どこにもやれない気持ち
朝五時、まだ誰も目が覚めていない中眠気を遮断するように意識がはっきりと覚醒する。
ごった返した布団と枕、渡部たちの足を踏まないように足音を殺して洗面所へ行く。物音で渡部たちを起こさないよう静かに身支度をしながら昨日の夜を思い出していた。
渡部の誘いで柳と楓、その友達の三島、同部屋の齋藤と神室の七人でトランプ大会をした。ババ抜きや大富豪、ダウトなど、とりあえず大人数でできるゲームをひたすらやった。みんな一年で室内運動部ということもあり、顔見知り程度の中だったためかすぐに仲良くなりどんちゃん騒ぎと化した。奏の負けず嫌いが発動し、先生に怒られるまでゲームが続いたため、終了したのは十一時近くになった。その後も、他の人が部屋を出ていったあと、実は神室が三島のことが好きだという話題で盛り上がり、アプローチ方法について四人で話し始めたのを覚えている。
三島さんはバスケ部の一年で奏に次ぐ実力者らしく、今女子バスケ部は奏と三島、二年生が一人と三年生が二人の五人がスタートメンバーらしい。
神室も一年でバレー部のスタートメンバーなのだから、土俵には立てていると話をしたのだが、中々自信が持てないらしくどうしたら友達から進展できるのかを悩んでいるようだった。そんな話に夜な夜な花を咲かせていたが、神室が枕に顔をうずめながら三室のことが好きだと言っていた姿は、聞いているこっちもむず痒くなった。渡部も神室も、自分気持ちに正直に生きていることが羨ましいと思う。
支度を終え時刻は六時、ロビーに降りたが先生たちの様子は無く昨日同様自動ドアには電源が入っており抜け出してもバレなさそうなほどに閑散としていた。外の空気は冷たく風がやや強い、海が近いためか少し塩分も感じる。
長袖を持って外に出てきて正解だった。合宿前、奏にほぼ無理やり押し付けるかたちで貸した長袖のジャージは、合宿一日目に返却されていたが昨日は気温が高かったため着なかった。早速身に着け、ゆっくり息を吸い吐き出すと、朝の空気に紛れていつもとは違う柔軟剤の匂いが印象に残る。優しいお花の香りがする。そういえば昨日ババ抜きをしたときに、隣に座った奏と同じ匂いだったような気がして、いちいち人の匂いを嗅いで覚えている自分に嫌悪感を覚える。匂いに敏感って、気持ち悪いな、僕。
気持ちを切り替えて散歩でもしよう。昨日は海を見に行ったので、今日はどこか別の場所に行こうか。せっかく顧問のお金で遠いところまで来ているのだから何か特別なものを見に行ってみたいと思うのだが、なにせ初めて来た場所だからか何がどこにあるのかもわからない。
体育館傍の自販機で何か飲み物を買おうと商品の陳列を見る。寒いのでとりあえず温かい飲み物が欲しいと思いホットのコーナーを眺める。コーヒーにカフェオレ、ブラックのコーヒーにメーカー違いのコーヒーと、思ってみれば何故自販機にはコーヒーが多いのだろうか。コーヒーが苦手な僕には正直このコーヒーの数の多さには疑問を覚える。
どれにしようかと悩んでいると、後ろから誰かに肩を優しい力で二度叩かれた。先生に見つかってしまったのだろうか、まあ怒られることはないだろうが注意を受けるかもしれない。
後ろを振り向くと視界に先生の姿は映らなかった。気のせいかと思い自販機の方に振り向きなおすと、そこには自販機の商品を見ている奏がこっちを見ていたずら気に笑顔を向けてきた。
「おはよう。奏、朝早いんだね」
「おはよ、今日はたまたまだよ。コタロウこそ早いね」
「自然と目が覚めちゃって」
「ふーん」
そういいながら奏は自販機のラインナップを眺めていた。その横姿を見たとき、奏の長袖のジャージが目に映り、この前の汚れがきれいにおちていることに安堵を覚える。
「何か飲む?」
「え..いいの?じゃああったかいココアで」
