アムスタス迷宮#161
翌朝、商業ギルドの出張所があったあたりはすでに皇軍に接収され、拠点の一つにされていた。だが、脅威が差し迫った状況とは判断されていないのか、はたまた情報が錯綜しているのか、四阿のある広場はいつものように自己責任において立ち入ることが許可されていた。
その為、本来ならば今日商業ギルドが借り上げていた建物に入る予定だった魔術師たちや錬金術師たちが途方に暮れた様に立ち尽くしていた。いかんせん急に事態が進行したこともあり、何もかも対応が行き当たりばったりになっている結果、情報の伝達がうまく回らなかったらしい。一応ここに来たは良いものの、他の建物を借りられないかどうか訊ねたり交渉したりする声が遠くから聞こえていた。だが、周囲の建物の全てを一時的に皇軍が差し押さえているために、なかなか話が進まない様子だった。
そんな様子を尻目に、クリムは何かしらの需要がないかを探し、この混雑の中を歩いていた。そうして御用聞をしていくうちに、全体像がなんとなく透けて見えてきた。
本来ならば、この場に集められているのは速やかに展開できる近衛師団の中の一部をこの広場に展開させるつもりだったらしい。だが、どこで情報が混線したのか、近衛師団だけでなく予備師団や工兵、さらには元々この場の警戒監視にあたっていた警邏隊も混ざっていた。また、各集団の中でも隊によって準備万端の隊もあれば、おっとり刀で来たのかあまり準備も十分でない隊もあった。また、この場を仕切る権限を持っているのは、常識的に考えれば勅命を持っている近衛部隊となるのだが、それぞれが別の系統に従ってこの場に来ているらしく、なかなか全体の統制が取れていなかった。さらに、こうして様々な人が集まっていると言うことは、それだけ問題も起きやすく、またそこに何らかの機会を見出して混ざり込む者もいた。それ故、あたりの喧騒は普段の比ではなく、逆にここで収集をつけられたらそれだけで奇跡と言っても良いほどだった。
(こんな有様で本当に大丈夫なのかね)
騒々しい中、聞き集めた情報をまとめながらクリムはそう思った。これならば国境警備兵や戦場帰りの部隊を動員した方がまだ収集がついただろう。現に、ここにいる兵士も工兵も警邏隊も予備役か若手ばかりで、誰1人として戦場を知らない。そしてそれぞれが誰かしらの政治的思惑のもとで動かされているために、さらに収集がつかなくなっている。
ひとまずは弓矢や剣、それに食料に毛布が必要そうだな。余裕があれば医薬品もついでに集めておこう。近場で集めるとなればどこから入荷するか。
そう思いながら、クリムはこの場を離れようとした時だった。
四阿の空気が変わった。
咄嗟に振り返り、四阿を見ると、内側が微かに光っているような気がした。そう感じ取ったのはクリムだけではないらしく、周囲の兵士たちもざわめきながらその様子を見ていた。
(そう言えば、昨日は気が動転していたが、本当にオレは気配だけでアレに気がついたのか?)
その疑問が脳裏をよぎった。よくよく考えれば、クリムが四阿の方に注意を向けたのは、『ヒト』が出てくる前だった。もしかしたら、意識に上らないほどの変化を感じ取り、それを異様な気配として判断していたのかもしれないな。
頭の片隅でそんな事を考えつつ、クリムは四阿に注目した。
随分視界が開けているな。そう思い、そこでようやくいつの間にか四阿の周囲から兵士が離れていることに気がついた。それも考えれば当たり前のことで、第二回目に派遣された探索隊が出発する際には、周囲にいた住民も巻き込まれたという。それを警戒してのことだろう。また、四阿から出てきた者が攻撃する様子を見せた場合、距離をとっていた方が安全だと言うのもある。だが、それ以上に恐怖心が勝っているのではないかとクリムは感じていた。
そうしているうちに、四阿の中に動く影が見えた。どうやら何者かがこちらに出てくるらしい。そのまま注視していると、『彼女』は現れた。
最初に目についたのは、その様子だった。ボロボロの服を纏い、背中には荷物を幾つも背負っていた。だが、『彼女』に視線を移すと、そんな事はどうでも良く感じられた。
身長は1ラツは無いが、高いほうだろう。すらりとした身体つきながら、決して起伏に乏しいと言うほどではなく、程よい体型を持っていた。また、肌は透き通るように白く、夏の夜空を思わせるような黒髪と良い対比になっていた。その髪は膝の裏あたりまで伸びており、遠いために顔がよく見えない分、より神秘的な雰囲気を醸し出していた。だが、ボロボロの衣服を通して見る限りでは、身体のいたるところに怪我をしている様だった。
『彼女』はまだ目が慣れていないのか、少し眩しそうな表情をしていた。
ここで話しかければ何か有益な情報につながるかもしれない。
そう思って一歩踏み出した瞬間だった。
彼女の胸に矢が刺さった。
「え・・・・・・?」
一体何を考えているんだ? そう思って矢が飛んできた方角を見ると、驚きの光景が広がっていた。おそらく訓練を終えたばかりの新兵なのだろう。彼らは次々に矢を番え、彼女目掛けて撃ち始めていたそれだけではなく、鉄砲も持ち出して撃とうとしていた。
誰か止めるものはいないのか。
そう思うものの、彼らの上官と思われる兵士も顔を真っ赤にして何かしら意味をなさない言葉を叫んでおり、それに呼応するように彼らは次々と弓だけでなく鉄砲まで使って射撃を始めていた。
(『彼女』はっ)
そう思い、その方向を見た瞬間、クリムは衝撃的な景色を見た。
『彼女』には何本か矢が刺さっていた。そしてその血溜まりの中、何かを訴えるように兵士たちへ手を向けていた。
その手の先で、矢や弾丸が空中に縫い止められるかの様にして止まっていた。




