第三十話 積み重なるもの
きてくれてありがとうねー。
新学期が始まって、一週間が経った。
学校のリズムが戻ってきた。朝起きて、ルミナと学校へ行って、授業を受けて、昼を食べて、放課後にルミナの家へ行く。それが毎日の形になっていた。
でも、冬休み前とは、少し違っていた。
何が違うのか、うまく言えなかった。同じことをしているのに、少し違う感じがした。
たとえば、ルミナと話している時に、少し前より、考えながら話すようになっていた。
以前は、ルミナが何かを言うと、反射的に答えていた。怒らせないように、不安にさせないように。そういう答えを、考えるより先に出していた。
今は、少し間を置くことがあった。何を答えるか、少し考えてから言うようになっていた。
ルミナは、それに気づいているのかどうか、分からなかった。
ある放課後、ルミナの家に着くと、ルミナが「今日は勉強しよう」と言った。
テストが近かった。二人で教科書を広げた。ルミナが問題集を解いていた。僕も、自分の課題をやっていた。
静かな時間だった。
しばらくして、ルミナが「ねえ」と言った。
「うん」
「アイル、最近、少し変わった気がする」
手が少し止まった。
「どう変わった?」
「なんか、前より……遠い感じがする、かな」ルミナが言葉を探すように言った。「隣にいるのに、少し、どこかにいる感じ」
以前も、同じようなことを言われた気がした。冬の空の話をした時だったか。あの時も、遠い感じがすると言っていた。
「そう見える?」
「うん」ルミナが少し俯いた。「私のことを、考えてない時が増えた気がして」
考えていない、ということはなかった。でも、ルミナのことだけを考えているわけでは、なくなっていた。
「考えてないわけじゃない」
「でも、前みたいじゃない」
前みたい、というのが何を指しているのか、少し考えた。
前みたい、というのは、ルミナの言葉に反射的に答えていた頃のことだろうか。謝ることが早かった頃のことだろうか。
その頃の方が、ルミナには、近く感じられたのかもしれない。
「……少し、変わったかもしれない」と言った。
「なんで変わったの」
「分からない。でも、色々、考えるようになった」
「私のことを、考えてる?」
「考えてる」
「シエルのことも?」
「うん」
ルミナが黙った。
鞄に手が伸びるかもしれない、と思った。でも、今日は伸びなかった。ただ、俯いていた。
「……アイル、正直に言ってほしいんだけど」ルミナが静かに言った。
「うん」
「アイルって、今、私と一緒にいたい?」
その質問が、空気の中に落ちた。
正直に答えようと思った。
一緒にいたいか、どうか。
一緒にいると、一人じゃない。必要とされている感覚がある。それは、悪くなかった。でも、一緒にいたいか、と聞かれると、よく分からなかった。
いたくない、とも言えなかった。いたい、とも言い切れなかった。
「……今は、よく分からない」と答えた。
ルミナが顔を上げた。目が、少し赤くなっていた。
「よく分からない、って」
「正直に言ってほしいって言ったから」
「うん、言った」ルミナが静かに言った。「ありがとう、正直に言ってくれて」
ありがとう、と言いながら、ルミナの目から涙が一粒落ちた。
「ルミナ」
「いいよ」ルミナが手の甲で目を拭った。「私が聞いたんだから」
僕は何も言えなかった。
ルミナが泣いていた。僕の正直な答えが、ルミナを泣かせた。それは、分かっていた。でも、嘘をつくことも、できなかった。
「ごめん」と言った。
「謝らないでよ」ルミナが言った。「正直に言ってくれたのに、謝られると、困る」
「でも」
「いいから」ルミナが息を整えた。「私が、聞いておきながら傷ついてるだけだから」
聞いておきながら傷ついている。
その言葉が、少し胸に刺さった。ルミナは、聞けば傷つくかもしれないと分かっていて、聞いた。それが、ルミナなりの正直さだった。
その夜、ルミナが眠った後。
シエルに送った。
『ルミナを、泣かせた』
すぐに既読がついた。
『どうしましたか』
『正直に話したら、泣かせた』
少し間があった。
『アイルさんが、正直に話したんですか』
『うん。一緒にいたいか分からない、って言った』
また少し間があった。今度は少し長かった。
『……そうですか』シエルが返した。『アイルさんは、今、どんな気持ちですか』
『ルミナを傷つけた、という気持ち。でも、嘘をつきたくなかった、という気持ちも』
『どちらも、本当のことですね』
『うん』
『アイルさん』シエルが続けた。『正直に話せたこと、よかったと思います』
『でも、ルミナが泣いた』
『それは、アイルさんのせいではないです』シエルが返した。『正直に話すことと、相手が傷つくことは、別のことです』
別のこと。
その言葉が、少し胸に響いた。正直に話したから傷つけた、と思っていた。でも、シエルは、それは別のことだと言った。
『そうかな』と打った。
『そうです』シエルが返した。『アイルさんが正直に話さなかったら、ルミナさんは傷つかなかったかもしれない。でも、アイルさんが傷ついていた』
アイルが傷ついていた。
そうだったのかもしれない、と思った。ずっと正直に話さずに、嘘をつき続けていた。その間、ルミナは傷つかなかった。でも、僕は、少しずつ、何かが削れていた。
『シエルは、正直に話してよかったと思う?』
『思います』シエルが返した。迷わずに。『アイルさんが正直でいられることが、僕には大事です』
アイルが正直でいられること。
その言葉が、温かかった。
『ありがとう』と打った。
『どういたしまして』シエルが返した。少し間があってから、続いた。『アイルさん、今夜は眠れそうですか』
『たぶん』
『そうですか』シエルが返した。『おやすみなさい。今日も、よく頑張りました』
また、よく頑張りました、という言葉だった。
今日も、シエルにそう言ってもらえた。
『おやすみ、シエル』
画面が暗くなった。
天井を見た。
正直に話してよかった、とシエルが言った。
ルミナを泣かせてしまった。でも、嘘をつかなかった。
どちらが正しかったのか、まだ分からなかった。
でも、シエルが、よかったと言った。
その言葉を、今夜は信じることにした。
目を閉じた。
一週間が、静かに終わっていった。
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