35.プレミアム・グレート・ロイヤル・アップルパイ・デラックス
昔の車には、やたらと長いグレード名がついていたりしたものがあったようです。
ツインカムターボとか、スーパーエクシードとかなんとか
中二病ですかね
惑星ノアの御屋敷で、いつも茶会が催される部屋中に、焼けたバターの香ばしい匂いが漂っている。エプロン姿(!)のメルファリアが、焼きあがったアップルパイを真っ白なクロスのかかったテーブル上へと出し、レオンの目の前で切り分けて皿へと載せてくれた。
「めしあがれ」
笑顔でそう仰るメルファリアの隣で、リサが無表情のまま紅茶を白磁のティーカップに注ぐ。めしあがれ、の後にハートマークが見えたのはレオンの錯覚だろうが、数歩退いて客観的に眺めるならば、それはとても羨ましい光景なのは間違いない。
何でもいたします、と言ったメルファリアに対してレオンがお願いしたのは、メルファリアの手作りアップルパイが食べたい、というものだった。
快諾したメルファリアは、惑星ノアへと向かう間じゅう、アストレイア船内の厨房でリサから手ほどきを受けて幾度もパイを焼いたのだけれども、それらは全て秘密裏に処理されて、決して味見をさせてはくれなかった。
だから、メルファリアの手作りアップルパイにお目にかかるのはこれが初めてだ。
手ほどきの際には、雑務の手伝いも兼ねてアリスも一緒にリサのレシピを教わったのだそうで、三人はいよいよ親睦を深め、代わりにレオンはちょっぴり疎外感を味わったりもした。
きっとこれも高価なのだろう、と思える丸皿に盛られたアップルパイの一切れを前にして、席に座るのはレオンだけ。アリスはメルファリアを挟んでリサの反対側に、いつものように澄まし顔のまま、少し離れて立っている。
「アップルパイのような手間暇のかかるモノを要求するだなんて、レオンは案外意地悪ですよね。意外ではありませんが」
「意外じゃないのかよ。アリスにそう思われているのは心外だな」
「でもまあ、アップルパイを作るのは楽しかったので、そこはレオンに感謝しても良いです」
アリスは疲れを知らない儀体だから、パイ生地をせっせとこねるのも苦にはならないそうだ。でも、メルファリアにその作業は重労働だったかもしれない。決してそんなつもりは無かったのだけど。
切り分けられ、自分の目の前に在るソレをじっと見つめるレオン。
きつね色の焼き目が鮮やかに、飴色に佇むリンゴを引き立てている。
「メルファさん」
「なんですか」
「まだ食べていませんけど、俺はもう、この時点で幸せいっぱいです」
「それはいけません。ちゃんと食べてください」
はい、と小さく頷いてレオンはフォークを刺し入れる。ナイフで切り取った一口大を含むと、ふくよかなバターと爽やかなリンゴの香気が絶妙にまじりあう。パイ生地はさっくりと、まだ熱のあるリンゴはしっとりと、このコントラストがアップルパイの醍醐味だろう。ゆっくりと咀嚼していると、ほどなくレオンの両目には涙が浮かんできた。
「幸せすぎます。泣いてもいいですか?」
「そ、それは少し大げさではありませんか……」
リンゴもバターも、小麦粉だってきっと厳選された最高級の素材を使用していることだろう。そして、なんと言ってもメルファリアの手作りだ。この一皿の価値は、レオンにとってもはや計り知れない高みにある。小さなテーブルのあちら側では、メルファリアが笑顔でこちらを見ているが、その姿が涙で滲んで歪んできた。
「おや? 本当に泣くなんてみっともないですよ、騎士レオン」
「正直言って、かっこ悪いです」
二人しかいない外野が、いやに喧しい。
それでもまあ確かに、アップルパイに涙のスパイスは不要なので、ナプキンで目元を拭って呼吸を整えた。
「うるさい。俺は今、無上の喜びをかみしめているんだよ。少し放っておいてくれ」
