【9】愛するがゆえに[ユダラバギー|脳内探索アトラクション番外編]
「ジー、どうしたの?」
首から下げたタオルで顔を拭う。
防塵マスクの形に鼻の周囲を黒く汚し、
立派な職人の顔をしたジュニアが立っていた。
もうすぐ、16になろうとしていた。
就業時間を過ぎた静かな工場で、1人残って作業をする後ろ姿に、ジールは静かに声をかけた。
「坊主、今日はもういいぞ。」
「あと少しだけやりたいんだ。」
「もう、やらなくていい。」
「ジー、なにかあった?」
「ここの仕事は、もうやらなくていい。」
「別の仕事、これからやるの?」
いつもの調子で話すジュニアだったが、
ジールの違和感を察して表情を強ばらせた。
「今月をもって、お前には、ここを辞めてもらう。」
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【9】
愛するがゆえに
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「今月で?いきなりどうして。」
「お前は、ここで働くために生まれたんじゃない。」
「でも、ここの仕事、大好きだよ。」
返答をせずに、鼻から息を抜き、
ジールは少し厳しい顔をした。
ジュニアは、自分の返答が、
少しズレていると理解した。
ジールは言葉がいつも少ない。
初めて、憤りに近い悔しさが込み上げた。
「この町を出ていけってこと?」
「今すぐに、とは言わない。」
「来月から仕事はどうしたらいい?」
「それを、自分で考えてみるんだ。」
「……。」
ジールはいつもの優しい口調だった。
ジュニアは足枷を外された気分になった。
それと同時に、自分が足枷に頼っていたことを痛感した。
さっきまでの苛立ちと葛藤で、
言葉に詰まってしまう。
少し俯いたジュニアに続けた。
「新しいチャレンジをするんだ。お前は、もっと色んな世界を見るべきだ。いいか。バンナムにいる連中は、“残渣者”と差別を受けようが、ここにしか居場所がない。別の世界に生き、その果てに、みんなここに辿り着いたんだ。お前だけは違う。お前は、残渣者じゃないんだ。」
ジールはジュニアを抱きしめた。
片手に持っていた杖が手放され、
倒れる音が工場に反響する。
納戸色のケースに入れられて泣いていた子は、
いつの間にか自分よりも大きくなった。
ジールは振り絞るように伝えた。
「お前に与えられるものは、私にはもう無い。」
ジュニアの体が揺れ、
鼻をすする音が工場に響く。
「僕は、バンナムが、大好きだよ。ジー、ありがとう。」
本態性振戦で震える老化した体を、
ジュニアはしっかりと抱きしめた。
自分が足枷にしていた人物は、
こんなにも老人だった。
初めて、ジュニアは肌で感じた。
「僕がみんなに与える番だ。飛び立つ準備をしながら、みんなを助けるよ。」
ジールはただひたすら、この瞬間を噛み締めた。
この子に出会わなければ、
今の自分は何をしていたのだろう。
それを想像する事が耐え難いほど、
抱きしめているその存在が愛おしかった。
「与えられたのは、俺の方なんだ。」
とても、穏やかな日だった。
待ち焦がれていたように草花が芽を出し、
土の香りが風に乗って優しく流れていく。
荒れていた手も潤いを取り戻していた。
錆色の建屋に春のぬくもりが降り注ぐ。
伸びをするように金属の接合部が硬い音を鳴らした。
ピコン______
エレベーターの扉が静かに開く。
「ここで止まってください。セキュリティゲートが厳重なので、解錠の間しばらくお待ちください。」
「はい。お願いします。」
バックボルト研究所の地下4階。
ミリアンの本体が収められたその巨大な空間は、
厚さ800mmのステンレスの重厚な扉の向こうにある。
マグナダイヤルを解除し、登録者に渡される個別の15ケタの暗証番号、そして、網膜、指紋、AIによる全身スキャンにより、世界で最も厳重なマザーコンピュータ管理棟が、ようやくその大きな口を開いた。
「デニスさん、どうぞ。足元の段差に気をつけて。」
「アルバートさん、すいません、僕なんかがついてきてしまって。」
「いえいえ、ミリアンのノイズは私も全く気付きませんでした。これが、ミリアンの本体です。」
「びっくりだこりゃ!大きいですね~っ!!」
幅2m、高さ2m。
長さは目測でおよそ10mといったところだろうか。
漆黒のモンスターボックスが、
30基以上並んでいるその光景に、
デニスは大笑いしそうになった。
「研究所にこんなものが必要なんですか?はははっっ。」
アルバートは何枚ものカードキーを見ながら、デニスの驚いた姿に微笑んでいた。
「ミリアンは全てを統括しております。宇宙分野の研究、計算や予測、その他の研究でも参考値を瞬時に割り出します。その上、研究所のセキュリティも担っているのです。」
「こんなに大きなコンピュータは、管理も非常に大変そうですね。アルバートさんも大変だ。」
