13 ラフレシア・ヒュドラの脅威
我ながら、不意を突くことと初撃の威力には自信がある。俺が渾身の力を込めて放った一撃は、狙い通りにヒュドラの本体を撃ち抜き、奴の腹を背後の壁に固定した。
「ば、馬鹿野郎! ローレシアにうっかり当たったらどうするんだ!」
ルシウスが文句をつけてきたが、取り合ってはいられない。俺は無視して岩場を駆け上がった。
「おい、待て!」
うるさい奴だな。ローレシアには当たってないんだからいいだろうが。
「心配するな、ちゃんと外れるようには狙っている! そら、一気に距離を詰めるぞ!」
「~~~~ちっ!!」
俺に続いて、ルシウスも岩場を登った。ミリアはそのまま下から射撃するつもりだろうか、動かなかった。賢明な判断だ。ラフレシア・ヒュドラは岩で山のような巣を作る習性があり、攻撃を受けたときはその岩を落として侵入者を撃退しようとする。地上に立ったままならば、岩は一発一発が大砲のような威力を持って俺たちのところに飛来する。高さの優位も重なって、遠距離戦では明らかに俺たちが不利だ。だから距離を詰める必要があったが、ミリアの強弓ならば足下からでも十分なダメージを与えることができる。
「はっ! はっ、はっ、はっ!」
ルシウスがナイフを巧みに操り、まず一番に襲いかかってきたヒュドラの首を撥ねる。その大仰な動きは必要なのか分からないが、成果を上げたのは事実だ。俺も負けていられない。
「ラァ! 死ねッ!」
片手剣を腰から抜いて、頭の一つに叩きつける。そして胴に近づき、大槍を引っこ抜くと、それをまた別の頭に突き刺した。これで合計三つ。
「どうしたルシウス! 森の入り口の狼狩りに続いて、また俺以下の成果で収まるつもりか?」
ルシウスが四本目の首に手こずっていたので、ちょっと煽って活を入れてやる。
「……! 舐めるなよ!」
俺の煽りに釣られて、ルシウスが本気を出し始めた。手のひらほどの小さなナイフを振り回して、熊の胴体ほど太いヒュドラの首を次々と落としていく。四体、五体。俺の方もその間にもう一本片付けた。ミリアが飛ばした矢の一本がさらに一頭を潰したのも、ちょうど同じくらいのタイミングだ。
さて、ヒュドラ側も黙って首を狩られるばかりではない。いくら時間を置けば再生するとはいえ、七つ潰されては流石にまずいと思ったのだろう。重たい体を持ち上げて、大きくジャンプし俺たちにのしかかろうとしてきた。だがその動きは鈍重で、特別な警戒なくしても悠々と回避することが出来た。
「へっ、遅いじゃないか。この程度のボディプレスで、俺たちを倒せるとでも――――……ん?」
ルシウスが飛び上がり、ヒュドラの残る二頭にとどめをさそうとしたその時だった。突然軋み出す足場、無重力になる体。
「うおっ、とっ、おっ、ああっ……!」
ルシウスはそのままその場に転げ、姿が見えなくなる。
「これって……おいおい、まさか……」
どうやら俺たちが上で暴れすぎたせいで、岩山のバランスが崩れつつあったようで……そこにヒュドラ渾身のボディプレスがかまされた結果、崩落に至ってしまったようだ。元々、大暴れする想定で積み上げていなかったのだろう。
「ぐっ……うっ……あああ――――っっっ!!」
「まずったな……これは…‥っ!」
岩山は大きな音を立てて崩れだし、俺たちもまたその雪崩に呑み込まれていった。
◆◆◆◆◆
「っぷはあっ!」
瓦礫の海を抜け出して、俺はその場に飛び上がる。どうやら岩山は完全に崩れてしまったようで、
愛用の鎧は、俺の体を完璧に守ってくれたらしく、瓦礫に覆われても俺の体は至って無事そのものだった。
「……ったく、面倒なことに……」
元々筋肉が育っているから、打撃に対しては自信がある。岩に直接肌を削られさえしなければ、この程度の落石に巻き込まれたからと言って怪我はしない。ただし、他の奴らは違う。
「無事か! フラン、ルシウス、ミリア!」
「……え、ええ!」
「なんとかな!」
「……無事」
良かった、三人ともから返事が返ってきた。ルシウスとミリアは二重の意味で心配していなかったが、フランが怪我一つなさそうなのは良かった。彼女もあれで、最低限逃げたり走ったりする能力は備わっているのかもしれない。当然それは、ヒドラ地下森林においては到底通用しないレベルだろうが……ちょっとした落石くらいならなんとか回避できる、と。それだけできれば十分だ。自信持っていいぜ。
「――――フゥッ!」
さて、奴の牙城を崩した今、俺たちは一方的に有利な体勢に立った……と言いたいところだが、目の前で蠢くラフレシア・ヒュドラの動きを見る限り、そうも言っていられないようだ。
「ギャオ、ギャオオオオオ!!」
奴が雄叫びを上げ、背中の花弁をわっと開いた。真っ赤な花弁は、分かりやすくその危険性を示している。そして同時に、次に来る攻撃がなんであるかということも。
「なるほど。今までローレシアを捕食するために向けていた分を、全部俺たちに向けてこようというわけか」
「……来るぞ、これは……」
ラフレシア・ヒュドラを中心に立ち上る紫色の瘴気。いや、臭気――――この怪物の、最も恐ろしい習性の一つである。巨大な本体よりさらに大きなラフレシア・ヒュドラがその花弁をぱたぱたとはためかせると、その臭気があっという間に周囲一帯を包み込んだ。
―――――うっ。
おっ、おおっ、おぶおおおおおっっっ!?
