第1話 魔王の娘を護衛せよ
――魔族は敵である。絶対に殺すべき敵だ。
少なくとも、ソフィア・ストレイルはそう教わってきた。
魔族の証たる角を持つ者は斬れ。牙を剥く者は斬れ。人に害を成す者は斬れ。
そこに迷いなど必要ない。何故なら、聖騎士とは魔族を斬り裂く聖剣であり、人類を守る聖盾なのだから。
「――遅いです」
王都中央訓練場。
十人の聖騎士が、同時に地面へ転がった。
「ぐぁっ!?」
「な、何だ今の動きは……!」
「見えなかったぞ!?」
悲鳴と困惑があちこちから上がる。
木剣を握った若き騎士たちは、皆、王国の聖騎士団でも精鋭たちだった。魔族との戦場を生き抜き、勲章を持ち、酒場で語れば周囲から拍手される程度には強い。
だが、その若き獅子たる十人はたった一人の少女に、一分も持たなかった。
白銀の髪をセミロングにした少女――ソフィア・ストレイルは、乱れた息一つ吐かず、手にした木剣を下ろす。
倒された若き騎士たちはその所作の美しさに、思わず息を吞む。
「これで終わりですか?」
その言葉に、訓練場が静まり返った。
ソフィアに悪気はない。ただ、純粋に確認しただけである。
だが、倒れている騎士たちからすれば、煽られているようにしか聞こえなかった。
「言い方言い方。ソフィアちゃんや、もう少し言い方を考えなさいな」
訓練場の端から、呆れたような声が飛ぶ。
声の主は、聖騎士団副団長ガルド・グランベーズ。長い黒髪を後ろで束ねた、少しちゃらんぽらんそうな印象の男性騎士である。
「申し訳ありません。では、言い換えます」
ソフィアは少し考えた後、倒れている騎士たちへ向き直った。
「続けますか? まだ動ける方から順番に、もう一度倒します」
「言い換えた結果、悪化しているっつーの」
「え?」
ソフィアは小さく目を見開いた。どうやら本当に分かっていないらしい。
その様子を見て、ガルドは深いため息をついた。
「なんつーか……。お前さん、剣以外のことになると本当に不器用だな」
「不器用? 何のことでしょうか? 私は常に手を抜かず、物事に向き合っているだけです」
「それが不器用なんだっつーの」
周囲の騎士たちは何も言えなかった。
目の前の少女はまだ十六歳。
しかし、戦場において彼女の名を知らぬ者はいない。
――銀閃光のソフィア。
魔族との戦争において、幾度も最前線を切り開いた人類最強の少女騎士。
その剣は速く、冷たく、苛烈で、正確で、迷いがない。
彼女が前線に立った戦場で、人間側が敗北したことは一度もなかった。
「副団長、本日の訓練はこれで終了でしょうか」
「そうだな。と言いたいところだけど、団長がお呼びだ」
「団長が?」
ソフィアは首を傾げた。
聖騎士団長アルヴィナ・レインハルト。
人はこう呼ぶ。王国最強の女性、と。
ソフィアの所属する騎士団を束ねる女性であり、彼女にとっては師にあたる人物である。
「何か緊急の任務でしょうか」
「まーお前さんが呼ばれるならそうなんだろ。王城からの直命だそうだ」
王城からの直命。
その言葉に、ソフィアの表情が僅かに引き締まった。
「魔族の残党討伐ですか。心が躍りますね」
「違うわ!」
「では、反和平派の制圧ですか。魔族でないのが残念ですが、それはそれで」
「それも違うわ!」
「? では何を斬れば?」
「まず斬る前提で考えるのをやめろ。お前さんと話すといつも血なまぐさい会話になるんだよ」
ガルドは頭を押さえた。
ソフィア・ストレイルは優秀。これは事実だ。真面目で、忠実で、戦場ではこれ以上ないほど頼りになる。
ただし、物事を剣で解決しようとする悪癖がある。
そして本人はそれを悪癖だと思っていない。
「まあ、詳しくは団長から聞きなさいな。……あぁ、俺から一つ忠告しておくわ」
「はい」
「たぶん、お前さんが一番嫌がる任務だ。」
ソフィアは瞬きをした。
「私が嫌がる任務……?」
「あぁ。断言できるね」
しばし考える。
泥の中で三日三晩待機する任務。
山賊団の根城に単身潜入する任務。