この場で財布を持っているのは僕だけのようだし、ココは気前よく奢ることにしよう。自販機にお金を入れホットココアを二つ購入した。片方を奏に渡し、封を開け飲む。コーヒーは苦手だがココアは好きだ。奏もココアが好みのようで嬉しそうに口を着け、一口飲んだあと白い煙を吐き出した。まだ気温が上がっていないためか、温かいものを飲んだ後の息は白くなるようだ。
「はぁぁ、あったか~い」
飲み終えたココアの缶を備えついていたゴミ箱に捨てた。
「この後はどうするの?」
期待を含めた眼差しで見つめてきた奏だったが、あいにくと予定がない旨を伝える。すると彼女から行ってみたい場所があると提案を受け、それを了承した。渚はこの宿泊施設から歩いて少しのところにある海に行きたいらしい。海は昨日早起きして行ったのだが、奏はまだ見ていないらしく興味があるといわれたので、それを尊重することにする。
歩くこと数分、昨日訪れた海をまた見に来ていた。海が見えたとき、奏は興奮して海に入ろうとしたが、さすがにこの寒さで海に入ったら体調を崩してしまうと全力で止めた。その時彼女は頬に空気を溜め、言われなくても分かっていると言って静かに砂浜に身をおろした。
「朝だから、寒いね」
「確かに、匂いもちょっと臭いし」
奏は鼻を指でつまみ海への不快感を示した。確かに海は潮の匂いがして臭いと言えば臭いが、普段海に来ている人からしたら気にならない程度の匂いだろう。僕も昨日は少し不快感を覚えたのを思い出した。
少し風も強く、あまり天候が芳しくないことがスマホ天候情報に載っている。もう少ししたら帰ろうかと奏を見ると、水平線の奥を見ようとするように胸を張っていた。その様子があまりにも子供みたいで微笑ましい。
「あのさ、実は謝りたいことあったんだよね」
ふと表情を変え、真剣に海を見ながら口を開けた奏。謝りたいこと、とは何だろう。むしろジャージの件では僕が謝らないといけない気もするのだが。
「なにかあるかな?」
「その...学校でさ、変なことしないでって紙渡したやつ。ごめん、あの時は変に噂になるのが怖くて.. 」
合宿前のことだったか。確かにあの状況を彼女の視点で考えたとき、僕が誰かに言いふらしでもしたら、部活動停止という処罰が出ていた可能性が高いと思う。あの状況の彼女の判断は間違っていなかったと思思う。
「余計な事したのは事実だから」
「それでも、ごめん。心配してくれてたのに」
僕に向かって軽く頭を下げる彼女に、大丈夫だからと言って僕は砂の山を造った。その山の頂点に、落ちてた貝殻の破片を立て、山の端から少し砂をまわし取った。続いて奏が同じように砂山を少し崩して、それを交互に繰り返した。やがて砂の山が細々しくなり、僕が削ったのを最後に貝殻の破片が山頂から崩れ砂の山は平地に戻ってしまった。
その後奏は真面目な表情でこちらを見てきた。そうして目が合う。すぐに彼女は目線を逸らし、片手で前髪を直しながら口を開いた。
「コタロウ、今日のお昼さ、一緒にご飯食べない?」
「ん?いいけど、時間合うかな」
「合ったらでいいから...」
「分かったよ」
海の景色も堪能したことだし、そろそろ帰ろうかと立ち上がり奏に手を差し伸べる。手を取った奏を自分の方へ引っ張り立ち上がらせる。立ち上がった彼女はジャージの尻を軽く叩いて砂を落とした。
元来た道を戻りロビーの前までも戻ってきたとき、奏は恥ずかしそうに下を向き、前髪を直しながら「また、あとで」と言って部屋に戻っていった。時間はまだ余ってるし、朝ごはんの時間まで宿のロビーに置いてある本や雑誌を適当に眺めていようと思う。
朝ごはんを食べ終え、体育館内でランニングメニューに入っていた。僕は時間管理とペースキープのためにストップウォッチを持って二階キャットウォークから皆を見ていた。やはりスタートメンバーは体力が凄まじく、他の部員との差がついていた。二十分間走のあとはボールを使ったアップと駒工業との試合に備えてこの前の練習のビデオを見るらしい。合宿初日のビデオをどこで使うのかと不思議だったが、ココだったのか。
「あと五分!」