「な、なんだこの臭っ、うっ、臭いっっっ!?」
鼻筋を突き抜ける腐敗臭――――と汚物と吐瀉物と汚泥と腐った卵。それらを全てミキサーでかき混ぜた液体を、小汚いオッサンが数日咀嚼してできあがったような、地獄の臭い。世にも恐ろしき悪臭が、吹き抜けるように俺の全身を駆け巡った。
「うああっ、あっ、ああっ……!」
やばい、これ、力が入らない。臭いだけで、一瞬で満身創痍まで追い込まれてしまった気分だ。
「と、とてつもねえ臭いだ……メルヴィンの口から吐き出されるそれに勝るとも劣らない……!」
ルシウスが呟く。奴にとってもこの臭いは耐えがたいものだったようで……えっ? 俺の口臭ってこんなにヤバいの? これと同格? 嘘でしょう?
……ちょっとだけ、ルシウスたちに申し訳ない気持ちになった。
「……! 嫌、もう、臭……!!」
ミリアは匂いに耐えかねて、思わず弓から手を離し、顔を覆った。本人は、ほんの一瞬のつもりだったんだろう。だがその隙を、狡猾な森の主は見逃さなかった。
「シャアアアアッ!」
「はぐっ!」
ミリアの背中に、ヒュドラの頭突きが炸裂した。ミリアはその場に倒れ込み、手元から弓矢を落としてしまう。彼女がやるとは思えないミスだ。だがこの臭気、それだけの過剰反応をするのもおかしくはない。かくいう俺も、気持ち悪くて吐きそうだ。
「……ミリア!」
ルシウスはミリアの元に駆け寄った。このままでは彼女が捕食されてしまうと思ったのだろう。だがその隙も、ヒュドラにとっては格好の狙い目だった。
「ギュシャアアアアアッッ!!!」
ヒュドラが口から紫色の球体を放つ。それは臭気を高圧で固めた悪臭の塊、臭気弾。ルシウスは寸前で察し、身を翻してそれを避けようとしたが、いざ踏み込むというところで奴の膝ががくんと折れた。臭気だ。一帯に充満する悪臭が俺たちの力を奪っているのだ。ルシウスは一歩出遅れ、回避が間に合わず――――
ぼふっ。
「おっ、おっ、おぐあああああっっっ!!!」
臭気弾を直接ぶつけられたルシウスは、悶えてそのまま気を失い、ヒュドラの頭に咥えられて、そのまま胴体中央の捕食口に取り込まれた。ミリアのことは放置されたが、あの場にいたなら彼女も失神は免れまい。
へっ、いいざまだ。……と笑ってもいられない。流石のルシウスとはいえ死んでもらっては寝覚めが悪い。しっかり生きて幸せになってもらわねば、俺の怒りも行き場がなくなってしまうというもの。そもそも明日は我が身どころか、数秒後は我が身だ。俺自身も、ラフレシアの強烈な匂いにやられて頭がくらくらしてきた。いい加減限界かもしれない。九つの頭のうち七つは叩き潰し、あと一歩のところまで来たってのに――――
「……シャアアアアッ!」
残り二本の首が俺に迫る。迎撃しなければならないが、力が湧かない。いつもは半身のように軽々と動かしている大槍が、枷のように重たい。たかが匂い一つで、人はここまで弱くなるのか。となると俺は。随分と罪深いことを繰り返してきたみたいだ。全く無自覚のこととはいえ、奴らの怒りも良く分かる……だが、それとこれとは――――。
ヒュドラの首が俺の喉元目がけて迫ってくる。鎧甲冑は美味しくないと思って、さっさと殺すことを選んだのだろうか。俺は力任せにそれを弾いた。タイミングが僅かに遅れて、兜が俺の頭から振り落とされる。まずい、次はダイレクトだ。二本目の首が迫ってくる。迎撃しなければ。しかし力が出ない。それどころか、意識すらももうろうとして――――……。
ぴしゃり。頭皮に冷たい感触が伝わった。




