十四 殺屋
人間は、人間として産まれ、人として生き、そして、人間として死ぬ。
人間には、見えるものと見えないものがある。
見えるもの。それは、信号機、ビル、スマホ、オムライス、コーヒー、スプーン、蝶、花、猫。
見えないもの。それは、空気、時間、音楽、価値、心、嘘、神様、幽霊。
人には、ミエル者とミエナイ者がいる。
ミエル者。それは、幽霊が見える者。
ミエナイ者。それは、幽霊が見えない者。
西見 友里恵 (にしみ ゆりえ)
藤井 杏丞 (ふじい きょうすけ)
案内人
森崎 (もりざき)
楠見 (くすみ)
押切 (おしぎり)
14
古いビルの最上階にあるプラネタリウム。
季節や天候を問わず行列ができていたことを、今では疑うひともいるだろう。大きなショッピングモールが近くに建ってからは、人の出入りは急激に減った。
「これは、二百年に一度の流星群です」録音された音声は解説する。
客は少なかった。親子連れと西見、上映中に入ってきた人一人だけ。
親子連れは、前の方の席で「綺麗ね」と小声で呟いた。
忘れられた星の空は、それなりに綺麗と思わせた。
「綺麗だけど」一つ席を空けて隣に座っていた人は、声をこぼした。「これを実際に見た人は、そう思ったのかな」
聞き覚えのある声だった。
「もしかしたら、ただの日常の一部だったのかもしれないなって。だとしたら、これに価値をつけるのは後付けだし、都合がいい空に見えてしまうな」
知っている人の声だった。
「ね。友里恵くん」
同日、三時間前。
事務所の玄関先に段ボールが置かれてあった。
ボタンが届いた。注文していた商品だった。
「深留レオ」の名刺に、刺繍で柄のついたボタン、鯨の絵画のポストカードに、「レコラエの最終文書」のタイトルの本と、その他にも購買人として購入したものがローテーブルに置かれていた。
「今日はお前さんに、仕事を頼みたい」
案内人はいつものデスクチェアから、ソファに腰掛けた西見に言った。
「なんだ。いつものことじゃねえか」
端末が鳴った。
メッセージには、地図が添付されている。
「行けば分かる。いつもとは少し違うだろう。話は、その後だ」
「驚いた?」
間違いなかった。目の前にいるのは、忘れもしない人だ。
「びっくりして、声も出ない?」
彼は、まるで生きているかように、そこにいた。
「僕も最初はびっくりした。君に、幽霊が見えるなんて」
毎日毎日、同じ時間に、土だけが入った植木鉢に水を撒く子がいた。
中庭と卓球場の間、ちょうど陰になってるところに一つだけ植木鉢があって、ずっと何も咲かないなって思ってた。今思えば、何が咲くのか期待していたのかもしれない。
だから最初、杏丞のことは変なやつだって認識だけだった。
季節が二周しても、花は咲かなかった。
それでも、毎日毎日同じ時間に、杏丞はその鉢植えに水を撒いた。
鉢植えの前で、先生と話してる時もあった。杏丞は途中で走ってどっか行っちゃったけど、次の日もまた水を撒いてた。種も入っていない土だけの鉢植えに。
「だめ!」
暑い夏の日のことだった。
土だけの植木鉢に花の種を埋めようとした西見に、藤井杏丞は言った。
「児島先生に許可はとった」
四年生の家庭科の課題。今回は、観察日記だった。担当の児島先生は、困っているクラスメイトがいないか中庭を歩いて見て回っている。
「だめ」
「なんで?」
「僕がだめって言ったらだめって言われなかった?」
深くかぶった麦わら帽子は、藤井の表情に陰を落としていた。西見が藤井とろくに目を合わせて話したのは、これが初めてだった。
「・・・。なんでここはだめなの?」
「・・・だめなんだ」
「だからなんで」
「ここはもう咲いてるから」
「は?」
聞き返したのは少し聞こえにくくかったからっていうのもあったが、それよりも目の前の植木鉢の中は乾いた土だけで植物なんてただの一つもなかったからだった。
「お前、何言って」
西見が言いかけた時には、藤井はまるで西見から逃げるようにその場を離れていった。
「なんなんだよあいつ。気持ちわりい」
西見はその鉢植えに、花の種を埋めた。
