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第4話 魔王の娘、馬車に酔う  

 ルナリス・ヴェルグリムは人生で初めて知ったことがある。

 それは、馬車というものは、思っていたよりも揺れるということだ。


「……この乗り物、欠陥品じゃないの?」


 揺れる。

 とにかく揺れる。


 石が転がるたびに車輪が跳ね、車体ががたんと大きく傾く。

 先ほどからルナリスの頭は、右へ左へと忙しなく振られていた。


 魔王の娘たるもの、多少の揺れで弱音を吐くわけにはいかない。

 そう思っていた。


 だが。


「おえっ……」


 どうにも、胃のあたりがよろしくない。


 ルナリスは馬車の窓から外を見た。

 王都を出てから、すでに二時間ほど。

 街道の両脇には草原が広がり、遠くには森が見える。景色だけならば悪くない。


 問題は、景色が上下左右にぶんぶん揺れていることだった。これでは景色を楽しむのは不可能だろう。


「……人間は、こんな拷問器具で移動しているの?」


 窓の外を歩くソフィアへ、恨みがましい視線を向ける。


 白銀の髪を風になびかせながら、ソフィア・ストレイルは馬車のすぐ横を歩いていた。

 馬車に乗ればいいものを、護衛のためだと言って徒歩で併走している。


 驚くべきはその体力だろう。

 まったく息が上がっていない。


「魔王の娘が乗っている馬車の横を歩き続けて、何であんたは平気なのよ。せめてしんどそうにしてなさいよ」

「鍛錬しているからです。聖騎士たるもの半日は全力疾走できず、どうするのですか」

「そういう話じゃないわよ」


 ソフィアは窓の方を見る。

 正確には、ルナリスの表情を観察していた。


「ルナリス様。顔色が悪いですね」

「悪くないわ」

「唇の色が薄いです」

「光の加減よ」

「額に汗が出ています」

「魔族特有の美しさよ」

「手が震えています」

「あんたのぶっきらぼうな言い方に憤っているのよ!」


 ルナリスは力強く言い切った。

 だが、言い切った直後に馬車が大きく跳ねる。


「うっ」


 口元を押さえた。


 ソフィアは数秒、じっとルナリスを見る。

 まるで敵の弱点を探しているかのような視線だった。


「ルナリス様」

「何よ」


 ルナリスの言葉にトゲが増える。ただでさえ気分が悪いのに、これ以上悪化させないで欲しいという思いだ。


「ずばり馬車酔いですね」

「……違うわ」

「間違いありません」

「違うって言ってるでしょう! 私は魔王の娘よ! 人間の粗末な馬車なんかに負けるはずが――」


 がたんっ、と大きく車輪が跳ねた。


「うぷっ」


 ルナリスは黙った。

 ソフィアも黙った。

 少し離れた場所を進んでいた護衛騎士たちも、気まずそうに黙った。


「……止めてください」


 ソフィアが御者へ声をかけた。


「えっ、ですがソフィア殿。まだ予定より早いくらいで」

「問題ありません。止めてください」

「は、はい!」


 声は静かだった。

 だが、逆らってはいけない声音だった。

 馬車がゆっくりと止まる。


「ルナリス様。下車を提案します」

「嫌よ」

「酔いを悪化させます」

「……酔ってなんかないわよ」

「了解です。では、ルナリス様の健康を優先し、強制的に降ろします」

「自分で降りるわよ!」


 ルナリスは勢いよく馬車の扉を開けた。