二十分だけだからと言って調子に乗った渡部と吉岡部長は残り五分になってペースが落ち始めていた。逆にサワちゃん先輩と神室はハイペースを保っておりトップを独走している。
いよいよ部長たちは後続の部員たちに追い越され最下位状態になったところで二十分が経つ。最下位二人は準備しておいたジャグに群がり二人で蛇口を奪い合っていた。監督に頼まれていた通り、メンバー各々の走り始め、中盤、後半の様子をノートにメモしたものをまとめ、一階に降りて休憩中のバレー部のところに戻る。先ほどのノートを監督に渡し、自分も買っておいた飲み物を飲む。
「渡部~」
バド部の柳とその友達であろう人が歩いてきた。
「僕たち午前で学校戻るんだって、だからさー残ってバレー部の試合見ていこうかなって友達と話してたんだけどさー」
「マジか!ばっちり活躍してやるから応援よろしくな」
「まかしてよ、いっぱい声出すから」
バド部は午前錬で終わるのか。そうなると、残るのは女子バスケ部と男子バレー部のみとなるのか。柳達は帰りのバスをどうするのだろうか。まあ男子バレーのバスには余裕があるから、乗せて帰ることも可能か。
日常会話を始めた柳達の横で試合用のボールに空気を入れておく。強豪との練習試合を見る機会は今までなかった。そもそもバレーのルールはわかるがちゃんとした試合は見たことが無かった気がする。
ふと、柳達を見ると、柳の友達がこちらを見ていた。あの人は確か、同じクラスの立花..だった気がする。丸い眼鏡が特徴の人気者だったから、記憶に残ってる。彼は座ってる僕の隣に腰をおろして声をかけてきた。
「コタロってなんで選手側やらないの?」
「僕は運動得意じゃないからね」
「じゃあなんでマネなんてやってんの?」
「いろいろあって、少しの期間のお手伝いなんだよ」
「なるほど、意外だったんだよね、あんまり自分から参加するイメージ無かったから。もしかしてクラスの人が好きじゃないのかなって思ってたんだよね」
「みんなと話せるほど、面白くも賢くもないからね」
「俺はそうは思わないけど..」
気まずい、友達の友達ってやつだ。同じクラスとはいえ関わったことはない気もするし、立花はクラスでも中心人物で、誰とでも仲良くなるしノリもいい、喧嘩してるのも見たことない、みんなに好かれる男の子というイメージがついている。
試合球を確認し終え、タイマーを確認するとあと三十秒ほどで休憩が終わろうとしていた。立花はまだ何か話そうとしていたが「そろそろ休憩終わるから」と言って会話を終らせる。彼も立ち上がり、「練習頑張って」と言い、柳とその場を去っていった。
「休憩終わりまーす!」
皆に伝わるような大きめの声を出し、監督のもとに集合した。監督は移動できるテレビとホワイトボードを持ってきてミーティングを始め、一日目の練習の映像を見ながら注意点、改善点があるときにはホワイトボードに書き出し、その都度意見を提示した。それの繰り返しで午前中の練習は終了した。
時刻は十一時、早めに切り上げ午後の練習試合に備えて休憩兼、部屋の片づけをしろとのことだった。ミーティング終わりのモップがけ中、吉岡部長が呟いてた。いわく初日からいろいろとスケジュール変更がかなりあったらしく、去年は練習試合がない分、ゲロ吐くほどに練習が厳しかったらしい。正直、楽で助かった。
モップがけを終え、体育館から宿泊施設へ戻る。渡部たちと部屋に戻り、帰りの準備をするしていた。チェックアウト後に清掃ができるだけ楽になるよう片づけよう。その際、齋藤が長袖ジャージが一着多いことに気づいた。
「お前らさーやっぱりジャージ一着多いよな?」
僕はジャージを一着しか持っていないため今着ているものがすべてだ。渡部と斎藤も一着ずつらしく、カバンを確認し終えていた。神室は二着持っているらしいが、今ちょうど確認し終え、誤差なし。やはり一着多いとなると忘れ物になるわけだが、昨日この部屋に訪れたのはあと三人、柳と三島、そして奏だ。
