56 閑話 タルピナス サイド
ナイジェル様が婿入りされた時は、私の代で子爵領を返還するから丁度良いと、有り難く思ったのだが。マジェンダ様と比べても意味がないのは判っているが、それにしても、ナイジェル様は甘やかされ過ぎではなかろうか。妻に甘やかされたロヴェニアに問題がないとは言わないが、私の負担が大き過ぎる。
『サリシン様、ナイジェル様に婿入りして頂いたのはとても有り難かったのですが、ナイジェル様の教育は、その、何処まで済んでいたのでしょうか?
私が仕事を任せようとしますと、それは聞いていない。とのお返事ばかりで、直ぐに私邸に籠られてしまって、子爵領の領政の引き継ぎが出来ていないのです。』
数年前にあったハリシエダ様の結婚式の時に、思い切って相談した結果、ナイジェル様はリストランテに呼び出されて、半年近く教育してもらえたのですが、タルピナスに帰って来たナイジェル様は、私の期待していた程には教育を受けて来なかったように感じました。確かに以前に比べればマシな程度で、領政を覚えて来たにしては覚束ないというか、習熟度は余り上がった様には感じませんでした。
元々タルピナスには目立った産業もなく、長閑な農村が広がっているだけで、作物の収穫量も秀でている訳でもない。正直、公爵家の権威で領政が楽になり、援助を貰えて豊かになると期待していただけに、失望は大きいのだ。
ハリシエダ様の領地となったキュラスは、結婚式の後で何かしらの混乱があったらしいが、それでもあんなに小さい領地なのに、冒険者ギルドの活動が盛んで、キチンと領政が回されているそうだ。たぶんナイジェル様を見限って、領主教育を放棄した後のサリシン様が、ハリシエダ様の教育に移られたのだろう。
私が内心忸怩たるもので溢れそうになっている時に、突然、アネトール様がタルピナスにいらした。
『最近、心塞ぐ事が増えてね。お気に入りのナイジェルに会いに来たの。暫くこちらで暮らしますね。』
と、自分の都合だけ述べて、ナイジェル様の私邸にさっさと入って行った。自分付きの侍女を何人も引き連れて来たようだ。あんなにいては使用人部屋が足りないだろうが、どうするのかと思っていたら、客室を全部、侍女達に使うつもりのようだ。……この際、私の住む本邸に押し掛けなければ良しとしよう。
その後キチンとした挨拶もされなかった。アネトール様達の滞在費用をどうするのかと見ていると、ロヴェニアがお金を無心にやって来た。ナイジェル様には領費の収支の流れは見せているので、渡している配当の適正は理解はしている。つまり、ナイジェル様の働きが少ないから、収入が少ないのは当然なのだ。
『折角リストランテからお義母様がいらして下さったので、タルピナスを楽しんで頂きたいのです。ですが、私達の資産には余りゆとりが有りませんので、足りない分を領費から出して下さいませ。』
と言うので、勝手な事ばかり言うのだなと思いつつ、
『アネトール様をおもてなししたいと言う気配りは大変結構だが、ナイジェル様もご存じとは思うが、我が領に贅沢させられる程の余裕は無い。
先ずはアネトール様に逗留される期間をお聞きして、その中で出来る事を考えてもてなしなさい。』
と釘を刺して、当座の費用として金貨20枚を渡した。こんな時にヘーゼルが居てくれたら、上手く立ち回ってくれたのだろう。と、20年以上前に他界した妻を恋しく思った。
ロヴェニアは本邸を出て私邸に戻り、ナイジェルの部屋に向かいました。
『ナイジェル様、お父様に金貨20枚をもらって来たわ。これで、暫くはお義母様と楽しく過ごせそうですね。ただこちらには何日程居られるのかしら?ナイジェル様は聞いてますか?』
『いや、まだ何も聞いてないよ。そろそろ部屋に落ち着いた頃だろうから、子供達を連れて挨拶に行こうか。クランセに会うのは初めてだろう。きっと喜んでもらえるよ。』
と話しながら、子供達を迎えに行き、皆で客間に向かいました。
『ナイジェル、ロヴェニア、それに皆も良く来てくれましたね。変わりはないかしら?まぁ、この子は初めてね。お名前はなんと言うのかしら?』