 そして、そのまま地面へ降り立つ。


「……」


 数秒後。


「足元が揺れる……」

「ちなみに、私の指は何本に見えますか?」


 そう言い、ソフィアは人差し指を一本立てた。


「……二本?」

「なるほど。相当、深刻ですね」

「わ、私を憐れむんじゃないわよ!」


 ルナリスはふらりとよろめいた。

 その瞬間、ソフィアの手が伸びる。

 ルナリスの背中を支え、倒れないように受け止めた。

 鎧越しでも分かるほど、手はしっかりしていた。


「大丈夫ですか?」

「……大丈夫じゃないから、こうなってるんでしょうが」

「そうですね。失礼しました」


 素直に謝る。

 そこは少しだけ、予想外だった。

 ルナリスはソフィアの腕を借りながら、街道の脇にある大きな木の下へ移動した。


「ここで少し休んでください。風が通ります」

「何よ。意外と気が利くじゃない」

「護衛対象が吐いた場合、衛生管理と移動効率に影響が出るので、休息を提案しました」

「前言撤回。やっぱり最悪な護衛よ、あんた」


 ソフィアは荷物から小さな水筒を取り出した。


「こちらを」

「何これ?」

「酔い止め草を煎じた水です。苦いですが効きます」

「毒じゃないでしょうね」

「お望みなら毒見しますが、苦いという感想を言って終わりだと思います。それに――」


 ソフィアは続ける。


「そんな回りくどい手段を取らなくとも、今の弱ったルナリス様ならば剣を突き刺して終わりです」

「何であんたは、私を安心させる時に毎回殺し方の話を混ぜるのよ! もう良いわ! 頂くわよ、ソレ!」


 ルナリスは叫びながらも、水筒を受け取った。

 一口飲む。


「にがっ!?」

「効く薬は大抵苦いものです」

「人間は薬にまで嫌がらせを仕込むの?」

「薬に意思はありません。多少、薬師の腕前の差が出るくらいです」

「今日一番どうでもいい正論をありがとう」


 それでも、数口飲む。


「あ……」


 しばらくすると、胃の奥で暴れていた気持ち悪さが少しだけ落ち着いてきた。


「少し、楽になったかも」

「それは良かったです。ならば、もう少し休みましょう」

「そうね……そうさせてもらうわ」


 ルナリスは木にもたれ、目を閉じた。


「……魔族領では、あまり馬車に乗らないのよ」

「初耳です」

「魔獣を使うか、魔法を使うか、そういう移動が多いわ。馬車なんて、物資を運ぶためのものだと思ってた」


 言ってから、少しだけ恥ずかしくなった。

 まるで自分の世間知らずをさらけ出したようだったからだ。


 だがソフィアは笑わなかった。


「人間領でも、貴族や商人は馬車をよく使います。ですが、私は馬車よりも歩く方が好きです」

「へぇ。あんたにも好き嫌いがあるのね」

「あります」


 ルナリスは少しだけソフィアを見る目が変わった。

 まるで魔法人形のように無感情な人間だと思っていたが、ちゃんと好き嫌いという感情があることに驚いた。


「あんたの好きな事って何?」

「歩くことや本を読むことです」

「へぇ……本。私も好きよ、本。どういうのを読むの?」

「兵法書や戦術論です」

「あんたらしいわね。私は恋愛小説が好きね。そういうのは読まないの?」

「恋愛小説……手に取ろうと思ったことありませんでした。……最近購入した書物は『三分で分かる魔族の殺し方』なのですが、これはそういうカテゴリーに入るのでしょうか?」

