第3話:癒し学校、最初の授業
朝の空気は、木の匂いがした。
《聖塔》の跡地に建てた仮棟は、まだ壁が半分しかない。だから外の風も、広場の音も、そのまま入ってくる。閉じた場所じゃない。それだけで、ちょっといいと思う。
「はい、じゃあ始めます。癒し学校、最初の授業」
私がそう言うと、長椅子に座っていた子どもたちがそわそわした。保護された子、療院を手伝いたい若い子、怪我人の家族までいる。顔ぶれはばらばらだ。
でも一番前だけは、やたら気合いが入っていた。
エリスが、ぴんと背筋を伸ばして座っている。膝の上には、小さなノートまで置いてある。
かわいい。真面目すぎる。えらい。
後ろの柱にもたれていたゆうりが、呆れた声を出した。
「学校っていうわりに、机も教本もないのね」
「あるじゃん」
「どこに」
「エリスの膝の上」
エリスが大事そうにノートを抱えた。
「“みかたノート”なの」
「ほら、教本」
「手作りにもほどがあるでしょ」
ラグナは少し離れた日陰で周囲を見ていた。ああいうところ、ほんと抜かりない。授業中でも、たぶん敵が来る前提で立ってる。
私は子どもたちの前にしゃがみこんだ。
「今日やるのは、難しい癒し方とか魔法の話じゃないです。最初に覚えるのは、“見方”」
後ろの席の男の子が首を傾げる。
「みかた?」
その瞬間、エリスが勢いよく手を挙げた。
「はい!」
「どうぞ、エリス先生」
「え、えへへ……」
照れながらも、エリスはちゃんとノートを開いた。
「“みかた”はね、だれかが小さい声を出していたら、ちゃんと聞くこと」
私は思わず笑った。
「うん、正解」
エリスは次の行を指でなぞる。
「いばっている人の後ろに、こわいものがいないか見ること。痛いって言えたら、それはつよいこと。やさしいの反対は、むししないこと」
仮棟の中が静かになる。
子どもたちだけじゃない。手伝いに来てた大人まで、真面目な顔で聞いていた。
私は立ち上がって、木箱から包帯と木の人形を出した。
「そう。癒しって、傷を閉じれば終わりじゃないんだよ。どうしてその傷ができたのか、誰が痛いって言えなかったのか、そこまで見ないと意味がない」
木の人形の腕に赤い布を巻く。
「転んでできた怪我と、殴られてできた怪我と、無理やり働かされてできた怪我は、同じじゃない。傷だけ治して原因を放置したら、また傷つくから」
その時、仮棟の外に立っていたミレナが、小さく肩を揺らした。
まだ中には入ってこない。喉の傷は少し良くなっても、人の多いところは怖いんだと思う。でも、今日はここまで来た。
私は気づかないふりで続けた。
「じゃあ質問。誰かが“痛くありません”って言った。でも顔は真っ青で、手も震えてた。どうする?」
少し間があいて、エリスがまた手を挙げる。
「ほんとにいたくないか、もう一回きく」
「うん」
「やさしくきく」
「うん、最高」
エリスが胸を張る。その隣で、さっきの男の子も小さく手を挙げた。
「……言わされてるかもしれない」
「そう」
私は頷いた。
「言葉だけ信じるんじゃなくて、その人が言えないものまで見る。癒す側は、それをサボっちゃだめ」
そこで、外からかすれた声がした。
「……“かもしれない”じゃ、ありません」
みんなが振り向く。
ミレナだった。
喉を押さえながら、一歩だけ前に出ている。顔色はまだ悪い。でも、昨日より目が逃げていなかった。
「“痛くない”は……言わされます」
静かになった。
私はすぐには言葉を挟まなかった。これはミレナが、自分で出した声だから。
「聖女は……まず従うもの、だって。自分より……国を優先しろって」
掠れた声が途中で切れる。喉が焼けるみたいで、眉が寄った。
私は一歩だけ近づく。
「もう十分。無理しなくていい」
でもミレナは首を振った。
「救われるより……捧げる方が、美しいって……教えられ、ました」
エリスが膝の上でぎゅっと手を握る。ゆうりの目が細くなる。ラグナは黙ったままだったけど、でもそれは突き放す沈黙じゃなくて、怒りを押し殺している静けさだった。
私は息を吸って、吐いた。
「そっか」
腹の底は煮えてる。でも、ここで怒鳴る回じゃない。
私はみんなの方を向いた。
「じゃあ、この学校は真逆にする。痛いって言えた人が正しい。無理ですって言えた人も正しい。助けてって言えた人を、最初に守る」
ミレナの目から、ぽろっと涙が落ちた。
あ、と思った時には次も、その次も落ちていた。ミレナは慌てて口元を押さえる。泣くことまで怒られると思ってる顔だった。
「謝らなくていい」
私ははっきり言う。
「泣けたなら、ちゃんと残ってたってことだから」
エリスがとことことミレナのところまで行って、自分の布を差し出した。
「つかって、いいよ」
ミレナが目を見開く。それから両手で受け取った。
「……ありがとう、ございます」
ゆうりが小さく息を吐いた。
「初回にしては、悪くないわね」
「でしょ」
「でもあんたの授業、だいぶ世界に喧嘩売ってるわよ」
「最初からそのつもりだよ」
「開き直るの早いのよ」
ちょっとだけ笑いが起きた。
その空気の中で、ミレナが初めて仮棟の中へ入ってきた。
私はその一歩を見て、少しだけ安心した。
泣いても怒られない場所。
痛いって言っても、黙らされない場所。
従う前に、自分の傷を見てもらえる場所。
たぶん、壊した後に作るべきなのは、こういう場所なんだ。
外では、広場を作る木槌の音が続いている。
まだ世界は全然大丈夫じゃないけど、ここからなら始められる。
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