【1】君がその気なら [ユダラバギー|脳内探索アトラクション番外編]
「遅いな。」
ついさっき確認した時計をもう一度見る。
15時は、とうに回っている。
最後に市街地に来たのは春先だった。
道行く人は爽やかな風に微笑み、
新緑に鼻をくすぐられ、
癒されるように歩いていた。
その景色はもうここには無い。
容赦なく照り付ける日射はアスファルトを焼き、
蜃気楼越しに眉間に皺を寄せた人達が、
せかせかと歩いているのが見える。
喉を乾かした人は、
歩道に面したフレッシュジュースのテイクアウト窓口に、欲を剥き出しにした様な列を作っている。
首筋に汗がつたるのを感じた。
「ユダラ君、ごめんごめん!」
息を少し切らした彼は、いつも通り爽やかにやって来た。額には汗が滲んでいる。それを見て妙に安堵した。
「びっくりしたよ。君から14時半だと指定があったのに、珍しく来ない。何かあったのかと心配したよ、デニス。」
「ギリギリになって引き止められたんだ。データの在処が分からないから来てくれって。」
「研究所は、もう君をあてにしているのかい?」
「とっ散らかったデータを整理してくれと言われて整理したのに、分かりにくかったらしい。笑ってしまったよ。」
「それ、新人イビリってやつじゃないのか?」
「あ、いびられちゃってんのかな?ははっ。」
額の汗をハンカチで拭いながら呑気に笑う。容赦なく地熱が跳ね返り、会話に割って入るかのように、熱気を巻き上げるだけの風が吹く。
日影だと言うのに、なんだこの暑さは。
「研究所の新人も大変そうだな。暑いだろう?いつもの店、さっき連絡して押さえた。行こう、デニス。」
こんな所で話してても仕方ない。立ち上がって店の方に顔を向けた。
「ありがとう。それはナイスだね。行こう。」
歩き始めてすぐの信号は青だった。アスファルトに書かれた規則正しい白線は、摩擦で輪郭をほぼ失っている。
「なぁデニス、昨晩何時から研究所に行ってたんだ?」
「うーん、朝からずっとだよ。」
「ずっと??朝から?寝てないのか。」
「いや、仮眠は取ったよ、2時間ほど。」
「そんなに焦って何を研究してるんだよ。」
「ははっ、それは機密事項だ。ユダラ君にも言えないよ。」
「機密事項ばかりで、研究員は大変そうだな。そんなとこに入ったら、一瞬で干からびてしまいそうだよ。」
「ユダラ君には合わないだろうね。なんか落ち着かなさそうに座ってるのが想像できるよ。」
「外にいるだけで、干からびそうだからな。着いた、暑い、もう限界だ。」
市街地の中心部の大通りから少し離れたその店は、赤レンガとアカシアのアンティークドアが目立つ、流行り廃りとは無縁の落ち着いた酒場だ。気まぐれでオープンする日中の店内は、骨付きカルビとクラフトビールに客がごった返す夜の賑やかさを忘れたかのように、静かに橙色を灯している。
コロンッコロンッ、丸いドアベルが鳴るのと同時に、全身が欲していたような冷気と、香ばしくフルーティーなコーヒーの香りが、「いらっしゃーい!」という声と共に5感を揺らした。
「マスター、ユダラだよー。デニスもいるよ。」
「ユダラ~、昼に来るなんて珍しいじゃないか~!デニス君、久しぶりだね~。こないだワイザーパパが一人で飲みに来たぞ。」
「父さんからその日誘われたんですけど、仕事で行けなかったんですよ。」
「そうか、研究所で働き出したんだって?どうだい、研究所は。」
「今のところ楽しくやってますよ。研究はまだそんなにさせてもらっていませんが。」
「いや~、すごいよ君は。頑張ってな。また夜にもおいで。一番奥のテーブル使ってくれたらいい。ゆっくりしてって。」
“肉と酒ブッカブッカ”の名物店長サンドは、もじゃもじゃ頭に茶色いエプロンという、いつも通りの格好で、笑顔で案内してくれる。
“気持ちがいい人”。
こんなにピッタリ当てはまる人はいない。
「マスター、アイリッシュコーヒーと…、デニス、オレンジジュースでいいかい?」
「うん、オレンジジュース。」
「はいよ~う!!」
サンドが注文されたものを手際よく用意している心地よい音が響いている。客は私達だけだ。ため息をつくようにデニスが言う。
「暑さを凌ぐだけでも一苦労だね。」
「この暑さはさすがに俺もきついよ。」
「作業場暑くないかい?」
デニスはほんの少し小声になった。
「どデカい冷房機器をつけてやったよ。あちこちの町工場で使わなくなった冷媒を安く譲ってもらってさ。工場を冷蔵庫にできるぐらい大きなものを作った。」
「ええー!君の発想はすごいね!規格が合わないものだらけだろ??」
「音色のバラバラなオーケストラみたいな冷房機器が完成したよ。ははっ。でかい音さえ出りゃいいんだ、俺のオーケストラは。」
「おまたせしました~っ。アイリッシュコーヒーと、オレンジジュース。ゆっくりしてってくれ、ありがとうな。」
「マスター、ありがとうございます。」
「マスター、ありがとう。あのさ、マスター。悪いんだけど、補聴器、俺とデニスの声だけ切ってくれるか?」
「おうおう、構わないぞ。お前達の声は切っておこう。また何か企んでるのか?悪いことするんじゃないぞ~。何かあるならベルを鳴らしてくれ。」
耳元を触りながらサンドは小さな声で呟いた。人工知能搭載の補聴器は、ほんのり青白く点灯し、サンドは手でOKサインを作って立ち去っていく。
「いや、喋っても大丈夫だよマスターっ。ははっ。」
「聞こえてないね。大丈夫そう。」
「よし、デニス、本題に入ろうか。」
「そうだね。ユダラ君、君の考えを聞こう。」
「デニス、量子生成装置を作れるか?」
それを聞いたデニスは目を丸くした。
その後、口元が緩み、肩を揺らす。
「ははははっっっ!!笑わせないでよ!!」
こんなにも暑い日に注文したアイリッシュコーヒーは、完璧な選択だった。
程よいアイリッシュウイスキーのバニラの香り。
深煎り豆のふくよかな香り。
調和しながら鼻を抜ける。
アルコールが喉を通る温かさ。
ホットコーヒーの温かさ。
調和をしながら喉をくぐり染み込んでいく。
目の前の量子力学の天才と呼ばれる男に、
もう一度、静かに聞く。
「デニス、量子生成装置で惑星を作るぞ。」
オレンジジュースをストローで勢いよく飲み込んで、グラスの飲み物が無くなった合図が店内に響き渡る。その音にサンドが一瞬こちらに顔を向ける。グラスの氷がバランスを崩し、鐘のように音を鳴らした。
「ユダラ君。君となら、作れるよ!!」
「よし、なら、決まりだ。」
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【1】
「君が、その気なら。」
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