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迷宮探索黎明期  作者: 南風月 庚
アムスタス迷宮編

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168/319

アムスタス迷宮#167

「狐ってこの森で見たことあったか?」

「私は聞いていないが・・・・・・。その様子だとイガリフも?」

「ああ。だが、確か学者は『いるかもしれない』って言っていたとは聞いていたが」

「そ。そういえば確かにエムちゃんも『痕跡はある』って言ってたね」

 狐から目を離さずに2人は会話を続けた。そうしていなければ緊張で動けなくなりそうだった。これがもしもイガリフたちが先に気がつき、狐がまだこちらに気が付かれていない状況だったならば、悠長に会話はしていなかった。だが、こちらを確実に捕捉し、かつ2人が身構えてなお出てくると言う行動を示した時点で、見逃してはくれなさそうだった。明らかに敵対行動を示しているにも拘らずに姿を見せる。それはすなわち、2人を脅威として認識しておらず、捜索隊を餌として認識していることの証左でもあった。

「ここで大声上げれば助けが来るかねぇ」

「だったらネル、お前が声を上げたほうがいいだろうな。少なくとも、俺の声よりは遠くに響くはずだ。・・・・・・来るぞ」

「私、料理人なんだけど」

 そう軽口を叩いた瞬間、狐の姿がかき消えた。

 どこに消えた? そう思いながらも、2人は咄嗟に示し合わせたかのように後方かつ左右に飛び退った。

「ぐっ」

 飛び退ったのが功を奏した。そうでなければ、今頃ネルの胴体は上下に泣き別れしていただろう。それほどの衝撃をネルは腹部に受けた。そのままネルは自身の予定していた着地点を遥かに超えて飛ばされ、地面を転がった。

(掠っただけでこの威力ね・・・・・・。直撃喰らって耐えるのは鋼鉄の盾を持った重装歩兵でも無理そう)

 冷静に威力を分析しつつ、なんとか立ち上がろうとして、ネルは咄嗟に地面を転がった。次の瞬間、ネルの頭があった場所が吹き飛んだ。ネルはその衝撃でまた軽く飛ばされ、地面に這いつくばっていた。

 咄嗟に顔ーーとくに目ーーと喉は守ったものの、それ以外の箇所は全身に散弾並みの砂や石を受けて傷だらけになっていた。さらに、1回目はまだ自分の意思で飛んだ以上覚悟は決まっていたが、2回目はその覚悟を固める間もなく飛ばされたことにより、頭への衝撃を完全に防ぐことはできなかった。いくら訓練しているとはいえ、立て続けに頭を揺らされると言うのはそうそう耐えられるものではなかった。

 だが、立て続けに2回も攻撃を受ければ気がつく。そして、それはイガリフも察しがついていた。

((弱い方から狙ってる・・・・・・!))

 正直、ネルの格闘術は確かに軍全体で見ればそこそこ上位者にはなるだろう。だが、それはあくまでもそこそこであって、際立てて優秀と言うわけではない。近接格闘に至っては、迷宮に入る以前のアルカより多少マシと言う程度、つまり迷宮内部での実戦では、ほとんど当てにならない技量しかなかった。

 調理人という経歴。漁村出身だからこその風を読む能力。この二つの能力に秀でている、言わば『搦手』に特化しているからこその隊員だった。

 そんな、どちらかといえば非戦闘員寄りではあるネルだったが、紙一重で2回も躱せたのは決して偶然ではなかった。迫る際に発生する微かな風。足を着いた時に発生する微弱な振動。普通の人間なら感知できない様な微細な感覚を、彼女は無意識のうちに感じ取って判断していた。

 しかし、それもそう長くは続きそうになかった。確かに直撃は避けられている。二撃目だけでなく、三、四、五と度重ねて行われた攻撃を全てギリギリでネルは躱し、防御し続けていた。

 だが、狐の攻撃は点での攻撃ではなく、その衝撃は面に及ぶ。そのため、ネルは余波を受け続け、掠める攻撃に文字通り身体を削られていた。わずか1ウニミ(約2分)にも満たない間に、ネルは満身創痍と成り果てていた。

「おい、ネル。大丈夫か!」

 イガリフの言葉に反応することも出来ず、ネルは岩に背を預けていた。ぼやけて霞む目を開き、辺りを見ようとするもまともに視界は像を結んでいなかった。何度も頭を揺さぶられた影響で吐き気がひどく、意識も混濁していた。イガリフが近くにいる。何か叫んでいるのは聞こえる。だが、それらの言葉が意味を成して聞こえなかった。

(つぎ・・・・・・、もう・・・・・・、かわせない)

 それだけははっきり分かっていた。力の入らない、言うことを聞かない身体。途切れそうになる意識。混濁する思考。その中で、次の瞬間には狐の足が自身の顔を踏み潰すだろう。その光景が脳裏にありありと浮かび、ネルは諦めたような笑いをいつの間にか浮かべていた。

 そのことは狐も分かっているのだろう。目の前の肉はもう動かない。あともう一つの肉は、目の前の肉を守るように動いているが、先ほどまでの様子から見るに、強さはそこそこありそうだが速さに目が追い付いていない。故に、容易く捻ることができるだろう、と。

 そうして、狐は地を蹴って飛び掛かった。

「させるか」

 イガリフの言葉と共に、鮮血が舞った。

「うまく・・・・・・きった?」

「ああ。頭真っ二つだ」

 そう言いながらイガリフはほとんど両断しかけている狐を剣から外した。

 それにしても、いかなる理由かは不明だが、ネルが攻撃する瞬間を察知していて助かった。それがなければ助けることはできなかっただろう。

 イガリフはそう思いながら先程の瞬間を思い返していた。ネルが攻撃の瞬間を見切っていることはすぐに気がついた。そして、狐の視線から満身創痍の彼女を仕留めるときに確実に絶命させられる場所ーーすなわち頭部を狙ってくることも気がついた。故に、イガリフはネルが察知した飛び掛かってくる瞬間に合わせて剣を振り抜いた。そのまま振り抜いただけでは切断し、ネルに当たってしまうだろう。だからこそ意図的に剣に纏わり付かせるように斬った。

「立てそうか?」

「あはは・・・・・・。むり」

「だが、何度も頭揺さぶられてるからな。早めに見てもらいたいところだが・・・・・・」

「だれか・・・・・・よぶしかない、かなぁ・・・・・・」

 そう呟く彼女を介抱しながら、イガリフは火を起こし始めた。助けを呼びに行けない以上、狼煙で誰かに気がついてもらうほかなかった。幸い、異変に気がついた兵士がいたため、すぐに助けが来た。捜索隊の面々が一様に狐の大きさに驚いていることに逆に驚きながら、イガリフはネルに付き添いながら野営地へ足を進めた。


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