第二章:嵐の亀裂
父親は、アーガスが斧に興味を示しているのを見て、彼に近づいた。
アーガスの指先が、戦斧の柄に嵌め込まれたサファイアに触れる。
表面は冷たく、細かな亀裂が蜘蛛の巣のように走っていた。
宝石の奥底で、青い光が緩やかに流動している。
まるで千年の眠りについた血液のように。
彼の小さな手が、制御不能な震えと共にそれに触れた。
その瞬間。
体内から温かな細流が湧き出した。魔力だ。
だが、赤ん坊の未熟な器では、その力を完全に制御することはできない。
魔力は手綱を振り切った野生馬のように、眼前の神秘的な宝石へと注ぎ込まれていく。
彼には、見えていた。
(……アクセス開始)
それは複雑なシステムを調整する際、熟練のプログラマだけが開くことのできる「隠しフォルダ」を見る感覚に似ていた。
魔力が微かな光となって、宝石の内部を遊走する。
亀裂に沿って滑る光。
だが、最も深く、暗い亀裂の部分で、まるで壁にぶつかったかのように止まった。
青い光が微かに明滅し、すぐに沈黙する。
アーガスの魂が震えた。
(これは、ただの宝石じゃない!)
奇妙な共鳴。
まるで宝石が囁いているようだ。
これは伝統的な魔法陣ではない。ドワーフの粗雑な鍛造技術でもない。
(設計図だ)
冷徹で、精密な操作マニュアル。
それは彼が前世で記述していたソースコードと、驚くべき類似性を持っていた!
この発見は、暗闇の中で灯りをともしたようなものだった。
魔法と剣の世界で、彼は前世の「馴染み」を感じ取ったのだ。
冷たいロジック。コードの羅列。
なのに、どうしようもなく温かい。
ブレイクはアーガスを見下ろし、その無骨な顔に困惑を浮かべた。
手にはまだ戦斧が握られている。刃が炎の光を反射し、鈍く輝いた。
「この小僧……よくもまぁ、恐れずに触れるもんだ」
低い声。
そこには意外さと、認めたくない称賛が混じっていた。
まるで、辛うじて合格ラインに達した鉱石を選別するかのような目だ。
アイリーンの瞳が、点火された松明のように輝いた。
彼女は手を叩き、興奮気味に戦斧へ顔を近づける。
「お父さん! 見て! 弟はこの斧が気に入ったみたい! もしかしたら、この子が目覚めさせちゃうかも!」
彼女はあまりに近づきすぎて、鼻先がサファイアに触れそうだ。
その声には隠しきれない期待が滲んでいる。
サラがアーガスを抱く腕に、力がこもった。
指先が羊毛の毛布に食い込む。
彼女の優しい瞳に、複雑な色が走る。
触れられたくない古傷を刺激されたかのような表情。
「ブレイク、あまり長く触らせないで」
羽毛のように軽い声。だが、そこには隠微な震えがあった。
「それは……もう壊れてしまっているわ。けれど、かつては我が家の誇りだったものなの……」
母親の腕の中にいても、アーガスには傳わってきた。
彼女がこの戦斧に抱く複雑な感情。
単なる恐怖ではない。
過ぎ去った栄光への追憶と、失われた力への哀悼……。
トールが傍らにしゃがみ込み、まだ余熱の残る鉄片を指で弄っていた。
無骨な顔には、揶揄うような色が浮かんでいる。
「俺は小さい頃から触ってるけど、何も起きやしなかったぜ?」
彼は首を傾げ、冗談めかして言った。
「刃だって鈍らになっちまってる。それに、魔力すら通さないんじゃ、ただの鉄屑と同じだろ!」
その言葉は、焼きを入れたハンマーのように、ブレイクの胸を強打した。
父親の顔が瞬時に紅潮する。
髭に覆われた口元が激しく引きつった。
彼は勢いよく振り返った。
戦斧が重苦しい音を立て、空気中の煤を震わせる。
「鉄屑だと?」
雷鳴のような怒号。
暖炉の炎さえもが萎縮した。
「これは鉄屑ではない! 『ストーム・サンダーアックス』だ! 我らが『ストーム・アイアンソーン』家の魂だぞ!」
父の怒りの中に、アーガスは憤慨以上のものを感じ取った。
深い苦悩。
没落した一族の絶望。
