第十五話 おっぱいを獲れ!
結局、昼食はしっかりと平らげた。
今はキタローの私室に戻り、ソファに身を預けて、窓の外を眺めている。
フレアはその窓の横に立っている。彼女は曇天を見つめていたが、やがて落ちてきた雨粒で窓が濡れていくのを、じっと観察していた。
「雨だな」
「降りましたね」
キタローが誰にともなくつぶやくと、フレアが振り向いた。
「ああ、聞こうと思ってたんだ。天気予報ができるメイドがいるのか?」
午後からは雨という情報は聞いていたが、それを誰が出しているのかという興味があった。
「予報というよりは予言でしょうか。占い師がいるんです」
「またうさんくさい方向に話が転がってきたぞ」
「毎日占いをして、イントラネットに流しているわけですね」
そういうことか、とキタローは思った。
同時に、彼の興味は占い師からネットへと切り替わった。
「そうだ。ネットがあるって言ってたな」
「見ますか?」
「見よう」
組んでいた足を戻し、立ち上がる。
「こちらです」
フレアが彼女のために設えられた机に近づき、ノートパソコンの画面を見せた。シャットダウンはしていなかったらしい。すぐに画面は復旧し、天佑館の各情報にアクセスするためのトップページが表示される。
いかにもビジネスで使うような画面構成である。彩りには欠けているかわりに、機能性を重視していた。
「ほっほー、こうなってたわけか」
「常に新鮮な情報を共有して、仕事に影響が出ないように努めています」
お知らせのための掲示板も機能している。「緊急」や「定期」などでグループ分けされており、情報の優先度が設定されていた。
「これを構築したのは誰だ? 昔いた別のご主人様か?」
キタローはフレアに導かれるままに椅子へと座り、マウスを手にそれぞれのページにアクセスを始めた。
「そうですね。そうなります」
「歴史を感じるな」
「残っていないものも多いですけれど、こうしてご主人様に使っていただけることは、私たちの喜びなのです」
「お、メイドのプロフィールコーナーもある」
社員名簿ならぬメイド名簿だ。写真付きなのが目を引く。
「まだまだ整備中ですが、更新を続けています」
「ちょっとした風俗のホームページみたいだ」
視界の隅で、フレアの目がきらりと光った。
「ご主人様、なぜそのようなことをご存知で?」
キタローはここに至って、自分の失敗を自覚した。
「え、いや……」
「まだ十八歳未満でいらっしゃいましたよね?」
「それは、その」
ふぅ、とフレアのため息。
「竿が求めるままに行動してしまったというわけですか?」
「そうだな、そういうことになる」
「しっかりしてください、ご主人様。私たちはいつも出勤しています。指名可能かどうかを調べる必要はありません」
ここまで来ると、小馬鹿にされている気がして、キタローの中には反骨心がむくむくと湧いてきた。多少は興奮する心もあって、股間もまたむくむくと持ち上がりつつあったが、それはほんの一部だけだ。やはり女の子からは叱咤や罵倒ではなく、甘い言葉を聞きたかったのである。
「思わせぶりなことを言って、風俗がしてくれるようなサービスはしてくれないんだ」
ひどいいじけ方もあったものだが、キタローの偽らざる本心だった。要はイチャコラしたいのである。目が覚めたら横にいてキスをして欲しいし、もっと言えばアレでソレなモノをいじったり咥えたりして欲しいのだった。
「むくれないでください。これはご主人様のためでもあるのです」
フレアはメイドというより母親のように、キタローをなだめに掛かっていた。
「俺のため?」
「私たちが本気を出してしまったら、ご主人様はポンプのように精液を吐き出してしまって、とうとう倒れてしまうでしょう。いかに精力絶倫に強化されているとはいえ、一対三〇〇では結果は明らか」
私たちは絶技を持っているんだぞ、という自負心が垣間見えた。
キタローはこの言葉をまるで信用していない。フレアは耳年増であっても、経験自体はほぼゼロに近い、下手するとまったくのゼロで、自分と互角ではないかと考えている。
「待て待て。今の俺を侮るなよ。教えてくれたのはフレアだが、なるほど、今ならなんだってできる気がする。種馬なんかは一年に何百回も種付けするんだろう? 馬にできて人にできない道理があるか」
要はヤリたいのだが、このメイド長は頑なだった。
「私はイヤですよ。せっかく来てくださった、これまででも最高のご主人様が腹上死だなんて。もしご主人様の伝記を書くことになったら、最後の行が『腹上死であった、と記載されている』になってしまいます」
「後宮小説か……」
「三百人の未亡人と三百強の父なし子が生まれるわけです。かなりの悲劇ですよ」
フレアの言説に納得しかけつつも、一つの疑問が顔を出す。
「気になったんだが、孕むのか? 処女膜は再生するんだろう? 妊娠するんだとしたら、みんな処女懐胎になっちまうぞ。キリストが何人いても足りない」
「試してみたことがありませんから、何とも」
「試そう」
キタローの声のボリュームが露骨に上がった。
「まだ時期尚早です」
「何もかも早い早いって! 毛利家の新春の恒例行事か!」
今年こそ倒幕しようぜ。
いや、まだ早いし。
こういうやり取りが新春の毛利家では行われていたというが、俗説の域を出ていない。
「あれは史実ではないのでは?」
「史実じゃなくても面白いからいい。孔明がビーム撃つようなもんだ」
「納得しました」
納得するんかい、とキタローは思った。
「決めたぞ、俺は決めた」
「突然どうされましたか。ドラッグでもキメましたか」
「ヒャッハー!」
