第1話:広場の朝に、血の匂い
夜明けの王都は、土の匂いがした。
《聖塔》の跡地にできた大きな穴は、もうただの傷跡じゃない。木材が積まれて、石が運ばれて、人が笑いながら行き来している。壊した場所に、今度は人が残るものを作る。そういう朝だった。
「よし、今日の目標。広場側の基礎確認、仮棟の壁張り、あと癒し学校の看板位置決め」
私がそう言うと、隣で木箱を運んでいたゆうりが呆れた顔をした。
「あんた、朝から張り切りすぎ。看板なんて後でもいいでしょ」
「よくない。最初に見える場所って大事だから」
「はいはい。で、その看板に何て書くのよ」
「“痛いって言っていい場所”」
ゆうりが一瞬だけ黙って、それから小さく息を吐いた。
「……悪くないじゃない」
ラグナは少し離れた場所で、石材ギルドの親方と図面を見ていた。長い指で木板を押さえながら、低い声で言う。
「この角は広く取れ。子どもが集まるなら、行き止まりは少ない方がいい」
「分かってるねえ、魔王さん」
「魔王だからな。城より人の流れを見る」
相変わらず、さらっとすごいことを言う。
エリスは地面にしゃがみ込んで、白いチョークで大きな丸を描いていた。丸の中に太陽、その周りに笑ってる顔がいくつも並ぶ。
「ひなたお姉ちゃん、ここ、できたらね。みんなが座れるようにしたいの」
「うん。いいね。泣いてる子も、怒ってる子も、ちゃんと座れる場所にしよ」
エリスは嬉しそうに頷いた。その銀髪が朝の光を受けて、細く光る。
いい朝だと思った。
壊した後の景色じゃなくて、作るための景色だって、ようやく胸を張って言えそうだったから。
だから、門の方から上がったざわめきが、やけに鋭く聞こえた。
「……なんか騒がしくない?」
私が顔を上げると、東門の方に人が集まり始めていた。荷馬車の列が止まり、衛兵が何人も走っていく。
「ひなた」
ラグナの声は短かった。私はもう走り出していた。
朝露で濡れた石畳を蹴って、門前広場まで一気に出る。人垣の隙間から見えたのは、倒れている女の子だった。
十六、七くらい。白い法衣みたいな服は泥と血で茶色く汚れている。裾は裂けて、裸足の足裏は石と土で切れていた。腕は細い。痩せてる。逃げることだけでここまで来たって、見ただけで分かった。
「どいて!」
しゃがみ込んで、すぐに呼吸を確かめる。浅い。でも生きてる。
その子の喉元を見た瞬間、私は奥歯を噛んだ。
皮膚が輪の形に焼けただれていた。赤黒く、古い傷の上に新しい裂け目が重なっている。首輪みたいな印だった。
「……これ、ひどい」
ゆうりが追いついてきて、顔をしかめる。
「外傷だけじゃないわね。嫌な拒絶がある」
ラグナも膝をつき、少女の喉元を見た。
「前に見た“沈黙の刻印”に近い。だが、これは少し違うな」
「……やっぱり、あれ系なんだ」
《聖塔》で見た、あの子たちの喉を思い出す。
声を奪って、助けも告発もできなくするための刻印。
「話させないための術式だよね?」
ゆうりが低く言う。
「ええ。しかも雑じゃない。むしろ執拗。証言そのものを潰すつもりで刻まれてる」
ふざけんな、と思った。
倒れてる子に何してんだよ。どこの誰だか知らないけど、最悪すぎるでしょ。
「水、持ってきて!」
衛兵の一人が慌てて水袋を差し出す。私はその子の肩を支えて、少しずつ唇を濡らした。
長い睫毛がかすかに震える。
ゆっくり、目が開いた。
灰色がかった薄い瞳だった。焦点の合わないその目が、最初に私を映す。聖衣の白。手からこぼれる癒しの光。たぶん、この世界なら誰が見ても“聖女”だと分かる姿。
でも、その子は安心しなかった。
びくっと体を震わせて、息を呑んだ。
「大丈夫。もう追わせないから」
できるだけ柔らかく言ったのに、その子の顔から血の気が引いていく。
「こわがらなくていいよ。ここ、だいじょうぶだよ」
エリスが小さな声で言った。
その子はエリスの声にも反応して、何かを言おうとした。
喉が上下する。
次の瞬間、口元から赤い血が糸みたいに垂れた。
「っ……!」
「無理に喋らないで!」
私はとっさに喉へ手をかざした。淡い光が傷へ流れ込む。切り傷も裂けた足裏も、表面の傷はすぐに閉じていく。なのに、喉元の焼け跡だけが違った。
じゅっ、と嫌な音がして、私の光が弾かれる。
「は?」
もう一度、力を込める。今度は傷の奥から黒い棘みたいなものが浮いて、光を押し返した。
手のひらが熱い。痛い。けど、引くわけない。
「ひなた、いったん止めろ」
ラグナの声が飛ぶ。
「でも!」
「壊し方を誤れば喉そのものが潰れる。今は命を安定させろ」
悔しかった。でも、分かる。ここで焦ったらだめだ。
私は呼吸を整えて、喉の周りを避けるように全身へ癒しを回した。荒れていた呼吸が少しだけ落ち着く。震えていた指先も、ほんの少し静かになる。
その子はまだ私を見ていた。
怯え切った目だった。助けを求める目じゃない。捕まった動物みたいな目。聖女を見て、そんな顔をするなんて。
この子、どこから来たんだ。
どんな場所から逃げてきたんだ。
その子の唇がまた動く。
今度は耳を近づけた。かすれた空気みたいな声が、血の匂いの中でやっと形になる。
「……かえ……」
「うん?」
「……返さないで……」
その一言で、胸の奥が冷たくなった。
ああ、そうか。
この子は助けてじゃなくて、返さないでって言うんだ。
私はその細い手を握った。
「返さない」
はっきり言う。
「絶対に返さないから。安心して、寝てて」
その子の指先から力が抜けた。糸が切れたみたいに、まぶたが閉じる。
私は顔を上げて、門の向こうを見た。朝の光はさっきと同じはずなのに、もう全然違って見えた。
広場を作る。学校を作る。そういう“明日”の話をしてた。
でも、まだ外から痛みは流れ込んでくる。
だったら――拾うしかない。守るしかない。
「ゆうり、仮棟のベッド空いてる?」
「ある。運ぶわ」
「ラグナ、この喉の印、あとで詳しく見て」
「分かった」
エリスが私の袖をぎゅっと掴む。
「ひなたお姉ちゃん……この子、たすかるよね」
私は頷いた。
「助けるよ」
それから、眠ったままの少女を抱き上げた。
軽すぎて、むかついた。こんな体になるまで削られてきたってことだから。
だったらなおさら、もう遅いとか言わせない。
この朝は、たぶん、私たちの次の戦いの始まりだ。




