67 閑話 あの人は今
【フォニウム】
サリシン様に甘えてしまったが、タルピナスの領主を辞められて、アネトール様のお世話からも外れて、此処数十年で一番、心が踊っているのを感じています。正直言って長年に渡るナイジェル様の教育が大変だった。あれ程出来が悪いとは思っていなかったが、アネトール様の対応をして原因が分かりました。
ずっと私の指導力の無さを嘆いてましたが、基本が違っていたのです。言ってみれば、サリシン様が生粋の正しい貴族なら、アネトール様は甘やかされて勘違いしている貴族ですね。ナイジェル様はそのアネトール様に育てられたせいでその影響が強過ぎたのです。
私が子爵位だったので、下級貴族の意見なんて。と仕事を教えても軽く流される事が多かったのですよ。マジェンダ様とは身に付いている基本が違うから。と言ってしまえばそれまでですが、ナイジェル様が子爵になる為だったのですが、何時迄も公爵子息が抜けなかったのです。
処が。私が去った後に来てくれた文官様の指導で、かなり現実を知って焦っているのを伝え聞いて、やはり、私の指導方針に問題が有ったのかと思い直しました。何時迄も領主子息として気を遣い過ぎたと反省したものです。まぁ、それでも私の意見はナイジェル様には届かなかったでしょうけど。
娘が結婚した時に別邸を譲り、領主本邸に私室を作っていたせいで私邸を持っていなかった私は、サリシン様にリストランテに家を貰えたので、タルピナスを引き払う事にして、領邸にある私室の大凡の物はロヴェニアに譲る事にしました。
『財産は多目に分け与えたから、後は自分達で生活するように頑張りなさい。』
と言いおきましたが、ナイジェル様にもロヴェニアにも不安は残っている。けれど、私も子離れすべきだと思いました。これからはリストランテに拠点を移して、気軽に暮らすのです。個人的な物だけを家に運び込んでもらいましたが、平民用の家としては大きい家のようで、私の荷物を全て入れても余裕でした。
平民となった私の今の職業は何と商人です。一人暮らしで誰とも交流を持てないのは寂しいと思い、サリシン様に相談すると、タルピナスの南の国、プルメリア国との商売を勧められました。残りの人生の生活分ぐらいの財産は貯めて有りますから、トントンになる稼ぎが有れば良いので、余裕を持って遣り取りをさせてもらう事にしました。
ミスティーヌ様のお陰で、新しいお菓子が生まれて、その材料がプルメリア国にしか無いそうです。今のところ、キュラスの商業ギルドを通しての輸入がメインだそうですが、そのうち、個人でも取り引き出来るだろうとの話だったので、サリシン様に紹介してもらえるなら。と、行商に飛び込んだのです。
リストランテからタルピナスを抜ける道もあるのですが、私が領内を彷徨いて変な噂が流れるのを厭い、リストランテから直接プルメリアに入る道を選んで行商する事にしました。と言っても、プルメリア国の王都のギルドで紹介された農園と、ギルド主催の菓子店の2ヶ所から買い込んだ物を、リストランテとキュラスとサルカンドで売るだけです。
つまり、ミスティーヌ様の代理人が、今の私の仕事なのです。サルカンドの優秀な冒険者パーティーが常に護衛してくれて、ミスティーヌ様謹製の時間経過無しのマジックバッグ(特大)に荷物を入れて、馬車で旅行している用なものですね。
これが楽しくなくて、何が楽しいと言うのか!と言った感じで仕事をしています。アネトール様を引き受けて過ごした数年の見返りにしては貰い過ぎかもしれませんが、ナイジェル様の面倒を見ていた年月を顧みれば妥当かもしれないなぁ。
そんな事を思いながら、優秀なパーティーに護られてプルメリアを目指して旅を進めています。魔獣も時々出会いますが、冒険者の皆さんが危なげなく倒してはマジックバッグにしまっています。ギルドに持ち込めば買い取ってもらえるので、無駄にならないそうです。
『良いお小遣い稼ぎです。』
と爽やかに笑って済ましてしまうのが、とても頼りになります。タルピナスにはこんなに強いパーティーはいないので、サルカンドが羨ましいですね。
やっとプルメリアの王都の商業ギルドに着いたのですが。招かれた部屋には何故かサリシン様が居ました。傍らにいらっしゃるカーバンクル様は、確かモリーノ様と言う名前のミスティーヌ様の守護聖獣様の筈。という事はミスティーヌ様も?と見回したがいらっしゃらなかった。
