19、新たな追手
そのまま部屋を出て行ったエルゲアの背中を見送ると、グライトが手に頬擦りしてきたのでそのまま撫でる。
「あいつなら放っておけ。すぐ帰ってくる。単なる生理現象だ」
「何だトイレか。紛らわしいな」
険悪な雰囲気だったわりには良く分かっているような口調だったので、やんわりと笑んでみせた。グライトはどこか遠い目をしていたけれど。
「グライトはエルゲアの事良く知っているんだな? もしかして昔からの知人なのか?」
「そうだな。それに一応光属性同士だから腐れ縁みたいなものでもある」
「光……精霊獣て属性があるのか?」
全て一緒くたに考えていたのもあって驚きを隠せない。グライトを見つめると人型になったグライトが椅子に腰掛け直した。
「あるぞ。俺の髪色もあいつの髪色も白が主体だろ? 白が主体だと光属性に分類される。それとは対照的に黒が主体の奴らがいる。それらは闇属性の精霊獣で気性が荒く狡猾でタチが悪い連中が多い」
初めて知り驚く。グライトがこうしてきちんと説明してくれるとは思ってなかったからどこか嬉しく感じた。
「へえ。そうなんだ。近付くなと言われてもさ、オレにはお前らの姿が普通の人間か動物にしか見えないから精霊獣との区別がつかないんだよな。気が付かずに話しかけてしまうと思うよ。見分けるすべはないの?」
「千颯みたいにハッキリ視覚化出来てしまう精霊術師に会ったのは初めてだから難しいな。他の精霊術師が言うにはボンヤリと影として捉えられるだけだったり、透けて視えるらしいからそれで判断していると過去に聞いた事がある」
今度は自分がテーブルの上に突っ伏す番となる。そんな事を言われても視えるものは視えるし、区別もつかない。ましてやここは異世界だ。
どんな生き物がいても「居てもおかしくない」から当たり前のように感じてしまうし、グライトの時のように逆に心が躍ってしまう。
難しい~と呟くとグライトに頭を撫でられた。大きな手のひらの感触が心地良い。
「それはそうと千颯のじいさんの手掛かりは今のところはあの女か。どうやって探りを入れるか考えなければいけないな。もう聖女として名乗りあげているとなるとそれなりに警備兵もついているだろうし、情報も出ないようにされていそうだ」
「それなんだよな」
今帝国に戻ると探りを入れるどころか捕まりそうだ。
追手を差し向けられていたくらいだ。それは確実だろう。牢獄入りだけならまだ良い方だ。即打ち首になってしまうと祖父を助けるどころの話じゃない。
それと気になる事もあった。エルゲアが言っていた薬品くさいという言葉だ。
「なあ、この世界には魔法の他に黒魔術や白魔術みたいなよく分からないものもあったりする?」
ニホンで得た知識では化学と魔法の中間とも言えるべき技に魔術というものがあった。その可能性を考えてみる。
オカルトに属する知識に乏しいのもあって種類や手段は全く分からない。もしあるならば、グライトなら知っているかもしれないと思っての問いかけだった。
「あるな。もう廃れてしまったものではあるが、今でも残っているのは確かだ」
「前に何やらの術で周りを騙したみたいな事を言ってただろ? もしかしたら魔術なのかなって思ったんだけど考えすぎかな?」
「実際城で使っていた所を俺も見ていたわけじゃないから憶測の域は出ないが有り得るな。ちゃんと確かめられればいいが……。まあ、あのアホ鳥が薬品くさいと言ってたのを踏まえると可能性は高い」
グライトと話していると視界の端にある扉の下あたりから、黒い影のようなものが入り込んできたのが分かって勢いよくテーブルの上から上体を起こす。
影が蠢いて形を変えていき、ヘドロを大量に落としたみたいなモノへと変わっていった。
——何だ、アレ……。
瞬きもせずに凝視しているとグライトが口を開いた。
「見つかったな」
「え、アレって追手?」
「そうだ。とはいえ、帝国からというよりもあの女だろうな。さっき千颯が言っていた黒魔術の類いだ。正解だったな。もっと分かりづらい手段を取れば良いものを」
片腕で持ち上げられると身の回りを囲うように白濁色の結界みたいな薄い膜が貼られるのが分かった。
グライトはもう片方の手を伸ばして、蠢く黒い固まりに向け炎を放つ。
家具などは一切燃えずに黒い固まりだけが焼けていき、やがて霧散した。
「ここからまた逃亡する手もあるが、あえて囮になって残り、次の手を待つ事も出来るぞ。どうする?」
些か楽しそうにしながらグライトが言った。
前みたいに逃げるのは容易いかもしれない。でも今はそれ以上に情報が欲しい。
「囮になる」
「分かった。千颯、口を開けろ」
「口?」
——何のために?
良く分からなかったが言われた通りに口を開く。グライトの顔が近づいてきたかと思えば唇同士が重なっていた。
——え? 何でまたキスされた!?
「ちょ、グライト……んぅ!」
喋ろうと唇を開いた瞬間に舌が潜り込んでくる。
舌を絡み取られると何故か舌に熱が生まれて、作りたてのスープを飲んだ時のように口の中全体が温かくなってきて全身に行き渡った。
「体の中があったかい」
「さっき身の回りにも守護壁を張ったが、お前の体内にも直接守護壁を重ね掛けした。これで黒魔術からの干渉は一切受けない」
ありがとうと言いたいけれど、口付けでしか守護壁は張って貰えないのかと思うとじゃっかん複雑だ。しかもかなり深い……。
「これってさ……キスじゃないとダメなのか?」
「口付けの事か? そのままでもいけるが?」
「じゃあそっちにしてくれよ!」
シレッと答えたグライトにかみつく。
「俺がしたいから断る」
そんな良い顔をして、さも当たり前だと言わんばかりに言われても困る。
やっぱり主従関係が逆転している気がして、意気消沈した。
——オレが諦めた方が良さげ?
グライトの腕の中から降りるのさえ億劫になってくる。
ことごとく初めての経験を奪われていくのが解せなくて少し凹んだ。