アネトール義母様はニコニコとクランセに手を伸ばします。優しい笑顔のおばあちゃまにクランセもニコニコと抱きつきます。ヘーゼル母様が亡くなっているので、おじいちゃましか会った事がないから、クランセには初めてのおばあちゃまです。
『長女のクランセと申します。ハリシエダ様の婚姻の頃に生まれましたの。』
カーチスとヘルツェリもアネトール義母様にお辞儀をしています。
『まぁ、クランセは可愛いわね。目元がナイジェルに良く似ているわ。口元はロヴェニアかしら。』
機嫌良くクランセをあやすお義母様に、ナイジェル様が予定を聞いてくれました。
『母上、今回はどれぐらい一緒にいられますか?おもてなしをするのに、ご予定を教えて下さい。』
『それがね、サリシン様に、呼び戻す迄は帰るな!って、追い出されたのよ。酷いでしょ!コレもあの平民上がりの娘の所為だわ!
あんな娘、さっさと追い出してしまおうと、折角、伯爵家のお嬢様を紹介頂いたのに。ハリシエダったら何故か怒ってしまって、お嬢様を追い出したばかりか、サリシン様にまで何か吹き込んだらしいのよ。
その上、何故かマジェンダもサリシン様のお怒りから私を庇ってくれなくてね。慰めてもらおうと思って優しいナイジェルの所に来たの。』
急に怒り狂って声を荒げるので、クランセが泣き出してしまったわ。慌ててクランセを受け取って部屋を出たのだけれど……アネトール義母様は数日で帰られる訳ではなさそうね。お金、足りるかしら?
数日後、お父様に呼び出されて、ナイジェル様と執務室に向かったの。そこにはリストランテから来たという文官が居て、サリシン義父様からのお手紙を渡されたわ。其処には、ミスティーヌさんの留守に、ハリシエダ様の私邸に侍女として伯爵令嬢を潜り込ませ、寝取らせようと企んだ。とあったわ。文面からはミスティーヌさんに気遣うサリシン義父様の怒りが滲んでいて、私の顔色まで悪くなったわ。
『取り敢えず、サリシン様からアネトール様の滞在費用は頂けるそうだが、当然ながら決まった額以上はもらえないそうだ。ナイジェル様とロヴェニアはその点を留意して、領費を持ち出す事にはならないように対応して下さい。足りない分はあなた達の資金で賄うのですよ。』
違うお手紙をを読みながら、低い声でお父様が言う。何時もならナイジェル様の機嫌を伺う様に話すのに。こんな突き放すような態度を取られたなんて初めての事だわ。ナイジェル様も戸惑ったようで、何時ものように言い返せないみたい。おずおずと、
『あの、母上の事はフォニウム義父上がもてなす訳ではないのですか?本邸ではどうなさるのですか?』
と言うと、お父様の顔を見つめた。普段なら私の母に我慢させるのかぐらい言い返しそうなのに、サリシン義父様の怒りの籠った手紙を読んだせいか、言葉に力が無い。お父様は自分の読んでいた中から一枚抜き取って差し出すと、
『ナイジェル様の教育が滞ったのもアネトール様のせいだとか。私には、サリシン様がお忙しいので時間を余りとってもらえず帰された。と報告していましたよね。どうやらサリシン様は、意にそぐわない者を一纏めになさっただけだそうだ。
今後、私の指示に従わず、領主教育を疎かにするなら、タルピナスへは違う者を向かわせるそうだ。ナイジェル様への試練として、アネトール様への対応と、領主教育を課したので宜しく頼む。と有ります。
私はナイジェル様の為にも、ロヴェニアの為にも、厳しい領主教育を施したいと思うが、ナイジェル様はどうなされますか?もう今までのような甘えは認められませんよ。
そうそう、滞在費用はタルピナス領への迷惑料を含むとある。全額は渡しませんから、そのつもりで。』
初めてのお父様の怒りに触れ、私は目の前が暗くなったように感じました。先程迄は、アネトール義母様と楽しく過ごす事ばかり考えていましたのに。
……アネトール義母様がおっしゃるには、ミスティーヌさんは、Sランク冒険者なだけで所詮は平民だと言うお話だったのに。何故サリシン義父様は、アネトール義母様より平民を優遇されるのでしょうか?