キタローはバンザイし、白目を向き、舌をベロリと出してやった。
「古典的な中毒者の演技ですね」
「リアルすぎる中毒者の演技をしたら、ひたすらに怖いだけだろ!」
フレアが少し引いていたので、キタローは当然に反発した。
「まあ、そうとも言いますが」
「こんなにかわいいメイドたちに囲まれてるのに、それがみんな化物に見えたりするんだ。幻視幻覚なんでもござれってな」
「ぜひメイドというドラッグ以上の依存性のあるものに中毒していただきたいものです」
「自分から言うか」
「ご主人様をなくしたメイドは悲惨なんですよ? 賽の河原の石積みをやっているようなものです。誰もいないのに館の中をうろつき回ったり、飛来したドラゴンに裸で突撃したり」
「情緒不安定すぎる……半熟英雄の『きりふだ』じゃないんだぞ」
というより、もはや実情は徘徊老人に等しいのではないだろうか。
いるはずのない主人のために料理を作り、洗濯をし、虚空に向かって「ご主人様」と連呼する。
甲斐甲斐しいとか健気とかそういう評価を超えて、もはやホラーである。
「たとえご主人様がドスケベ性欲魔人だとしても、いないよりは何十倍もマシなんです」
「今マシって言ったね?」
「何度も申し上げておりますが、ご主人様は今までで最高のご主人様です。胸を張ってください」
「股間のテントならいつでも張れるんだがな」
キタローの大黒柱は今日も元気だった。今はさすがに横倒しになっているが、有事とあらば即座に対応する姿勢ができている。
「ところで、先ほど何かを決められたようですが」
「そうだった。フレアのせいでだいぶ脱線してしまった」
「私のせいではありません。私とご主人様の共同作業です」
フレアが強い語調で言い返してきた。
「結婚式かい」
「ほら、またズレていく」
「俺が決めたことってのは、これだ!」
キタローはさながら剣豪が抜刀するような速さで、フレアのおっぱいにタッチをかました。
タッチしただけならいざ知らず、揉んで擦るまでを一工程に組み込んでいる。
もし「パイタッチ道」という武芸があったならば、その妙技は免許皆伝級ではないかと思われた。
「わっ、わわっ」
フレアが驚いて、飛び退いた。
全く予期していなかったのか、しっかり胸のガードも固めている。
「ホントにボディタッチには弱いのな、お前……」
「いきなり何をなさいますか!」
顔だけでなく耳も赤いフレア。
「これなんだよ、俺が欲しかったのは。個性の表出、仮面の破壊。メイドがメイドたる以上に息をしている人間である。それを知るために、俺はパイタッチをすることにした」
「どこをどうひっくり返しても、欲望がだだ漏れのような按配ですが」
「考えてみろ。この世界は俺の思い通りになる」
「はい。ご主人様は絶対ですので」
「だが、唯一、俺の思い通りにならないものがある」
キタローは天を指差した。
「メイドたちの貞操だ!」
「そう力を込めて言われましても」
「言うさ、言うね、言わずにはいられない。フレア、お前は意外と無防備だ。胸を押し付けてきたこともあっただろう。きっと、自分で予期しているエッチな真似に関しては、まるで抵抗がないに違いない。だが、今みたいに不意を突かれてのセクハラには滅法弱い!」
「……そうかもしれません」
フレアはうつむき、それから窓を見た。もちろん窓の外に最適な答えが書いてあるはずもなく、彼女の目は雨の降る田園を捉えたのみだ。
「できるって言うのは残酷だよな。乗り越える楽しみがないじゃないか。俺はどうやらこの世界では最強と言っても過言ではないらしい。そうなると、できないことの方が貴重に思える」
「隣の芝生は青く見えるということですね」
「俺はお前の下の芝生を見たいんだ!」
ド直球である。
「芝生ではなくゆで卵みたいなものかもしれませんよ?」
まさか、生えていないというのか。
キタローは地動説を初めて聞いたルネサンスの学者のように愕然とし、我慢できずに立ち上がっていた。
「それは聞き逃せない情報だぞ」
「ですが、まだ早いです。出会って一日でおいそれと見せるわけにはいきません」
出会って何日ならフラグが立つというんだ。
キタローはそう思った。
「俺は見たいんだ、裸を」
「とうとう飾らなくなりましたね」
「見せろ」
「イヤです」
「イヤよイヤよも」
「まっくのうちー、まっくのうちー」
フレアがにわかに上半身を8の字に躍動させ、猛烈に躍動し始めた。
「うおっ、デンプシーロールだと!」
「では、私はこれで」
突然に動きを止めて、ビシッと敬礼してみせる。
かと思えば、くるりと反転、背中を向けて、一目散に走りだした。手をハッキリと振るその遁走の仕方は、映画「フォレスト・ガンプ」を思い出させる雄大なものだった。それをメイドがやっているのはおかしくもあり、また奇妙でもあった。
「……はっ!」
キタローは我に返った。
「あまりにも衝撃的な行動のせいで固まってしまった。待てー!」
すぐに後を追った。
体の軽さを感じながら、部屋の外に逃れたフレアを追う。
これならすぐに追いつくだろうと感じた矢先、廊下の角を曲がってきた影があった。
ミオだ。
ちっこいメイドがびっくりする姿が見えた。
このままではぶつかる。
そう直感したが、キタローはもはや尋常の人間ではない。
彼はわずかに侵入ルートを変えつつ、ミオを小脇に抱えた。
「えっ?」
驚くミオもそのままに、キタローは彼女を抱えたまま、フレア追跡を続行した。
「ええーっ!」
叫んだところでどうなるわけでもない。
あわれ小さいメイドはショルダーバッグのように抱えられ、流れる景色と一体化。この追跡行に参加させられることになったのである。