「柳はジャージ一着だけだし今日着てたよな。あとは渚か三島か?」
渡部と齋藤が思い出しながら、自分のカバンに荷物をしまい直していた。 今日の朝、奏に会ったがジャージは着ていたし、例の一件のとき、僕が押し付けたジャージに二着目があるとは言われなかった。もし二着目があったならすぐに僕のジャージは帰ってきただろうし。
「三島さんだと思う」
ぽつりと、不意に口から出てしまった。奏の可能性はほぼゼロに近いと一人で結論を出し固まってしまっていた。
僕の発言を聞いた渡部が、ニヤリと怪しい表情で、顎を手でさすりながらこちらに近づいてきた。
「な~んでわかるのかな~、な~みくん!」
渡部は良くも悪くも騒ぐので、あまり大事にしたくない。僕の頬を指で指しながら「言えよ~」とからかってくる渡部を無視し、忘れ物ジャージを神室に渡す。
「神室君、これ、たぶん三島さんのジャージだから、渡してきてくれる?」
「お、おう。まかせろ波」
神室の恋を応援しようと思いジャージを託す。神室に託したことで、渡部が「はは~ん」と言って今度は神室を茶化し始める。ごめん神室、本当はこうすればヘイトが神室に向いてターゲットが僕から外れると思ったんだ。奏とは友達だが嫌がらせがバレれば迷惑がかかる。だからここで話してしまうのは得策じゃないと考えたんだ。公開するのはせめて、今の三年生が引退してからだろう。
神室はジャージを持って部屋を出て行った。そろそろお昼の時間だし食堂に行けば会えるだろう。部屋も、脱ぎ散らかした服類はカバンにしまい終えあとは退出するのみとなっていた。
三島に会いに行くのに緊張したのか、神室は自分のカバンを持たないまま部屋を出て行ってしまったようだ。齋藤も渡部も一度体育館に荷物を置き、神室の様子を見に行くと話していたので、神室の荷物も持って行ってやろう。ついでに邪魔をしないように見張っていようと思う。三島がいれば奏も一緒にいるだろうし。
荷物を置き終わり食堂へと向かっている時、先頭を歩いていた渡部が手で遮り動きを静止させてきた。どうやら神室と三島を見つけたらしい。何か探すように周りを見ていた三島に神室が声をかけた。離れていたためか会話までは聞こえなかったが、神室は三島にジャージを渡した後、何か話していたようだった。時折三島の笑顔が見えたので、関係は良好だと渡部が呟いていた。
渡部がしゃがむ齋藤の肩に手をのせていたのだが、膝の限界だったのか齋藤が盛大に大勢を崩し、神室にバレてしまう。それに三島が気付いて、何してんだとお叱りを受けた。バレてしまっては仕方ないと、三人で三島と神室のところに合流する。
「見てたなら話しかけてよ」
そういう三島だったが、まんざらでもなさそうな様子で赤面しており、やはり経過は良好だと渡部がぼやいている。僕は神室にカバンを体育館置いたことを伝え、三島に奏の居場所を聞いた。お昼を一緒に食べる約束を破るのは気が引ける。
「それが、さっきからスマホ繋がんなくて...先食べててってだけメッセきてて」
「そっか」
さっき荷物を置きに行ったときは体育館にはいなかったが、まさかすれ違ってしまったのだろうか。約束は守りたいので彼女を待ちたいが、渡部たちは午後の練習試合があるため早めにご飯を食べていてほしい。
「渚だろ、体育館だから。波迎えに行ってこいよ。俺ら先に食べてるから」
変に笑顔を作りながら怪しい目線で下手くそなウィンクをしてきた。自分は出来る漢なのだという自信満々な様子の渡部。気が利くのかどうか怪しいと思っていたが、気が利きすぎて一周回ってしまっているらしい。練習試合の時間もあるからと、渡部はみんなを説得して先に食堂に歩いて行った。