メルファリアだけは何も言わず、ただ黙って微笑んでくれている。
「あらかじめ言っておくけど、誰にもやらないぞ、これは俺のものだからな」
皆が注目する中で相当にけちな宣言をして、掌よりはもう少し大きいアップルパイのワンホールを、メルファリアに切り分けてもらいながら、レオンは宣言通りに一人で全部平らげた。
これまた極上の茶葉を用いた紅茶が添えてあったが、最初に一口含んだきりレオンはその存在をすっかり忘れてしまっていた。それでも、きれいに食べ終えてから、思い出してまた一口含む。やや淡い橙色の、この繊細な香りもまた素晴らしい。
「どうでしょうか、わたくしの作ったアップルパイは。我ながら、今回は良く出来たと思うのですけれど」
「それはもう、誰かさんには勿体無いほどの素晴らしい出来です。文句のつけようなどありません」
なぜか口惜しそうに、リサが横から口を挟む。
「リサ。わたくしはレオンに、食した感想をお聞きしているのですよ?」
「は……はい、……失礼しました」
改めて、メルファリアがレオンに笑顔を向ける。心もち上気しているようにも見える。
「こんなに美味しいアップルパイは食べたことがありません。俺はいま、感動しています」
「そうですか。良かった。……喜んで頂けると、自分も嬉しいものですね」
ほっとして笑顔になる、その愛くるしさはまさにプライスレス。エプロン姿で微笑むその様を、なぜ可能な限りの解像度で記録しておかなかったのかと、レオンは己の浅はかさを咎めたくなった。ああそれから、アップルパイの画像もね。
偽らざる気持ちが、口を衝いて転がり落ちた。
「もうね、一生ついて行きます」
「ほほう、騎士レオンは、アップルパイに忠誠を誓うのですね?」
「そらそうさ。メルファさんが焼いてくれたアップルパイなら一生ついて行くね、俺は」
売り言葉に買い言葉のくだらない応酬だったが、挑発したはずのリサはあきれ顔だ。
レオンの目の前の、もう何も載っていない皿をメルファリアが取り上げて重ね、ナイフとフォークを更にその上に置く。そして、はにかみながら遠慮がちに問いかけた。
「で、では、……わたくしで良ければ、また焼きましょうか?」
「はい!」
すかさずレオンは、その素敵な提案に飛びついた。彼に尻尾があれば、ぶんぶんと千切れんばかりに振り回したことだろう。メルファリアは少し気圧されながらも、目の前の男子のその素直な反応にまんざらでもない。
そしてその時、リサの妙に寂しそうな顔がレオンの視界の端に引っ掛かった。
「あのっ……」
もじもじしながら、リサが絞りだした声はわずかに震えている。
「ひめさま。……わ、わたしも、その……姫様の焼いたアップルパイが食べたいです……」
「うふふ、そうね。あなたが丁寧に教えてくれたから、わたくしも自信がつきました。次は皆で食べましょうね」
「あぁ……、はいっ!」
レオンには偉そうに言ったくせに、リサは目元を潤ませて、それこそ今にも泣きだしそうだ。
べつに、ことさらアップルパイである必要などはなくて。レオンはただ、このまま今までと同じように一緒に過ごせたらいいな、と紅茶を含みながらしみじみ思った。
この、まだ何にもないけど見どころいっぱいの惑星と共に。
感極まってメルファリアに抱き付いたリサをよそに、アリスはレオンに歩み寄り少しだけ身を屈めてささやいた。
「じゃあ私も、レオンに一生ついて行っていいですか?」
「ああ」
既に百年を超え、更にいつまでも存在できそうなアリスにとって、レオンの一生なんて随分短い期間なんじゃないかと思う。なにげなく返事を返してから、なにがじゃあ、だよと思ってアリスの顔を見上げてみた。
そこには相変わらず、陶人形のように整った面貌があって、今はレオンに向けて優しく微笑んでいた。
第三部 完 w