私が幾ら頑張っても、ナイジェル様に変化は余りみられませんね。時折、サリシン様の手紙を取り出すと、少しは仕事をしてくれますが。貴族階級に拘るアネトール様の影響が酷過ぎるのですね。
サリシン様の意向でタルピナスから出られないアネトール様。平和な農村が広がるだけのタルピナスでは刺激がないせいか、アネトール様は只管にミスティーヌ様を悪く言う事で鬱憤を晴らしているようです。娘や孫達までもが会った事もないミスティーヌ様を悪く言うようになりました。
アネトール様がいらして数年が経ち、突然、サリシン様から呼び出しが掛かり、ナイジェル様がヴェルムに向かう事になりました。アネトール様も付いて行くと騒がれまして、止める為に私が呼び出されたので、
『サリシン様からタルピナスを出るお許しが出ておりませんが、言い付けを破っても宜しいのですか?』
と強く聞くと、
『ハリシエダに会いたいだけよ!我が子に会いに行くだけなのに、どうして止めるの!』
と叫ばれます。私は呆れて、
『ヴェルムは、ミスティーヌ様が陛下より賜った領地です。アネトール様はミスティーヌ様を散々貶しておいでですが、そのミスティーヌ様に会いに行かれるのですか?会ってもらえると思ってますか?』
と諭すと、怒りまくったまま、諦めては下さいました。……無理矢理付いて行ったとしても、ミスティーヌ様が受け入れないと思うのですが、私の考え違いでしょうか?
久し振りに父に呼ばれたが、リストランテでは無く、ヴェルム領のキュラスに連れて行かれた。タルピナスと違ってキュラスは栄えていて、活気に溢れている。だから私はこの土地が欲しかったのだ!今となっては、キュラスだけなら兎も角、ヴェルム領はタルピナスより広いではないか!何故、ハリシエダばかり……
父に連れられてキュラスの領邸に行くと、何人か既に集まっている応接室に通された。上座には父が座り、その横にはハリシエダと元平民のミスティーヌが座り、私はそれより下座に座らされた!確かにあいつらは伯爵かもしれないが、私は兄だぞ。流石元平民。礼儀知らずな奴だ。
『例のファイアタートルの甲羅だが、隣国に売るなら、私も取り扱いはタルピナスが良いと思ってな。今回はタルピナス子爵がナイジェルに勉強させたいと言うので連れて来たのだ。』
機嫌良く父がミスティーヌに説明している。此処でやっと、私が連れて来られた訳が聞けた。何の説明もせず連れて来られても困る。まったく、元平民は目上への気遣いも出来ないのか!
『取り敢えず、邪魔な物を引き取れと言うなら、引取料ぐらい払うんだろうな!ファイアタートルの甲羅なんて聞いた事も無いが、我が領の商業ギルドはリストランテ程大きく無いのだ。邪魔物を引き取ってもらえるだけ有難いと思え。我が領のギルドとは自分で交渉するんだな。』
面倒な事を態々引き受ける気は無いが、父の顔を立ててやらねば。と譲歩してやったのだが、逆に噛みつかれた。態々タルピナスから馬車に揺られて来てやったのに、恩着せがましい事ばかり言いやがった挙句、私とは交渉したくない。とまで言い切った!