動かない戦斧を握りしめ、現実を認めなければならない無力感。
サラの顔色が変わる。
無意識にアーガスを強く抱きしめ、爪が赤ん坊の肌に食い込みそうになる。
「ブレイク、やめて!」
もはや優しい声ではなかった。
「どうしてもその名前を叫ばなきゃいけないの? 失ったものは、もう戻らないのよ!」
彼女の視線がブレイクと戦斧の間を彷徨う。
まるでその斧が聖遺物ではなく、いつ目覚めるとも知れない魔獣であるかのように。
「戻らないだと?」
ブレイクの声が跳ね上がる。石壁にヒビが入りそうなほどだ。
彼は一歩踏み出し、太い指で斧の柄を握りしめた。
「お前たちがそうやって『過去のこと』と言うから、ドワーフの栄光は土に埋もれたんだ! 俺の先祖は、この斧でドラゴンの首を落とした! 『ストーム・アイアンソーン』家は、ドワーフの山王配下の大将軍だったんだぞ! 嵐と雷を呼ぶ、不敗の斧だったんだ!」
だが。
彼の声は次第に低く、そして重くなった。
風化した岩のような重みがあった。
「……だが今はどうだ? 魔力すら通さず、お前たちの言う通り『鉄屑』に成り下がった……」
重厚な歴史が、潮のようにアーガスへと押し寄せた。
彼はこの家族の複雑さを理解し始めた。
ただの鍛冶屋ではない。
失われた貴族の末裔。再現不可能な輝かしい過去を背負った者たち。
アイリーンは立ち尽くしていた。
父の怒りに圧倒され、華奢な体が強張っている。
トールの指が鉄片の上で止まった。
無骨な顔に罪悪感がよぎるが、すぐに顔を背け、小声で呟く。
「……間違ったことは言ってねえよ。壊れてるのは事実だろ」
「壊れている?」
ブレイクの声が、嵐のように部屋を席巻した。
「何が分かる! この戦斧は一族の魂だ! 壊れているんじゃない、俺たちに資格がないだけだ! 目覚めさせ方を忘れてしまったからだ! 先祖はこれで嵐を切り裂き、雷を招いた! だのに俺たちは……」
言葉が詰まる。
粗い指が、斧のルーン文字を撫でた。
「……俺たちは、その名前を口にすることさえ恐れている」
サラの唇が震え、瞳に悲しみが滲んだ。
「ブレイク、もういいわ」
消え入るような、しかし絶対的な権威を持つ声。
「子供たちに、その重荷を背負わせないで。あの日々は、もう終わったの」
彼女の視線が斧に落ちる。
まるでその斧が、癒えていない傷口であるかのように。
部屋に静寂が落ちた。
暖炉の爆ぜる音だけが響く。煤と鉄の匂いが重く淀んでいた。
アイリーンは隅で膝を抱え、肩を震わせている。
トールはうつむき、冷え切った鉄片を白くなるほど強く握りしめていた。
だが。
この沈黙の嵐の中で、アーガスだけはかつてないほどの明晰さを感じていた。
指先はまだサファイアに触れている。
魔力が糸のように浸透し続けていた。
彼は気づいた。
あの亀裂はランダムな欠陥ではない。
(これは……回路だ)
無数の魔力線で編み上げられた、立体的なネットワーク。
層を成して重なり合い、整然と並んでいる。
自然形成された結晶ではない。
精心に設計されたブループリントだ!
彼の魔力はラインに沿って流れ、分岐点に差し掛かる。
それはプログラムにおける論理判断そのものだった。
(これは魔法陣じゃない。命令セット《インストラクション》だ)
冷徹。
精密。
そして論理的。
アーガスの魂が戦慄した。
剣と魔法の世界で、科学世界の論理構造を発見したのだ。
これは何を意味する?
偶然か? それとも、二つの世界には深層的な繋がりがあるのか?
意識が、さらに深い階層へと引きずり込まれる。
ドワーフの粗野な工芸ではない。魔法使いの詠唱呪文でもない。
これはシステム化された設計図。
まるで別の世界から転送されてきたかのような。
その時だ。
ブレイクが「嵐」と「雷」という言葉を叫んだ瞬間。
サファイア内部の最も深い亀裂が、震えた。
ランダムな振動ではない。
特定の「キーワード」に対する応答だ!
