アムスタス迷宮#155
目の前に炎の壁が迫る。人生において早々ないはずの光景にも関わらず、この数ヶ月間で何度見たことやら。頭の片隅でぼんやりとそう思いながら、『彼女』は目の前に迫り来る焔を眺めていた。辺りの兵士たちも、その光景に目を奪われているのか、はたまたこの瞬間は『彼女』の意識が加速しているために間伸びして感じられるためなのかはわからないが、ひどく緩慢な動作で逃げようとしたり、盾や腕を掲げて身を守ろうとしていたりしていた。
(そんなことをしても意味などないだろうに)
もはやこの瞬間にあっては、『彼女』の魔力防壁展開も間に合わない。おそらく、この焔は勢いを保ったままこの地点一帯を焼き払うだろう。その後、『彼女』が生きているかどうかはわからないが、少なくともここにいる者たちは即死を免れない。それどころか、焔に触れた瞬間そこから蒸発していってもおかしくはない。
(だが、もしかしたら死ぬ際はその死に方が1番幸せかもしれんな)
熱さを感じることなく、気がつく前に一瞬でこの世から消滅する。焼死の苦痛を味わわない分、その方が幸せかもしれない。『彼女』はそう考えていた。
誰もが突然の『竜』による攻撃に対し、まともな対応すら取れない中、ふと視界の端を何かが走った。
(何だ?)
何かがこちら目掛けて飛んできている。黒い塊だった。速度はかなり出ているが、いかんせんかなり小さい。それがなんなのか、ぱっと見ではよくわからなかった。否、その正体は薄々勘付いていたのかもしれない。だが、その正体に気がついた時、『彼女』はあまりの想像の埒外に衝撃を受けた。
(呪詛!? それにかなりの密度だ。あれは、量を捨てて質にこだわったのか。そんなことができるのはーー)
そんなことができるのは、この探索隊の中には1人しかいない。だが、それはあり得ないはずだった。もしも彼女が飛ばしたのだとしたら、それは十中八九自身の生命を削って発射している。今までの戦闘での消耗具合、そして今飛来している呪詛の質や量を考えると、今の彼女の状況が危ぶまれた。
だが、それはアルカも重々承知の上だろう。その上で呪詛を放った。その心を考えると彼女の決意に胸を打たれた。
(ああーー。アルカ、貴女はそこまで皆を大切に思っているのか)
だが、その覚悟の一撃は、残念ながら『竜』には届かない。軌道は『竜』からはずれ、何もない空間を突き進んでいた。ーー彼女の文字通り命をかけた一撃は、なんの役にも立たない無駄弾となった。
本来ならば。
もはや、これは偶然としか言いようがなかった。アルカが普通に発砲していただけならば、先に述べたように無駄弾となってあらぬ方向へ飛んでいくだけだろう。もしくは、『竜』の焔の熱にやられて蒸発するか。いずれにせよなんの成果ももたらさなかったはずだ。
だが、アルカが散り際に放った弾丸には、文字通り彼女の全身全霊の呪詛が込められている。そして、飛んでくる軌道は、丁度『竜』の口元あたりだった。
ーーそして、呪詛は周囲のマナを根こそぎ奪う。
焔の壁が止まった。
たった1発の弾丸に込められた呪詛によって。
もちろん、小銃弾1発に込められる呪詛の量など高が知れている。それに、いま『竜』が吐き出しているこの焔も、『竜』が身命を賭して吐き出している。その決意や覚悟はアルカのそれに引けを取らないだろう。
いかに『呪詛』が『マナ』と反応するとはいえ、食い止められる時間など刹那にしか過ぎなかった。だが、その刹那さえあれば変わる運命というのは、珍しい話ではない。
「・・・・・・ぁ」
微かな呻き声が遠くから聞こえた。あの場所にはエムを横たえていたはずだ。彼女もまた、マナが尽きて戦えないどころか、起きるだけでも辛いだろう。にも関わらず、その方向からエムの魔力がすうーっと伸びて、焔に繋がった。そして、焔の動きがわずかに鈍った。
(この局面で、魔法を飛ばしてくるとは)
おそらく、エムが意識を取り戻したのは、『竜』が焔を吐く直前辺りだったのだろう。状況の理解も追いついていなかったはずだ。だが、そのわずかな時間でエムがやったことは、ことこの局面に立って値千金以上の価値を持つものだった。
飛ばした魔法はおそらくエムの得意とする時間操作系だろう。その効果としては、時間稼ぎのために進みを遅らせる、と言ったものだろうか。これも、本来ならば間に合わず、焔が着弾したのちに命中し、鈍り始めたと考えられる。だが、アルカの呪詛により遅延したことで、着弾前にエムの魔法が間に合った。そして、この2人が生み出した時間は、『彼女/ウズナ』にとって『竜』に攻撃を与えるのには十分な時間だった。
「まさか、1番覚悟ができていなかったのが私だったとは。生き残ったら彼ら彼女らに詫びなければな」
全員が死ぬ気で戦っていた。自分が死んでも、後を托せるものがいるとしんじて戦っていた。
『竜』にしてもそうだ。奴も、当初は片手間、もしくは縄張りの中で勝手にする害獣の駆除くらいの感覚だったに違いない。だが、予想以上の抵抗や『ウズナ』、そして『彼女』の存在に対し、全力で攻撃を仕掛けている。
翻って自身を省みると、潜在能力の高さからどうも本気ではなかったように感じられる。『本調子ならば』、『全力を出せる状態だったら』、『竜』など相手にならない。そう考えて出し惜しみをしていたのではないか。もしくは、心のどこかで侮っていたのではないか。
つまるところ、最初がどうあれ、経過がどうあれ、今この瞬間に至っては、『強さ』に胡座をかいて『全霊を賭して』戦うことをしていなかった。そう『彼女』は結論づけた。
(ああーー。私も、負け惜しみや出し惜しみなどせず、全力で戦うべきだったとはなーー)
もちろん、『彼女』が当初から慎重に策を進めたことの全てが悪とはいえない。何かが変われば、その後の様相は大きく変わる。もしかしたら、最初から吶喊したことにより返り討ちにあった可能性もあった。慎重に、慎重に攻めていった結果、無事に撃退できたかもしれなかった。だが、仮定の話をしても仕方がなかった。
今、ここでやるべきは、お互いの意地と維持、矜持と矜持、命と命を賭けたやり取りだった。
「ハッ」
一歩で最高速に乗ると、そのまま焔の下を『彼女』は潜り抜けた。そしてそのまま『竜』の身体に沿うようにしながら急上昇し、『竜』の顎に頭突きを喰らわせた。この攻撃により、必然『竜』の口は上を向く。
すなわち、地上の安全性は格段に向上した。
そのまま『彼女』は上昇し、くるりと『竜』の上空で宙返りをした。狙うべきは口。今あそこには莫大な魔力が集中している。その部分を暴発させたら、確実に致命傷を与えられる。だが、そのためにはこちらも最大限接近しなければならない。
「・・・・・・そう言えば、丘の上でも似たような攻撃をしたな」
あの時は左腕を食われた。つまり、『いまついている左腕は、ウズナ本来のものではない』。故に、対価として差し出す判断がつけやすかった。
左腕に自身の魔力を集中させると、『彼女』は『竜』の口腔内目掛けて急降下した。




