第二話 フレアは基本的に変人らしい
キタローはフレアとともに玄関ホールを抜け、外へと出た。清涼な空気が耳元を駆け抜けていく。爽快な朝である。疲れのひとかけらも残らずに飛び去り、今すぐにでも踊りだしたい気分になる。
館と外を隔てる壁はなく、花壇が広がっている向こう側に、豊かに実った小麦畑が見えた。
「ははあ、こいつは見事なもんだ」
都会っ子であるところのキタローには、まるで黄金の波が自分を歓迎してくれているように映った。
「館の他に、庭や農場や牧場もあります」
「全部メイドたちが世話を?」
「そうです」
すごいぞ、メイド。
万能だぞ、メイド。
キタローは思わず心の中で喝采を送った。
ふと気になったことがあった。館の中は非常に明るかったが、これは電気が来ている証拠である。メイド空間なる謎の場所に電気があるとはどういうことだろう。
なあ、とキタローは切り出した。
「電気がついてたけど、発電所もあるの?」
「あります。原子力発電所です」
「際どいところを持ってきやがったな」
「よく訓練されたメイドが担当しておりますので、ご安心ください」
キタローは自分以外のご主人様候補がこの空間にやってこないことを祈った。まかりまちがってその侵入者が、まあ、いろいろと熱心な主義思想を持っていた場合、憩いのメイド空間がイデオロギーの激戦地になりかねなかった。
「お店とかはないのか。どこを見ても大自然って感じだが」
「お望みとあらば、店舗を建てさせましょう」
指をパチリと鳴らしてやる。
「いいね。経営シムみたいになってきた。館経営シム? なんじゃそら」
「ご主人様、一人ボケツッコミはおやめください。悲しくなります」
「容赦なく言うね……」
悲しくなった。
キタローは一人っ子で鍵っ子だった。しょうもないボケを飛ばしたところで、聞き返してくれる相手もいなかったのである。
「性分ですので」
フレアはほのかに誇らしげに言った。
「もっとキツめがお好みでしたら、そのように調整致します」
「試しにキツキツアンアンしてみてくれ」
「現実には言ったこともないような下ネタを飛ばして悦に入っておられるようですが、まずは皮の鎧を脱ぎ捨ててからおっしゃってはいかがですか?」
「それ悪口だろ!」
「可能な限り婉曲に申し上げました。家政を預かるだけに、仮性は我慢ならないもので」
「ひどい言い草だな!」
そして、ひどいダジャレであった。
「とはいえ、火星のようにGがつく害虫はおりませんので、心ゆくまで食事を食べ散らかしていただければと思います」
「漫画ネタなのか宇宙ネタなのか判断に困るところだ」
もっとも、それがどちらであっても問題はなかった。フレアの性格が予想以上に変というだけの話である。
「なお、この世界は小さな惑星のようになっております。ミニ惑星とでも申し上げましょうか。ある程度歩きますと、また元の場所に戻ってきます」
「ますますシミュレーションゲームっぽいな」
「三百人のメイドと一人のご主人様だけしかいない空間ではありますが」
夢のような話なのに、フレアの本性が露わになりつつある今、キタローは他のメイドの性格にも疑問を抱きつつあった。
実のところ、とフレアが続けた。
「私たちはいわば概念の中に生きるようなものなので、もし天佑館が発展し、栄えていきましたら、さらに世界も広がるのではないかと考えられます」
「彼岸島みたいに?」
「彼岸島みたいに」
「とうとう具体名を出しちまった。後戻りはできないぞ」
二人は人生の危険球を投げ合っていた。この世界は灼熱の荒野以上に無法地帯である。
ここで、フレアが微笑んだ。
「ご主人様と一蓮托生ですので」
かわいい笑顔だった。
もしもこれまでの話がなければ、キタローは彼女を押し倒していたかもしれなかった。
残念なことに、彼の暴れん棒はすっかり落ち着いていたし、性的な欲求も亢進していなかった。理性絶対主義に目覚めたわけではないが、フレアのことは「かわいいメイド」から「ボケもツッコミもキツい女友達」カテゴリに移動していたのだ。
「俺を巻き込まないでくれ」
「そうおっしゃらずに」
「ちょっと今、この館の主人になったことを後悔しつつあるぞ」
「入学したての中学生のようなものです。制服に慣れてリア充グループに入れれば、すぐに楽しくなりますよ」
「俺は充実してない側だったんだが」
「お気の毒に……」
作品名、男を哀れむメイド。
「本気で哀れむ目はやめろ! 繰り返す、本気で哀れむ目はやめろ!」
時として、同情はいかなる罵倒よりも明確に人を殺す。フレアはキタローをよしよししかねない勢いで、本気で哀れんでいるようだった。
非リアだからといって何だってんだ、とキタローは叫びたくなった。
「仕方ありません。では、無表情で見つめます」
「あ、心痛い。無精髭みたいにめっちゃちくちくする……」
おひげがいたいよう、である。
「そうでしょう? 感情というものは効果的に使われるべきなのです。ビバ・エモーション」
フレアが謎のポーズを取った。右手と左手を斜め上四十五度にピンと伸ばし、脚を交差させている。かつて偉大なるマイケル・ジャクソンが取っていたポーズにも似ているが、若干のパチモノ臭がしている。
キタローはわかり始めていた。
天佑館という場所について。
ひいては、天佑館で働くメイドたちについて。
理想のご主人様ライフが幻想だと気づくくらいには、理解せざるを得なかったのである。