大学受験を控えたころ、花は咲いた。
藤井の机の上で。
交通事故らしい。
「信号無視らしいよ」
「車が、でしょ?」
「流石にね」
ホームルームのあいだ、あちらこちらで啜り泣く声とこそこそと話す会話が聞こえた。その日は急遽予定が変更されて、葬儀が行われることになった。
「葬式ラッキーとか俺は思っていませーん」
「縁起でもねえこと言うなよ」
「何がだよ」
「やべえ昨日そんな寝てねえのにー」
先生を先頭に、全クラスメイトが列になって集団で葬儀場へ向かった。
葬儀場にはすでにパイプ椅子が整列されて並んでいて、西見らは先生の指示通りに順番に座っていった。
経が耳に流れ込んでくるのを感じているあいだ、あくびをした生徒は三人いた。
顔を見て最後のお別れができると、先生から説明があった。二、三人の男生徒が希望したが、それ以外の数十人はそこで解散となった。西見もそこで解散することを選んだ。理由は簡単だった。先生が見ない方がいいと言ったからだ。
葬儀場を出る間際、母親であろう女の人は彼の最後の顔を見るなり嗚咽し、泣き崩れていた。
「そういうのがなければ普通の子なんだねー」
放課後の職員室の窓から、誰かの話し声が聞こえた。
「そうなの。この間も、ここには何も植えたりしないでくださいって。なんで?って聞くと。もう咲いてるから、だって」
「嘘ー。何それー」
「こわー。幽霊とかも見えてそー」
「あたしも、ヒェーって思っちゃってさ。でもあたしは、愛する子供たちの”先生”としてさ」
「何が”愛する”よ。散々昨日の飲み会で、キモい、気持ち悪いって言ってたくせに」
「ちょっとやめてよー。子供たちに聞かれたらどうすんの。でね?あたしは藤井くんに、ここには何も咲いていないですって、きっぱり言ってあげたの」
「厨二病を露見してしまったら、のちの人生オワタモード突入になるからでしょ」
「あー!昨日言ってたやつだー!まるで自分の後悔を他人にさせないようにする正義感みたいなやつねー!」
「もう笑わせないでよー」
「違うわよー、もう恥ずかしいなー。で、そう言ったら藤井くん、泣き出しちゃって」
「PTA持ち込まれて、危うく大ごとになるところだったって話ね」
「親御さんは普通の人でよかったわ。この子がおかしなことを言ってすみませんなんて、逆に謝られちゃって。あたし、気まずい。みたいな」
「うけるー」
「お母さま超優しいー。っていうか話変わるんだけど、お母さん美人多いよねー」
ーー。
児島先生は、黒板に白色で「観察日記」と書いた。
「家庭科の今回の課題は、観察日記です」
植物の種類は問わず、期間中自分で植物を育てながら日々の育成の記録を残すという課題だった。
課題内容の説明が終わると、クラスメイトは自分の鉢植えを決めるために中庭に移動した。
「先生」
「なあに、友里恵くん」
「卓球場の入り口のところの植木鉢あるでしょ?あれにお花植えてもいい?」
「あー、あれね。あれは、だめなの」
「なんで?」
「何にも植えないでって、お願いしているお友達がいるからよ」
「だれ?」
「杏丞くんよ」
「なんで?」
「なんでって、それはえーっと。もう咲いてるから?あ、咲いているように見えてるから?違うか、えっとー。見えないものが見えているから?これも違うかーごめん!今のなし!聞かなかったことにして!」
「・・・見えないもの?」
「とっ、とにかく!杏丞くんに聞いてみて!杏丞くんがだめって言ったらだめよ」
その鉢植えに西見が種を埋めてから、藤井は水を撒きにこなくなった。
代わりではなく、観察日記のために、今度は西見が毎日その鉢植えに水を撒くようになった。
プラネタリウムの上映が終わると、ドーム内は照明で徐々に明るくなった。
親子連れは手を引いて通路を歩き、出口に向かう。
「たまたまだった。おまえたちをみかけたのは」
西見たちと正面の通路に立って、案内人は続けた。「まず、杏丞にこえをかけた。何も無い鉢植えに、あいつには何が見えているのか興味がわいたから。だが、ミエテルのは、おまえだった。友里恵。俺は、亡者だ。最初からずっと」
