3.メルファリアの進退去就(2)
惑星ノアの場合、住環境自体は随分前から整っていますが、
人は入植をせずに、ずっと生態系構築をやっているのです。
グラハムの執務室を辞して、メルファリアは気を取り直して午後の茶会に臨むことにする。もう前から決めていた事だったが、このいつもの茶会の席で、いつもの顔ぶれを前にして、メルファリアは自らの意思を明確に示すことにした。
皆さん、と呼びかけると三人の視線が集まり、それぞれの手にした器はテーブルの上に静かに置かれた。
「改めてお伝えしますが、わたくしはどなたかと結婚をするつもりはありません。この身は、人類の発展のために捧げます」
それは、グラハムの執務室で長兄に対して伝えた言葉と同じもので、そう言って、惑星ノアでの壮大な生態系の研究に邁進することを宣言した。
「先ほどグラハム兄様にもお伝えしてきましたが、兄様はわたくしの意思を尊重すると言って下さいました」
リサ、レオン、アリスの三人は席に座り、気持ち背筋を伸ばして黙って聞いている。
「ですから、わたくしは惑星ノアへ移ります。リサは、ついて来てくれますか?」
惑星ノアは、ようやっとテラフォーミングが最終段階に達したばかりの、言わば発展途上惑星だ。農林水産業などの第一次産業ですら、まだ産業と言えるほどの段階にも達していない。都会の喧騒にあこがれるような若者達からすれば、最も移住を敬遠したくなる類の星だろうが、リサは一瞬の迷いすらなく即答した。
「はい、もちろんです。私は、どこまでもメルファリア様について行きます。愛故に」
一緒に来て欲しいと言ってもらえたのがこの上なく嬉しくて、リサは目を潤ませ、両手を胸の前でぎゅっと握りしめてメルファリアを見つめた。
間違いなく自分に酔っていると思う。
「ありがとう、リサ。これからもよろしくね。 ……レオンは、どうしますか?」
メルファリアは、ちらり、と窺うようにレオンを見た。
「俺には、ついて来て欲しい、って言ってくれないんですか?」
ちょっと意地悪いかな、と思いつつレオンは言ってみた。
返答をためらうメルファリアは視線を僅かにずらす。
「……これは、レオンの人生に大きく影響する選択だと思います。それに、わたくしからの依頼という形では、貴方はたとえ断りたくとも、断りにくいのではないかと思うのです」
正直な気持ちだが、来てほしいという思いは伝わってしまうわけだから、我ながらズルいな、ともメルファリアは思った。リサは以前からその意向をメルファリアに伝えていたので再度の確認という意味合いだが、レオンはどう思っているのかを訪ねるのはこれが初めてだ。
「まったくもう、メルファさんらしくないですね」
何とも偉そうに、そう言うレオンの顔に迷いの色はない。
「そ、そうですか?」
「わかりました。メルファさんが誘ってくれないのなら、俺は、無理矢理ついて行きます!」
これ見よがしに胸を張り、両手を腰に当ててレオンは明るく宣言した。
学業を修めてUNP職員となり、船乗りとなってからはもう殆ど船の上での生活を送ってきたレオンは、今更どこへ行こうとも別段抵抗はない。いやむしろ、リサじゃないけど、メルファさんの近くに居られるならば願ったりじゃないか。
メルファリアの護衛ならば、どのみちあちこちへ出かける機会もあるのだろうから、船乗りでありたい自分としては都合が良い、という計算も勿論ある。
「いずれそのうち、許してもらいますから」
「おやおや、無理をしなくとも良いのですよ~?」
給仕服姿の女子が大げさに、そしてからかうように言葉を投げる。
リサにとっては未だにレオンは邪魔者扱いだ。もしかしたら、本当について来て欲しくないと思っているかもしれない。ここはひとつ、びしっと言っておこう。
「無理などしていないさ。というか、無理にでもついて行く! それからリサ、これからはもう、さん付けしないからな」
