第十六話 取り扱いにご注意を
キタローはフレアを見失った。
ミオを荷物として走ったのもあるが、フレアが本気で逃げたことも大きかった。かのメイド長は、もちろん天佑館のすべてを熟知しているはずである。見知らぬ場所の方が多いキタローにとって、これはかなりのハンデだった。
ともあれ、追いつけないとわかったからには、走る必要もない。
廊下に置いてあった椅子に落ち着き、ようやく小脇に抱えていたミオを下ろす。
「びっくりしました!」
ミオが言った。
当然の話である。廊下を歩いていたら、いきなり主人に捕まって、なぜかダミー人形のように抱えられたまま運搬されたわけだから。
「すまなかった。ぶつかりそうだったから、つい抱えてしまった」
「普通じゃないですよう」
ミオは腰に手を当て、小さなお姉さん像を構築していた。
「いったい何を追いかけてたんです?」
「フレアを追いかけていた」
「メイド長を?」
「おっぱいを触ってたら逃げられて」
「それは仕方ないんじゃないかなぁ……」
ミオの視線が冷ややかだった。ジト目とはこういうものかと思わせてくれる。漫画なら6の字を傾けた形で表現されるだろう。
「というわけで、ミオのを触らせてくれ」
「ミオはメイド長の代わりなんですねー。ふーん」
この小さな乙女は、大人っぽいメイド長の代替品扱いされるのが不満な様子だった。腕組みをし、ぷいっとそっぽを向いて、対抗心を露わにしている。
「代わりじゃない。女の子の数だけおっぱいがある」
ぷすっ、と変な音がした。
それはミオが笑ったのだった。堪えきれずに空気が出てきたといった形だ。
「ご主人様も男の子だなぁって思います」
「だから」
「いいですよ?」
思わぬ快諾だった。
「ありがとう」
キタローは礼を述べたが、心の中に何か納得できないものが渦巻いている。
「うーん」
すっかり考えこんでしまった。
「どうしたの?」
「俺はわがままなのかな」
「いったいどうしたんですかぁ」
「嫌がられないと燃えない」
ミオがガクッと膝を折った。
「病気だー! それは病気!」
とんでもないお宝を見つけたかのように両手を振り、キタローに訴えかけてきた。
「これは病気なのか」
「しかも、難病。抵抗されないと燃えないレイプ依存症みたいなもんだよ!」
「それはまずいな」
キタローは口元に手をやった。
「清らかな俺のイメージが壊れてしまう」
「その点については安心していいんじゃないかなーって」
「どうしてだ」
「ご主人様。真顔で尋ねられると、ミオが悪いことを言った気になるよ……」
ミオがしょんぼりと目を伏せた。
もちろん、キタローとて全くわからずに問い返したわけではない。半ばわかっていながらにして、尋ねてみたまでのことである。
「まあ、客観的に考えて、おっぱいを揉むことに情熱をかけたプロジェクトXなんて、そりゃあ変態的ではあるよなあ」
「あ、良かった、自覚してた」
「というわけで、タッチ・ザ・パイオツ」
キタローの手が伸びた。
「いやん」
ミオが身をよじりながらも笑っていた。
「おっと、小さすぎて届かない」
キタローは虚空を掴んだ。
ギリッと歯ぎしりの音が聞こえた気がした。
「ご主人様、ミオを本気で凹ませたいの? それともケンカ売ってるの?」
「すまん」
これには頭を垂れるしかない。
「もー。ご主人様だって、ちんこマジちっちゃいって言われたら、それなりに凹むでしょ?」
「凹むなんてレベルじゃないと思うけど、なんとなく興奮しそうではある」
「やっぱりヤバいと思う」
ミオが目線を廊下にやった。
「あっ、アルマだ」
「おお、ホントだ。刀を持ってるな」
話には聞いていたが、あの陰気なメイドが帯刀している姿を見るのは初めてだった。しずしずと歩くその姿に太刀を帯びているのは、あまりにも似つかわしくないが、ミスマッチがかえって良い効果を生み出しているとも言える。何しろ一度見たら絶対に忘れないだろう。もしも夜中に出会っていたら、びっくりして腰を抜かす可能性まであった。
そうした姿を見つつ、キタローはミオの小さな乳房をもてあそんでいた。
「ご主人様……話しながら触るのはびっくりだよ」
「俺はお前が驚かないことの方がびっくりだ」
「当然! だって、ご主人様のことは大好きだもん」
ほう、とキタローは言った。
「AとBまではオッケーなんだな」
「うん、いいよ」
「嬉しいねえ」
そう言いつつも、おっぱいよ育てと念ずるように、ミオの乳房をわしわしと揉んでいく。
「あ、でも、乳首を重点的に攻めるのは勘弁かな。気持ちよくなるから……」
「いいともいいとも、ぐへへ」
「ご主人様がエロい波動を放ってるよぉ」
「エロスなくして生きていけない。それが男の子なんだ」
「ほら、アルマがこっち来てる」
そう語るミオの顔色が、変わった。
キタローも見た。かの帯刀メイドは刀を左手に持ち、右手を柄に添えている。いつでも抜刀できる体勢だ。
思い出す。アルマは刀を持っているのみならず、居合の使い手であるという情報を。
アルマの歩みがいよいよ早くなった。
「なんで柄に手をかけてるのかな」
「アルマ! これね、ちょっとね」
近づいてくると、その眼差しが異様なことに気がついた。
「お浮気、ですか? お浮気、ですね?」
「やばいっ。アルマがすごい目してる!」
「待て。落ち着け。話せばわかる!」
アルマはやる気だ。そう受け取らざるを得なかった。