母から聞いてはいたが、此処まで自分勝手な奴だとは思わなかった。流石、元平民。礼儀も何もあった物ではない。と怒っていると、父を始めとして、その場に居た者達から次々と意見されてしまった。どうやらファイアタートルの甲羅とやらはレアアイテムで高価な品らしい。我が国唯一のダンジョン産で、隣国では人気も高いそうだ。
『初めからキチンと説明してくれなければ分からないではないか!ミスティーヌが怠慢だからこんな事になったのだ!もらってやるから、謝罪を求める!』
とハリシエダに言えば、
『ナイジェル兄様は手紙を読んでいないのですか?ミスティーヌがタルピナス子爵から相談を受けて、提供出来るアイテムが有りますと言ってくれたのに。こういう事を、恩を仇で返す。と言うのですよ。』
と言い返され、父からは、
『手紙も読まずに来たのか?お前は何をしに来たのだ?
オークションに掛ければ簡単には手に入らない様な値の付くレアアイテムの知識も無い上に、只で渡せ。金も寄越せとは、呆れて物も言えん。』
と睨まれる始末だ。話にならないと物別れに終わり、私は怒りまくり、疲れただけでタルピナスへの帰路に着いた。
サリシン様からの手紙に嬉々としてナイジェル様を送り出したのだが、機嫌の悪いナイジェル様の様子に不安を覚える。結果を聞くと…やっぱりやらかしてくれた。
『15Mもあるファイアタートルの甲羅ですよ?隣国では防具の材料として引く手数多のレアアイテムでは無いですか!
領主教育の中で、隣国で人気のアイテムとして名前が出て来てましたよね?忘れたのですか?』
思わず強く言ってしまいましたよ。不貞腐れたナイジェル様がサリシン様から手紙を預かって来たと差し出すので、取り敢えず手紙を読むと、ナイジェル様の態度に怒ったミスティーヌ様が、ナイジェル様を介さなければ、私の顔を立てて、ファイアタートルの甲羅を優先して売ってくれると書かれていた。
せめて商業ギルドと交渉はしてもらおうと、ナイジェル様にギルドへの遣いを頼むが、やる気が無いらしく、話をまとめられなかったらしい。大金が入り、隣国とのパイプを作れるきっかけにもなる正念場だったのだが、ナイジェル様には理解出来なかったようだ。
サリシン様には、アネトール様の影響を含め、ナイジェル様のギルド交渉が不発に終わった事を伝えると、そうなるだろうと見越して、既にリストランテで動いている。と返事が来てしまった……
ある日、突然にサリシン様が現れた。なんと、聖獣様の転移で来られたそうで、お一人でした。本邸にアネトール様を招き、サリシン様と語らいの場を設けたのだが、直ぐにアネトール様の叫び声が響いたかと思うと、次は派手な泣き声に変わった。
……ナイジェル様の所で蟄居する事が決まったそうです。ご実家のカサワド辺境伯の元に帰す事も考えられたそうですが、今更戻されても迷惑だろうから、子供達の中で唯一、アネトール様が育てたナイジェル様に責任を取らせる事になったそうです。
サリシン様は、私に迷惑をかけて済まないと謝罪され、私も、領主を交代して自由になっても良いと言われたので、次の領主となる方が決まったら、引き継ぎを済ませ、少しこの地を離れ、楽しもうと思っています。あぁ、ヘーゼルが生きていてくれたならなぁ…
ナイジェル様はタルピナスの領主になるつもりのようですが、サリシン様は厳しい方ですから、多分、無理でしょう。私の持っている子爵位は、タルピナス領に付随する物ですから、ロヴェニアは勿論、娘婿のナイジェル様に引き継ぐ物ではありません。アネトール様は兎も角、彼らは平民になる可能性がありますけど、態々言う事でも無いでしょうね。




