第20話 第二灯はラディアにて
ミレア村を出てから、しばらくの間、三人は大きな声を出さなかった。
南の水車道を抜けた先には、ラディアへ続く街道がある。
森の中よりは歩きやすいが、安全とは言えない。何故か? 敵は既に自分たちが南へ抜けたことを知っているからだ。
フィオナは、砕けた魔具の欠片を指先で転がしていた。
『第一灯、破損。月、南へ』
『第二灯、ラディアにて待機』
赤い文字は、朝の光の中でも消えない。
「第一灯は、ミレア村の穀倉にあった術式ですね」
ソフィアが言う。
「たぶんね」
フィオナは欠片を握る。
「ルナリスちゃんが村に入ったら赤い光を出す。そんで、村人に不安を植え付ける。第一灯はそういう仕掛けだった」
「では、第二灯も同じようなものですか?」
「同じだけならまだ楽かな」
フィオナは笑わなかった。
「ラディアだから、ですか?」
「せーかい。だってラディアは和平会議の場所だよ。人間側の代表も、魔族側の代表も、なんなら中立都市の兵も集まってる。そこで赤い魔力が暴れたら、ミレア村の比じゃない」
「和平の証である私がこの大舞台で暴れたということになる」
ルナリスの声が低くなる。
「そうなりますね」
ソフィアは即座に頷いた。
「敵は大満足でしょうね」
「大満足って言わないでよ。腹立つから」
「失礼しました。言い方を変えます。非常に不愉快なほど筋が通っています」
「言い直しても腹立つわね」
ルナリスはフードの奥で唇を噛んだ。
ここまで来た。ラディアは、もう遠くない。
それでも敵は、自分を殺すのではなく、自分の名と魔力を利用しようとしている。
「ルナリス様」
ソフィアが言った。
「何?」
「ラディアには必ず送ります」
迷いのない声だった。
「その後、敵が何を仕掛けようと、私は護衛を継続します」
「……ええ。頼むわよ」
「はい」
フィオナが少しだけ口元を緩めた。
「うん。よし。二人とも覚悟は十分。じゃあ、面倒事としゃれこもうか」
「その表現、嫌ね」
「私も同意見です」
「うえーん、ソフィとルナリスちゃんが酷いよう」
口には出さないまでも、ソフィアとルナリスはフィオナに感謝していた。
彼女がいなければ、ずっと神経をすり減らしたまま、ここへたどり着いていたのだろうから。
◆ ◆ ◆
一方、その頃。
中立都市ラディアの中央会議塔では、一人の男が窓辺に立っていた。
窓の外では、人間の旗と魔族の旗が同じ風に揺れている。その間には、中立都市を示す白い旗が掲げられていた。
男は銀縁の眼鏡をかけ、黒い手袋をはめている。
年齢は三十代半ばほど。穏やかな顔立ちで、口元には柔らかな笑みを浮かべていた。
男の名は、王国和平使節補佐、セイス・ランセディ。
会議場では穏健派として知られている男だった。
声を荒げず、誰に対しても礼儀正しい。人間側と魔族側の調整役として、彼を信頼する者も多い。
――そのセイスの足元に、黒外套の男が片膝をついていた。
「第一灯は破損しました。月は南へ向かいました。銀閃と情報局の小娘も同行しています」
「そうですか」
セイスは穏やかに答えた。
「ミレア村は?」
「完全な扇動には失敗しました。ですが、赤い魔力への警戒は残っています」
「十分です。よくやりました」
セイスは窓の外を見たまま言う。
「真実を塗り潰す必要はありません。一滴……一滴で良いのです。疑いを一滴落とせば、人は勝手に濁ってくれます」
黒外套の男は頭を下げた。
「第二灯を起動しますか」
「ええ。ただし、門は完全には閉じないように」
「閉じない?」
「彼女たちには、ラディアへ入ってもらわなければ困ります」
セイスは微笑む。
「魔王の娘が隠れていては意味がない。大勢の目の前で疑われ、弁明し、切り抜け、なお疑いを残す。その状態で会議場へ立ってもらう必要があります」
「銀閃はどうしますか」
「まともに相手をする必要はありません。災害に立ち向かえる人間がいませんからね。……彼女は剣で解決できない場所へ置きなさい」
セイスの声に、わずかな硬さが混じった。
「どこでも構いません。門前、人混み、会議場、どこでも良いです。彼女が剣を抜けば、彼女たちが悪になる場所です」
「承知しました」
「では、第二灯を」
セイスは街道の先を見つめた。
「ようこそ、魔王の娘。和平の舞台へ」
セイスの口元が三日月のように歪む。
◆ ◆ ◆
昼前。
三人とクロは、とうとうラディアへ続く街道に合流した。
街道には人が増えていた。行商人の馬車、荷を背負った旅人、護衛らしい剣士、巡礼者のような老人が同じ方角へ歩いている。
人が多ければ身を隠しやすい。しかし、それは敵が紛れていても分かりにくいのと同義だ。
「ここからは目立たないように進むよ」
フィオナが言った。
「ルナリスちゃんはフード深め。ソフィはその剣をもう少し布で隠せる?」
「隠す意味があるのですか?」
「あるよ。剣の柄だけで手出したらいけないのが分かるから」
「剣の柄に罪はありません」
「罪はないけど目立つんですー」
ソフィアは少しだけ考え、剣の柄へ布を巻いた。
「これでどうでしょう」
「うん。ちょっと怪しい旅の護衛くらいにはなった」
「怪しいのなら意味がないのでは?」
「大ありだよー。旅人なんて大体怪しいしね」
「反論する時間がもったいないですね」
「全く……あんた達はどこまでも緊張感がないわね」
