遊馬という自由人 聞くこと
部活を休んだ翌朝、七海は身体の重さと倦怠感に起き上がることが出来なかった。
「おねーちゃーん?」
流水が部屋に来て七海を見た直後、あれっと首を傾げて慌ただしく部屋から出ていく。
「あらあら‥」
霧江の冷たい手が額に触れると、ひんやりと心地よかった。
「これはちょっと高そうねえ‥」
体温計を渡され、わきの下にはさむ。ひんやりした体温計が肌に触れると、ぞくりと全身に鳥肌が立つような悪寒が走った。
「もー!おねえちゃん、昨夜遅くまであんなところにいたからだよー?」
妹の流水が両手を腰に当て、頬をふくらませて、メッと怒った。可愛らしい仕草と表情に何だか癒されながら、七海はため息をもらす。
「今日は休みなさいな。」
ピピッと鳴った体温計を確認して霧江が声をかける。
「‥はい」
そもそも身体が重くて起き上がれる気になれなかったため、七海は素直に返事をする。昨晩は全く眠れず、寝不足でもあったのだ。
「お食事は用意しておくから、食べられそうだったら言いなさいね。ポカリと水はここに持ってきておくわ。他に欲しいものはある?」
七海が首を振ると、霧江は優しく微笑んだ。昔から熱が出たらまずは寝る。食事は食欲があれば食べる。水分補給だけは欠かさず。あまりに高熱の時だけ解熱剤、様子を見て病院に行くというのが発熱時のルーティーンだった。
「じゃあおねーちゃん、おだいじに!わたし学校いってきまーす!」
赤いランドセルを背負い、流水は元気よく出かけて行った。
微睡んだり、目覚めたりを繰り返し、午後にはかなり気分も良くなった。トイレに立ったタイミングで霧江が用意してくれたうどんをレンジで温める。
かきたまとショウガ、ねぎがたっぷり入ったこのうどんが七海は大好きなのだ。
「はあ‥どうしたらいいんだろ」
もう何度目か分からない言葉が思わず口の端から零れ落ちる。
「だいぶ堪えてるみたいだなあ‥」
ぶふぉっとうどんを吹き出してしまい、七海は激しくせき込んだ。
「た‥たか‥に‥」
「悪い悪い。声をかけるタイミングが悪かったな。」
兄の鷹也がひょっこり現れて、水を渡してくれる。
「なんで俺がいるかって?霧江さん、急に編集者さんとの打ち合わせが入ったとかでね。俺に連絡が来たんだ。」
兄は現在高校2年であり、学校に行っているはずだが面倒という理由だけで欠席することも多いと聞いている。
「鷹兄、その‥遊馬のこと知ってるの?」
「ん?朝、俺んとこに来たからね。あ、これ言っちゃだめだったかな?」
七海は思わず立ち上がる。
「それで!?遊馬は何て!?鷹兄が説得してくれたの!?」
勢い込んで詰め寄ろうとする七海を鷹也は静かに制した。
「説得も何も、何か問題あるか?」
その言葉に七海は再び力なく椅子に座り込む。そうだった、この兄は遊馬とは同類なのだ。
「‥どうしたらいいかわかんない‥」
七海が弱弱しく呟くと、鷹也は首を傾げる。
「んじゃ何もしない、でいいんじゃないのか?」
不思議そうに声をかけてくる鷹也に、七海は苛立ってしまう。
「だって!部活辞めるっていうんだよ!?放っておけないよ!」
「ん?遊馬が部活辞めたら七海は困るのか?」
「だって!!遊馬がいるから追い付きたいって思うし!あの射をもっと見たいの!!」
思わずこぼれた言葉に七海自身がハッとした。
「‥え?わたし‥え?‥」
鷹也はニヤリと笑う。
「七海、自分の本心が分からないうちは、どうしたいかも分からないし、どうすればいいかも分からないよ。」
兄の言葉に、七海は呆然としてしまう。
「ま、飯食って落ち着いたらもう少し休みな。」
食べ終えた食器を片付けてくれながら鷹也はそう声をかけてくれる。この兄は計算なのか、素なのか分からない調子で、こうやって七海の心の声を引き出してくるのだ。
「あ、あの鷹兄‥ありが‥」
「あ!うどん吹き出させたのはわざとじゃないからな?」
七海の感謝を斜め上方向に返し、鷹也はさらっと出て行った。
「‥‥っばか!」
まだ頭の中の霧は晴れないが、方向を示されたように思えた。
翌日、七海が学校に向かっていると道明が駆け寄ってきた。
「よかった。熱出したって聞いて心配してた。」
よかった、という言葉とは裏腹に道明の表情は硬くこわばっている。
「ごめん、もう大丈夫。‥それより、何かあった?」
今日も朝から蒸し暑く、額にはじわりと汗が湧き出してくる。
「昨夜さ、俺、遊馬と話して‥‥あいつに拒否られた‥」
「え?‥まじで?」
道明はため息をついて項垂れている。
「今日学校終わったらさ、鷹兄と話したいんだ。」
道明が意を決したように言う。茜も道明も遊馬も、不思議と鷹也に懐いていて、何か相談事があると鷹也と話すことが多いのだ。
