アムスタス迷宮#143
(霧が晴れつつある。これは、『この娘』の縁者によるものか)
『彼女』は魔力のうねりを感じながらそう判断していた。背後の方で発生した魔力のうねり。そのうねりから、『彼女』は魔術師が二つの異なる魔術を使用して霧を払い、視界を確保しようとしていると判断した。
コウカが足場を崩した直後に発生した霧は、確かに目視に頼るだけでは厄介な障害となっていた。だが、元々の『ウズナ』の能力に加え、『竜』として開花しつつある『彼女』にしてみれば、この程度の霧は障害たり得なかった。
まず、『ウズナ』自身の感覚は、本人はあまり自覚してはいない様だったが鋭いものだった。確かに『竜』の血液によって底上げした部分はあるものの、生来彼女がもち合わせていた感覚は、並の人間に比べれば遥かに鋭敏なものだった。5エリム先(約9km)先に誰かいることを、朧げながらも確信を持って認識できる視力。暗い部屋の中でも正確に飛んでいる蚊の居場所を断定できる聴力。そう言った感覚の鋭さを彼女は持ち合わせていた。
それらの感覚が強化されている今、『彼女』は新月かつ豪雨の降るような夜であっても、暗順応を果たせば昼間のように見渡すことができたし、聴覚に関しても普通の人間ならば聞こえない重低音や超音波も聴くことができていた。それにより、普通の人間ならば全く視界が効かなくなるこの霧の中でも、辛うじて『竜』の影を目で追い続け、移動していく先を反響測定を用いて追跡していた。
また、それに加えて『ウズナ』自身の魔眼も役に立っていた。彼女の魔眼は主に対象の『魔力』を見るものと考えられていた。だが、実際の本質は、対象の『生命力』を通じて、対象の現状ーー残存体力や身体の調子、動かし方の癖と言った様々な要素ーーを直接見ることにあった。純粋な人間だった頃は、使い方を知らずただ魔術の解析に使われていた。そして『竜』の因子を取り込んだ直後は開花した能力に身体がついていかず、制限をかけざるを得なかった。だが、今完全に使い方を熟知している『彼女』にとっては、『竜』の生命力を霧の中で見ることにより、影だけでなく詳細を把握し続けることができていた。
もはや、『彼女』にしてみれば、この程度の霧は目眩しにもならないものだった。
(それにしても、あの錬金術師も秀でていればこの身体の縁者も魔術の腕は上々だ。だが、それ以上にこの身体がかなり優秀だ。この潜在能力は人間では持て余したことだろう)
『竜』としての視座を持つ『彼女』にしてみれば、『ウズナ』が不憫で仕方がなかった。身体能力だけでもかなり優秀だ。だが、それ以上に保有している生命力と魔術的な能力の素養は破格だった。ーー破格すぎて、人間では扱えないほどに。
一国を灰燼に帰するどころか、後々のことを考えなければ複数の大国を1人で壊滅できる魔力量。魔眼を持ち合わせた上質な肉体。はっきりと言えば、後は彼女のマナに耐えられる魔術式、もしくは魔法に関する知識さえあったならば、彼女はそれこそ伝説の域に達しただろう。
皮肉なことに、それらは全て『迷宮』に入ってーー『竜』に遭遇し、因子を取り込むことによって人の身を捨てることによって開花した。
(だが、今はその身体のおかげで難なく追跡できる)
霧の中、迷うことなく『彼女』は『竜』へと接近した。そもそも、『竜』は生命力を感知する能力を自然と会得する。だが、それはあくまでも対象の強さや栄養などを推察することに使うのみであり、『ウズナ』の様にはっきりと見えるわけではない。故に、この霧の中で音もなく飛んでくる『彼女』を『竜』が捉えるのは不可能に近いものだった。
また、保有している『生命力』に関しても、本来の『ウズナ』には遠く及ばない。丘の上にいたときは、『ウズナ』自身が使い方を知らずにいたため、脅威たり得ないと推察された。洞窟で出会った時も、まだぎこちなかった。
だが、今は違う。確かに残存している『生命力』の量は心細い限りだ。だが、今までと異なり、『彼女』の手にかかれば『ウズナ』の全力を発動させることができる。
「さて、身の程を弁えろよ? 『若造』」
霧が薄れつつある中、『彼女』は『竜』の鼻先でそう宣言した。
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何か懐かしい響きがする。
『竜』の背にしがみついたままだったエムは、ぼんやりと目を覚ましながらそう思った。
周囲は霧に閉ざされていた。自分がしがみついていたものを見ると、何らかの鱗のようだ。近くから『竜』の鳴き声もする。
そこまで考えた時、エムは今自分が置かれている状況を思い出した。
(そういえば、『竜』の制御は!)
そう思ってマナを張り巡らせようとしたが、すでに『竜』はエムの拘束から抜け出していた。
もう一度動きを止めなければ。
そうは思うものの、身体には著しい疲労感があり、頭に激痛が走っていた。それでもなんとか『竜』にしがみついていたものの、抵抗虚しく振り落とされてしまった。
(あ・・・・・・)
おそらく自分はこのまま踏み潰されてしまうのだろう。もしくは火焔により骨の一片も残さず焼失するか。地面は何の効果によるものか、溶岩の様にドロドロに溶けている。落ちたらただでは済まないだろう。ある種の諦観を抱えながら、エムは地面へと落下していった。
魔法を使おうにも、やはり『竜』の制御は負担が大きかったのか、魔力が身体をめぐる感覚すらなかった。過ぎた力は身を滅ぼす。『今回のわたし』はここで終わりなのでしょうか。そう思いながら感じる熱さを増している地面へと落ちていった。