待つこと数分、女子バスケ部らしい人は通るものの奏は見当たらない。やはり体育館でまだ練習しているのかと思い体育館を訪ねたが、人はおらず静まり返っていた。来る途中で柳と立花にも、奏を見かけたら先に食べててと伝言を託した。これで最悪僕がお昼抜きになるだけで済む。普段の食事量に比べたら、最近は食べ過ぎだなとも思っていたくらいなのでちょうど良いだろう。しかし、体育館にいないとなると部屋だろうか。部屋はお昼には出ろと先生が言っていたし、バスケ部も荷物は体育館に置いておく手筈になっていると三島が言っていたので、彼女の行き先は分からない。
三島が食堂に行く直前、返信が無いと言っていたことが気がかりになり、もう一度宿に戻ってみることにした。もしかして体調が悪くなったのかと思い、備え付けの医務室に寄るも、誰も来ていないと言われる。OBが経営してるだけあって、運動施設と医務室、食堂、風呂完備とは、凄まじく合宿にピッタリな場所だと思いつつも、だだっ広いため人と会うのは難しいなとも思う。そこでスマホで渡部に、「奏は来た?」と送るも、「来てない」とだけ返信。見つからないうすでに宿の方はチェックアウトが済んでいるはずなので部屋の中にいるということはないだろう。お昼の時間はあと少しで終わってしまう。
外に出て、もう一度体育館に行こうとしたとき、吉岡部長と、サワちゃん先輩に遭遇した。
「なみ~飯食ったか?俺ら今からだけど」
「もう終わっちゃいますよお昼」
「吉岡がランニング行きたいとか言ったせいだからな」
相変わらず仲が良いようで。以前、サワちゃん先輩の横に立つ人は目劣りするといったが、吉岡部長は例外らしい。良いタッグに見える。
「そういえば波、あれから沢村に絡まれてないか?」
「え?いや... 」
サワちゃん先輩の気遣いに反応した吉岡部長が思い出したように話し始めた。
「ああこの前絡まれてたって聞いたぞ。あいつ嫉妬深いからな。そういえばさ、まえ、沢村見かけたときさ、ヤンキー何人か連れて歩いてたよな、自分よりでかいやつら侍らせて、何がしたいんかね」
「まあそういうやつだろ沢村は」
沢村、奏への嫌がらせの張本人。嫌な予感がした。ここまで施設中を見て周ったが、女子バスケは結構見かけたが、沢村たちは一回も見なかった。 初めて奏と話した朝のことを思い出した。たまたま見かけたとき、彼女は殴られていた。良くない妄想を思いつく。もし、奏があの三人に呼び出されていたら。人を平気で殴るやつが次、何をするかわかったもんじゃない。
「なみ、どうした?」
こちらのボケっとする様子に気づいた吉岡部長が声をかけてくる。
「先輩、人目に点きづらい場所って合宿施設にありますか」
少し考えてから、吉岡部長が思い出したように話し始める。
「そういえばさ、去年男バスの三年がタバコ吸って見つかったとこあったあよな」
「旧喫煙所な、清掃員に見つかったやつだろ」
サワちゃん先輩と部長の記憶が合うのなら、嘘の可能性はない。
「教えてください」
僕の切羽詰まった様子に気づいた二人が、ついてこいと言って体育館に走り出した。体育館のロビー、すこし入り組んだ形をしていると思った所以。最初来た時、体育館への入り口だと思っていた両引き戸には、清掃器具庫と書いてあった。そこを開け掃除器具や、その他の道具が置いてあるその奥。器具庫小野入り口からは道具で見えないようになっている。曰く清掃員用の喫煙所があるのだろう。部長がドアを開け、外へと出る。喫煙所だった。ただの喫煙所ではなく、ゴミ捨て場も兼用のようだった。ホテルの別館裏口とつながるようにできており、周りの目がつきづらい。今、清掃員は部屋のチェックアウト後の清掃に駆り出されているから人が来る心配はない。去年の男子バスケのタバコ騒動を知っていて、この場所が清掃員しか使わない場所だと把握している奴の犯行。言わなくても分かる、沢村だ。
そこには、どれだけ探しても見つからなかった奏が、溜まったゴミ袋の端に倒れて、すすり泣いていた。唖然とする二人を押し退け、真っ先に彼女のもとに駆け寄る。彼女は小さな声で、自分を押し殺すように掠れた声で何かを伝えようとしていた。
「........汚いから...こないで」