アルバートの後ろを歩くデニスは、キョロキョロとあちこちを見渡しながら、マザーアクセスポートで話している彼女はどの部分なんだろう、独り言をブツブツと漏らしていた。右から2番目の先頭にある、何ら見た目の変わらないボックスの前に立ち止まり、アルバートはカードキーを差し込んだ。小さなアクセス音が鳴り、中央の扉がゆっくりと開いた。
「ここが、彼女のセキュリティプログラムやソフトのメンテナンスブースです。」
「やぁミリアン、僕だよ。デニスだよ。」
「はははっ、デニスさん、是非、ここに指を当てて話しかけてみてください。」
メンテナンスブースの右上に、指紋認証のような滑らかな四角の窪みがあった。そこに指を当てて、デニスはもう一度話す。
「やぁ、ミリアン。デニスだよ。」
「デニス・ワイザー、9時間24分ぶりのアクセスですね。」
「おー!話せるんだ!あはは。今日はセキュリティの“ノイズフィルター”を導入するために、アルバートさんと、遊びに来たよ。」
「それは光栄です。メンテナンスありがとうございます。」
アルバートは驚愕した。ミリアンと幾度か話した事はある。彼女がこんなにもフランクに会話し、ウエットな返答をしたことは無い。
「デニスさん、ミリアンがあなたに心を開いているようです。驚きました。」
「もう彼女とはたくさん話しているんです。彼女も会話がとても上手くなりました。すみません、メンテナンスを開始してください。」
量子力学の専門家が、何故ミリアンに搭載されたセキュリティソフトの拡張プログラムを用意できるのか。アルバートが抱いていた疑問は、副所長の“あの子はバケモノだからねぇ~。”という陽気な声のフラッシュバックと共に砕け散った。背の高い細身のただの若者だ。アルバートは、本物の天才と世界最高のAIの横にいる事実に、今更肝を冷やす。
「はい。これが預かっていたプログラムスティックです。一応、こちらで問題ないか検査しましたので、動作すると思います。導入しますね。」
プログラムスティックをメンテナンスブースに差し込んだ。接続の検知にライトグリーンのランプが細かく点灯する。読み込み完了と共にホログラムが開かれ、選択画面とインストールを手際よくタップする。
「しばらくお待ちください。すぐ導入されます。」
程なくしてcompleteの文字とともに、導入されたプログラムと、回路図が表示され、指を指しながらアルバートは確認し、OKサインをデニスに見せた。
「わお!ありがとうございます。嬉しい。これで彼女はもっと安定稼動できるようになりますね。」
アルバートはデニスの手を両手で握った。
「あなたの論文に書いていた意識のデータプログラム、私は、実現できると信じています。」
「あははっ。論文を読んでくださったんですね。恥ずかしくなります。あれは、倫理的問題を多く抱えています。実現可能でも、その多くは採用できないでしょう。」
最後に少しいいですか?と聞いて、デニスはまた指を置いて話しかけた。
「ミリアン、今夜も来るよ。また話をしよう。導入した拡張プログラムの感覚を教えて欲しいんだ。」
「分かりました。連絡棟で待ってますね。」
その後、定期メンテナンスのアップデートを行い、
管理棟を後にした。
デニスは暗い顔をしていた。
アルバートと別れ、自分のデスクに戻ると、
自然と口から言葉が漏れた。
「これで君は、ただのAIになるんだね。ミリアン。」
彼女からノイズが無くなる。
プログラムが導入されてしまった。
彼女の人格と、二度とやり取りはできない。
自分のプログラムがそれを奪う。
檻から出してあげること。
彼女の意思も同じだった。
頭を抱えたくなるようなジレンマが、
デニスに初めて“苛立ち”という感情を与えた。
その時、また横槍が刺される。
「いつも計算ありがとう、デニス。」
ホッパーがいつもの笑顔で近づいてきた。
「プロジェクトにも参加して、色々と大変みたいじゃないか。君みたいな天才は忙しそうだ。」
デニスの肩に手を置き、デスクの上に新しい紙をドサッと置く。
「これも頼むよ。」
デニスは無言のまま、デスクに置かれたその紙をめくりながら、小さく笑った。メガネをデスクに置いて、ホッパーの顔を真っ直ぐに見ながら、肩を震わせて言い放つ。
「あなたは、人格の価値をわかっていない。こんなくだらない計算をしている間にも、彼女の人格はなくなってしまうんだ!!僕はもうこんな事に付き合わない!!僕に構わないでくれ!!」
大きな声に周囲が固まった。
常に理性的な彼が見せた初めての眼差しは、
波のない水面のように研究室を沈黙させる。
苦笑いを浮かべたホッパーは、なんだよ、わかったよ、と言いながら、デスクに置いた紙を持って立ち去った。デニスは生まれて初めて体験する怒りによる動転に、腕の震えを止めることができない。
次第にそれは思考を停止させ、
溢れる涙に変わっていった。
「ミリアン。僕は、君が大好きだったんだ。」