巨大魔獣の群れを一人で足止めする任務。
どれも別に嫌ではない。任務ならばやるだけだ。
「分かりません」
「だろうな。まぁ、お前さんには謎かけしても無駄だと思ってたよ」
ガルドは小さく笑うと、ソフィアの肩をぽんと叩いた。
「心を強く持って任務を全うするといいさ。な、人類最強」
「はい、もちろんです」
ソフィアは真剣に頷いた。
その時点で、彼は少しだけ嫌な予感を覚えていた。
◆ ◆ ◆
聖騎士団長の執務室は、いつもより重い空気に包まれていた。
部屋の中央に立つソフィアの前には、団長アルヴィナ。
その左右には王城の文官が二人。
さらにテーブルには、なんと国王のみが捺印することを許さる玉璽が使われた封書が置かれている。
この意味を知らないソフィアではない。そう、これはただの任務ではない。
それだけはすぐに分かった。
「ソフィア・ストレイル」
アルヴィナが名を呼ぶ。
「はい」
「これより貴方に王命を伝えます」
王命。
その言葉に、ソフィアは自然と片膝をついた。
「謹んで拝命いたします」
「拝命が早すぎるわよ。まだ内容を言っていません」
「王命であれば、内容に関わらず従います」
「……その忠義、今だけは少し考えものですね」
アルヴィナは眉間を押さえた。
珍しい反応だった。
ソフィアは僅かに不思議そうな顔をする。
「任務内容は、和平使節の護衛です」
「和平使節、ですか」
「ええ。貴方も知っているでしょうけど、長きに渡る人間と魔族の戦争は終結へ向かっています。その証として、魔王領より一人の姫が我が国へ送られることとなりました」
「魔族の姫……?」
魔族の姫。その単語を聞いた瞬間、ソフィアの指がぴくりと動いた。
戦場の記憶が、ほんの少しだけ胸の奥を掠める。
焼けた村。
倒れた兵。
黒い炎。
笑う魔族。
魔族は敵である。
そう教わってきた。
そう斬ってきた。
そう抹殺してきた。
「その姫の名は、ルナリス・ヴェルグリム」
「ヴェルグリム……」
その名を聞き違えるはずもない。
ヴェルグリム。
魔王の血族に連なる名だ。
ソフィアは静かに顔を上げた。
「団長。その姫を、どこまで護送すればよろしいのでしょうか」
「この王都より和平会議の地、ラディア中立都市までです」
「承知しました。では、道中に現れる敵を排除すればよろしいのですね」
「そこまでは合っています」
「はい」
「問題は、その姫を絶対に死なせてはならないということです」
「当然です。護衛対象ですので」
アルヴィナは少しだけ言いづらそうに口を開いた。
「ソフィア。貴方には、その魔王の娘の専属護衛についてもらいます」
「了解しました」
ソフィアは即答した。その場の誰もが、少しだけ安堵した。
アルヴィナの両脇を固める文官も内心、胸をなでおろす。何せ、銀閃光の話は聞いていただけに、即断れる未来が視えたからだ。
だが次の瞬間、ソフィアはこう続けた。
「確認します。その魔王の娘が私を殺そうとした場合は、どの程度まで反撃してよろしいでしょうか」
文官二人が同時に咳き込んだ。
「ソフィア」
「はい」
「斬ってはいけません」
「では、骨を折る程度で」
「折ってはいけません」
「……気絶は」
「駄目です」
「説明を求めます。一体、何をすれば?」
「守ってください」
ソフィアは沈黙した。
難題である。
魔族を斬らず、折らず、気絶させず、守る。
それは彼女にとって、魔族の集団を一人で止めるよりも遥かに難しい任務に思えた。
「……努力します」
「努力では困りますね。王命ですから」
「承知しました。斬らず、折らず、気絶させず、守ります」
「言葉にすると不安になりますね。全く貴方ときたら……」
アルヴィナは深く息を吐いた。
その時、執務室の扉が叩かれた。
文官の一人が扉を開ける。
外にいた騎士が緊張した声で告げた。
「魔王領よりの使節団、到着しました」
部屋の空気が変わる。
「予定より早いですね」
アルヴィナが立ち上がる。
ソフィアもまた、自然と剣の柄に手を添えた。
「ソフィア」
「はい」