「犬養毅首相が、どうなったかは……」
抜刀。
「うおおっ!」
キタローにはすべての動きがスローモーションに見えた。
だが、体の動きが遅くなることはなく、自然と対処が可能なのだ。
驚いている間に、アルマは刀を抜き放っている。抜かれた刀は一気にキタローめがけて疾る。
キタローはこれを白刃取りでもって受け止めた。
「止めたぁー!」
「さすが、ご主人様」
アルマはその結末を予期していたようですらあった。
「なんでお前に斬られにゃならんのだ!」
「夕食に、誘っていただいて、愛してくれているものと」
「すごい飛躍してる!」
どうやら昨日の夕食を共にしたことで、このメイドにも小さな愛の種が生まれたらしい。
だが、キタローにしてみれば、それで斬られたのでは堪ったものではない。
「あの時はフレアもいっしょだったじゃないか!」
「メイド長……メイド長を、斬る?」
首を傾げるアルマ。
「そうじゃない!」
「やめて、アルマ」
「ミオ、貴方も、恋敵?」
アルマの目がぎらりとミオを向く。
それだけで、ミオはぴょこんと背筋を伸ばし、そのまま凍りついてしまう。
「アルマ、お前は俺のことが好きなのか?」
「好き、です」
頬がほのかに赤くなる。かわいい仕草なのに、彼女が刀に込めた力は止まらず、今もなおキタローを切り裂かんとしているのだ。
「嬉しいな。だが、俺はいきなり斬りかかるアルマより、はにかんだ笑みを見せてくれるアルマの方が好きだ」
「私は、すぐに斬りかかる私の方が、好きなので」
「妙なところで狂った自負心を!」
相手を斬り伏せる自分が好きとは、キタローには理解し難い自己愛だった。他のメイドでもおそらくわからないであろう感情だ。
一方で、キタローはこうも思った。
「だが、俺を好きって言うのは嬉しいな。まだ出会ったばかりだってのに、いろんな相手から好かれる」
「ご主人様は、かっこいい」
「ミオも大好きなんだよ! だから、斬らないで!」
アルマの目が、異様な輝きを帯びる。
「斬る」
「なぜだ!」
「斬れば、永遠に私のもの」
「どうしてそうなっちゃうかなぁ」
ミオも取り付く島がないようだ。
ならば、自力で解決する他ない。
「アルマ! おっぱいを触らせてくれ!」
「え……?」
「このタイミングで言うんだ……」
「俺はお前のおっぱいが欲しい!」
キタローの熱い言葉が届いたのか、アルマの力が緩んだ。
「それは、その、触る? 愛撫?」
「そうだ、ペッティングだ!」
「私だけを、揉む?」
「いいや、みんな揉む!」
「斬る」
力が元に戻った。
「待て待て待て!」
「いい雰囲気で解決しそうだったのにー! ご主人様のドスケベー!」
「仕方ないだろう! 俺は三百人のおっぱいを揉むと決めたんだ! 一日に一おっぱいでも一年弱楽しめるから、それをローテーションしたいんだ!」
「正直は、好き」
アルマは再び力を弱めた。ジェットコースターのような緩急である。あるいは、彼女の中でもキタローの評価が乱高下しているのかもしれない。
「そうだろう、そうだろうとも!」
「手当たり次第は、嫌い」
「アルマが抱かせてくれるなら、それについても考えなおすぞ!」
「ご主人様、わりとクズ指数が上がってるよ! だいじょうぶ?」
「体はダメ。血で汚れてるから……」
どういう意味だ。
その疑念はあったが、それ以上に性欲の衝動がキタローを包んでいた。
「もうさー、ヤリたい盛りのさー、十六歳だぞ、俺ってば!」
「ちょっと待って?」
ミオが突然手を叩いた。
「何だ、ミオ!」
「アルマはご主人様に愛されたいんだよね」
「愛したい、愛されたい」
目だけでミオを見ながら、アルマが言った。
「ご主人様はみんなのおっぱいを揉もうとしてるんだよね」
「そうだ」
こちらも目だけでミオを見やった。
「でも、その目的はみんなの個性を引き出すためだよね」
「おう」
「別に誰を愛してるかは確定してないんじゃない?」
数瞬の沈黙。
「……そうなんだ」
アルマが殺気を消し、刀を引いた。
これに合わせて、キタローも刀から手を離す。
突然に再度の斬撃があるわけでもなく、アルマは刀を鞘に収めた。
「わかってくれたか」
「わかり、ました」
「危なかったぁ。アルマ、ダメだよ。斬るのは雪だるまにしておかないと」
雪だるまを両断するのがアルマの趣味とは聞いていたが、ミオの口ぶりからすると、それは天佑館でも恒例の姿のようだった。
「まだ、雪が、降っていない」
アルマが残念そうに首を振るが、キタローには腹案があった。
「カカシを斬ればいいんじゃないか?」
「サティカが、怒る」
「農場の担当だったもんな。いや、わかった。俺が話をつけてやろう。他ならぬアルマのためだ」
ただ自分のために働いてくれる。
その響きがアルマを捉えたようだった。希望の光を瞳に灯し、キタローを見る。
「私の、ため?」
「ああ。やってやるさ」
「嬉しい……」
笑顔。
その笑みが強烈な独占欲の向こう側にあると考えると、より貴重なもののように思えた。
嫉妬深さはいずれ解消してもらう他ないが、ともあれ今は話をつける時である。
廊下の窓の雨天はいっそう激しさを増しつつあったが、キタローはすぐにでもサティカに会いに行くつもりだった。
自分の命が惜しいわけではない。アルマに斬られても防ぎきる自信があったからだ。
だが、自分の行動で笑顔を作れるのなら、それが一番良いと考えていた。