眠っていた意志が、彼の魔力をトリガーにして、巨大な獣のように寝返りを打ったのだ。
アーガスは再び魔力を入力した。
今度は明確な認識を持って。
(これはシステムだ)
魔力は不可視の探針となり、表層の亀裂を迂回してコア領域へと浸透する。
より完全な構造図が、意識の中で展開された。
起動すれば、すべての魔力はパスに従って流れ、プリセットされたタスクを実行する。
彼は「視た」。
いくつかのノードがブロックされている。
意圖的に切断された回路のように、魔力の伝導を阻害している箇所を。
(これが魔法……いや、これこそが魔法のソースコードだ)
そして自分は、異世界から来たプログラマである自分だけが、この世界で唯一それを「読める(Read)」権限者なのかもしれない。
その認識が、雷のように魂を打った。
赤ん坊の體ではこの衝撃を表現できない。だが、意識は激しく震えていた。
二つの世界の本質は、それほど違わない。
科学世界のロジックは、ここでは魔法という形式で存在している!
前世の知識は無用の長物ではない。
この世界の秘密を解き明かすための、マスターキーだ!
サファイアの青い光が再び明滅する。今度はより強く。
アーガスは反射的に小さな手を引っ込めた。
魔力のパスが切れ、宝石は元の暗い色に戻る。
だが、共鳴の余韻はまだ脳内で響いていた。
沈黙を破ったのはアイリーンだった。
彼女はアーガスに顔を寄せ、興奮して言った。
「弟よ! 何か見えたの? 目が……お星様みたいに光ってた!」
彼女は指でアーガスの頬をつつく。瞳は期待と好奇心で溢れていた。
ブレイクは鼻を鳴らし、慎重に戦斧を壁に戻した。
「この小僧にか? ただの赤ん坊だ、何も分かるまい」
だが、その視線はアーガスと戦斧の間を行き來していた。
微かだが、期待の色を宿して。
トールは肩をすくめて立ち上がった。手の中の鉄片が乾いた音を立てる。
「もし本当にその斧が目覚めるなら、嵐を切り裂くところを見てみたいもんだな」
冗談めかした口調だが、そこには真摯な渇望があった。
火光に照らされた無骨な顔が、少しだけ和らいで見える。
サラは優しくアーガスを揺すり、自分の動揺を鎮めようとしていた。
彼女の視線が再び戦斧に落ちる。獨り言のように低い声で。
「この斧は……あまりに長く沈黙しすぎたわ」
彼女の指がアーガスの髪を撫でる。その觸感から勇気を得ようとするかのように。
「でも、もしかしたら……何かを待っているのかもしれない」
窓の外から、アイアンピーク山脈の低い唸りが聞こえてくる。
重く、遠い響き。暖炉の炎が揺れた。
アーガスの視線は戦斧に釘付けになっていた。
ルーン文字が火光の下で微かに輝いている。
解読を待つコードの羅列のように。
そして、赤ん坊の檻に囚われた魂は、その囁きを聞いたのだ。
アーガスのあまりに集中した、渇望すら帯びた視線が、ついに父親の注意を引いたのかもしれない。
厳格で無骨なその顔に、意外さと不本意な称賛が入り混じった表情が浮かぶ。
「ふん、この小僧……」
ブレイクは興味を隠すように低く唸った。
「この鉄の塊を怖がらねえとはな!」
彼は少し考え込み、そして本当に、あの重い戦斧を再び壁から取り外した。
そして幽玄な青い宝石を、慎重にアーガスへと近づけた。
アーガスは震える小さな手を伸ばす。
この瞬間、彼は運命の転換点を感じた。
偶然の接触ではない。
二つの世界の衝突。
科学と魔法。
ロジックと神秘。
過去と未来。
「ブレイク!」
母親が懸念の声を上げるが、父親は意に介さない。
彼はただ、食い入るようにアーガスを見つめていた。
言葉なき、アイアンソーン家の血の継承儀式を行うかのように。
ついに、アーガスの指先が再び触れた。
凍った湖面のような、冷徹な青い宝石に。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
台湾出身の作者です。
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技術だけでなく、赤々と燃える「炉の火」が不可欠です。
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この物語(アイアンソーン工房)を燃え上がらせる最高の燃料となります。
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それでは、次の章でお会いしましょう!