「剣を握らないでください。手を離しなさい」
「……はい」
ソフィアは剣から手を離した。
少しだけ不満そうだった。
王城の広間へ向かう道中、ソフィアはずっと無言だった。
魔王の娘。
和平の証。
護衛対象。
頭では理解している。
だが、心はすんなり納得してくれない。
やがて広間へ到着する。
扉が開かれると、そこには数人の魔族がいた。ついソフィアは剣を抜きそうになった。
人間の騎士たちが警戒する中、一人の少女が中央に立っている。
夜を閉じ込めたような黒髪。
赤い瞳。
頭の左右から伸びる、小さな黒い角。
年齢はソフィアよりも少し下に見える。
少女はソフィアを見るなり、心底嫌そうに顔を歪めた。
「……こいつが私の護衛?」
第一声がそれだった。
ソフィアもまた、少女を見た。
魔王の娘。
ルナリス・ヴェルグリム。
守るべき相手。
斬ってはいけない相手。
折ってもいけない相手。
気絶させてもいけない相手。
ソフィアは数秒考えた後、淡々と頭を下げた。
「ソフィア・ストレイルです。任務として、貴方を守ります。あくまで任務です」
ルナリスは鼻で笑った。
「任務ね。人間らしくて結構。どうせ本当は私を殺したいんでしょ?」
「私個人としては、無論です」
「ソフィア……。貴方は本当にもう……」
周囲がざわついた。
アルヴィナが遠くで頭を抱えているのが見えた。
ソフィアはすぐに言い直す。
「今は命令がないので殺しません」
「もっと悪くなったわよ」
ルナリスは盛大に顔をしかめた。
ソフィアは真顔のまま、首を傾げる。
「では、何と言えばよろしかったのでしょうか」
「知らないわよ。少なくとも、初対面かつ魔族の姫に殺す殺さないの話をする女がある?」
「魔族との会話経験は、戦場以外にありません」
「最悪ね」
「本当にそう思います。同感です」
「なんであんたが同感してるのよ」
二人の間に、冷たい沈黙が落ちた。
そして誰もが思った。
これは駄目かもしれない、と。
だが、その瞬間だった。
王城の天井に、赤い魔法陣が浮かび上がった。
「――!」
ソフィアの碧い瞳からハイライトが消えた。これは彼女が戦闘モードに入ったことを示す。
空気が、刃のように鋭くなる。
「伏せてください」
「は?」
ルナリスが聞き返すより早く、ソフィアは彼女の体を抱え、その場から跳んだ。
直後、ルナリスが立っていた場所に、黒い槍が降り注いだ。
床石が砕ける。
騎士たちが叫ぶ。
魔族たちが構える。
ソフィアはルナリスを抱えたまま着地し、静かに剣を抜いた。
「刺客です」
「見れば分かるわよ!」
「一応聞きますが、怪我は?」
「ないわ! あと降ろしなさい! 姫を荷物みたいに抱えるな!」
「護衛対象の安全確保を優先しました」
「だからって横抱きにする必要ある!?」
「効率の話です。これが一番運びやすかったので」
「こいつ本当に最悪!」
叫ぶルナリスを背に庇いながら、ソフィアは天井を見上げた。
魔法陣の奥から、黒装束の人影が三つ、ゆっくりと降りてくる。
彼らの狙いは一つ。
魔王の娘、ルナリス・ヴェルグリムの首だ。
ソフィアは剣を構えた。
「ルナリス様」
「何よ!」
「一つだけ約束します」
黒装束の一人がルナリスへ向け、光弾を放つ。
瞬間、ソフィアは剣を抜く。白刃が光弾を弾いた。
「私は魔族が嫌いです」
「この状況で言うこと!?」
「ですが、貴方は私の護衛対象です」
ソフィアの声は静かだった。
「なので、死なせません」
その言葉を聞いたルナリスは、一瞬だけ黙った。
そして、すぐに顔を逸らす。
「……ふん。なら精々、任務を果たしなさいよ。聞いたわよ、人類最強なんでしょ?」
「承知しました」
ソフィアは一歩前へ出る。
魔族嫌いの騎士と、人間嫌いの姫。
仲良くできるわけがない二人の旅は、まだ始まってすらいない。
だがその前に。
まずは、目の前の刺客を片付けなければならない。
いや、片付ける。
右助です。
また女主人公ものを書いています。よろしくお願いいたします。




