5 こうなったらもう、狩るしかねえ
それから小一時間。
俺はフランがその場で調合して作った色とりどりの消臭カプセルをひたすら飲み込んだ。
「次は……はい、この二十番のカプセルを飲んでちょうだい」
「これが一番強い奴か?」
「ええそうよ。今までは手も足も出なかったけど、今私が持っている材料で作れる消臭カプセルで最強の効果を発揮するはずよ。その分喉にも響くけど、そこは我慢して」
「分かった……んっ。げほっ、がほっ!」
そのたびに彼女は、身を挺して匂いを嗅ぎ――――
「飲み込んだわね……じゃあ嗅いでみるわよ。3、2、1……」
「はぁあああああっ」
「あうううううっっ!!」
「フラン! フラアアアアン!!」
一度の例外もなく、悪臭にやられてのたうち回った。
◆◆◆◆◆
「二十番でも駄目だったか……」
強い消臭カプセルの摂取すぎで、喉が焼けるように痛む。だが、俺の苦しみなど大したものではなかった。
「わ、私としたことが、たかが一人の口臭にすら太刀打ちできないなんて……香料術士失格ね、情けない……!」
そう、目の前で身もだえている彼女に比べれば、俺の痛みなど蚊に刺されたようなものだ。彼女は今、地獄の苦しみを味わっている。俺の口から放たれる悪臭と、香料術士としての矜持の重責の二枚ばさみで。
「……そんなに臭いものを嗅ぎ続けて、よく鼻が麻痺してこないな」
感心したように呟くと、フランはやさぐれた表情で息を漏らした。
「鍛えてるのよ、嗅覚……鋭さだけじゃなくて、強度もね。ちょっとやそっとで駄目になったりしないように、色々なトレーニングを重ねてきたの……でもそのせいで今でも貴方の口臭がありありと脳裏に思い浮かぶんだけど……」
なまじ鼻がいいものだから、麻痺することもできず、ただ責め苦を味わい続けるということか。優秀さ故の欠点……まるで彼女を拷問しているような心持ちになって、俺は胸が苦しくなってきた。
「手持ちの香料も大体全部使ってしまったわね。……貴方の喉のことを考えても、これ以上の続行は困難かしら。ごめんなさい、何の役にも立てなくて」
「い、いやいいんだ……謝らないといけないのはこっちの方だから。ただ一回臭い思いをさせるだけに留まらず、何回も何回もフランのことをこんなに苦しめて……」
「……私が好きでやったことだから、気にしなくてもいいわよ。さて……っと」
力を振り絞りながら立ち上がったフランの手元から、一つの小瓶がこぼれ落ちた。
「……? それは?」
他の小瓶とは明らかに雰囲気が違う瓶だった。中身は虹色に輝いていたし、瓶も他の薄っぺらいガラスと違って、簡素ながら装飾が施された綺麗な細工になっていたのだ。
落ちた小瓶に気付いたフランは、それを自分の懐に大事そうにしまい込んだ。
「これは……私の『マスターピース』とでも言おうかしら……簡単に言うと、普通は使わないような高級な原材料を煮詰めて作った、とっておきの香水よ」
「香料術士は、学府を卒業するときに皆自分なりのマスターピースを作って、それをお守りにするの。よほど落ち込んだりしたときは嗅いだりもするけど、基本的には蓋に詰め込んだままお守りとして取っておくもの。もしかしたらこの中身を使えば、一時的に貴方の口臭を相殺することくらいはできるかもしれないけど……」
とんでもなく重たい代物だった。流石にそれを使わせるわけにはいかない。
「い、いや、流石にそれは使わないでくれ。たかが一過性の匂い消しのために使っちゃ駄目だ、そんなもの。それは、お前のために持っていてくれ」
「ええ、流石にこれは……あっ」
その時彼女は、何かひらめいたように笑顔になった。
「そうだ、いいことを思いついたわ!」
「……いいこと?」
「臨時でいいわ。私達でパーティを組まない?」
「……え?」
困惑する俺の手を取り、彼女は言う。
「他に数人仲間を集めて、ここに書いたような高難度の地域に行くの! そして、これらの地域でしか取れないような強力な香料素材を確保して、貴方の口臭にすら打ち勝てるような、強い強い香料を作るのよ!」
「……!」