『モリーノ様が転移で連れて来てくれてね。そろそろフォニウム様が此処に着く頃かな〜と待っていたんだ。プルメリアで開発されたチョコのレシピを、ミスティーヌが改良してくれてね。子供用なんだけど、とても口当たりが良くなったのだよ。大人が食べても美味しいと感じる位にね。
カーチスとヘルツェリはリストランテに居るだろう?たまにはお土産を持って会いに行ってあげたら喜ぶのではないかな?』
ニコニコと笑うサリシン様。私が貴族籍を抜けた事で平民にしてしまった事に負い目があって、中々会いに行けない事をご存知だったのですね。本当なら私のもらった家に住まわせても良いのだけど、使用人を雇っていないので、二人ともマジェンダ様に預かってもらっているのです。
『ロヴェニア夫婦が苦労するのは自業自得とも言えるのですが、孫に罪は無いと思いたくて、心苦しいのですよ。でも、マジェンダ様の好意でリストランテに呼んでもらえたのだから、もう気に病まなくても良いのでしょうか。
本当はフランセにも、ロヴェニアにも食べさせてあげたい気持ちはあるのですが。タルピナスに送ると、たぶん、アネトール様が騒ぐ元になる様な気がするので、悩み処です。
要らぬ騒動を起こしたく無いので、二人にもリストランテに出て来た時に贈ってあげることにします。』
幸い、私にはミスティーヌ様のマジックバッグが有りますので、此処に入れて置けば何時でも美味しいままです。機会があれば贈れますね。既にキュラスで売られているチョコクッキーも入れてあります。
『貴族籍は失っても、あの子達も私の孫ですからね。ただ、成績の問題で王都の学校には入れられなかったのですよ。ユーリウス達ぐらいの学力が有れば、私が後見をして入れられたのですが、あの成績では。
ナイジェルはアネトールが甘やかしたから楽をする事ばかり覚えて、苦労して頑張る事をしなかったから教えられないだろうし。ヴィクトリアやレイチャイルドの姿勢を見て、自分達に足りない物に気が付いてくれたら良いのでしょうが、如何でしょうかね。
因みに、カヴィヨンはまだ5歳ですが既に生活魔法は使い熟していますし、礼儀作法や勉強も先行して学習しているようで、レイチャイルドがうかうかしていられないと、良い刺激になっている位ですよ。(笑)』
ハリシエダ様はマジェンダ様に目を掛けてもらっていたお陰で、優秀な成績で学校を卒業していましたが、アネトール様が手を出した期間だけ失敗をしたのですよね。ミスティーヌ様の信頼を取り戻す為に死ぬ程努力なさったのは良く知っています。
その優秀なご夫妻と、優秀な使用人に扱かれているカヴィヨン様は必要以上に甘えず、既に自立精神が旺盛なのだそうです。下に居る弟妹のお手本になるのだ。と言う自覚が強いのだそうです。サリシン様が自慢気に教えて下さいました。羨ましい事です。
【アネトール サイド】
タルピナスに来て、ナイジェル夫婦一家にもてなされて、最初は楽しかったのだけど。侍女が減らされ、サリシン旦那様から一方的な謹慎を言い渡され、ナイジェル夫婦の仲がギクシャクしだした頃から、私の希望が悉く無視されるようになってしまったの。
食事も品数が少なくなったし、田舎料理のような冴えない物ばかりで、リストランテにいた頃の様なお菓子を最後に食べたのは何時だったかしら?
リストランテにいた頃には邸に商人を呼んで、最高級品を選んで身に付けていたのに、今では商人を呼ぶ事さえ『贅沢です。』と否定されて、タルピナスに持って来た昔の衣装だけを身に着けているの。幾ら良い物でも何年も前のデザインなんですもの、流行遅れだわ。我慢の限界が来てしまって、
『私は公爵夫人ですわ!その私にこんな見窄らしい格好をさせて良いと思っているの!』
とナイジェルに怒鳴ってしまったの。そうしたら、
『今はマジェンダ兄様が公爵で、公爵夫人はクリミアナ義姉様です。フォニウム義父様がタルピナスの領主を退いたので、婿に入った私は今は無位の領主補佐でしか有りません。このまま何の功績も立てられなければ、私達親子は平民が確定してしまうのです。』
忙しいと言って逃げ回るナイジェルをやっと捕まえて苦情を言いましたが、その返事に私の理解は着いていけませんでした。何時の間にか見なくなっていたタルピナス子爵は、子爵の地位を返還した?何故?
