第20話 羽ばたきの時
施設での活動が三ヶ月続いたある晴れた日、思わぬ訪問者があった。日本の先端心理学研究所所長、瀬戸教授がプログラムの評判を聞きつけて直接視察に訪れたのだ。
「これがそのプログラムですか」
瀬戸教授は神崎のモニターを覗き込み、厳しい目を細めた。施設長が丁寧に説明する。
「はい、非言語的感情認識システムと名付けています。特にトラウマを抱えた子どもたちとのコミュニケーションで驚くべき成果をあげておりまして」
その時、一人の少年が駆け寄ってきた。三ヶ月前まで無表情だった翔太だ。
「お姉ちゃん、見て!今日の絵」
彼の描く絵には、かつての暗い色はなく、明るい太陽と笑顔の家族が描かれていた。瀬戸教授は息を呑んだ。
「この子は…重度の愛着障害だったと聞いていますが」
「はい」藤原が資料を提示しながら説明する。「プログラムによる感情の可視化が、自己認知の変化を促進したと考えられます」
その夜、五人は瀬戸教授を交えて会議室に集まった。教授は厳しいが、どこか温かい眼差しで彼らを見つめる。
「君たちのプログラムは画期的だ。しかし」教授は一呼吸置く。「まだ学術的な裏付けが不足している」
神崎の表情が険しくなる。
「データはすべて揃っています」
「技術的なデータは十分だ。だが」教授の目は藤原に向く。「心理学理論に基づいた分析が不足している。君、藤原雅人君だね。あの藤原医院の?」
藤原は緊張した面持ちでうなずく。
「君の父から話は聞いている。彼は君の選択を、まだ完全には理解していない」
その言葉に、一同の空気が張りつめた。しかし教授は続ける。
「だがな、私は違う。このプログラムには大きな可能性を感じる」
教授は書類カバンから分厚いファイルを取り出した。
「来月、国際児童心理学会が東京で開催される。君たちの研究を発表してみないか?」
静寂が訪れる。赤城が最初に声をあげた。
「マ、マジですか?!国際学会ですよ?!」
「もちろん、君たち五人での共同発表だ」教授の口元がほのかに緩む。「それぞれの専門性を活かした内容にすること」
その提案は、彼らに新たな課題を与えた。五つの専門分野を一つにまとめ上げるという、これまで以上に困難な挑戦が。
翌週から、彼らの生活は激変した。大学の講義や専門学校の授業を終えると、それぞれが徹夜でデータ分析や資料作成に取り組む。
「だめだ」森川が机に突っ伏す。「写真分析の理論的根拠を言葉で説明するのが難しすぎる」
赤城も珍しく弱音を吐いた。
「俺なんて、まだ見習いカウンセラーだぜ…国際学会なんて無理だよ」
藤原は心理学文献の山に埋もれながらも、確信を持って言う。
「私たちにできる。それぞれが持つ知識を組み合わせればいい」
神崎は新たな解析プログラムを開発していた。
「感情の変化を時系列で可視化する機能を追加した。これで森川の写真分析と藤原の心理学理論を統合できる」
夏希はそれぞれの進捗をスケッチブックにまとめ、全体のバランスを調整する。時には徹夜する仲間に差し入れるを作り、時には悩める森川の相談に乗る。
発表一週間前、瀬戸教授が最終チェックに訪れた。
「…なるほど」教授は完成した発表資料をめくり、深くうなずいた。「技術と心理、そしてアートをここまで融合させた研究は他にない」
しかし教授の表情が突然曇る。
「一つだけ問題が。学会の規定により、研究代表者は大学の研究者でなければならない」
「つまり…」藤原の声が震える。
「私が代表者になる必要がある。あるいは…」
その時、ドアが開き、一人の男性が現れた。藤原の父親だった。
「私が代表者になろう」
一同が息を飲む。父親は静かに微笑んだ。
「雅人、お前たちの研究を見てきた。これは単なる子供の遊びではない。立派な研究だ」
藤原の目に涙が光った。
「父さん…」
「ただしな」父親の口調が厳しくなる。「学会が終わったら、改めて医学部進学の話をしよう。心理学を学ぶなら、医師としての知識も必要だ」
それは妥協ではなく、新たな可能性を示す言葉だった。
国際学会当日。五人は舞台袖で固く握手を交わす。
「さあ、行こう」藤原が深呼吸する。
「私たちの物語を、世界に伝えに」夏希が微笑む。