親子連れは、するりと案内人の姿を貫通して素通りした。
鼓動が早くなる気がした。息が浅くなる。
”「友里恵くん、お化けなんていないのよ」”母さんは、俺に言った。
”「え?ぼく、いつも、ミエ・・・」”
”「友里恵、幽霊とかお化けなんかいないの」”母さんが怖かったのは、今でもこの時だけだ。
”「・・・おかあさん」”
”「いい?もうお母さんに二度とこんなこと言わせないで。友里恵」”でも、母さんは怒っていたんじゃない。
”「・・・はい・・・」”
”「お願いだから。人前で気持ちの悪いことを言わないで」”その頃には、母さん、もう薬を飲んでたっけ。
”「・・・お母さん、ごめんなさい。全部・・・嘘だから。・・・もう言わないから。・・・ごめんなさい」”
「俺がPTSDを克服してなかったら、今頃パニックを起こしていたかもしんないぜ?」
「お前がその克服に努力を惜しむはずがない」案内人は続けた。「いや。それはPTSDではない。そうなることを何よりも恐れたお前は、忘れたんだ」
人間は、忘れる動物だ。
「忘れることに人生でなによりも努力したんだ。ミエナイことにして」
そうだ。
母さんが涙を流して縋ってきたあの日から、決めたんだ。
忘れてしまおうと。
「杏丞くん、また空見てる」
「竜でも見えるんじゃね?」
「それはアニメの見過ぎ」
クラスメイトは、こそこそと言い合っていた。
「ねー、杏丞」
「ばか、お前。本人には」
「杏丞って、幽霊見えるの?」
揶揄うつもりだったのか、それとも、本心で聞いたのか。今思い返せば、それは明瞭だ。
「え」
「えー、こわーい」
「だってこの間の家庭科のとき、ここにはお花植えないでって」
「何それー。友里恵ー」
「ここには幽霊がいるからだめーって」
”(あれ?杏丞はあの時、なんて言ったんだっけ)”
前日に母さんに怒られたことを忘れようと、必死になった結末だった。
”(杏丞は、そんなこと言ったっけ)”
「僕そんなこと言って」
「きも!」
「きんも!」
「杏丞くん杏丞くん、この教室にもお化けっているの?」
「やめてー。いたらもう勉強できないよー」
笑うな。
「大丈夫。俺らには見えてないから」
教室は、笑い声で溢れていた。
みんなして、笑うな。
「いるわけねえだろ!幽霊なんて!」
西見の声に、教室はしんとした。
藤井は椅子から立ち上がって教室から勢いよく出ていったっきり、その日は帰ってこなかった。
「記憶と視覚情報をコントロールしようとした。無理やりに」案内人は、頭を指し示した。「脳は賢いが、無理やりされるコントロールに対応できるほど人間の脳はまだ発達していなかった」指先は、投影機や天井、自身に、杏丞を指した。「あれは見える。あれは見えない。あれはミエル。あれはミエナイ。見えない。これを、繰り返した」
ミエルものをミエナイことにして、見えないフリをした。
何度も何度も。振り払っては、思考回路を遮断するように、見えないフリをし続けた。
「上手くいっている時もあったかもしれないな。けれど、結果がこれだ。上手くいかない時ができちまったんだ。そう。生者も亡者も見分けがつかない時ができてしまった。ある花をきっかけにお前の中で、ミタイ、ができてしまったからだ」
実際には、なんとなく分かっていた。
考えないようにして。考えないようにして。考えないようにしていたけれど、不自然に思われる言動や行為をしてしまうたびに、能動的に完全に忘れることなんて人間には無理なんだって。
それでも、母さんの前だけでもちゃんと、ミエナイ人を演じていた。
「路上でお前さんに声をかけただろう。声をかけたのは、お前さんが初めてではない。俺がまず声をかけたのは、こいつだ。杏丞だ」藤井はいたずらに微笑んだ。「こいつには俺の声は聞こえなかったし、俺の姿は見えてなかった。だからこいつは、ミエナイんだって知った」
昼休みの廊下で西見は、教室を移動する藤井を見かけた。
”「いるわけねぇだろ。幽霊なんて」”
「ごめん。ずっと謝んなきゃって思ってた」
「・・・」
あれから数年経っても、西見の中でずっと心残りがあった。
藤井は立ち止まって、しばらくしてから頷いた。
