交渉
「ふぃー。久しぶりの帰還!」
妖怪の王に始まる一連の騒動を終えて人間側の世界に戻って来たあたし達は、まず真っ先に息を吸う。淀んでいた妖怪の国とは違う、新鮮で美味しい空気。胸の中に溜まっていた不純物が取り除かれていくようで、清々しい解放感を得る。
「空気がおいしーい♪これぞシャバってやつ?」
「ある種の閉鎖空間でしたからね。余計にそう感じるのも無理ありません。それよりも———」
エルは自前のポーチを漁って、何かを探している様子を見せる。あたしがその意図に気付くよりも先に、クーが答えを導き出した。
「時間!」
「鋭いですね、クーちゃん。向こう側が常夜でしたので、実際どの程度の時間が経過しているのかが不明瞭のままでしたから」
「案外100、200年経ってたりして」
「こ、怖いこと言わないでよぅ、リノお姉ちゃん…」
「冗談、冗談♪んでエル、今何時?」
エルは携帯型の時計の針を見つめたまま何も言わない。けれど、小刻みに震わせる肩で、あたしは事態を察してしまった。エルから奪うように携帯型の時計を取り上げ、冷や汗をかきながら表示されている時刻をおずおずと確認した。
午後14時32分。針もしっかり時を刻んでいて、止まっていたり、壊れているような感じはない。今度は、反射的に空を見上げる。ずっと覆い被さっていた雲は消え、さんさんと照り付ける太陽の眩しさがあたしの視界を遮る。日の位置と時刻を照らし合わせると、大体間違ってはいないだろう。
「ん?大体合ってると思うけど…」
「ですね。合ってないと困ります」
「んあっ!?ちょっとエル!その発言どーゆー意味!?」
「言葉通りの意味ですが?驚いてくれたようでなによりです」
「…エルがやるとシャレにならん」
にやにやと頬を緩ませてあたしの反応を楽しんでいたエルに、これ以上ないくらいがっくりと肩を落とした。
「クスクス」
このやりとりを最後尾で静観していた1人の少女が、笑い声を抑えながら喜んでいた。水色の瞳に、金髪ストレートな短髪が美しい、ワンピースで薄黄色の民服に身を纏った少女…。そう、彼女はあたし達が世話になった宿の主、ミスティの妹。名はレスティ。
ミスティ本人は『妹は妖怪に殺された」と主張していたけれど、実際は雨の祈りを発生させる為の柱として、妖怪の国に幽閉されていただけだった。妖怪達から危害を加えられたりした事はないらしく、その証拠に怪我等は一切見当たらなかった。
「あっ、ごめんなさい!つい…」
「ははは、いいっていいって。それよりも、久方ぶりに実姉に会うわけだけど、緊張しない?」
「そ、そうですね。もう何10年も会っていないような感覚なので、していないと言えば嘘になります。でもそれ以上に、早く会って声が聞きたいんです。優しくて温かい、お姉ちゃんの声を」
「安心して下さい。その願い、すぐ成就させますので」
「恋のキューピットか何かか、あたし達は」
「乙女チックで良いじゃないですか。ね、クーちゃん?」
「うん♪」
問題と言う名前の壁を乗り越えた後は気分が良い。あたしは勿論のこと、エル、クーそれからレスティも、揃って上機嫌で対立の門を後にし、談笑を交えながらミスティの宿へと歩みを進めた。
それから30分。ようやくミスティの宿へと辿り着く。レスティの心の準備を確認してから、ゆっくりと入口の扉を横に流した。
「いらっしゃ…あら?」
「どーもミスティさん。また来-たよ」
「今日も泊っていってくれるの?ふふ、嬉しいわ」
「へへっ。それはそうと、ちょっちミスティさんが話があるんだ。とびっきりの嬉しい話が」
「嬉しい話?もう、大袈裟に言って。期待しちゃうわよ?」
「驚かないでよ~…ジャーン!!」
半開きにしていた扉を全開にして、あたし達は玄関の隅に寄る。目の前に現れた人物に対し、ミスティは奇跡でも見ているのかと思わせるほどに目を見開き、やがて大粒の涙をこぼした。
「嘘…!そんな、まさか…!!」
「ただいま。お姉ちゃん」
何も言わず、想いを腕にのせて、ミスティはレスティをぎゅっと抱きしめた。時にすれば一瞬の出来事だけれど、2人にとっては長い間離れていた空白の時間を埋める、大切な時間だ。感動の再開にもらい泣きしたクーは、グスグスと鼻をすすって目の前の光景を焼き付ける。
エルは無言のままクーにハンカチを差し出して、出ようと合図を送ってきた。水入らずの場にいつまでも留まるのは邪魔だと思ったんだろう。同意したあたしは、目尻に溜まった涙を拭き取るクーを引き連れて宿を出た。
「いやあ、良かった良かった」
「まだこれで終わりではありませんよ。これからリノには一芝居打ってもらわないといけないんですから」
「分かってるってエル。さてさて、そろそろ来ると思うんだけど…」
あたしが周囲を見渡すと、中央広場に向かって移動する人達が増えていることに気付く。それに伴って、大地を揺るがす振動が徐々に近づいてくることも。時間ぴったり。妖怪の王のご到着だ。
「み、みんな逃げろ!妖怪の襲撃だ!!」
「あいつら、ついに俺達人間を根絶やしにするつもりなんだ!!」
「逃げるって言っても、どこに逃げればいいのよ!?」
「知るか!でもとにかく遠くに逃げるしかねえだろ!?」
街の住民達は、安々と対立の門の結界を破って突き進んで来る、妖怪王ダイダラボッチの姿に恐れ慄き、各々が思い思いの言葉を吐き出しては、いずこかへと走り出す。いわゆるパニック状態。ノイスターサの入口付近は、恐怖で逃げ惑う人達でごったがえしていた。建物を悠々と超えるあの背丈じゃ、無理ないのかもしれない。
「静まれいッ!!!」
ダイダラボッチの大喝で、街中の喧噪がピタリと止んだ。何も知らない人間からすれば、恐怖心からか反射的に従ってしまうのだろう。その場にいる全ての人間の視線を一斉に注がれたのを肌で感じたのか、ダイダラボッチは少し緊張した面持ちで、静かに口を開いた。
「俺様は妖怪の頂点に君臨する王、ダイダラボッチ。此度は、長きに渡り人間達との間に生じていた亀裂の修繕にやって来た」
「嘘をつくな!何かしら理由をつけて俺達を殺しに来ただけだろうが!!」
街人の1人が大声でそう叫ぶと、周囲の人達も合わせて己の主張をより強める。いわゆる同調圧力と言うやつで、問題を乗り越えるには少々厄介な障害だ。
「…それが望みだと言うならば、叶えてやらんこともないが?」
「ヒッ…!本性を現しやがったな!?帰れよ、人殺し!!」
「そうだ、帰れ!!」
ダイダラボッチが手を出さないのをいいことに、街人達は容赦のない罵詈雑言を浴びせて、精神的攻撃を加え始めた。この光景にエルとクーも思うところがあるのか、エルは帽子の鍔を下げて時を待ち、クーは何か言いたげな表情のまま、群衆を見据えている。聞くだけじゃなく、こうして実際に目の当たりにすると、その深い亀裂が見て取れた。




