アムスタス迷宮#105 エム-19
翌朝から移動が始まった。自力で動けるものは可能な限りの荷物を運搬したり、自力で動けない負傷者の補助を行なっていたりしていた。
ーー可能な限り全員連れて行く。
その方針に誰も異論を挟むことはなかった。しかし、どうしても男女の差や戦闘員と非戦闘員で体力の差などと言った違いはどうしても生まれてしまう。そのため、移動時は概ね兵士たちが負傷者の支援にあたり、非戦闘員が物資を運搬することとなった。これはその方が逆にした時よりも移動速度が明らかに速かったためだ。しかし、この体制では襲われてしまった際、増援が必要となった際に速やかに対応できない可能性があった。そのためにも索敵や警戒は密に行う必要があった。
その索敵や警戒に関しては、特別任務部隊を中核として、一部軍から選抜された人員を含めて索敵および進路設定のための先行偵察を朝早くから実施していた。特別任務部隊の人員も、実働人数は10人ほどしかおらず、明らかに手が足りなくなっていた。また、戦力運用の観点から言っても向き不向きが存在するため多部隊の支援を受けるのは必然であると言えた。
そのような状況の中で、エムは朝早くからアルカとともに前方警戒に当てられていた。
エムはてっきり自身も後方で物資の運搬などを担当するものと思っていた。実際、現状実質的に奴隷ーーと言ってももう20人もいないのだがーーを指揮していた兵士は特に指示を出していなかった。
状況が変わったのは早朝、エムが朝食の準備の手伝いを行なっている時だった。いつものように手伝いをしていると、ネルが件の兵士を連れて調理場へ来た。ネルが来るのは、彼女が食事の最高責任者に割り当てられている為、不思議ではなかったが、同時に撮りまとめ役の兵士が来るのは初めての事だった。
「おはよう。エムはもういるかい?」
「はい、何でしょうか」
ネルは調理場を見渡しながらそう声をかけていた。その声に気がつき、エムは彼女の元へ移動した。ネルはエムに気がつくと、手招きをした。
「急で申し訳ないけど、エムはすぐに特別任務部隊の天幕に来て。兵士の方には話は通しているから」
「そう言うことだ。エム、お前は荷物の運搬から外す。彼ら彼女らの言うことをしっかりと聞き、与えられた使命を果たすように」
「えっと、わかりました」
いつもなら前日の夜までに調整されるはず。こんなギリギリに言われたのは初めてだった。それがなんの仕事なのかは知らないが、そもそもエムに拒否権などあろうはずもない。
エムが頷くのを見届けると、兵士は立ち去っていった。一方のエムも首を軽く傾げながら食事の準備をやめて天幕へと移動し始めた。
指示された通りに天幕に赴くと、中にはノイスとアルカがいた。ノイスは普段通りに見えたが、アルカはどこかピリピリしているように感じられた。
「急に呼びつけてすまんな」
「いえ、大丈夫です」
エムが入ると、ノイスは穏やかな笑みを浮かべながらそう話しかけてきた。
「要件についてだが、今日から移動するという話は聞いていると思う。それでアルカと共に本隊が移動する道の前で見張りをしていてくれ」
なにせ、現状ではアルカとエム以上に見張りに優れている奴はいないからな。
ノイスの話を聞いてエムは呼ばれた理由に納得がいった。
「わかりました」
「そうか、なら水や軽食などの準備を整えて四半ルオ(30分)後には出発してくれ。行程や計画はアルカが知っている」
そう言われてエムは天幕を辞した。続くようにしてアルカも天幕から出てきた。
「・・・・・・じゃあ、半ルオ後。北の出口で」
そう言うとアルカはスッと立ち去っていった。
*************************
準備と言われても、エムには特に準備するようなものなどない。精々、以前からの探索で作ってもらった水筒と、非常食ぐらいだ。それらを準備して大きめの布で包み、言われたところに行くと、すでにアルカは待っていた。
「すみません。遅くなりました」
「・・・・・・予定より早い。準備、大丈夫?」
「大丈夫です」
そう言ってエムは荷物を見せた。中身を軽く見たアルカは、特に指摘する必要もないと判断したのか、小さく頷くと尋ねてきた。
「・・・・・・エム、槍とか長物、使える?」
「え、えと・・・・・・。振り回したり突いたりする程度なら」
故郷にいた頃、狩りの手伝いや山菜採りの一環で熊や鹿などに襲われた時対処できる程度には振り回せる。そう言ったことをしどろもどろになりながら伝えると、アルカは近くに立てかけていた槍を渡してきた。
「・・・・・・杖代わり兼護身用。だいぶ歩くし、危険も多い」
「わかりました。ありがとうございます」
感謝を伝えると、アルカはすこし罰が悪そうにしながら出発を促した。
野営地を抜けて北東方向に歩き始めると、すぐに森が見えてきた。エムも度々採取に連れてこられたことがある。まさか森に入るのか。そう思っていると、アルカは手元の地図を見比べながら森の外周に沿って北上し始めた。
「あの・・・・・・」
「・・・・・・何?」
「どう言う道のりで進む予定なんですか?」
そう尋ねると、アルカは地図を手渡してきた。地図の中には文字や記号がたくさん含まれており、エムには読めないものだった。そのことを知っているからだろう。アルカが口を開いた。
「・・・・・・星印の場所が野営地。バツ印が目的地。直線で進むなら森に入るけど、余計な危険に身を投じる必要はない」
「それとわたしたちの歩きにはどんな関係があるんですか?」
「・・・・・・地図によると、北に約3エリム(約6km)進めば森に入らずとも森の反対側まで行ける。それが本当かどうかを確かめる」
そうアルカが言った時だった。森の方から何か近づいてくる気配を感じた。アルカも気がついているようで、弓を構えながら油断なくその方向に目を向けていた。
そしてもう間も無く姿が見える。そう思った時だった。
ーー轟ッ、と風が吹き荒れた。
それと同時にアルカの全身から黒い何かが吹き出しているように感じられた。そのナニカは基本的には黒いが、ところどころ赤や青、黄色、緑といった様々な色の燐光を撒き散らしているように見えた。それから受ける印象は相反する物だった。
ーー怖い、恐ろしい。アルカさんは一体。
ーー綺麗。
禍々しいのにも関わらず、ずっと見ていたいと思わせるような妖しい魅力を孕んだもの。これがもしも無差別に撒き散らされているような物だったならば、エムは一目散に逃げようとしただろう。現に、
アルカから何かが吹き出した瞬間、エムの紋様も反応し、強い青色に輝き始めていた。しかし、制御されている今ならばエムはそう脅威を感じなかった。
そして森から猪が飛び出してきた瞬間だった。アルカの黒い霧が弓矢に集中し、そしてアルカは躊躇なく矢を放った。その矢は過たず猪の眉間に直撃し、深々と突き刺さっていた。




