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ガチメイド  作者: 真里谷
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第十七話 これでもドラゴン

 秋の雨。風流ともの悲しさを備えた優しい雨が降る。天佑館の世界構造がどうなっているのかはわからないが、少なくとも雨のせいで何もかもが水没してしまうことはないようだ。

 キタローは外に出た。地面はまだぬかるんでいない。制服が泥で汚れる心配は小さそうだ。

 もっとも、汚れたとしても、忠実なメイドたちが新品同様に洗ってくれるだろう。

 午前中に歩いた道を、記憶を頼りに歩いていく。

 厩舎があった。サティカがいるのはこの先のはずだ。馬たちが藁の中でぐっすり眠っているのが見えた。

 こういう日は部屋の中で眠るに限る。なんでまた雨中をさまよっているのだろう。

 キタローはそんな風に考えて、我がことながらに苦笑いが出た。

 アルマのために働くのは、彼女が怖いからか?

 いや、違う。誰にでも嫌われるのが怖いのだ。

 それが小さい人間の考えだとわかっていても、キタローは嫌悪される恐怖から逃れられなかった。

 サティカに出会ったであろう畑についた。

 だが、微動だにしないカカシの姿は見えない。

「雨の中を傘もささずに何をしておいでですか?」

 振り返ると、そこには逃げたはずのメイド長がいた。

「フレアか……」

 彼女は傘をさしていた。さらにはもう一本、余分の傘も持っていた。主たるキタロー探しに来たのだろう。

「私の乳房を触れないことが、そんなに悔しかったので?」

 ゆるやかな笑み。

 もう気にしていませんよ、と訴えかけてくるような表情だった。

「それはいい。いつでも触れる。今はサティカを探しているんだ」

 鼻の頭から雨粒を落としながら、キタローは答えた。

「サティカを?」

 フレアが開いている方の傘を差し出してくる。

 キタローはそれを受け取った。

「アルマと約束したもんでな」

 フレアがもう一つの傘を開くのを見ながら、キタローは答えた。

「そうでしたか」

「心当たりがあれば、教えて欲しい」

「サティカは雨の日も外で働いていますから、何とも申し上げられません」

 参ったな、とキタローは思った。

「今日じゃなくてもいいのかなと思い始めてるが、こういうことはなるべく早めにきっちりしておきたいんだよな」

 ネガティヴな状況が作用したのだろう。濡れた体に寒気が走った。

「では、いっしょに探しましょう。ここにいるという確証はありませんが、可能性だけであれば考えられる場所があります」

「心当たりがあるんじゃないか」

「あくまでも可能性です。空振りに終わっても仕方ないという具合ですね」

「よし、行こう」

 二つの傘の花が、ゆったりと畑の間を動き出した。

 雨はますます強くなっているようだ。傘を叩く音は大きく、伝わる感触は重くなってきた。

 遠くで雷が鳴っている。

「雷もあるんだな」

「夏には台風、春には嵐、冬には大雪。よりどりみどりで取り揃えております」

「晴れている方が良さそうなもんだが」

「天候ばかりはご主人様でも厳しそうですね……」

 そう言われると、キタローにも意地が出る。

「いや、いつか変えてみせる。天変地異だって起こしてみせる。取り急ぎおっぱいを揉む」

「結局はそこに行き着くんですか」

 ふっ、とキタローは笑いが漏れた。

「できることからコツコツと」

「揉めるものからモミモミと?」

「勃てるモノからガチガチと」

「出るのは液ですからトロトロの方が良いのでは?」

「素敵な提案だ。採用しよう」

 話しながら、農場の中を探索する。サティカの姿は見当たらない。雨だけが周囲を包む。太陽が隠れているため、視界も良くない。

 そもそも、あてがあるわけでもない。見つからないのが当然なのだ。

「いないな」

「いませんね」

 キタローとフレアは顔を見合わせ、歩く速度を落とした。

「サティカが住んでいる家はないのか?」

「彼女が館内に来ることは稀です。この前みたいに召集をかけた時だけですね」

「それ以外はいつも外でカカシの真似か……」

 そう考えると、サティカの生き方は求道者のようだ。晴耕雨読などとんでもない。晴れだろうと雨だろうと耕す。夜にはカカシとなって大地に根付く。

「いえ、もう一つ例外がありました」

 フレアが言った。

「どんな?」

「ドラゴンです」

「ああ、たまに来るって言ってたな」