ルナリスは思わず息を漏らした。
すると、ソフィアがそれに反論した。
「緊張感がないわけではありません。過度な緊張は初動を誤ります。なので、私とフィオナは日常から緊張をコントロールしているのです」
「ほんとかしら……」
しかし、ルナリスの肩の力は抜けていた。
こういう軽口があるから、足が前に出るのかもしれない。そう思ったことに、自分で少し驚いた。
やがて、街道の先に大きな城壁が見えた。
人間の旗と魔族の旗が、同じ風に揺れている。
その間には、どちらにも属さない白い旗が掲げられていた。
「あれが……ラディア」
ルナリスが呟く。
中立都市ラディア。
人間と魔族が和平のために集まる場所。
――ここまでの旅の目的地。
そして、敵が第二灯を用意している場所。
「到着まで、あと少しです」
ソフィアが言う。
「ええ」
ルナリスは外套の下で拳を握った。
もうすぐだ。もうすぐ、自分は和平の場へ立つ。
その時だった。
ラディアの城門前で、赤い光が走った。
地面に刻まれていた術式が一斉に浮かび上がり、門へ向かう人々の足元を照らす。
光は血のように赤く、朝の白い光の中で不気味に揺れた。
「何だ!?」
「魔族の術式だ!」
「赤い魔力だぞ!」
街道が一瞬でざわめく。
城門の上で鐘が鳴り始めた。
低く重い音が、ラディアの壁に反響する。
兵士たちが慌ただしく動き出し、門の前に槍を並べた。
馬車が止まり、旅人たちが後ずさる。
「第二灯、来たね」
フィオナが低く呟いた。
「もう起動したのね……!」
ルナリスの声が震える。
「そうですね。これが敵の仕掛けなのは間違いありません」
ソフィアが即座に答えた。
「ですが、周囲の人間は分かりません」
ルナリスは息を呑む。脳裏には今までの光景が浮かんだ。
敵は、ここまでの全てを繋げてきた。
「ルナリスちゃん、魔力は絶対に出さないで」
フィオナが言う。
「分かってる」
「ソフィもだよ。剣は抜かないで」
「……承知しています」
刹那、ソフィアは城門の上に立つ人間に気づいた。
ソフィアの碧い瞳から、ハイライトが消失する。
黒外套の人物。顔は見えない。
だが、その手には赤い石が握られていた。
ルナリスの赤い瞳が細くなる。
「あれ……私の魔力に似せてる」
「ルナリス様の魔力を模倣した起動石、ということですか」
「ええ。出来は悪い。でも、人間が見たら分からない」
黒外套の人物は、こちらを見下ろしていた。
そして、わずかに頭を下げる。
まるで、到着を歓迎するように。
「フィオナ」
ソフィアが低く言った。
「駄目」
「まだ何も言っていません」
「斬りたいんでしょ? 無理、駄目。全てがパーになるわよ」
ソフィアの声が更に低くなった。
「承 知 し て い ま す」
「承 知 す ん な っ て 言 っ て ん の」
フィオナも負けず、声が低くなる。精神力だけなら、ソフィアにも匹敵するのがフィオナだ。
ソフィアとの気迫のぶつけ合いに、一歩も譲らなかった。
「……ならば違う案を提案します」
ソフィアは剣の柄を握ったまま、ルナリスの前へ立つ。
「斬らずに突破します」
「突破って、どうするの?」
ルナリスが問う。
ソフィアは城門を見る。
門は完全には閉じていない。
わずかに開いている。
――まるで、誘っているように。
「敵は、私たちを中へ入れたいのでしょう」
ソフィアは言った。
「それも、疑わせた状態で」
「そうだね」
フィオナは頷くと、ソフィアが力強く言った。
「だからこそ、入ります」
「ソフィ……」
「それにはルナリス様にも覚悟を決めてもらう必要があります」
「ソフィア、あんた誰に向かってモノを言ってんのよ」
ルナリスの赤い瞳には、既に迷いがなかった。
「逃げるわけがないわ。疑われたままでも、私はラディアに入るわよ。和平の場へ立つために、ここまで来たんだから」
「ルナリス様……」
「ソフィア! 私を守りなさい、必ずね」
ソフィアは目を疑った。
今、目の前にいるルナリスがとてつもなく大きく見えたのだ。
何が変わったというのか。さながら、一流の戦士のような表情だった。
自然とソフィアは王族への礼儀を口にしていた。
「――イエス、マイマスター」
フィオナも、ほんの少しだけ笑う。
「よし。じゃあ敵の用意した舞台に乗ってやろうか。ただし、絶対に思い通りに動いてやらない」
三人と一頭は、城門へ向かって歩き出した。
赤い光が足元を照らす。人々の視線が集まる。
恐怖。疑い。好奇心。そして、敵意。
それら全てを受けながら、ルナリスはフードへ手をかけた。
「ソフィア」
「はい」
ソフィアが返事をすると、ルナリスはフードの裾に手をかけていた。
「刮目しなさい。これがルナリス・ヴェルグリム。あんたが護衛している魔王の娘よ」
そう言うと、ルナリスは一気にフードを取り去った。
人々が息を呑む。
黒い髪、赤い瞳、小さな黒い角。
そうだ、彼女こそが噂に聞いた魔族の――!
ルナリス・ヴェルグリムは、城門の前で顔を上げた。
「全ての人間よ! 魔族よ! 私を見なさい! 私こそが魔王の娘、ルナリス・ヴェルグリム!」
その声は震えていなかった。凛々しさと気高さを感じる。
彼女のどこに、やましいところがあるのだろうか。
「和平会議に出席するため、ラディアへ来たわ。ここを通してもらうわよ」
赤い光の中で――魔王の娘は、逃げずに名乗った。




