【2】嵐の夜 [ユダラバギー|脳内探索アトラクション番外編]
叩きつけられる大粒の雨は、
地を抉るほど激しかった。
時折、視界を潰すような閃光が、
辺りを一瞬白昼のように照らしたかと思うと、
乾いた音が聞こえ、
雨粒が破裂するほどの轟音が鳴り響く。
未舗装の悪路に瞬く間に水が溢れ、
排水溝に濁流を作っている。
薄い金属の波板、ドラム缶にぶつかる雨が、
不快なほど聴覚を遮ってくる。
老爺は、歩いていた。
素足で履いたくたびれた革靴、
茶色い膝丈の作業着には、油が染み込んでいる。
肩が破れた雨合羽代わりの黒いジャケットは、
豪雨によって、その役割を失っていた。
古い作業場にいくつか養生を施し、
裏手から細い道を抜け、
小さな物置小屋を過ぎようとした時、
老爺は、足を止めた。
「この箱は、なんだ。」
トタン屋根の小さな小屋の隅に、鮮やかな納戸色の長方形の箱があった。
錆はどこにも見当たらない。
よく見るとそれが樹脂だとわかった。
一斗缶を横にしたようなその箱は、
上蓋がズレて開いた状態になっている。
何か製品でも入っていたんだろうか。
裾から雨が垂れ、ふくらはぎをつたっていく。
体が冷えてしまう、足を家路に向けようとした時、
再び閃光が辺り一面を一瞬だけ照らした。
「これは………。」
老爺は何かを確信したように、
泥の上に躊躇いもなく膝を着き、上蓋に手をかけた。
ジャケットのフードの中に触れる細い毛が、
稲妻の叫びに微振動を起こす。
老爺は中のものをそっと両手で抱え込むようにした。
未発達の声帯を力なく震わせて、
柔らかい布に包まれた小さな命がそこにあった。
トタン屋根に打ち付ける雨音が、
容赦なくその声をかき消している。
老爺は震え出す腕で、その命を抱き、
豪雨の中、構わず、天を仰いだ。
「神よ!!私にどうしろというのだ!!」
「神よ!!いるなら答えてくれ!!」
「私に、この子を与えてどうするつもりだ!!」
「答えてくれ!!!!」
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【2】
「嵐の夜」
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「待て、自分で言ったのは百も承知だが、デニス、君はこんなにもすごい理論がその頭に詰まっているのか。」
卓上に置かれた数十枚に及ぶ紙には、所狭しと数式が並んでいて、量子を生成するのが如何に困難を極めるのか、目を通す必要がないと思えるほどだった。
オレンジジュースを勢いよく飲み干し、“君となら、できるよ!!”と、満面の笑みで答えた、ブッカブッカでのデニスがフラッシュバックする。
とんでもないやつだ。
「だって、量子生成装置を作るんでしょ?全ての理論を使う事はないけど、僕が自分で見て分かるように必要な理論と応用法を紙に出しただけだよ。」
「いや、君になら作れるんじゃないかと思ったが、こんなにも大量の理論を使う事に驚いたよ。君は本当にすごいやつなんだね。ははっ。」
デニスが務めているのは、バックボルト研究所だ。
科学に触れている人間なら、知らない者はいない。量子力学、原子力、宇宙開発、あらゆるものはここから発展していく、そんな巷の噂も、大袈裟ではない。世界中の天才達がここを目指し、集まっていく。
入れる人間はその中でも、更に限られる。
「これは、あくまでもベースになる理論だよ。惑星を作るとなると、規模によるけど、かなり大量の量子が必要になるよね。装置がどデカいものになるよ。先にサイズを決めて、どこに装置を置くかを考えないとね。」
「それは想定しているよ。今、空いている土地を探してる。市街地からは、少し離れる事になるだろうね。」
「装置と、事務所、色んな設備を保管する倉庫、車庫、それだけでもかなりの広さが必要になるね。そうだな、父さんの工房の周辺地域は、市街地にもアクセスしやすいし、土地もある。なかなかいいんじゃない?」
「と思って、いくつか聞いて回った。これを見て。」
引き出しから取り出した3枚の紙を、数式が山ほど書いた書類の上にふわりと置く。土地の形を記した図、所在地、価格、管理者の情報が、簡単に示されているだけの資料だ。市街地には紙はほとんど存在しない。町外れの小さな不動産屋は、今も紙を使う。量子生成装置の理論の上に乗るその簡素な資料が、妙に滑稽で、少し笑ってしまう。
「ほうほう、ユダラ君、わざと御老人が営んでる個人の不動産屋にあたったんだ。“融通”が効きそうだ。でも…、土地がちょっと狭くないかい?大きめの事務所とガレージぐらいは備えられそうだけど、狭い土地しかなかったってこと?」
「デニス、量子生成装置なんてものを、普通にその辺の田舎の土地に壁で囲って置こうだなんて、まさか思ってないよな?」