「入るか! っていうか、何よ、そのアホみたいなタイトル!」


 ソフィアはあくまで真面目に答えた。


「アホ、という感想はありませんでしたが、作りこみが甘かったですね。アマチュア目線なら良書だと思いますが、私のようなプロから見れば、あと一歩というところでした」

「はぁ……なんていうか、選書が全てあんたらしすぎて、もう何もツッコむ気力も起きないわよ……」


 すると、ソフィアは何かを思い出したように手を叩いた。


「あとは馬が好きです」

「馬?」

「指示をよく聞きます。無駄に喋りません。荷物も運びます。優秀な存在ですよ」

「私への当てつけ?」

「不可解です。何故そう思うのですか」

「無駄に喋るし、荷物は運ばないし、指示には文句を言うからよ!」

「わざわざそういうからには、何かしらのコンプレックスがあるのですか?」

「そんなんじゃないわよ! あんたへ噛みついてるだけだから!」

「……なるほど、理解が不足していました」


 ソフィアは少しだけ首を傾げた。

 本当に分かっていない顔だった。


 その時、護衛騎士の一人が、少し離れたところから口を開いた。


「魔族にも馬車酔いなんてあるんですね」


 何気ない言葉だった。

 からかいのつもりだったのかもしれない。

 あるいは、ただ本当に疑問だったのかもしれない。


 だがルナリスの表情が、僅かに固くなった。

 ソフィアは、その騎士を見る。


「同じような肉体構造なのです。それならば当然あるでしょう」

「え?」

「魔族にも、人間にも、体調不良はあります。種族で珍しがる必要はありません」


 声は平坦だった。


「護衛対象の体調を気にするようであれば、直接声を掛けてください」

「……申し訳ありません」


 騎士はすぐに頭を下げた。

 ルナリスは驚いたように、ソフィアを見る。


「……あんた、今のは」

「事実です」

「別に、私は気にしてないわよ」

「ですが、私は気にします」


 即答だった。


「ルナリス様の体調は、私が把握すべきことです。他の者が面白半分に扱うものではありません」


 ルナリスは少しだけ黙った。

 その言葉は、優しさというより業務連絡に近い。

 けれど、悪い気はしなかった。


「……あんた、たまに変なところでまともね」

「まとも、ですか。自分はそういう認識をしたことがありませんが、ルナリス様が言うのであれば、そういうことなのでしょうね」

「そういうところよ。……でもまぁ、ありがとうね」

「? 後半、良く聞こえなかったのですが、何と?」

「あっ……! な、何でもないわよ!」


 その後、十分な休息を取り、ルナリスの顔色が戻った頃。


「出発しましょう」


 ソフィアが言った。


「もう大丈夫なの?」

「はい。ルナリス様が無理に不調を抱え込まないのであれば」

「……今、何か馬鹿にした?」

「していません」


 突然、ルナリスは馬車を指さした。


「あのさ、馬車の中に入ってきなさいよ」

「私が、ですか?」

「他に誰がいるのよ。外を歩かれたら、こっちはまた一人で揺れと戦わなきゃいけないでしょうが」


 ソフィアは少し考えた。


「護衛としては、馬車の外の方が対応しやすいです」

「その護衛対象からの命令よ」

「……承知しました」


 ソフィアは馬車へ乗り込んだ。


 狭い車内。

 向かい合って座る二人。

 窓の外では、護衛騎士たちが少し驚いたような顔をしている。

 その反応が謎で、ルナリスはつい護衛騎士たちに聞いてしまった。


「何か変なことでもした?」

「い、いえ。ソフィア殿が馬車に乗るとは思わなかったもので」

「護衛対象の命令です」


 ソフィアはそれだけ言った。


 馬車が動き出す。

 再び揺れが始まった。


 ルナリスは少しだけ顔をしかめた。

 それに気づいたソフィアは、何も言わずに座席の横へ手を伸ばす。


「何の真似?」

「手を」

「手?」

「掴んでいてください。揺れで身体が持っていかれないように」

「馬車の取っ手を掴めばいいでしょう」

「最終的には身体を固定するのが目的です。そちらでも構いません」

「……」


 ルナリスは一瞬迷った。

 そして、そっとソフィアの手を掴んだ。


 温かい。

 剣を握る者特有のゴツさがあるが、それでも柔らかく、安心する手だった。


「……これは、あくまで馬車対策よ」

「承知しました」

「変な意味はないから」

「分かっています」

「絶対、分かってない顔してる」

「いつもと同じ顔です」

「それが腹立つのよ」


 馬車は、ゆっくりと街道を進んでいく。


 魔族嫌いの聖騎士と、人間嫌いの魔王の娘。

 仲良くできるわけがない二人は――今日初めて、同じ馬車に乗った。

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