「貴方が一人でこの場所に行っても、どれが使える素材なのかも分からないでしょうし、調合することもできないと思う。でもパーティで挑めば、貴方は口臭を直すための消臭カプセルを手に入れることができる」
「お前にメリットがないじゃないか。何もそこまでしなくても……」
「私がしたいの。お願い、させて。ここで引き下がったら、香料使いとしてこれ以上生きていられなくなるわ」
「……!」
そうか、これはフランにとっての戦いなんだ。
パーティから追放されたという事実はきっと、彼女の矜持や自信を大きく損ねたことだろう。無理もない。たとえ香料術士は需要自体が低いこととか、技術については十分なものを持っていることを理解していたとしても、彼女に不要品のレッテルが貼られた事実に代わりはないのだから。
先ほどから強い自負心を見せていたのは、ある意味一種の強がりだったのかもしれない。香料術士としての自分を誇りに思っていないと、自分自身が壊れてしまうから。
彼女が本当の意味で自信を取り戻すためには、俺の口臭をなんとかするという分かりやすい『壁』が、この上なく適材だったのだろう。
「勿論、貴方が自分の口臭をどうにかしたいと思わないのなら、これ以上は無理強いしないわ。どんなに突き詰めても、これは貴方の問題だからね。さあ、どうする?」
『どうする』……って。そんなの、聞かれるまでもない。考えるまでもない。
「……俺は、関わる人を不幸にしてしまうような口臭からは縁を切りたい」
どうして、このままでいいなんて思うことがあるだろうか。俺だって、こんなおぞましい体質を背負って生きていたいはずがない。誰かの力を頼ってでも、克服したいと思うのが本心だ。そしてもし、ここで俺が助けを求めることが……目の前で苦しんでいるであろう、優しい人の助けになれるのなら……。
「鎧で顔を隠しながら生きるのだって嫌だ! お願いだ、フラン! 俺に力を貸してくれ!」
俺が可能な限り力を込めてそう言うと、フランは仄かな笑顔を見せた。
「ええ――――ありがとう。よろしく」
フランが差し出した手を、俺は握りしめた。つい先ほどまでの、ただ傷をなめ合っていただけの俺たちとは違う。破れ鍋に綴じ蓋、というわけではないが――――俺たちはようやく、本当の意味で互いを必要とすることができたのだ。
◆◆◆◆◆
そして次の日、町の集会所に募集の張り紙を取り付けた上で、仲間候補の到来を待ち続けた俺たちだったが……。
《一日目》
「来ないな、中々」
「難度の高い地域への、短期限定のパーティ募集だもの。この町は比較的平和だから、優秀な冒険者の数自体が少ないし……」
《二日目》
「今日も来ない。というか来る気配がない」
「一瞥しては去って行くわね。怪しげな二人がボードを眺めているのが威圧感にでもなっているのかしら」
《三日目》
「それで今日は、双眼鏡使って遠くから監視するスタイルにしたけど……」
「何かが変わったという気はしないわね」
《四日目》
「私達より後に紙を貼った初心者パーティが無事メンバーを集めきったみたいね」
「釈然としないが応援しておいてあげよう。頑張れよ、お前らは喧嘩別れなんてするんじゃないぞ」
《五日目》
「香水でも振りかけておきましょうか。興奮を促す作用がある花の香水を」
「やめとけ。金かけて設置して貰った張り紙を破られたらどうする」
《六日目》
「まさか俺の口臭があの張り紙に染みついているんじゃないだろうか」
「そんな無差別テロな口臭だったらもっと早くに貴方自身が気付いてるはずでしょ」
《七日目》
「ついに一週間……」
「結局、音沙汰は一切なしか……‥」
――――結局一週間かけて、パーティ希望として現れるものすら誰もいなかった。無理もない話である。先に言っていた通り、俺たちがこれから目指そうとしているのは世間一般に高難度とされている危険地帯。対してこの町は、周辺地域の中でも特に平和で、それ故に駆け出しの冒険者が人口の多くを占める町。
言わば田舎の貧乏役人を捕まえてきて、いきなり大臣になれと要求しているようなもので――――誰も現れないのは、自明の理であったのだ。
そんなこんなで俺たちパーティの行く末は、初っ端から暗雲に包まれてしまったのだった。