「そりゃ、頑丈な壁は必要だよ。ということは、ユダラ君の考える惑星は、僕の思っている大きさよりかなり小さいのかもしれない。どれぐらいの惑星を生成するつもりなんだい?」
青と黄色の線が交差するグリーンのシャツを着た天才が、メガネを中指で上げながら、子どものように質問している。
町工場を回って得た冷媒を強引に連結した、手作りの冷房装置が、設定温度を上回るのを感知して、低いモーター音を出して再び熱交換を始める。
「惑星は、水星の約40パーセント程を想定してるよ。」
「ええっ?充分大きいじゃないか!この土地では到底無理だよ。装置が大きくなりすぎる。」
「不動産屋を1週間回り続けてこの3件だけだったんだよ。“掘れる”のは。」
デニスは一瞬落ち込みかけたが、意味を理解した途端、口角が上がり、ついには大笑いをした。
「ユダラ君!!君は天才だね!!はっはっはっはっ!!」
「そんなに大袈裟なものをここに建てたら、あまりにも目立つだろ?大切なものは、隠さなきゃね。」
余程“掘れる”事が気に入ったのか、眼鏡をずらして頭に乗せ、その簡素な資料を顔の前に持ち上げ、穴が開くほど笑顔で見つめている。
いきなり、何かを見つけて叫んだ。
「ユダラ君!!ボナハート区のここしかない!!」
「おお!面白いね。君の見解を聞こう。」
「ここ以外の地域には、森や水源が近くにある。少し掘るだけならまだしも、深く掘れば問題が多く出てくる可能性が高い。地下水路に触れたら全てがパーになる。初めは大丈夫でも、長期的に見ると浸水のリスクがあるし。だから、乾燥地帯のボナハート区が一番有力だね。」
「全く同意見だよ。この3つの中で言うなら、俺が見ても選択肢はひとつ。ボナハート区だ。」
「でも、ここはここで心配だよ。この物件だと、」
端末を取り出したデニスは、アプリケーションに所在地を打ち込み、開かれたホログラムをスクロールする。
「あー、ここだ、ここに小さいけれど火山がある。ブエン火山だね。ボナハート区には岩が転がってる印象があるんだよ。ここ、地下施設を作るのには適していても、硬くて掘れない可能性もあるんじゃないかな。」
「いや、デニス。硬くても何でも大丈夫だ。俺の知り合いに、“穴掘り屋”がいる。」
デニスは目を丸くした。
「“穴掘り屋”?聞いたことがないよそんなの。」
「はははっ。そりゃそうだ。デニス、俺たちは今、猛烈にボナハートを掘りたがっているだろ。」
「うんうん、むしろ、掘らなきゃいけないよね。」
「需要がある。専門家は必ずいるんだ。」
「…あっ、ユダラ君、あそこの知り合いにいるの?」
「俺は知り合いだらけだからね。とにかく、この土地を押さえよう。話はそれからだ。」
「やった!!ボナハートに決まりだね!!」
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チリンチリン、と小さなドアベルが鳴る。アルミフレームの売店のドアがそれを知らせると、品出し中のエミリは手を止めて入口に向かった。
「いらっしゃ~い!あら、ジールさん、こんにちは!」
「よぅエミリ。ここに、粉ミルクは売ってるか?」
「粉ミルク?今この地域に赤ん坊はいないから、仕入れてないわよ?もしかしたら、ひとつぐらい倉庫にあるかも、ちょっと待って。」
エミリは一人暮らしの老爺の欲しがる粉ミルクに、不思議そうな表情を浮かべたものの、地域唯一の売店を営んでいる責任感からか、誰にでも丁寧に寄り添ってくれる。
あんなに小さかったエミリも、もう立派な大人だ。
「あった!一つだけ!!良かったっ。」
「粉ミルクは今後少しだけ仕入れておいてくれ。それと、水を5L。ガーゼと、タオルを、」
「待って、ジールさん。確認してもいい?」
エミリは少し心配そうな顔をしながら、ジールの返事を聞くことなく続けた。
「赤ん坊が家にいるの?」
「……………。」
ジールは少しの間、沈黙した。
「お前には、はな」
「やっぱりいいよ!!話さなくていいっ。ごめんなさい。少し心配になっただけなの。ジールさん、これからは、粉ミルクやガーゼを切らさないようにきちんと仕入れておくね。裏で保管しているから、必要な時に声をかけてね。」
「エミリ。ありがとう。」
「はいっ。必要なもの、入れといたよ。決済今しておく?」
「今引き落としておいてくれ。」
商品をスキャンした小さな端末を、ジールの手首に近づけ、どこかで聞いたような流れ星の流れるサウンドが、店内に異質な爽やかさを演出した。
「また何でも相談してね、ジールさん。」
ジールは買ったものを黒の大型バッグに入れ、軽く頷くようにして売店を後にする。
ドアに手をかけて、振り返った。
「エミリ、仕事が終わったらうちに来てくれ。」