びしっと指をさした。指をさされた給仕服の女子は、いささか驚いたようだ。
「な、……どさくさ紛れに、なんという事ですか!」
「もう決めた。それに、たとえ置いて行かれたって、すぐに追い付いてやるもんね。いやむしろ、追い越してやるさ!」
レオンがその気になれば、ラーグリフの能力でもって追い付けない船など、この人類域には無いのだ。たぶん。レオンはもう一度両手を腰に当て、再びふんぞり返って宣言した。
そんな二人を見て、メルファリアが不意に顔をほころばせる。
「ふ、ふふふ……」
レオンに何かを言い返そうとしたリサだったが、嬉しそうなメルファリアを見ると、途端に表情が蕩けて口元が緩んだ。
「ふふ……、二人とも、ごめんなさい。嬉しくてつい、抑えきれませんでした」
ナプキンで口許をおさえ、ひとつ小さな咳払いをする。
「まったくです、わたくしらしくありませんでしたね。……レオン」
「はい、なんでしょう」
「無理矢理ついて来ることを許します。ですから、今後もわたくしの騎士として励んでください」
現状維持のまま、レオンが当面の仕事を確保した瞬間だった。
「許すの早いですね」
「ええ、即断即決です」
二人が笑顔を交わすと、リサの顔にはほんの少しだけ焦りが滲んだ。
その一方でアリスは表情を変えないまま、静かにお茶を頂いていた。
「でも……、またレオンを危険な目に遭わせてしまうかもしれません」
それは分かりきったことだ。危険性のある仕事であっても、メルファリアがそれを指図しなければならない事は今後も必ずあるだろう。
「それが俺の仕事です。必ず守って見せます。それから、無茶はしません。なるべく」
「まあ。頼もしいし、嬉しいわ」
その言葉の通りに笑顔になるメルファリアを、隣で見つめるリサの心境は少し複雑だ。
「メルファリア様。騎士レオンが私にさん付けしない事を叱ってください」
(メルファリア様が嬉しいのであれば私も嬉しいのです。しかし……)
リサはびしっとレオンを指さした。が、メルファリアの反応はリサの期待通りではなかった。
「それも許します。それから、リサはレオン、と呼ぶように。お互いに、ね」
「えぇ~」
あからさまに嫌がるリサに対して、席を立ってレオンが手を差し出す。握手をしようというジェスチャーだ。
「リサ、俺はメルファリア様に従うぜ。愛故に!」
レオンのそんな簡単な挑発に、リサはすぐに乗ってきた。
「なっ、わ、私のこの愛の深さに、かなうはずがありません!」
勢いよく立ち上がったリサはレオンの手を握り返し、握手……じゃなくて思いっきり力を込めた。体格同様にリサの掌はレオンのそれより小さいが、それは握力の強さと単純に比例はしない。
勝負じゃないけど? と思ったが、レオンとしても簡単に負けるわけにはいかない。
「お、おおっ、強いじゃないか、リサ。……ぬうっ!」
「負けませんよ、レオン!」
日ごろから鍛錬に励むリサの握力は、レオンに勝るとも劣らない。そのうえ、力の入れ方や相手を無力化する手管に長けている。「はいそこまで」とメルファリアが手を叩くまでレオンは精一杯やせ我慢して、やっと時間切れ引き分けに持ち込んだ。
「今日のところは、これくらいにしておいてあげます」
リサの捨て台詞は負け惜しみでも何でもない。レオンも決して弱いわけではないが……。
「見てくれよこれ、爪が食い込んだ跡に血が滲んでるぜ」
レオンが腕を振りほぐしてから手の甲を示すと、それを見せられたアリスが、座ったままあきれ顔で呟いた。
「おーよちよち、いたかったでちゅねー。……って言ってほしいですか?」
「……いや、別に。ってか赤ちゃん言葉はやめろ。嫌なことを思い出しそうだ」
絶対わざとだ。癒されないね。
バカンスとしてリゾート地を訪れるのと、定住するのでは随分違いますからね。