いながらチイラは目を閉じた。
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意識が浮上する。
目を覚ますと、最初に見張りを請け負っていたイオリフソが驚いたような表情でチイラを見ていた。
「そろそろ交代だったのは確かだが・・・・・・。まさかずっと起きていたのか?」
「いえ、今起きたところです。イオリフソ様」
ほんの僅かとはいえ寝たことで、だいぶ頭のもやも晴れた。体力も回復している。まだ身体の芯に茹だるような疲れは残っているが、贅沢は言っていられない。
イオリフソと交代し、チイラは見張の任についた。
途中までは何事もなく平和だった。だが、その平和はあまり長くは保たなかった。
遠くに見える草木がガサガサと揺れている。大きさから言って、大きさは1ラツ程度だろう。これが、囮として離れた2人ならまだいい。だが、そうではなかったのならば、戦闘を覚悟する必要がある。そして、チイラは後者の可能性が高いと考えていた。
「・・・・・・来ますね」
そう呟いた時だった。
草むらから、チイラの背丈ほどもある猪が飛び出してきた。なぜこちらを目標としているのかはわからないが、迫り来る以上、対策をしない訳にはいかなかった。
「・・・・・・フッ」
衣服の中に仕込んでおいた投げナイフを猪目掛けて投げる。これが人相手だったならば、余裕で脳を貫通するほどの勢いで放たれたそれは、確かに猪の眉間に命中したものの、絶命させるには至らなかった。
(確かに、多少は手こずりそうですね)
ノイスが報告の場で話していた内容や、探索隊の人々が話していた内容を思い返しながらチイラは内心そのように判断を下した。他に刃物は細身の剣くらいしかないが、これで猪を倒すのは至難の業だろう。皮の頑丈さや骨の硬さからチイラはそう判断していた。
だが、手がないわけではない。
何も、それだけがチイラの手札の全てではない。スッと刀身を抜くと、チイラは構えた。
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「なんだ? 魔術の気配がしたが・・・・・・」
「アラコムさんではなく、ですか?」
「ああ、アラコムの気配とは明らかに異なる」
そう言いながらシロシルが先導する形で2人がその場にたどり着いた時、2人は一瞬チイラが何をしているのかわからなかった。それほど、彼女の行動と動作が不釣り合いだった。
「・・・・・・お疲れ様です。エム様。シロシル様」
2人の目の前では、血抜きされて部位ごとに切り分けられている最中の猪と、その猪を返り血を浴びることなく解体しているチイラがいた。