顔には殴られた跡があり赤く腫れあがっていた。ちがう、もっと大事なことを見落としている。奏は起き上がろうとしなかった。いや、出来ないんだ。嫌がらせには屈しないスタンスの彼女が、平静を装って今まで耐えてきたのに、今日に限って待ち合わせに来れない。それができなかったのは、身動きが取れなかったからだ。
彼女の足首が、彼女の顔の殴られ赤く腫れあがった顔の二倍くらいの赤色ではれ上がっており、靭帯か骨折といったところだろうか。動けない彼女を拓先輩の力を借りて抱きかかえる。動かしたとき、彼女はひどい声を上げたあと、我慢するように唇をかんだ。
「奏を医務室に運びます。先輩は救急車とバスケ部の先生に連絡をお願いします。そのあとは....練習試合があるので、そっちを優先してください」
部長はすぐに動きにうつり、スマホで救急車を呼びながら先生を探しに行った。
拓先輩はその場に立ち尽くして、僕と奏を見ていた。
「俺がもっと早く、沢村を注意してれば。防げたのか?」
自信の失った声で、呟くように口にした。
「悪いのは、僕です。彼女が嫌がらせに遭っているのを、僕は黙ってた」
今大事なのは問答ではない。彼女をいち早く、清潔で安全な所へ運ぶことだ。どちらにしろこの怪我の原因は沢村達だ。どう頑張っても言い逃れは出来ないだろうし、おそらく一時の感情で奏を傷つけたのだろう。
僕は奏を医務室へ運んだ。
「もうすぐ救急車が来ますので絶対に動かないでください」
医務室に奏を運び、救急車が来るのを待っていた。彼女は痛みに耐え、苦しみ泣きながら僕に「ごめん」とそう言い続けた。
まもなくして救急車が来て、彼女は病院に搬送された。とりあえずはケガとして。
誰もいなくなった医務室で、彼女を寝かせていたベッドの横の椅子に座りながら、考えていた。もし、僕がもっと早く彼女の居る場所に検討を着けていたら。もし、僕がもっと早く部長たちに会えていたら。もし、僕がもっと早く渡部たちにいじめのことを打ち明けていたら。もし、僕が、あの日の朝の段階で沢村達を止めることができていたら。実現もできない妄想を膨らますことしかできなかった。そうやって自分の無力感を、どうにか後悔に結び付けようとしていた。
練習試合がもう始まる。駒工業もおそらくもう来ている。行かないと。僕は今、バレー部のマネージャーだから。
現実から目を背けようとして、医務室を後にする。この上ない失望と悲壮感、虚無感が一気にミックスジュースとなって腹の奥底をグルグルと回っている。なぜ、頑張っている人が、つらい思いをしなければいけないのだろう。なぜ、優しい人は媚売りと言われるのだろう。そんなことを考えながら体育館まで歩いていた。
そこにはうちの高校と駒工業、そして奏以外の女子バスケ部がいた。バレーの試合はとっくに始まっており、得点版も工業の人がついていて僕がいる必要はない。ゆっくりと壁に腰を下ろして女子バスケ部を見ていた
監督であろう人がみんなの前に立ち、ミーティングをしているようだった。
「奏だが、先ほど大けがをしたそうだ。原因は今のところ分からないらしい。これじゃあ今大会には間に合わない。よって代わりのスタートメンバーに、二年の沢村を指名する。頼んだぞ沢村」
「はい!」
「じゃあ、十分後。試合形式の練習!」
「はい!!」
分かってなかったわけじゃないけど、分かろうとしなかった。沢村はレギュラーメンバーの座を取られた腹いせに、奏にいじめを行っていた。挙句、足を怪我させて自分がメンバーに返り咲いた。自分の実力を上げることじゃなく、他人を蹴落とすという手段で。
仲良く外に向かって行った三人組、沢村達の後ろをついてゆく。自分のスマホの録画をオンにしてポケットに入れる。三人はロビーの自販機の前で堂々と話し始める。
「はあーマジでスカッとした!いい人ぶってのこのこついてきて、もうこういうのはやめてくださいってさ!笑笑」
「それな!何様のつもりだよってね笑笑」