遊馬が鷹也と話したことを伝えるべきか、七海は一瞬悩んだが口にはしなかった。何となくその方がいいと思ったのだ。
「昨日、私がうどん食べてたら、うどん吹き出させに来たんだよね‥」
七海の言葉に思わず道明の表情が緩む。
「そっか。案外あいつ、俺より先に鷹兄に相談に行ってたりしてな」
何の気なしに真実にたどりついた道明だが、七海はそれには反応しなかった。
「何だか頼られてるのかな?みんな何かあると鷹兄んとこいくよね?」
「不思議だよな。何でか困ると鷹兄が思い浮かんじゃうんだ」
人望なのか、それとも他の要因があるのかは分からないが、そんな風に頼られる兄を敬愛しつつも、友人たちの信頼を受けていることにちょっぴり嫉妬している七海だった。
夕方、道明は鷹也の元を訪れていた。もちろん事前にメッセージで了承済みである。
「やあミチ、今日はどうしたんだ?」
鷹也の家は、現在篁の家の離れである。部屋の片隅にある冷蔵庫からペットボトルを取り出し、ポカリを放ってくれた。
「ありがとう。あの、遊馬のことで相談したくて‥」
「遊馬?…何かあったのか?」
七海からも特に何も聞いていない、という鷹也に道明はいきさつを説明した。
「‥なるほどなあ‥」
鷹也はそう言って自らもポカリに口をつけた。
「俺、遊馬にこのままじゃいけないって話したんだ。そしたら拒否られてさ‥」
悔しそうに道明は言い、そのまま視線を落とした。
「でも鷹兄の言葉なら、あいつに届くかもしれないって、そう思って。説得してもらえないかな?」
つと視線を上げて鷹也を見やる。縋るような眼差しに、鷹也は軽く笑ってみせる。
「ん~俺はどっちかっていうと遊馬寄りの人間だってことは分かってる、よな?」
道明はそれに同調して頷いた。
「そうだなー遊馬を論破して、言うことを聞かせることは出来るかもね。たださ、ミチはそれでいいのか?」
え?という表情で道明は視線を泳がせた。
「論破‥?‥いうことをきかせる?えっと‥何かちがうような?」
鷹也はニヤリと笑みを浮かべる。
「説得、聞こえの良い言葉だね。道明、説得とはどういう意味?」
唐突な質問に道明は面食らった。普段ミチと呼ぶ鷹也が道明と呼び変えるときには、何か得体のしれない怖さがある。
「えと‥分かってもらう、とか?‥」
鷹也は変わらずにやり笑いを続けている。
「‥そうだね。どちらかというと、説き伏せる、かな?なんとなく上下関係感があって、あまり好きな言葉じゃないんだ。論破して言うことを聞かせる、さっき俺が言ったことと同じように思えてさ。」
道明は呆然と鷹也を見つめた。自分は遊馬を見下しているのだろうか?そんな想いに囚われそうになる。
「確かに一般常識で考えるとね、ミチの方が遊馬より常識人だ。だから教え諭すっていうのも間違いじゃないとは思う。‥でもそれはミチが遊馬にしたいことか?」
道明は言葉に詰まってしまった。自分は遊馬に何を求めたかったんだろうか?自分と同じように振舞って欲しい?あの奔放さを捨てて欲しいわけじゃない、むしろ憧れすら抱いているというのに。
「‥俺、遊馬が周りに悪く言われるのが嫌だ。だから少しだけ周りを見て欲しいって思って‥」
鷹也は再びペットボトルに口をつけた後、唇をなめた。
「ミチは遊馬と対等な友達でいたい。だから自分の言葉も聞いて欲しい。」
「‥はい。」
普段は冗談も言い合うし、気の置けない友人のような関係だが、こういうときの鷹也はやはり自分よりも大人だなと感じる。自然と背筋が伸びてしまうのだ。
「それならもう一つ聞こう、自分の言葉を聞いてもらう前に、遊馬の言葉は聞いたのか?」
道明は絶句してしまった。七海が怒っていて、話を聞いていくうちに、自身がかつて遊馬に対して抱いていた感情を思い出し、一方的にダメ出しをしようとした。
「‥聞いて‥ない」
「そっか。まずはお互いに言葉をぶつけ合うのが先なんじゃないか?そうしてお互いが納得出来ればそれでいいし、出来なければ友達やめてもいいし。」
鷹也はいとも簡単に「友達をやめる」という言葉を発した。おそらくは鷹也自身が友達というものにさほど関心がないからなのかもしれない。
「ま、遊馬は友達やめるなんて言ったら泣いちゃうかもなあ。」
鷹也はそう言って再びニヤッと笑った。
「あー‥遊馬って鷹兄と似てるかもって思ったけど、確かにここまでひどくないわ‥」
思わず呟いた道明に、鷹也はひでえと言って笑った。
「遊馬にきちんと伝えられるのはミチだよ、俺じゃない。だから行っておいで。」
そう諭され、道明は立ち上がった。
「ありがとう鷹兄!」
慌てて出ていく道明を見送り、鷹也はため息をついた。
「まあ、観察する分には面白くていいんだけどな。」
何だかんだと仲の良い4人だ。おそらく数日後には仲直りをするのだろう。鷹也は大きく伸びをして自室に引きこもった。




