1.青木コンチェルンに就職?!
私が大学を卒業して、東京にある青木財閥が経営する『青木コンチェルン』に就職が決まった。
「岩下すみれさんね?」
「はい」
私は深々と頭を下げた。
「私、社長秘書のチーフをしてる鈴木香華です。これからよろしくね」
ニッコリ微笑んだ香華さん。
…とても美人で、素敵な人だな、そう思った。
「こちらこそ、宜しくお願いします」
私の言葉を聞き頷いた香華さんは踵を返すと、私の前を歩き出した。
そして、秘書室へ連れて行ってくれた。
『ほらあの子よ、新人のくせに秘書に抜擢された子』
『どうせ、なんかのコネで入ったに決まってるわ』
廊下を歩いていると、女子社員達が、口々に、私に聞こえるような声で文句を言っている。
…気が重かった。自分自身が一番思っていた事だったから。
「あんな人たちの事、気にしちゃダメよ」
「え?」
困った顔をすると、香華さんは微笑んで、私の肩をポンと叩いた。
「貴女は、社長直々に推薦された子よ?自信持ちなさい」
「・・・え?社長直々、ですか?」
「そうよ、岩下さんは、大学を主席入学・首席卒業。
英語・フランス語・ドイツ語の3か国語も喋れて、秘書検定も持ってるそうじゃない」
その言葉に驚いた。履歴書には、そこまで詳しく記載していない。
調べたんだろうか…?
呆気に足られた顔をしていると、香華さんはニコッと笑った。
「社長秘書をやろうと思ったら、これくらい調べておかなくちゃ、
傍に置いておけないわ」
「・・・そうですよね」
…気が付けば、秘書室に着いて、中にいた人たちが、一斉にこちらを見て立ち上がった。
その迫力に、ちょっと引いた…
そんな事を気にしていない香華さんは、私を皆に紹介した。
秘書室は、チーフをはじめ、女性二名、男性二名、計四名で成り立っている。
「太田洋子よ、わからない事は何でも聞いて」
洋子さんは、とても優しそうな人だった。
「藤田義和です、宜しく」
藤田さんはカッコいいけど、気難しそうな人だ。
「・・・前田君は、社長の代理で出張中だから、帰ってきたら紹介するわ」
そう言って、今度は秘書室の隣にある社長室に案内された。
社長の推薦でここに入れたけど、一度も会った事がない。
面接も面接官だけだったし・・・
「チーフ、社長ってどんな人ですか?」
私の質問に笑顔で応えてくれた。
「青木財閥会長の息子で、名前は修二。歳はまだ35歳よ。
普段はとても明るくて、優しい方よ。社員の信頼も厚いわ。
仕事もテキパキこなして、右に出る者はいないほど」
「・・・凄い方なんですね」
「フフ…じゃあ、入るわよ。
失礼します、社長、今日から入社した岩下さんを連れてきました」
社長の椅子がこちらに向くと同時に、私は頭を下げた。
「キミが岩下さんだね、よろしく」
「こちらこそ、宜しくお願いします」
そして、頭をあげて、社長の顔を見る。
・・・若い。
社長になんて、見えない・・・
私が社長を見つめていると、香華さんが、ゴホンッ!と、咳払いを一つして、
ハッとすると、香華さんはまた話しはじめた。
「社長、12時から、細川代議士と会食がありますが」
社長はその言葉に微笑み、言った。
「あぁ、細川さんか。そうだな・・・君、岩下さん」
「はい」
「細川さんの会食に同行してくれ。君も秘書になったんだから、挨拶くらいしておかないと」
「エッ・・・はい、かしこまりました」
・・・どうしよう。
初めての仕事が、有名な人との会食だなんて。
「よし、じゃあ、時間になったら、ここに来なさい」
「かしこまりました、それでは失礼します」
私と香華さんは社長室を出た。
…かなり不安だった。
香華さんはそれを察したのか、助言をしてくれた。
「大丈夫よ。ニコニコして、頷いて、美味しいご飯を食べてれば、
すぐに時間は来るから」
「・・・は、い」
「それから、これ。会食から後のスケジュール。
明日から1か月分あるから、手帳に書いておいてね」
そして、香華さんは、自分の仕事に帰っていった。
私は、自分のデスクに座り、今後のスケジュールを手帳に書き始めた。
…少しして、洋子さんが私の横にしゃがみ込んで、ヒソヒソと喋り始めた。
「社長との初対面はどうだった?かっこよかったでしょ?」
「えっ・・・そうですね」
私は苦笑いした。確かにカッコよかったけど、社長職だけあって、
強引そうな人に見えた。
「社長ってね、まだ独身なのよ。
その社長が、週に一度、社員と話がしたいって、食堂で食事をするの。
玉の輿の乗ろうと、女たちは凄いんだから」
「・・・太田さんもその一人ですか?」
私の質問に、洋子さんは笑った。
「まさか!・・・私は彼氏持ちよ?ほら、今出張中の前田君」
「へぇ~。そうなんだ」
・・・ふと、
後ろから冷たい視線を感じた。・・・香華さんだった。
咳払いを一つしたので、洋子さんはハッとして立ち上がり、
自分のデスクに戻ろうとした。
・・・その時、小さな紙を一枚、私のデスクの上に置いた。
それには、携帯番号と『いつでも連絡して』と添え書きがされていた。
私はとても嬉しかった。
女子社員達はみんな社長にゾッコンで、苛められそうだけど、
私の味方も少なからずいると思えたから。
しかし、香華さんがその紙を奪い取った。
…捨てられる。…と思ったら。
ササッと何かを書き、私に返してニッコリ。
