アムスタス迷宮#129 ウズナ-33
全身の感覚がない。先程までは激痛を訴えていたが、今はもう何も感じない。血が流れすぎたのだろう。今はひたすら寒く、それ以上に眠かった。ともすれば、少しでも気を抜いた瞬間に、そのまま眠りについてしまいそうなほどに。
(まるで、あの時と同じですね)
四阿に来た初日。丘の上で『竜』に襲われた時のこと。今の状況はあの時と全く一緒ですね。途切れそうな意識の中で、ウズナは自嘲しながらそう思っていた。あの時とは条件が違う。だから、あの時と結果は変わるはず。その希望は潰えていた。
『竜』が以前襲ってきたのは、そもそもあそこが狩場だったからだ。あそこに生息していた牛や羊などの草食動物は、『竜』の食料だった。何故ここには危険な生物が溢れているのに、あの様な動物がいるのか。シロシルが以前夕食時にそう疑問を口にしていたが、それは単純に『竜』があの丘の周辺一体を狩場にしていたからに他ならない。
あの丘は『竜』の狩場となっており、そこに手を出した動物は確実に鏖殺する。そんな事を、数百年を数えるほど長い間繰り返してきたために、あそこを狙う動物は居なかった。では何故草食動物達は逃げ出さなかったのか。それも答えは単純で、爪も牙も毒もない彼らは、あの場所でしか生きられなかった。圧倒的強者の庇護のもと、時折訪れる恐怖に仲間を差し出す事で安寧を享受していた。たとえ逃げたとしても、丘の周囲から離れて仕舞えば、それは文字通り飢えた獣の群れの中に食料が投げ込まれるに等しいものだ。
そんな数百年間変わらなかった秩序は、不意に崩された。見知らぬ二足歩行の変な生き物が、我が物顔で丘の上を占領し始めた。それだけではなく、食糧にまで手をつけ始めた。それはここの食物連鎖の頂点に君臨する『竜』にとって、決して容認できるものではなかった。もしあの時、丘の上に野営地を建設するだけだったならば、『竜』の襲撃を受けて速やかに逃げ出せばまだここまで執着されなかっただろう。しかし、食糧に手を出した事で、『探索隊』は壊滅させるべき対象となってしまった。
そして、『探索隊』の個々の力どころか、あの場にいた者たちの力を結集しても『竜』には遠く及ばなかったことがさらに『竜』の怒りを買っていた。弱者が己の領分を侵している。それは圧倒的強者たる『竜』にとって許せないことだった。
故に、丘の上では生存者がいなくなるまで徹底的に攻撃を受けた。ウズナですら、あの時本当に絶命していなかったかは断言できない。『竜』が去ったことから、もしかしたら本当に死んでいたのかもしれないし、『竜』がウズナを眷属とした事から去ったのかもしれない。だが、それによりウズナは『竜』の視点を手に入れていた。
今思えば、思考に何らかの雑音が混ざる様になっていたのは、『竜』の因子が原因だと考えられた。これらの感情や思考も、生命の危機に瀕している今だからこそ『竜』の干渉が強まった結果見えてきた記憶なのかもしれなかった。
『竜』の力について、もっと研究していればよかった。
後悔ばかりが胸をよぎる。己の変容した身体を受け入れ、『竜』の力を使うたびに、自分が自分でなくなっていく様な感覚が強くなっていた。だからこそ、使う機会を制限して、自我を保てる様にしていた。それも時間の問題で、最近ではふと思い浮かぶ考えが自身の考えと様変わりしていることも多々あったが。
だが、そのおかげで今『竜』がここまで探索隊に執着している理由がわかった。
『竜』は探索隊を完全に殲滅させようとしている。
自身の狩場を荒らした不届者を鏖殺する。
ただそれだけの理由で探索隊は狙われていた。
正直、ここで探索隊が『竜』に見つからなければ、探索隊は無事に脱出できただろう。だが、見つかったことによりそれができなかった。ここだけ見れば不幸だったと言える。しかし、ウズナはこれが偶然だとは思えなかった。
ーー否、己が原因であるとすら思っていた。
ウズナの『竜』としての要素が強まるたび、それは『竜』に気がつかれる要素が増す。実際、洞窟から出た時に襲われた理由は、まさにそれだった。『竜』が狩場から帰る途中だったと言うのもあるが、ウズナ自身の『竜』の因子に反応されたと言うのも原因の一つだった。『竜』近くに同じ様な因子を持つものがいる。その違和感により接近されてしまった。
今回に関してはウズナが一度迷宮の外に出たことが原因だった。『眷属』が突然消失する。さらに、再度現れた際にはとてつもなく離れた場所にいる。そのことを不審に思った結果がいまの惨状を招く原因になってしまった。
ーーもっと早くに気がついていれば。
『竜』の仕込んだマナに気がついていれば、それをどうにかすることができただろう。
ーーわたしが皆から離れていれば。
受け入れられたことで夢を見てしまった。甘い現実に浸り、自身がどの様な存在であるかを忘れてしまった。
ーー呑まれることを恐れていなければ。
『竜』の思考や記憶をこれ程までに追想できるのならば、それをしていればこの様な悲劇は回避できたのではないか。
いくら悔やんでも時間が戻るはずもない。わたしはこうして悔やんだまま人生を閉じるのでしょう。化物の身に堕ちて、仲間を危険に晒したものには相応しい末路かもしれません。そう悔いを抱えながらウズナは目を閉じようとした。
そんな時に声が響いた。
「遅くなりもうしわけありません。只今より助力、参戦します」
その声がこの地に響き渡り、そしてその声を追う様に何か温かいものが流れてきた。




