アムスタス迷宮#116 ウズナ-31/イグス-4
異様な唸り声が聞こえた時から、ウズナの頭の中に声が響き始めた。その声は強い強制力を持っているようで、全く内容はわからないにも関わらず、何故か何をすべきかがはっきりと頭に刻み込まれた。だが、それはとても認められないものだった。
[周りの奴らを蹂躙しろ]
それが響いてきた声の内容だった。
(そんな事、出来るわけがーー)
[強者に従え]
(わたしは貴方のことなど知らない)
[我等龍の掟に従え]
(わたしは貴方とは違う)
[我が眷属ならば主人の命に従え]
(わたしは貴方の配下になった記憶などーー)
[その身に宿す血は我が肉体にあったもの。即ち、貴様は我が従僕だ]
脳裏に響く声は徐々に強くなっていっていた。その声が魔術的なものであるどころか、魔法の領域に踏み入れているものだということは、ウズナにはよく理解できていた。そして、それに対して抵抗するためには、全力を注がねばならないほどだった。
側から見たら奇妙な光景になっているだろう。突然動きをとめ、無反応になってしまった存在というのは。だが、ウズナはそのことを気にかけている余裕は全くなかった。
少しでも気を抜けば即座に自意識が塗り潰されてしまいそうな予感。動かそうとしても言うことを全く聞かない身体。魔法の行使どころか魔術の行使に関しても、マナごと制御下に置かれようとしているのか動きが鈍かった。正直なところ、最初に遠くから響いてきた声を聞いた瞬間に、咄嗟に精神防壁を張っていなければ、今頃ウズナの身体は周囲の仲間達を襲っていただろう。それだけは容易に想像がついた。だからこそ、気を抜くわけにはいかなかった。
姉が心配しているのはわかる。『蜥蜴』がすぐそばに居て、皆がそれに対して応戦しているのも理解している。窮地に陥っている。皆に心配をかけている。そんな状況を理解しているにも関わらず、全く動けないこの状況が歯痒かった。
その時間は突然終わりを迎えた。
(・・・・・・弱まった?)
遠くの方で轟音が響いた時とほとんど時を同じくして、ウズナは脳内に語りかけてくる声が小さくなっていることに気がついた。これなら、もうすぐで身体も動く様になる。一先ずは皆を傷つけずに済んだことに安堵し、大切な時に皆を手助けできなかったことを謝らねばならない、そう考えた時だった。
[奴らを殺せ]
強烈な思念が脳裏に流れ込んできた。一度警戒を緩めてしまった部分もあったこともあり、対策を講じる間も無くその考えに頭が染め上げられた。
(・・・・・・駄目、こんな考え・・・・・・。・・・・・・実行、させない、ように・・・・・・)
そう思うものの、身体の感覚は奪われていた。辛うじて自意識がある分、まだマシかも知れなかったが、状況は先ほどより悪化していた。先の段階では、何重にも錘をつけられているかのように身体が重く、感覚も何重にも布を巻かれているかのように鈍いものではあったが、まだ身体も
感覚も自身の制御下にあった。
しかし、今は違う。それらの感覚は綺麗さっぱり無くなっていた。だが、自我はあるため、自身の考えとは異なる動きをする身体をただどうすることもできずにいた。
身体は突然駆け出すと、そのまま最も近くにいた兵士めがけて飛びかかろうとしていた。
(だめ、止まって、とまってええぇ!!)
心の中では悲鳴を上げるものの、身体はいうことを聞かず、勢いそのまま飛びかかろうとした時だった。
乾いた銃声が響き、まさに飛びかかろうとする瞬間に軸足を撃ち抜かれた。雪原に転がる寸前には、こちらに銃を構え、銃口から薄く煙を立ち上らせながら、アルカが標的を見る目でウズナを見下ろしていた。
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突然異様な雰囲気を纏っていた特別任務部隊の狙撃手が銃をこちらに構えた。一体何を、と思った次の瞬間、静止の声も聞かず彼女は発砲した。閃光が煌き、熱風を顔に感じて、イグスは目を瞑り死を覚悟した。しかし、いつまで経っても激痛に襲われる感覚もなければ意識が途絶える気配もなかった。
(どういうことだ?)
疑問に感じ、恐る恐る目を開けようとした時だった。背後の方で驚きの声が上がった。
背後を振り返り見てみると、ウズナがいつの間にかすぐ近くまで近づいてきていた。それだけではなく、ここから少し離れた場所には踏み切ろうとした形跡があり、また彼女の大腿部ーーさらに言えば動脈あたりから血を吹き出し倒れていた。その様子から、明らかに彼女はイグスに襲い掛かろうとしていたことが見てとれた。
今のウズナの姿は異様だった。行方不明の時から発見されて以降、身を覆っていたローブを脱ぎ去っていた。その姿は、記憶にある姿から全く異なっていた。白い肌に薄く青みがかった髪。全身を追う鱗。背中からは蝙蝠の様な翼が広がり、腰の辺りからは長い尻尾が伸びていた。そして手足は鱗に覆われ、鋭い爪がついていた。その変化した姿は、もう小型の『蜥蜴』の様ですらあった。
だが、どこかウズナの面影も感じられる。そんな不思議な生き物を前に、イグスの思考は停止してしまった。
ーーこれが、あのアルカゼラディス家出身と言われた女の姿か?
うつ伏せとなっているため、表情はよく見えなかったが、最早これは味方とか仲間とかそういった話ではないだろう。そう考えていた。
その時、彼女がフッと顔を上げた。その表情を見てイグスは気味の悪さに身震いした。表情はなく、目は虚ろで人形の様だった。そのまま彼女は立ち上がり、気がつくと目の前にまで迫ってきていた。
再度、銃声が響いた。
その度に彼女の身体からは血が上がるものの、イグスが邪魔なのだろう、命中箇所はどこも致命傷になりそうにない場所だった。かと言って、イグスも迂闊に動くことができなかった。ーーいや、それ以上に、動く余地すらなかった。
ウズナの動きはイグスの反応速度を超えている。ここで背中など見せようものならば、一撃でイグスは倒されるだろう。かと言って、反撃しようにも反撃のための予備動作ですらウズナは反応して対処してくると考えられた。
では周囲に助けを求めるのはどうかというと、これもまた難しい状況だった。もうすぐ近くに『蜥蜴』は近づいてきている。この状態でウズナのみに注意を割くことはできないだろう。かと言って、ウズナを放置すれば彼女は『蜥蜴』と共に我々に牙を剥く。何を優先すべきか、どちらを優先すべきかで周囲は混乱に陥っていた。