大きな声で傷つけたことを本人に謝ろうと、西見は決めていた。でも、それ以上に心残りの原因があった。
「おまえ、ミエんのか?」
教室を移動する生徒が多い時間帯で、廊下はざわついていた。
「・・・なにが?」
「なにがって」
制服を着た幽霊が、二人の目の前を通り過ぎた。西見はそれを、指さした。
「いまの」
「・・・ごめん、友里恵くん。なに言ってるの?」
それは人として、至極、当然の反応だった。
「・・・ごめん。・・・寝ぼけてた」
当然の反応なんだ。人に、幽霊が見えるはずがないのだから。
「そっか。じゃあ僕、次の授業行くね」
「・・・おう」
「でも」
「・・・?」
「謝ってくれて、ありがとう」
「・・・おう」
静かなBGMがかかるドーム内で、案内人は言った。
「亡者になったこいつに、俺は再び声をかけた。今のお前さんと同じ仕事を頼んだ。こいつは亡者だから、亡者に対しては暗殺。だが、生者に対しては殺しができなかった。幽霊が生きた人間を殺したという実例が、この世に存在しないようにな。仕事は減った。殺したい対象が亡者とは限らないからな。こいつは、お前さんを紹介した。お前さんが薬も暗殺もやってることを知ってたから」
案内人は、シリンジを顔の前に出した。
「暗殺に使うシリンジの中身は、亡花。お前さんの留守の間、お前さんの部屋の薬のレシピを参考にしてこいつが作った。留守じゃないと、こいつの姿がミエテしまうかもしれないからな。こいつが最初に気づいたんだ。お前さんが、ミエルかもしれないことに。購買人の資格があるかもしれないことに」
「友里恵くんさ。電車とかラーメン屋の席を変にあけて座ったり、列に並んでいても自分の前を変に空けて立ってたり。その逆もあった。変に返事が遅かったり。無視したり」藤井は言った。
亡花。
それが、シリンジの中身。
「それが、見えない花なのか?」
「違う。シリンジの中身は、亡花だ。あの世の花。言い換えれば、花の幽霊のようなものだ。
お前さんは、幽霊がミエル。
つまり、報酬でもらっていた見える花が、実は亡花だ。生者の暗殺報酬のな」
「持ち帰っては瓶に生けてあるでしょ?あの花だよ」
培養ルームのモニターの側には、今まで報酬で落ちた花が生けられていた。分析機にかけても未だ不明の花だった。
「それをこいつが気化してシリンジに詰めてあるんだ。そこに不必要な意図はない。蘇生薬を作るのに必要な工程なだけだ」
「じゃあ、亡者の暗殺報酬の、見えない花は・・・?」
「文字通り、見えないんだよ。友里恵くん」
・・・え。
「ないんだ。そんな花。友里恵くんにとっては、そんな花、初めからなかったんだよ」
俺にとっては・・・どういう意味だ。
「僕にとっては、そこに、花は咲いていたんだけどね」
水が溢れそうになっている植木鉢を前に、幼い藤井は母親に言った。
「まま、咲かない」
「きょうちゃん。咲いてるじゃない、ちゃんと」
「え?」
「きょうちゃんはよーく頑張ったんだから、ままの心の中でめいっぱい咲いてるよ」
「・・・でも」
「ふふ、大丈夫。ほんとうよ。きょうちゃんががんばったんだから。きょうちゃんが見えなくても花は咲いてる、ままにはみえてるよ」
「・・・ほんと?」
「ほんと。大きな花びらの綺麗な花が咲いてるわ」
「やったー!」
「毎日水やりよくがんばったね!」
「幼い僕にとっては、母からのお呪いだった。だけど、花が好きな友里恵くんにとっては、見えない花なんて興味が沸かないわけがないよね。ごめんね」
「違う。俺は」
”「お願いだから。人前で気持ちの悪いことを言わないで」”
俺は。
”「きも!」”
”「きんも!」”
”「この教室にもお化けっているの?」”
”「やめてー。いたらもう勉強できないよー」”
”「大丈夫。俺らには見えてないから」”
俺は、少し期待したんだ。
”「ここはもう咲いてるから」”
俺以外に、ミエルやつがいるかもしれないって。
「でもまた、友達になれて嬉しいよ。友里恵くん」藤井は西見の隣の席にうつり、無邪気に笑った。「これからは、正式な僕のパートナーだ」
・・・え?
