アムスタス迷宮#164
手当てを受けたのち、エムも医務室から滞在が許可された建物へ移動した。と言うのも、生還したものの中にはエム以上に酷い怪我を負っていたり、長期の治療が必要な者は枚挙にいとまがなかった。そのため、ある程度付きっきりで看病しなくても良さそうな状態の者は、それぞれの割り当てられた部屋で療養するように言われた。
そうして案内された建物は、エムが今まで見たことがないほど豪華な部屋だった。それぞれに割り当てられた寝台は大の字になって寝てもなお余裕があるほど大きくそして柔らかく、かと言って柔らかすぎない程度に少し硬いという丁度いい塩梅だった。また、その上に敷かれている布団や毛布は、とても肌触りの良いもので、今まで使っていた中で最高のものと思っていた探索時の毛布が布切れに思えてしまうほどだった。さらに衝撃的だったのは、それらの寝台の間には衝立による区切りがされており、ある程度は互い個人の空間が作れる様になっていた。
他にもおそらく簡易的な台所ーーだとしてもとても立派だったがーーや浴室などが備え付けられていた。
(これで、あまり礼を尽くせずに申し訳ないと謝るなんて・・・・・・)
そう目を白黒させていた。他に生き残った奴隷の人たちーーと言っても男女で部屋は別れ、エム含めて女性は僅か3人しか居なかったがーーも、部屋の大きさに圧倒されていた。そして最終的に、3人とも部屋の真ん中に集まって固まることしかできなかった。
「これで1番質素な部屋らしいけど・・・・・・」
「これが質素? 冗談でしょ?」
「でも、滞在中は好きに使ってくれと言われましたし・・・・・・」
そうは言ったものの、部屋の広さに呑まれていた。さらに、3人ともそれぞれ出身は異なるものの、もともと全員が裕福な暮らしなど想像の埒外な生活を送っていたことで完全に貧乏性と緊張で固まってしまった。
その時、部屋にノックの音が響いた。その瞬間、3人ともその音にびっくりして飛び上がってしまった。
「失礼します」
「ア、ハイ。ドウゾ」
1番年嵩ーーと言っても本人曰く今年で20らしいーーの彼女が代表者として返答した。だが、その声は明らかにカチコチに固まっていた。
「突然の話ではありますが、皆様の中で明日、四阿に赴ける方はいらっしゃいますか?」
「・・・・・・それは、どう言ったご用件ですか?」
「エスナドーラ陛下の命により、明日の早朝に第三次探索隊の行方不明者の捜索および遺品の回収、残置した物資の収容行うことが決まりました。差し当たっては、少なくとも1名道案内をしていただきたいとのことです」
それを聞いた瞬間、2人の表情が抜け落ちた。だが、その心境はエムにもはっきりとわかった。
ーーあんな所に、もう2度と行きたくない。
行けば、今度は生きて帰れる保証はない。今回は運良く生きて帰ってこれたが、それは本当に幸運に恵まれていたとしか言いようがないことは2人とも学がない割に痛いほどわかっていた。だからこそ、次もその幸運が続くとは限らない。
『竜』に襲われ、『狼』に襲われ、『蛇』に襲われ、食べる木の実は毒かも知れず、とってきた野草の毒味に使われ、水に問題がないかどうか試される。次は道がわかっているとはいえ、そんな日々が少なくとも1週間は続く。そんな環境にまた好き好んで飛び込もうと思うはずがなかった。
だが、ここで誰かが行かねば強制的に選出されるだろう。それに、目の前の彼女もそのためだけにわざわざ往復させるのも大変だろう。
(この中では、わたしが一番生き残りやすい。毒は幸いにももう抜けてます。怪我も、一晩寝ればなんとかなるでしょう)
そう思い、エムはオズオズと手を挙げた。
「わたしが、案内します」
「「えっ」」
その瞬間、2人はエムの身を案じる様に見てきたが、その目には自分がいかなくていいことへの安堵が浮かんでいた。
使用人の彼女は、それを認めると頷き、そして尋ねてきた。
「わかりました。名前は?」
「エム、です」
「わかりました。エム様。では、明朝案内するため部屋でお待ちください」
そういうと、彼女は一礼して去っていった。わざわざ自分たちにこうも下手に出てこられると、なかなか面映いところがあった。
その日は3人とも早めに寝る事にし、夕食を食べて早々に床に着いた。だが、あまりに今までと環境が違いすぎるためかなかなか寝つくことができなかった。
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翌朝、朝早くに昨日と同じ使用人の女性が部屋を訪ねてきた。その静かさは野生の獣並みにエムは感じていた。エムですら、気を張らなければ扉の前に彼女が来たことには気が付かなかった。エムはあらかじめ準備していた荷物を手に取ると、寝台から降りて扉まで行き、開けた。
「おはようございます」
「おはようございます。エム様」
今まさに扉を開こうとしていた彼女は、昨日までの使用人然とした衣服とは打って変わって動きやすそうな服装をしていた。彼女はエムが扉を開けたことに少し驚いた様子だったが、すぐに平静に戻ると言葉を紡いだ。
「それではご案内いたします。・・・・・・そちらは?」
「持っていきたい荷物です。・・・・・・ええと」
「ああ、申し遅れました。私のことはチイラと呼んでください」
「わかりました。チイラさん」
チイラは頷くと「それでは本日からしばしの間よろしくお願いします」と言い、歩き始めた。その足音はとても静かで、いつ動き始めたのかエムですら一瞬対応が遅れるほどだった。慌てて着いていくと、先行していたことに気がついたのか、チイラは歩を緩めてエムが追いつくのを待った。
チイラに連れられて歩くと、皇宮の門のところまで来た。そこには真新しい装備に身を包んだ兵士たちに混じり、見知った顔も何人かいた。
「イグムさん。どうしてここに?」
「ああ、道案内兼対処要領の教育だよ。何も知らないであそこにいくと間違いなく死ぬからな」
そう言ったが、そのままイグムは顔を近づけて付け加えた。
「本当はウズナやアルカの回収も計画している。あいつらが簡単に死ぬもんか」
他にも、ノイスを除いた特別任務部隊のみんなや、シロシルやアラコムなど魔術師たち、さらにコウカといった錬金術師の姿も見えた。皆一様にさまざまなところを怪我していたが、それでもその目に宿る光には何かしらの目標を掲げた強い意志が灯っていた。