『フォニウム様が退いたならば、ナイジェルがタルピナス子爵を継ぐのではないの?何故、補佐なんてやっているの?どうして平民にならなくてはいけないの?』
私がナイジェルを見ると、表情が消えていました。
『母様。子爵位はタルピナスの領主に付いている物で、私が婿入りしなければフォニウム義父様の代で返還される物だったのです。私は婿入りしたのでリストランテ家の持つ余った爵位は譲られていません。タルピナスの領主として認められなければ、貴族に戻れないのです。
私が母様に甘やかされて育った為に、必要な領主の知識を持たず、領に被害を与えた為、タルピナスは今、領主不在で、リストランテから文官が任命されて領政を行っています。私は補佐という役名をもらって勉強させて頂いてます。
彼は私が考え無しの行動をした為にフォニウム義父様が地位を返上して私を庇ってくれた事を教えてくれました。私の考え違いの原因を徹底的に問い詰めてくれたので、私は崖っぷちにいる事が理解出来ました。
母様。伯爵位を持っているのはミスティーヌ様の方なんです。ハリシエダは夫だから伯爵を名乗れているだけなんですよ。真の貴族はミスティーヌ様なのです。しかも、領地を栄えさせている素晴らしい領主夫人でもあるのです。』
ナイジェルは文官とやらに何を吹き込まれたのでしょうか?平民が公爵家の息子に嫁いだから貴族になれたのでしょう?それを、ハリシエダがおまけみたいに教え込むなんて。クビにしなくてはいけないわ。
『理解出来ません。私は侯爵令嬢として育ち、公爵家に嫁いだ、れっきとした貴族です。ナイジェルは私の息子なのだから平民の筈が無いでしょう!平民はミスティーヌなの!間違えないで!』
そうナイジェルに告げると、
『そうですね。父様に離婚されていなければ、母様は貴族のままかもしれません。私は忙しいので母様の事までは調べていませんから分かりませんが、私達家族はフォニウム義父様が貴族籍を失ったので、既に平民なのです。
この邸は私の私邸扱いにしてもらえたのでそのまま住んでいますが、収益は私の補佐役の給与と、母様を預かっている事に対するマジェンダ兄様からの支援金だけです。
兄弟の中で私だけ可愛がってもらったから。と言われたら、何があっても私は母様を放り出せません。
収入が減ったのですから、これからの暮らしは慎ましやかにお願いします。
3人の子供達にはこれ以上苦労させたく無いのです。王都の上級学校を楽しみにしていたカーチスやヘルツェリは、マジェンダ兄様の支援で粛々とリストランテの上級学校に行きました。ロヴェニアもクランセを連れてリストランテに行きたいようですが、母様のお世話が有るので諦めてもらいました。』
ナイジェルは辛そうに言い切りました。私はマジェンダの名前を聞いて思い付きました。
『マジェンダ!そうです。マジェンダを呼びなさい。私もリストランテに帰ります!そして以前の生活に戻ります。』
思わず嬉々として宣言した私に、昏い目をしたナイジェルが、
『いい加減にして下さい。父様から言われた話を理解されていなかったのですね。母様の考えが変えられないのは分かりましたが、現実を見て下さい。母様は私達兄弟を産んだ以外に、領主夫人としての勤めを何かしてましたか?
母様を目標にして来たロヴェニアも、お金を使うだけで、自分が稼ぐ事を考えません。父親が領主だからお金が入って来たのを、貴族は何もしないでお金をもらえると勘違いしている。
領主は領主の。領主夫人は領主夫人の仕事をするからお金を貰えているのです。貴族なだけでは収入に繋がらないのですよ。母様は何を学んでいらしたのですか……』
ロヴェニアが夕食を知らせに来たので、そこで話は途切れてしまいました。クランセの愛らしい声だけが明るい夕食を済ませて部屋に戻ると、一人になってしまった侍女にお世話してもらってベッドに入りましたけど、ナイジェルの言葉が蘇って来て眠れません。
平民のミスティーヌがハリシエダと結ばれなければ、私は今もリストランテで優雅に暮らしていた筈です。だからミスティーヌが悪いのです。何度考えても、私の考えに間違いは見つかりません。