「それにあの、足折った瞬間の顔!笑笑マジうけるんだけど、写真撮ってアイコンにしたいわマジで笑笑」
なんの悪びれもなく、思いついたことを咀嚼もせずに吐き出す。録音は出来た。もうこれでこいつらに退学等の措置を受けさせられる。人の不幸で飯を食う。そんな人間が嫌いだった。今、僕はこいつらのこれからを握っているんだ。
「なあ、あんた。沢村だっけ?」
こちらに気づいた沢村と残り二人は、さっきまでと打って変わって顔色を真っ青にしてこちらを見ていた。
「ああ。あんた、あの鬱陶しい奴の連れよね。奏なら帰ったわよ。笑笑 あんたの顔見ると気持ち悪くなるって笑笑」
「ねえ、さっきの、きかれてたんじゃない」
横の二人は小さい声で話しているようだが、沢村の態度同様小さい声は小さくない。もっと耳元で小さく話せば聞こえなかっただろうに。心の底からの嫌悪で、体が震えだしていた。足のつま先から頭のてっぺんまで、意識していないと、体をどう動かせばいいのか忘れてしまいそうなほどの、憎しみに支配される感覚。それを見た沢村が、嘲笑しながら近づいてきた。
「コイツ、めちゃくちゃビビッてない?うけんだけど笑笑」
まるでブレーキの壊れた自転車のように、その口をペラペラと回転させる。
「てかさ、あんた奏に気があったわけ?だとしたら勘違い通り越してヤバいんですけど。」
「あんたみたいな陰キャ、誰も相手になんかしてないわよ」
僕への煽りは効かないと分かったのか、酷い笑顔を作り僕の隣に並んで話し始めた。
「そういえば、あたしの友達が奏の顔面がタイプらしくて~今度... 」
僕の肩を両手でつかみ、耳を身長の低い沢村の口元に近づけさせられる。僕の耳元で、囁くように、とてもうれしそうに。
『レイプするって』
脊髄反射だった、彼女が囁くと同時に保っていたはずの線が切れ、一度の脱力の後、沢村の顔面を思いっきり殴っていた。
奏が受けた痛みはこんなものじゃない。毎日の部活で嫌がらせを受け、誰にも悟られないよう隠す。僕も早起きなんてしなければそんなこと知る由もなかったわけだし。それくらい彼女は必死に、迷惑をかけないよう隠してた。それが結果的にお前たちを助けていたとも知らずに。
彼女が受けた痛みと苦痛を、百倍で返してやる。そんな憎しみだけで沢村を殴った。
殴られ倒れこんだ沢村は、動揺と痛みを隠せていなかった。女性に、女に手を上げる男は、この社会上許されないと分かったうえでの煽り文句だったのだろう。沢村は、僕が第一発見者だということと、さっきまでの会話が聞かれていない前提で話を進めていた。何もかも、選択を間違えているのに。どのみちこの女には正しい処罰が下される。それを分かってなお、我慢できない衝動に身を任せてしまっていた。
二発目以降はもっと力を込めて、顔の形が崩れるまで殴ってやる。人間の顔の原型を消し去るほど、醜い形にしてやる。
沢村の胸ぐらをつかみ、脱力したまま右手を大きく振りかぶる。そのまま、彼女の顔が絶望に染まった瞬間に、殴ってやる。
右手を振りかざそうとしたとき、脱力していた腕をつかまれた。
「少年、なにやってんの?」
コイツは、二日目に海であった人だった。少し長い髪を後ろで結び、髭を生やしたタバコ臭い男。なんでこんなところに。
「なんで、ここに?」
「いや、その前に、女は殴っちゃダメだろ」
そこで自分がいま、やってはいけないことをしたんだと認識した。途端、せき止めていたものがあふれるように、涙が次々とこぼれてきた。でも同時に沢村に、奏の屈辱を晴らさないといけないとも思った。
「でも、こうでもしないと、渚が。奏が報われないんだ」
「殴って晴れるのはお前の気分だけだよ、少年」
止められた腕を振りほどいて、二発目を沢村にぶつけようと、大きく振りかぶったとき、胸ぐらをつかまれ引っ張られた後、顎に強い衝撃が走る。頭が、脳みそが揺れる。まるで立ち眩みのように。考えることすらできず、僕の意識は途切れた。