「感覚が鋭敏なんでしょうね。来るとわかった時には、必ず館に来て教えてくれます」

「まさか、それじゃないだろうな」

 キタローは顔をしかめた。

「どうしてネットはあるのにスマホやケータイはないんだ」

「必要ないからです。例えば、そうした脅威が訪れた時には、館から花火を上げて知らせることになっていますから。昨日のご主人様の時は放送と狼煙ですね」

 その時、遠くの空に花火が上がった。

 雨で煙る秋空に、大輪の花が咲く。

「花火……だな」

「花火、ですね」

 今度こそ歩みを止めて、キタローとフレアは花火が上がった方角を見つめた。

「どう思う?」

「誤報でなければ、敵かと」

「戻るぞ!」

 キタローは走りだした。フレアも続いている。

 ぬかるみ始めた道に足を取られそうになるが、驚くべきバランス感覚が働いて、無様に転げるようなことはない。

「ご主人様、飛ぶことをイメージしてください」

「飛ぶ?」

「そうすれば、もっと早く走れます」

 フレアが加速した。地面を滑るような速さだった。

 キタローも後を追った。フレアの言うことが正しければ、彼は天佑館の絶対者なのである。とてつもない速さで大地を駆け抜けることも可能なはすだった。要は信じることだ。

 自分を信用すると、たちまち体が軽くなる心地だった。

 足だけに頼って走ることがなくなり、全身が躍動した。もはや傘をさしているのも億劫で、これを閉じてフレアの後を追った。追って、追って、追い抜いた。

 すぐに天佑館は見えてきた。急ブレーキをかけても、体中の肉がこそげ落ちることはなかった。世界のすべてが自分に味方しているような気がして、キタローは楽しくなった。

 ちょうど、玄関の扉が開く。

「ご主人様、ご機嫌麗しゅう」

 サティカが立っていた。二人の帰着を察知したとしか思えないタイミングだった。

「ご機嫌なもんか。敵が来るんだろう?」

 キタローは制服を整えながら中に入った。フレアも後からついてくる。

「そうですねえ」

 サティカは悠々たるものだった。まるで動じている素振りがない。それほどに慣れたことなのかもしれない

「スタジオ観覧の客じゃあるまいし、そんな落ち着いていていいのか?」

「来るものは仕方ないので」

「それもそうか」

 キタローも納得した。そうなるとわかったことを愚痴愚痴と言っても、全く意味がないことである。

「来るのは今晩ごろでしょうし、お風呂に入っては?」

「そんなにゆったりして良いのか……入るけど」

 キタローは手招きをした。

「フレアとサティカも来い」

「おや、私もごいっしょしてよろしいので?」

「胸を揉ませてくれたらな」

 あいさつ代わりのセクハラである。

 だが、サティカは胸を突き出してきた。

「私のつまらない乳房でよろしければ、どうぞどうぞ」

「ふむ」

 思わず感心し、揉む。

「ご主人様。じっくり吟味するのでしたら、入浴されながらでいかがでしょうか」

 フレアからのツッコミが入った。

 もちろん、キタローは構わずサティカのおっぱいを吟味している。

「メイド服の上から揉むことに価値があるんだ」

「いやあ、ご主人様は大層変態なご様子で」

「誰かそういうことを言っていたか?」

「メイド長が」

 サティカの口からは、わかりやすい容疑者の名前が漏れた。

「おい、フレアよ」

「事実ですので」

 フレアは淡々としたものだ。どのような罰でもお受けしますという顔で、すぐにでも逃げられる体勢を崩してはいない。

 だが、おっぱい欲を満たしたキタローとしては、ドラゴンの方が重大事だった。

「さて、迎え撃つ準備をしなくちゃな。何をすればいい?」

「特に、何も」

「何もってお前」

「強いて言うなら、ご覚悟をお願いします。私たちが可能な限り全力で立ち向かおうと思いますが、何しろ相手はドラゴンですから」

 無類の強さを誇る天佑館の主。その力をあてにするのは当然だろう。

 今まではメイドたちだけで戦ってきたと考えれば、むしろ健気さを感じ取ってやるべきだと思われた。

「わかった。もちろん、そのつもりだ」

 キタローは強く頷いた。

 襲来が近いとなれば、ゆったりと入浴もしていられない。フレアとサティカがいっしょに入ってくれたが、キタローとしては気もそぞろだった。

 ドラゴン。

 洋の東西を問わず、物語における重要な存在として現れる巨大な爬虫類。

 いったいどのような形で襲ってくるのだろうか。

 どれだけのメイドが死んでしまうのだろうか。

 自分は生きて明日を迎えられるのだろうか。

 思念は脳髄を駆け巡り、しかし答えを見出せず、湯の中に溶けていく。のぼせるまで入浴しているわけにもいかないが、体が温まると思考も進む。