「・・・パートナー?」
案内人は頷いている。
端末が鳴った。通知画面には、検索結果の表示。
『暗殺目標 藤井 杏丞』
「なんてね」画面はノイズの後に、真っ暗になった。「僕は、薬屋。兼、購買人のサポート係。端末の中の人だよ」
「・・・」
え?
「不思議に思わなかった?現世に生きる人にしては、世代や場所を超えて知りすぎていると」
「お前が検索結果送ってたの?!」
「幽霊はフッ軽なのだよ」やっと僕と話してくれた、とは藤井は口に出さなかった。「あの世と行き来してどんな人物とも交流ができる。ネットワークは発達している。あの世はこの世より、長いからね」
案内人は、出口へと歩いていく。
「お前さんには、これからも事業を手伝ってもらう。事業は、説明してある通り、所謂、インフラみたいなものだ。あの世とこの世の住民の整理と、土地開拓。あの世とこの世の境目を設けて、住民に暮らしと仕事を与えている。亡者が住み良い土地を現世に広げていくことが、今の俺の事業だ。報酬はネタバラシしてしまったんで、考え直さんとな」
藤井も、それについて行く。「僕の給料もあげてよー」
「従業員は、お前さんとこいつだ」
古いビルの最上階にあるプラネタリウム。
上映外のドーム内に一人残された西見は、思い出した。そしてそれが今の、これからの仕事であることを認識した。
俺は、幽霊がミエル幽霊暗殺屋だ。
エピローグ
走りすぎて、目眩がした。軽い酸欠だ。
夜間救急病棟の病室の扉を勢いよく開けると、ベッドの上で身体中包帯に巻かれた森崎が豪快に笑う声で部屋は包まれた。
「焦りすぎだろ、バカ」森崎は、西見に言った。
目を腫らした楠見と、パジャマ姿の押切が寄り添っている。「まじで遅い」「何回電話したと思ってんだよ」口々に言った。
大丈夫なのかと訊くと、平気平気と森崎は答えた。
「鎖骨骨折と左足骨折に、全身打撲。その他もろもろ」
「しばらく入院だって」
楠見と押切は疲れている様子だった。でもそれよりも、二人の口調から安堵が伝わってくる。
それを感じて、気づいた。
「なんだよ」自分も、安堵しているのだと。「死んだのかと思った」
購買人は、提供された商品やサービスへの代金をテーブルの上に提案する。
店主は、商品の代金を選択できる。
購買人によってテーブルに置かれる品は、造花と金が入った金袋。
では店主に提案する代金は、造花か金か。実はそうではない。
それは、人間が見える情報であるだけ。店主は、人間ではないかもしれない。
代金として提案されるのは、みっつ。
一つ目は、生者の殺し。
ふたつめは、亡者の殺し。
三つ目は、金。
このみっつの選択から、店主は代金を自由に選択する。
金を選ばなかった店主を、以降、依頼人と呼称する。依頼人は、最も恨む人間の殺しを依頼する。
それは生者でも、もしくは、亡者でも。
生者の殺しは簡単。暗殺するだけ。
でも亡者の殺しは、どうするか。亡者はその通り、もう死んでいる。
亡者を殺しは、蘇生だ。
生き返るんだ。人間として。
浴びせられるような悲劇と絶望を伴う豊かな人生を、また最初から始めてもらう。
そうだろ?この自殺願望で咲き乱れた世界で、亡者にとってそれが一番の殺しだろ?