私は不安な気持ちを抑えつつその紙に目線を落とした。
隙間に、香華さんの携帯番号とアドレスが・・・
「さっ、岩下さん、そろそろ時間だから、社長室に行きなさい」
「あ、はい」
私は大切にその紙を手帳にしまい、社長室へ向かった。
「失礼します」
そう言って中に入ると、社長は微笑み立ち上がった。
「じゃあ、行こうか」
「はい」
社長の後ろに付いて、会社を出た。
お決まりのように、玄関には高そうな高級車が止まっていた。
運転手がサッとドアを開けると、社長は車に乗り込んだ。
私もその後に続く。
「岩下さん、これから行く会食、もう一人増えるから・・・。
それからその方は、ポール氏と言って、フランス語しか喋れない。
大丈夫かな?」
「…はい大丈夫です」
私の答えに満足そうに微笑むと、下を向いて、会食後の資料に目を通し始めた。
…私はすることもなく、お店に着くまで、外の景色を眺めていた。
…車が止まってビックリ。大きな料亭。
入った事無い上に、大物との会食。急に緊張してきた。
「岩下さん、どうした?」
「え?!・・・いえ」
・・・声が裏返ってしまった。
社長はその声を聞いて大声で笑い出した。
私は恥ずかしくて、顔が真っ赤。
「そんなに緊張しなくていいよ。笑顔で私の横に座っていたらいいから」
社長は、私の頭をなでなで・・・
何事もなかったように料亭の中へ。
ハッと、我に返った私は、急いで後を追った。
…座敷には、ポール氏が先に来ていた。
『ハイ、ポール』
『やぁ、修二。細川との会食に割り込んで悪いね』
『いえ、私も今日は連れがいますから』
社長はそう言って私の腕を引っ張ると、ポール氏の前に私を出した。
『やぁ、初めまして、君は?』
『初めまして。岩下すみれと言います』
・・・久しぶりのフランス語に、ドキドキ。
『キュートな子だな・・・もしかして。この子が例の…?』
『はい、そうですよ』
例の…子?
なんだそれは・・・。
不思議に思っていると、ふすまが開いて、細川代議士が入ってきた。
…会食は、何事もなく進み、無事に終わった。
ポール氏と、細川代議士を見送ると、社長と私も自分たちの車に乗り込んだ。
…私はホッと肩を撫で下ろした。
「あの、社長・・・ポール氏って?」
「あぁ、言ってなかったね。うちと提携しているフランスの会社の社長。
・・・で、私の友人」
…ぁ、あの人が社長さん?!
驚く私の顔を見て、社長は笑った。
私たちを乗せた車は、取引先を3軒回って会社に戻った。
時計は夕方5時。社長は私に帰るように促すと、また来るまで出ていった。
今日のスケジュールはこれで終わりだし、プライベートかな?と思った私は家に帰ろうとした。
・・・その時だった。私の携帯が大きな音を立ててなった。
「もしもし、健ちゃんどうしたの?」
健ちゃんは、大学の時からの友人で、前園健太と言う。
「お疲れ様。今からすみれんちに行こうと思って。お前もどう?」
「あー、行く行く。『すみれ』で」
私の母は、すみれと言う名前の小料理屋を営んでいる。
…お店に入ると、健ちゃんがカウンターから手を振っている。
私は迷うことなく健ちゃんの横に座った。
「すみれ、疲れた顔してるな」
「もう、クタクタ。あぁ…も少し、普通の部署に行きたかった」
私はビールを飲みながら、健ちゃんに散々愚痴っていた。
…時計は、7時を指していた。
急に私の携帯が鳴りだした。見たことのない番号…
恐る恐る電話に出ると…社長だった。
「岩下さん、今どこにいる?」
「え・・・母の店ですけど」
「そうか、今からそちらに向かうよ」
「え?!あの…私、もうお酒を・・・」
私が困っているのはお構いなしに、喋り出す。
「そんなの気にしなくていい。これはプライベートだから。
ポールが君とオレと3人で話したいと言う事だから」
「え、あの?!」
…切られてしまった。
どうしよう・・・
いい感じに酔ってるし、友人もいるし…
とりあえず健ちゃんと母に事の次第を説明した。
2人とも快く承諾すると、健ちゃんは頑張れよと言って帰り、
母は急いで仕度をしてくれた。
…間もなくして、社長とポールがやってきた。
ホントにプライベートだったらしく、雑談を二時間ほどして、
ポールをホテルまで送った。
「私もここで下ります。タクシーで帰りますから」
そう言って降りようとしたが、私の腕を引っ張って、止められてしまった。
「君に話があるから、家まで送るよ」
そう言うと、運転手に場所を告げた。
…社長はなかなか本題に入ろうとしない。
仕方なく私から、話を切り出すことにした。
「あの、話しとはなんでしょうか?」
「岩下さん・・・今週に日曜日、青山の○○マンション5-1に引っ越しなさい」
・・・は??
私は耳を疑った。何を勝手に決めてるの?
いくら社長でも・・・
大体青山のマンションなんて高い家賃、誰が払うのよ?!
「越したばかりですし…
それに青山のマンションの高い家賃なんて私は払えません・・・」
「家賃も、光熱費もいらない。
そこは、私が持っているマンションで、5階は、私以外誰も住んでいない」
誰も住んでいない?
「でも・・・」
「君は、うちに特別入社だからね?他の女子社員達に何をされるかわからないよ?まぁ、日曜には引っ越す気になると思うが・・・」
そう言って社長は微笑んだ。