 つい長めに入ってしまいそうなところを、フレアに起こされた。心配になって触れてくれたものらしい。

 危うく出口のない思索の迷路に囚われるところで、キタローは素直にフレアに感謝を示した。

 風呂から上がり、制服を着る。濡れていない別のものだ。もっと着飾ってもいいのかもしれないが、これから荒事になると思えば、着慣れている服にしておきたかった。

 バルコニーに出ると、あんなに降っていた雨がやんでおり、雲の合間から日が差していた。

 メイドたちが集まってくる。バルコニーから、窓から、玄関から、空を見上げている。

「来た!」

 ミオが叫んだ。

 巨竜が、まさしく日の差し込む雲の切れ目から舞い降りてきた。

「でけぇな……」

 遠いうちは豆粒のようだった。それから鳥が飛んでいるようになって、やがてフィクションの中の飛竜を模したフォルムが見えてきた。近づいてくると、顔のあたりから蒸気を噴いているのもわかった。竜は空飛ぶ蒸気機関車だった。違う点といえば、その蒸気機関車はジャンボジェットよりも大きく、グロテスクなまでの五角形の鱗を持ち、真紅の瞳を爛々と輝かせていた。

 キタローは知らず知らずのうちにぽかんと口を開けていたが、これに気づいて真一文字に締め直した。

 翼が空気を叩く音だけでさえ、身震いがするようだった。あの蒸気を噴く口から炎が放たれたとしたら、下界のすべては焼きつくされるのではないかと心配になった。

 ふいに、変化が起こった。ドラゴンの体が光に包まれ、その光が次第に小さくなっていくのだ。

 そうして、キタローの前に光の球が落ちてくるころには、人間大の大きさにまで収縮していた。

 光が、ぱっと弾けた。

 そこには竜の尾を持った少女が立っていた。

「ちわー、お久しぶりっす」

「ちっちゃくなった?」

 キタローはわかりきったことを言葉にしてしまった。想像外の事態を、思考の中で処理できなくなったのだ。

「レイヤ様、お久しぶりです。こちら、新しく当館の主となりました、キタロー様です」

 フレアが丁寧に礼をし、手でキタローを示した。

「あ、どもども、はじめまして。あたしゃいろんな次元を渡ってるレイヤっていうもんですわ。ご主人さん、どうぞよろしく」

「ああ、よろしく……」

 キタローは自分の声が全く小さく、蚊の飛ぶような音しか出せていないことを自覚していた。

「ご主人様、納得がいかないという顔をしていますね?」

 フレアに言われるまでもなく、理解も納得もしていなかった。

「あー、これ、フレアの説明不足っしょ? あたしにはわかっちゃうなー。この娘、大切なことをぼかすからなー」

「ドラゴンっていうし、この屋敷には武闘派も多いし、てっきり敵として戦うもんだと思ってた」

「違う違う。あたしゃここに酒を飲みに来てるだけ。さー、宴会だ! 準備はできてるか!」

 レイヤはずんずんと館内に歩いていく。メイドたちもその後に続いた。これでは誰が主かわからない。

 キタローはフレアのそばに寄り、耳打ちを試みた。

「なあ、フレア。あれがドラゴンか?」

「あれでもドラゴンです」

「変身する前は確かにそうだったが」

「気をつけてください、ご主人様。あの方はお酒が大層好きなんですが、ひどい絡み酒なんです」

「覚悟しろってそういうことか」

 キタローは胃酸がたっぷり出るのを感じた。

「しかし、他人の屋敷に来て勝手に飲んでいくって」

「あの方は特別なんですな、これが」

 後ろ手を組み、サティカが歩み寄ってきた。

「サティカも教えてくれればいいのに」

「いやはやいやはや、ついぞお伝えするタイミングを逸しました」

 サティカは手をふらふらと振った。

「あの方は次元竜。世界の次元を超えて渡る超次元の生命体でして」

「歓待しないと、次元の彼方まで吹き飛ばされることもあるんです」

「大迷惑だ!」

 災害みたいな存在だな、とキタローは思った。

 いや、フレアやサティカの話を聞く限り、それよりずっとタチが悪い。自律型の核兵器が訪ねてきているようなものである。

「さあ、参りましょう、ご主人様。もしこの平和な世界に唯一の戦争があるとしたら、あの方を招いた時の乱痴気騒ぎくらいなものですから、無事に戦い抜かないといけません」

「何だかなぁ……」

 キタローはすっかり脱力していた。いったいどういうことだと問いかけたくもなった。レイヤの大声が遠くから聞こえてきている。すでに宴が始まっているようだった。

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